a-11_神気あたり
『神』との対面、そして儀式は滞りなく終了した。
儀式とは言っても、大仰で複雑なことを行う訳ではなく、教えられれば直ぐにできるような簡単なものであったからだ。
その内容は『神』の間にの水盆に満ちた水を掬い、口に含むというもの。
飲む、というような量を掬う必要はなく、本当に水に浸した手についた水滴を舐める程度のもので良かった。
それはマギスのいう通り、その行動自体にはあまり意味がなく、儀礼としての側面が強いからなのだろう。
あるいは、皆が同じ水盆から『神』の力を得たのだという『団結感』を生じさせるものなのかもしれないとナギは考えている。
しかし同時に、ナギはあの水盆に満ちた水がただの水であるとは考えていなかった。
そして今、ナギ達は案内と新入生歓迎の意を込めて、食堂での食事会に参加していた。
神衛隊学校は全寮制を取っており、神衛隊が所有し、利用している神授堂の敷地内に専用の施設が寮として活用されている。
そして食事は当然ながら神衛隊学校が支給するものであり、それは食堂で提供される。
今日は新入生歓迎会も兼ねているだけあって用意されている料理も少し豪華なもので、一般市民の食事の水準から見ると、用意できない訳ではないが、特別な日にしか食べられないようなものばかりだ。
そしてそれらの料理に、新入生に限らず既存の生徒達も存分に舌鼓を打った。
ある生徒曰く。
「俺はこの日のために生きていたのかもしれない!」
とのことだ。
流石にそこまでとは言わずとも、ナギも例に漏れず初めての神衛隊の食事を楽しんだ。
同年代の友人と食卓を共にする機会もなかったので、それもナギとしても新鮮でとても楽しい時間であった。
しかし、しばらくするとナギは自分の体調の異変に気がついた。
何やら目が回る。
食堂に酒気を帯びたものがある訳でもなく、食中毒になるようなものがあるようにも思えず、ナギは首を傾げる。
もしかしたら慣れぬ人混みで圧倒されているのかもしれない。
そう考えたナギは、先の説明で寮で同室であることが分かったスーに一声かける。
スーは付いていこうかと逡巡するそぶりを見せたが、結局「気をつけてね」とだけ言って、食事に戻った。
ナギは心持ち覚束ない(ような気がする)歩き方で食堂を出た。
食堂にいた時は灯りで満ちていて気が付かなかったが、廊下に出るとはめ殺しの窓から日が暮れた藍色の空が見えた。
夜風にあたると気分転換になると聞いたナギは、そのまま廊下を進んで目の前の中庭を目指して歩き始めた。
その間も何やら立ち眩みのような感覚は薄れず、あの時以来の感覚にナギは戸惑っていた。
(どうしたんだろう、私)
中庭に通づる小門に近づくに連れて、夜虫の鳴り音が微かに聞こえてきた。
風に乗せられて漂ってきた草木と土の香りが、自分が大橋を渡ってここに来てから、まだ一日も経っていないのだということを思い出させる。
中庭には草木が無造作に生えていた。
しかしその実、それらは完全に打ちやられている訳ではない。
実際に、その庭はしっかりと手入れがなされていて、一見無造作に生えているように見えるそれらの草木は定期的に剪定され、増えすぎないように調整されている。
とはいえ、そうと知っていれば、という程度のものだ。
ナギはそれに気が付くことはなく、彼女の興味はもっと別のところに向いた。
ナギは中庭に備え付けられた円卓に向き合って腰掛ける二人に近づいた。
建物から漏れる灯りだけの空間ではあったが、そんな薄暗がりの中であっても二人が深刻そうな話をしているのが分かる。
「先輩?」
「あれ?確か………イールさん?どうしたの?こんなところに」
彼らは今朝、ナギを受け付けてくれた二人だった。
今だから分かるが、二人の腕章は緑の下地に黒糸で『教導生』であることを示す『成鳥』の紋章が描かれていた。
「いえ、少し夜風にあたりに来たのですが………すみません、お話の邪魔をしてしまいましたか?」
ナギはとりあえず当たり障りのないところから突いてみた。
そこから何かきっかけでも掴めないかと思ったのだ。
とはいえ、彼女は本気で探りを入れるようなつもりはなかった。ナギは体調も優れない上に、二人との関係は変に乱したくないと思ったのだ。
「いや、大丈夫。どうせ大したことじゃないしね」
リノバはナギに対して「ここ座って」と横合いの椅子を指差す。
「僕ら二人で話し合っても結局は同じ問題に行き着くってことに、今気がついたところさ」
ナギが座ったのを見た彼は、お手上げと言った風に両手を空に向けて広げて見せた。
それに追従するかのように、リンも首をすくめる。
「近頃、街中での『御化』の被害報告があがっているらしくてね。まあ、イールさんはまだ気にしなくても良いのだけれど」
流石に『教導生』ともなると、ただの生徒とは違い、実際の神衛隊の隊員に近い業務が回ってくることがあるらしいが、彼らはその関係で頭を悩ませているのだろう。
身近な存在のようにも感じていたが、そんな部分があるだけでも少しだけ遠い場所にいるように思えてしまう。
「ところで、イールさん、大丈夫?顔色がすぐれないけど」
リンがナギの顔を覗き込んでそんなことを言う。
言われてみれば確かに、倦怠感が増したような気がしないでもない。
「あ〜こりゃ、典型的な『神気あたり』だな」
「とすると、寝て起きれば治るだろうけど………。今度は私が送っていきましょうか?」
リノバもリンもナギの症状について心当たりがあるらしく、彼女を差し置いて話を進めていく。
「流石に僕がイールさん女子寮に送るというのは避けたいところだね。まあ、リンが付いて来てくれれば多分大丈夫だとは思うけど………」
「わざわざ付いて行くくらいなら、初めから私が送った方が効率的よ」
「だよねぇ。じゃあ、今回は余計な厄介ごとを抱えないためにも、リンに譲るよ。どうか迷わないようにね」
「心外ね。流石に今回は寄り道をするつもりはしないし、大丈夫、なはず」
「………という訳だ。君の症状は新入生には珍しくないものでね、詳しくは道中にリンから聞くといいよ。その方が気も逸れないだろうし………」
リノバはそう言うと、席を立った。
去り際に手を振って、リンに対しては「例の件についてはまた明日」と言って食堂に向かって行った。
食事会が始まってから時間は経っていたが、まだまだ料理の在庫は残っていることだろう。
「さて、私たちも行きましょうか?歩ける?」
頷いて立ち上がったナギは、リンについて寮への道をゆっくりと向かった。