貴人講座
「………ん………」
カーテンの隙間から漏れ入る朝日に照らされて、蛍がベッドの中で身じろぎする。
そしてソッと目を開けると、視界に鮮やかな新橋色が広がり思わず口角を上げた。蛍の目の前にいるのは、穏やかに寝息を立てて夢の中をお散歩中の奏楽だ。
寝巻き代わりに着ている着物は少々はだけており、いつもは晒しで誤魔化されている女性特有の膨らみが強調されている。
そう。奏楽は男として振る舞っているだけで、実は歴とした女の子だった。
そんな事実とうの昔に知っている蛍は、自身の腕の中で心底安心しきった顔で眠っている愛しい想い人の愛らしい寝顔に、一人朝の幸福を噛み締める。
奏楽の柔らかな癖っ毛を弄りながら、ギュッと抱き締めると腕の中で奏楽が「んん~」と声を漏らした。
「……ん~……ほたちゃ……?」
「起きたか?ソラ」
蛍が滅多にない程優しい声で奏楽に笑いかけると、まだ眠たいらしい奏楽はトロンとした目付きでふにゃりと蛍に微笑み返した。
「……おはようございます~、ほたちゃ~ん…」
「おう、おはよう……もう起きるのか?ソラ」
「ん~…………」
蛍が寝癖の付いた奏楽の髪を撫でながら尋ねると、奏楽は言葉になってない返事をした後すぐに瞼を閉ざした。
そして聞こえてきたのは安らかな息遣い。
「……否、寝るのかよ……」
蛍のお姫様は朝が絶望的に弱いのである。
* * *
「今日、とっても良い天気ですね~」
顔を洗って歯磨きをし、朝から豪華な朝食を食べ終わる頃には完全に頭が覚醒した奏楽が、窓の外を眺める。ちなみに服はまだ寝巻き代わりの着物のままだ。
「天気は良くても、外には出られねぇけどな……そんなことより、ソラ。服どうすんだ?お前が泊まったこと、梨瀬さんと秘書以外誰も知らねぇから、着替えも俺の分しかねぇぞ?」
蛍が用意されていた着替えの着物に袖を通しながら、奏楽に尋ねる。
奏楽の宿泊は土萌の人間にも内緒なので、奏楽の着替えが用意されていなかった。食事も奏楽の分はなかったが、そこは梨瀬の計らいで量を多くしてもらい、二人で分けながら食べている。だがしかし、服はそうもいかない。
「ん~、まあ部屋から出ないんで、このままで大丈夫ですよ~。帰る時に、昨日着て来た制服に着替えますから」
フワフワ奏楽が告げれば、蛍も「そうかよ」と納得する。着付けも終わったところで、蛍は座布団の上に腰を降ろした。
「それにしても、今日は暇だな。試験中だっつっても、別に何かするわけでもなく、ただ星証持ってりゃ良いだけだし。部屋から出るなって言われてる上にソラのことがバレるわけにもいかねぇから、いつもみたいに異能の修行もできねぇし」
右手の上で星証を転がしながら蛍が退屈そうに呟く。昨日梨瀬から星証を受け取って約半日経ったわけだが、星証はまだ蛍の手元で光っていた。
「そもそもこんな小せぇモノ、ずっと握ってりゃ何処にも行かねぇだろ。こんなんで、本当に次期北斗七星がわかんのか?」
「正確に言えば次期北斗七星“候補”ですけどね〜。勿論わかりますよ〜。その星証は北斗七星に相応しくない人が持ってると、勝手に持ち主のところに戻る習性があるんですよ〜。瞬間移動みたいな感じですね〜。だから、いくら握り締めていても無意味ですよ〜」
ニコニコと奏楽が応える。便利な習性だなと思ったところで、蛍に一つ疑問が生まれた。
「……“候補”って何だ?試験に受かれば、必ず北斗七星になれるんじゃねぇのか?」
「いえいえ、星証はあくまで次期北斗七星に相応しいか否かを判断しているだけなんで、一日中持っていることができたからといって、必ずしも北斗七星に選ばれるわけじゃないんですよ〜。実際試験に合格しても、選ばれなかった人はいますしね〜」
「じゃあ梨瀬さんは嘘ついてたってことか?つうか、それで試験する意味あんのか?」
蛍の尤もな質問に、奏楽は「そうですね〜」とニコリと笑い返す。
「今日はほたちゃんに色々教えてあげてって梨瀬さんから頼まれてるんで、ちょっとお勉強しましょうか」
そうして、奏楽による貴人講座が始まった。
* * *
「は〜い!ではまず、ほたちゃんに質問です!貴人の異能の源は何でしょう〜」
何処から取り出したのか、伊達眼鏡をかけた奏楽が蛍に問題を出す。今更奏楽のおふざけにツッコむ程、蛍は馬鹿ではないので「星力だろ」と真面目に答えた。
「正解です〜。ボクらの異能は星力を源にしてますね〜。そしてそれは亜人も一緒です」
奏楽が付け加えて説明する。
星力とは、簡単に言えばファンタジー世界でよくある魔力と同義だ。異能という名の魔法を使う為の、身体の中に流れているエネルギー。勿論持って生まれた星力量は人それぞれで、異能を使う度身体の中の星力量は減っていく。回復する為にはよく寝てよく食べるという、これまたファンタジーによくある設定だ。ファンタジー世界の魔力と違うところは、生まれ持った星力量は個人の努力で増やすことはできないという点と、他人の星力を自分の力として補填できないという点であろうか。
つまり星力量の上限は生まれた瞬間から決まっているので、修行で増やしたり他人から分けて貰ったりということができないのである。ちなみに他人の星力が自分の身体に入れば、身体が内側から破裂する。
「星力はその名の通りお星様の力ですね〜。ボクら貴人や亜人は星の力を借りて生きています。逆に星力を持っていないのが、凡人と呼ばれる一般人の特徴ですね〜。そしてここからが重要になってくるんですけど……」
奏楽が至極真剣な表情で伊達眼鏡をカチャリと持ち上げる。
いまいち授業内容に集中できない蛍は、呆れながら奏楽の言葉の続きを待った。
「北斗七星と一般の貴人の違いって、ほたちゃん何だかわかりますか?」
「は?」
蛍があからさまに意味不明とでも言いたげな声を漏らす。
北斗七星と一般の貴人の違いなど、凡人でもわかる。圧倒的な強さの違いだ。
一般の貴人がどれだけ束になっても北斗七星一人分にさえ遠く及ばないと言われる程、両者には圧倒的な力の差がある。
蛍だってそれくらいは当然知っているので、問題の意図は読めないが「強さのレベルだろ」とあっさり答えた。
そんな蛍の答えが予想通りだったのか、奏楽はニコニコしながら「正解としては不十分ですね〜」と蛍の頬に三角を指で書く。
「正解は持ってる星力の“質”ですよ〜」
「“質”?」
奏楽の言っている意味がわからなくて、蛍が首を傾げる。奏楽は説明を続けた。
「さっきも言ったように“星力”は星の力のことですけど、今生きている貴人や亜人の中で、本当に星の力を借りている人は殆どいないです。大昔……貴人や亜人が初めて生まれた辺りの時代は、皆星から直接力を貰い、その力を使って異能を操ったり異形を出現させたりしてましたけど、時が経つにつれ、星から直接力を貰うんじゃなくて、貰った力を身体の中で循環させてソレを使うようになったんですね〜。その結果、子孫が増えるにつれ、身体の中の星力から星の力が薄れていき、今ではもう殆ど星の力は残ってないんですよ〜。つまり“星力”とは名ばかりで、ただ異能を使う為だけの紛い物のエネルギーなわけです。そんな中で、未だ星の力を色濃く残している家系があります」
「……それが星天七宿家か」
蛍が呟けば、奏楽は「そうです」と頷いた。
「星天七宿家の貴人は皆、本物の星の力を身体の中で循環させています。勿論、長い時の中で若干薄れてはいますけど……それでも北斗七星に選ばれれば、薄れていた力が完全に復活して、星力本来の力が発揮できるようになるんですよ。本物の星の力と紛い物の星の力……当然強いのは本物の方なんで、一般の貴人じゃボクら北斗七星に絶対に勝てないんですね〜」
「……初めて知った」
「まあ学校の授業じゃ、ここまで教える必要ないですからね〜。これを知ってるのは、ガーディアンになる人達くらいです」
大まかに北斗七星の力と一般の貴人の力の違いを説明した奏楽は「ここからさっきのほたちゃんの質問に戻りますけど」と伊達眼鏡を外した。
「梨瀬さんは別に嘘をついてた訳じゃないですよ?試験を受ける意味ですけど……簡潔に言えば、人それぞれですね〜」
「…………は?」




