a-29_月影に吼ゆ_1
触手が迫るが腕が重く、思うように動かない。神授の器が如何に、御化の身体を薄氷を砕くように破壊するとは言っても、それを振るう気力がないのであれば鋭い静物に過ぎない。
(これまでかな………)
目前まで迫るその赤茶けた緑色は、薄暗がりと疲労でほとんど巨大なひと塊に見えた。
(リノバならもっとうまくやったかしら?悔しいなぁ………。ごめんね、二人とも)
窮地に立たされた人間は走馬灯を見るというが、リンも例に漏れず、さまざまな思いが脳裏に飛来する。
ゆっくりと時間は流れ、しかし確実にそれは迫ってきていた。
覚悟が揺らがぬよう、今に目を閉じる—————
間際、視線の隅に映ったその光景が、彼女を現実へと引き戻した。
リンはナギがその手に持つ淡い光を見た時、ついに幻覚が見え始めたかと、自重気味に顔を歪めて声も出せずに笑った。
しかし、彼女は信じられないほどの速さで蔦を捌いていく。
それは今までの御化に対する彼女の動きとは明らかに違っていた。
気を取られた隙に、腕を蔦に絡まれる。
「きゃ」
強引な引力が腕にかかり、肩に焼けるような猛烈な痛みを感じるも、抵抗できず、吊り上げられた。
いつの間にか神授の器も落としてしまっており、脱出も難しい。
そもそも、身体も動かない。声すら碌にあげられなかった。
だが、その懸念は改めて思考するまでもなく、解消された。
浮遊感が身を包み、肩から地面に落ちる。
反射的に頭を打たないように受け身をとるが、それでも激痛が走り身を縮める。
背後に蔦が這い寄る気配を感じ、逃げることを考えるが、一度止まってしまったリンは限界を超えた疲労で動けない。
(どうして放したの?)
身体が動かせないのとは対照的に頭は嫌に冴え渡り、勝手に状況の把握を始める。
ナギが何かしたのだろうか?
それともスー?
(もし、先の光景が幻影でないのだとしたら………)
「神授の器」は最も顕現が難しい「御技」の一つだ。
そこに至る道筋が通常の御技のそれとは根本から掛け離れているためとされる。
他の御技とは違い「『御化』を殺すため」だけの武器であり、他の御技とは明らかに性質が違うのだ。
その顕現は時に、空が見えぬ真夜中の森林を、道具を持たずに歩くことに例えられる。
あるいは、見えない存在を状況証拠からのみ存在証明するようなものだ。
御技という幽玄の理に触れ続けることで初めて、その存在が見え始める。
言うなれば、『神授の器』というのは御技の一つの到達地点なのだ。
世間では天才と呼ばれて久しいリンやリノバですら、それを見出したのはごく最近のことである。
それを、まだ『火起こし』すらもまともに扱えない初級生が行った。
リンの脳裏に、一人の天才の姿が過った。
最年少で「神授の器」に辿り着いた異彩であり、「最優」の異名を冠する親衛隊員。
その姿は遠方から一度目にしたのみであったが、今でも印象に残っている。
神懸かり的な技術を持った天才中の天才。
一の徒「ノクス」。
(もし、ナギが「そう」だとしたら………)
リンは自分でも知らぬうちに身を打ち震わし、微かな希望に気力を奮い立たせて顔を上げる。
そこには、まだ抵抗を続けるスーと、今まさにリンに迫る蔦を切り落としたナギの姿があった。
そして、ナギの手には確かに『御化を滅ぼす神器』が握られている。
リンは思う。
(あの二人はもしかしたら、とんでもない才能を持っているのかもしれない)
燃費の悪い「火起こし」の御技をあれだけ使い続けているのにも関わらず、スーは未だに起立して戦い続けているし、ナギは言わずもがな、『神授の器』を発現させ、その持ち前の運動神経と体力を活かした力強い抵抗を見せている。
二人を庇うつもりで戦っていたリンであったが、いつの間にか守られる側に回っていたらしい。
しかし、リンは動けず、戦局ははっきり言って最悪だ。
「最優」ほどの才はなくとも、リンは優秀な神衛隊員だ。
知識も練度も、所詮新人に過ぎないナギとスーの二人では足元にも及ばない。
じわじわと包囲が迫ってくるのが分かる。
ナギの奮闘によって多少の時間は伸びただろうが、その程度。
結果は変わらないかに思われた。
『リン!聞こえるか!』




