13.俺の決断
店の人の言葉で俺は自分が知らなかった現実があったことに衝撃を受けた。
以前の妹が心配されるほど礼儀を身につけていなかったなんて知らなかった。
第三者から見ても妹はロナに対して酷い態度を取っているなんて気がつかなかった。
そしてロナがマリーに振り回されて大変そうにしていたなんて…言われるまで知りもしなかった。
‥‥そうだったのか。
なんで俺に『辛い』って教えてくれなかった?
なんでも話し合ってきた…よな?
いつもロナは俺の前では『平気よ』って笑ってくれていた。
俺の記憶にはロナの眩しいほどの笑顔しかない。ちょっとしたことで喧嘩してもすぐに仲直りして最後には笑っていた。
だが現実には全然平気じゃなかったみたいだ。それなのに一番近くにいた俺は気がついてあげられなかった。
ロナはどんなことを無理をしていたのか…、一人で何を悩んでいたのか…。
‥‥分からない。
彼女と結婚してからの楽しかった三年間を必死で思い返して考えてみる。
‥‥分からない。
俺は夫なのに全く分からなかった、不甲斐ないがそれが現実だった。
なんでだっ、なんで分からないんだ!
俺は三年間ロナの何を見て来たんだ…。
愛していたから守っているつもりだったのにっ。
守れてなかった‥のか…。
俺はいったい何をして‥いた。
クソッ!何をして‥しまったんだっ‥‥。
自分に腹が立つと同時にショックが大きかった。
テーブルで隠れている二本の足はみっともなく震えている。
現実が見えてきて恐ろしくて堪らない。
俺は愛する人ロナをこのまま失ってしまうのか…。
店員の言葉を聞くまでは俺の過ちは結婚式当日のことだけだと単純に考えていた。それだけだって酷い過ちだったが、会って誠心誠意謝れば許して貰えると心のどこかで考えていた。
いやそう考えなければ、ロナのいない日々を過ごすことが出来なかったんだ。
俺は今日まで、それまでの生活に問題があるなんて考えていなかった。
妹は少し我が儘だけど誰だって家族に対しては気が緩むからそんなものだ。家族だからこそ自分をさらけ出して話すことが出来る。だから遠慮しない妹の態度を義姉に心を開いている証と捉えていた。
ちょっとマリーの言動が酷いなと感じた時は注意もしていたし、ロナも本当の妹のように注意をしていたので本当の家族になれていると思っていた。
‥‥俺は自分が見たいことしか見ていなかった。
年頃になるにつれ自然と礼儀も身に着けてくれた妹の成長を喜び安心していた。
『最近なんかきちんとしてきたなマリー、偉いぞ』と妹の頑張りだけを褒めていた、ロナの目の前で…。
俺はなにも分かっていなかったんだ、ロナが必死になって躾をしてくれていた結果を『年頃になると女の子は変わるもんだな』くらいにしか思ってなかった。
指摘された今なら誰にも教わらないで礼儀を覚えたりはしないと分かるが、その時はなぜかそう思えなかった。
『妹を一人前にしなければ』と焦るあまりに現実が見えていなかったのか。
俺はどんな言葉をロナに掛けていただろうか。
『ありがとう』『すまない』はちゃんと言葉にしていたつもりだ。だけど妹の成長は妹自身の努力だと思っていた俺は、本当の意味で妻を労うことをしてこなかった。
妹がロナに対して気安いのは家族になったからだと考えていた俺の『すまない』はロナの心にはどう聞こえていただろう。
さっきの話では俺が気づかなかった大変なことが色々とあったのだろう。
まさか、そんなに苦労を掛けていたなんて。
妹の成長は本人の努力だと思っていたから…ちゃんと感謝してなかった。
妹の態度に対して『すまない』と言っていたけど、そんなに大変なことがあったとは考えてもいなかったから。
偽りではないが俺の薄っぺらい言葉に何の意味があっただろうか…。
家族になったのだから許容範囲だという俺の勝手な判断は完全に兄目線であって、義姉という立場のロナを気遣ってはなかったと知った。
妹に厳しめのロナと話し合う事があっても『大丈夫、マリーだって成長していくから』と暢気に言っていた。
最後には俺の意見を尊重してくれたロナに『分かってくれて有り難う』と平気で言っていた。
家族は上手くいっていると信じ、ロナの努力に目を向けなかった。ロナがいたからこそ俺達は上手くいっていたのに。
どこを間違えたではなく、根本から全て間違っていたのか‥‥。
俺は結婚して三年間本当に幸せだった。だがそれはちゃんとやれてると言う自己満足のうえで成り立っていたんだ。
いやそれも違うか…ロナの自己犠牲のうえで全てが成り立っていたんだ。
愛している妻を幸せにしているつもりが知らずに踏みつけていたんだ俺は。
だからロナは俺を見限った…?
そんな俺だから、何も気づかずひとりで幸せに笑っていた俺だからロナに捨てられたのか…。
自分の過ちに胸が苦しくなり吐き気がする。
気まずそうな顔をして同僚達が慰めの言葉を言ってくるが耳には入ってこなかった。
『先に帰るから…』と呟いて止める同僚達を振り切り代金を残し、一人でふらつきながら家になんとか辿り着く。
真っ暗で物音ひとつしない家に入ると灯りもつけずに蹲っていた。
どうすればいいか分からない。
今まではひたすらロナを探していた。それは会えば、謝れば…ゆっくりだが前に進めるはずだと信じていたからだ。俺とロナは愛し合っているからまたやり直せると思っていた。
この期に及んでまだロナに甘えていたんだ。
だがそんなに単純でないことがわかってしまった。
そしてこの状況は三年間の積み重ねだ。どれか一つではなく、少しずつ少しずつ掘られていった深い穴に俺は知らないうちにロナを突き落した。
手が届くのか…?
いや俺の手を取って貰えるのか…。
そもそも俺は手を伸ばす資格があるのか。
答えは決まっている‥‥資格なんて俺にはない。
引き出しの奥に仕舞ってあったくしゃくしゃの離縁届をテーブルの上に置いた。
よく見るとところどころ水が乾いた跡がある。
それはきっとロナがこれを書いた時に流した涙の跡だろう。どんな気持ちでこれを書いたのか…知りたい。
ポタ‥ポタ‥‥。
今は俺の涙がその上に垂れている。
俺は離縁届に署名をしながら後悔していた、なぜ愛していたのに不幸にしてしまったのかと。
どうしてロナが耐えられなくなる前に気づけなかったのかと。
今考えればロナは俺にちゃんと言ってくれていた。でも聞いたつもりになって意味を正しく理解していなかった。‥‥自分に都合よく解釈していた。
ロナが隣にいてくれることに甘え、愛おしい存在を無意識に蔑ろにしていた。
離縁はしたくない気持ちは変わらない。だが自分がそれを望む資格がないのは分かった。
だから俺は離縁届と共にロナへの想いを手紙をしたためる。
読んでくれるかも分からない、届くかも分からないけど…。
ロナだけが決める権利がある。
俺にはその資格すらないのだから。
俺はロナが望むことを受け入れることにした。
どんな結果でも受け入れることが今の俺が唯一出来る事だから。これ以上愛する人を苦しめたくはなかった。
‥‥もう十分ロナは苦しんだ。
俺の手紙を読んでもロナが離縁を望んだら…手離すつもりだ。愛しているからこそ、ロナの幸せを邪魔はしたくない。
翌日俺は離縁届と手紙を隣町に住むロナの兄に託した。
自分の過ちを知ったと伝え『ロナを幸せに出来なくてすいません』と頭を下げて詫びた。
『今更だ、遅すぎる』と義兄は苦しそうに呟いていた。
その通りだった、俺は遅すぎた。
人に言われてから気づくのではなく、この三年間のうちに自分で気づかなければいけなかったのだ。




