量子力学的先輩論
放課後。生徒のほとんどいなくなった校内を静寂が支配する。その人気のない本校舎の外れにある物理講義室で今日も活動が始まろうとしていた。
教室の扉を開け、中に先輩がいることを確認する。どうやら今日は「ある」日の様だ。
扉の開く音に反応して先輩はこちらへと向き直る。
「やあ、お疲れ。では今日の講義を始めよう」
そう言う先輩の顔はどこか嬉しそうだ。
この奇妙な物理同好会は僕が先輩を「観測」できた日を活動日としている。活動内容は物理学の探求。その実態は先輩が毎回、自身の興味のあることを俺に講義するというものなのだが……。
「さて今回からは量子物理学を扱うぞ。まず古典物理学との決定的な違いが何か、わかるかい後輩君?」
先輩からの質問に少し考え込む。
「やはり、確率を取り入れたことでしょうか」
「その通りだ!量子物理学では重ね合わせ、という状態が存在する。これは確率的にしか観測できないという点でそれまでの常識を覆した!」
「当然これは受け入れがたかった。そこでマクロな思考実験が多々生まれたわけだ。後輩君も何か思いつくかい?」
「そうですね……、告白したときに受け入れてもらえるか、とかどうですか?」
「ははっ、面白いね、後輩君。だがそれだと同じ人に何万回と告白しなくてはならいよ。そうだね私なら……」
先輩は俺の意図など全く気付かずそのまま物理の世界へと入っていく。
だけどこれでいい。僕はそんな先輩を好きになったのだから。
最初は変な先輩だと思った。
なぜか熱烈に勧誘してくる先輩、部室を得て大喜びする先輩、国語で赤点を取り項垂れる先輩。そんな重ね合わせの先輩の様々な側面を「観測」するうちに、その変わったところも憧れるようになっていった。
「ボーアはこの様にして―」
滔々と語る先輩を遮るように下校時刻を知らせるチャイムが鳴る。
「おや、もうこんな時間か。では今日はここまでだな」
まだ語り足りないのかどこか不満げな先輩。
「お疲れ様です。先輩」
そう言って扉に手を掛ける。
視線を外したその一瞬で先輩の姿が大きく変わる。
髪の長さも纏う雰囲気もガラリと変わり、先ほどまでと同一人物とは思えない。
この世の全ては原子によって構成され、原子は量子によって構成される。
その量子は絶対的に一つの性質を保ち続けることは無い。
であれば、人が常に同じ人であることは可能なのだろうか。
さて、明日の「観測」結果は……
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