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幽明の番人  作者: 寺島という概念
『信仰』の御化
35/77

c-1_祈り

 気づけば、それはそこにあった。

 母の看病を終え、重くのしかかるような家の空気から逃れたくて、彼は庭に出た。

 初めは、ただの雑草か何かだと思っていた。

 小さく、細い。渦巻くような蔦。

 奇妙な点があるとすれば、少し赤みを帯びていたこと。

 とは言え、赤い植物は探せばいくらでも見つかる。

 彼もその時にはそんな風にしか考えていなかった。

 誰であってもそうだろう。

 だが、その時の彼は心奥にてその奇異を捉えていた。

 

 次の日の暮れ、彼はそれに水をやった。

 なんてことはない、ただの気まぐれだ。水道から水差しに入れた水を差し入れした。

 母のために用意した残りで、どうせ捨てるのならとその赤い蔦にふりかけたのだ。

 庭に地を這うようにして生えているその小さな存在はちゃんと、その水を吸い上げたのだろうか。

 植物を育てる機会がなかった彼には、よく分からなかった。

 彼の網膜に映るのは水で湿った庭の土と、細い茎に滴る水滴が照らされて、暮れの陽光でガラス玉のように煌めいている様だけだ。

 不気味だった。


 彼は明日みらいを思い、ため息をついた。

 また、同じことの繰り返しか。あるいはそれよりも酷いことになるのか。これを続けてどうなるというのか。

 それでも自分はそれを続けるほかない。見捨てることはできない。それだけはできない。

 ならばどうすればいい?

 やはり続けるしかない。それ以外に道が見えない。見えてこない。暗い。見えない。どこへ行けばいい。

「………もう、やめろ」

 考えれば考えるほど気分が沈んでいく。

 それを無理やり押し込むように、言い聞かせるように口にする。

 今はそれを考えても仕方がない。どうしようもない。その結論は既に出ているではないか。

 かぶりを振って無理やり思考を切り替えた。

 彼は今は家にいない父のことに思いを馳せる。

 父は今日も礼拝堂に詰めている。

 そんなことはいいからこちらを手伝ってくれとは言えない。

 祈りも大切だ。母は『神』に命を救われた。

 彼の父は彼とは違うところで大変な思いをしているのだ。

「………止まれよ」

 彼の口から時折漏れる言葉は、誰に届く訳でもない。

 あるいは自分にさえ、それは聞こえていないのかもしれない。聞こえているのなら、彼の願いは達せられる筈だから。

 止まらない思考に苛立ち、地面を殴った。

 鈍い痛みが腕を伝って頭に響く。

 何度もそれを続ける。何度も何度も。

 そうすれば、少しは気が紛れた。

 その瞬間だけは、痛みだけを意識すれば良い。

 ふと、頬がむず痒く感じ、手をやれば、水滴が付いていた。

 彼はそれを見て自嘲気味じちょうぎみに笑う。

(この程度の痛みで過剰に反応しすぎだな。僕の身体は。たかだか、擦りむいた程度じゃないか)

 彼は握られたままの拳を見る。

 夕日の影になっている泥だらけの拳に、煌めく蔦の雫と同じような赤がにじんでいた。

「ああ、神様」

 ポツリと呟かれたその言葉は全くの無意識のもの。

 彼の頬に流れた涙と同種のものだった。


 どうか、我々をお救いください…………

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