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幽明の番人  作者: 寺島という概念
『信仰』の御化
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a-2_若穂

 夜のうちに冷たくなったそよ風が半開きの窓に吹き込み、遮光幕カーテンが小さく揺れた。

 寝台ベッドの横に置かれた小さな円卓の上に置かれた赤い琥珀の首飾りが、陽の光を照り返して煌めく。

 その光がちらちらと顔に当たり、ナギは眠りから目を覚ました。

「………ん。今何時?」

 重たい瞼を瞬かせ、寝台からゆっくりと身体を起こす。

 起き上がった拍子に、かけ布団がずり落ちた。

 麻で結われた寝巻きは薄く、初秋の空気の下では少しばかり肌寒い。

 おかげで少し、目が冴えた。

 ゆっくりと動き始めた頭に、今日の予定を浮かべていく。

 昨日の出来事を順繰りに辿っていくにつれて、その輪郭は次第にはっきりとしたものになっていく。

「あ」

 彼女は寝ぼけている暇ではないと気付づき、時計を見、慌てて支度を始めた。

 洗面台と自分の寝室を行き来して、身支度を整える。

 あらかた支度を終えた頃に、昨日のうちに用意しておいた、なめらかな材質の黒衣を羽織り、姿見の前で格好を整える。

(………暗いな)

 初めて着たものの、彼女に取ってそれは思い入れのあるものだった。それを着るのが一つの夢だったと言っても過言ではない。

 そんな服がよく見えない。それは由々しき事態だった。

 薄暗い部屋に光を入れたくて、彼女は風にはためく遮光幕を思い切り開け広げた。

 遮られていた光の本流がせきを失って溢れ出す。

 その眩しさに思わず、目を閉じる。

 しばらくして、眩さに馴れた目をゆっくりと開ける。

 そこにはもはや見慣れた、されど見飽きぬ美しさを湛えた、整えられた街「プリスマ」の姿が広がっていた。

 「イニティアム国」の首都を役回るこの都市は、首都なだけあって大きな都市だ。

 街の中央を流れる「イニフル運河」を挟んで、「住宅街」と「ミナラ街」と呼ばれる区域に分かれている。

 住宅街はその名の通り人々が暮らす区画だが、ミナラ街は少しおもむきが異なる。

 人が住む場所がないわけではないのだが、その区画は主に商売人やそれを目当てとした人たちが集まる商売の要所のような区画だった。

 運河を通じて多くの商船が寄港し、国中の物資がこのプリスマに集まる。それらを時に加工し、時にそのまま売り出し、消費する。

 それだけの技術があり、求心力がこの街にはあった。

 したがって、この豊富な水量を誇るイニフル運河には、その規模に見合った数の輸送船が毎日のように通る。

 それらの船がどこからきたのかを予想したりするのが、彼女の密かなの楽しみだったりもする。

 そして、イニフル運河を挟んだ向こう側に見えるのが、今日の最終目的地。

 天を仰ぐような巨大な建造物。

 その巨大な建造物は、なだらかな丘を開拓して作られたからだろう。坂を登るように階層構造をとっている。

 時には最終要塞とも呼ばれる頑健さを持つそこは、一般的には「神授堂ミナラ」と呼ばれている。

 その建材は遠くからではよくわからないが、住宅街で見かける木や漆喰といった材質ではないことは確かである。

 神授堂は逆光であることもあって影になっており、朝日の元にあるとなおさら神秘的だ。

 その輪郭に光を纏った姿は、まさしく聖なるものと言える。

「………っといけない」

 窓を開け、部屋が十分に明るくなったのを実感し、彼女は改めて鏡の中の自分の姿を確認した。

 肩口で切り揃えられた褐色の髪を丁寧に二つにまとめ、夜をまとうかのような黒い制服を着込んだその姿は、あの人に少しでも近づけている気がして気分が上がる。

 最後に琥珀の首飾りを掛け、軽く格好をつける。

「よし、いい感じ」

 彼女は気持ちを抑えられず、独りごちて頷いた。

 見せびらかして自慢したいところではあるが、この感情は多分、誰かと共有できる類のものではない。

 壁掛け時計に目をやると、その時刻は出発の時間に差し掛かろうとしていた。

「あーもう、遅刻!」

 ナギは急いで棚から硬いパンを引っ張り出し、それをかじりながら作り置きの冷たいスープをよそって、流し込むように朝ごはんを食べ終えた。

 冷め切ったスープやパンは、正直美味しくない。

 いつもなら卵を割ったり、温めたりもするのだが今日ばかりは時間がないから仕方ない。

 水道を捻ってパパッと食器を流し、それらを片付ける。

 しばらく家を開ける予定だから、放っておくこともできないのが辛いところだ。

 そうこうしているうちに、家を出る予定にしていた時間は少し過ぎてしまっていた。

 駆け足で玄関へと向かい、使い古して色褪せた茶色の革靴をしっかりと履き、同系色の脚絆きゃはんすねに巻いてとめる。

 一旦足踏みをして、うまく留まっていることを確認すると、ナギは家の扉を開けた。

 扉をくぐって空を仰ぐと、明るい青空が眩しいほどに拡がっていた。

 今日からしばらく家は留守にする。

 家の戸締りをして、少しだけ感傷的になって彼女の住む小さな納屋のような家を見る。

 白い漆喰しっくい塗りの壁には、無数のひび割れが至る所に見つけられ、年季を感じさせた。

 はばからずに言うならば、古臭い。しかし、そんな家でも、彼女に取っては大事な居場所の一つだ。

「じゃあね。行ってきます」

 照れくさいので、小声で声を掛ける。

 彼女の住居は、他の住宅群とは少し離れた位置にあった。

 それゆえに遮られることなく、少し離れた場所にある河や時計塔の様子を見ることができる。日当たりも良く、洗濯物もよく乾いたし、小庭の花壇にも綺麗な花が咲く。

 とまあ、そこまではいいところ。

 問題は、少しばかり遠出には向かないところ。

 彼女は遅れを少しでも取り戻そうと、短く息を吐いて、飛び出すように走り出した。

 その速度は知らぬ者が見れば、目を見張るであろう。

 途中、秋口のまだ少し青い麦穂の真横を通る。

 その時、見知った顔を見つけた彼女は走る速度を緩めた。

「イゾォルおじちゃん!」

 彼女は大きく手を振って、麦畑の主である老翁に声を声をかける。

 彼は麦穂を手にとって、その様子を確かめていたようであったが、彼女の声を聞くと、振り返った。

「おお、ナギか」

 イゾォルは歳の割にはしっかりとした足取りで立つ、この辺りでも有名な長老者の一人だった。

 農耕に関する幅広い知識を持ち、それに比例するかのような土地を持っている。

 とはいえ、彼一人でそれらを切盛りできる訳もなく、土地の貸し出しなども行なっている。

 ナギも彼の畑で働かせてもらっていて、どの土地がどんな土質で、どの作物が育ちやすいのか、どんな肥料を用いるのが良いのか、季節は、またそれに関して詳しい人間は誰なのか、どんなふうに共同して工作をおこなっているのかなど様々なことを教えてもらった。

 それらの体験はナギにとって掛け替えのないものだ。

「おはよう。今朝も早いのね」

 ナギは彼に駆け寄って側に立った。

 イゾォルは腰が曲がっている訳ではないのだが、ナギよりも少し身長が低く、小柄だ。

 しかし存在感は抜群で、彼が一度声を張れば周囲の注目を一点に集める事間違いなしだ。

「歳とると目ぇ覚めやすくなるもんだ。おめぇもいずれ分かるようになる。それよか、おまえ、似合ってるでねか」

「でしょ?ありがと!」

 ナギはその場で一回転して制服姿を見せびらかす。

 その姿にイゾォルは嬉しそうに、そしてどこか寂しそうに笑った。

「ああ、似合ってる。おめさんみたいな別嬪べっぴんさんはなら、孫をくれてやってもいいくらいだ………、と。急いでんだろ?こんなとこで道草食ってねで、早う行げ………。ただまぁ、遠慮せんで、たまには帰ってこぃ」

 ナギはイゾォルの言葉を聞いて遠方の頭ひとつ飛び抜けた時計台の時計を確認して焦る。

「………うわ。それじゃあね、行ってくる。昨日も言ったけど、今までありがとうね!」

「えぇって、俺も助けてもらった。それに関しちゃぁ、おあいこだ」

 ナギは頷いて、踏み込む脚に力を入れた。

 次の瞬間、引き絞った弓が放たれるかのようにナギは走り出し、何度も歩いて踏み固められたはずの麦畑の畦道あぜみちは、彼女が踏み込むと少し沈んでしまった。

 土を盛り固めただけの道の耐久性では、彼女の全力疾走には耐えられなかったらしい。


(あ、ごめんね。イゾォルのおじちゃん)

 心の中で謝りながらも、彼女は足を止めなかった。

 本当は昨日でお別れだったのだから。


「まったく、あのお転婆娘。仕事増やしおってからに」

 ナギが走り抜けた麦畑に、彼女が巻き起こしたかのように風が吹き込んだ。

 イゾォルは釣り上がった頬にそれを感じつつ、色の変わり始めた若麦畑に視線を落とした。

 黄味がかった緑色の穂先は風に揺られ、時折黄金色に煌めいて見える。

 そこに『神』を感じた彼は彼女の行く末を『神』に託す。

(どうか、かの善き娘に『神』のご加護がありますように)

 しばらく俯いて祈りを捧げていたイゾォルだったが、一通りの祈りを捧げると満足して動き出す。

 そうして、最近流行っている病み稲探しの仕事へと戻ったのだった。


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