a-6_友人
教室はいわゆる階段教室であった。
机や椅子が扇状に備え付けられ、要目の部分には、黒板と教壇が備え付けられている。
ナギが部屋に入った途端に幾人かからの視線が向いたのが感じられたが、彼らはすぐに興味を失って、お喋りを再開する。
座席は決まっていた。受付で渡された紙切れを頼りに座席を探すと、ナギの席は教壇から一番近い正面の座席だった。
と言うか、ナギが最後なのだから探すまでもなくそこしか空いていなかった。
(うへぇ)
内心を表情に出さないように苦心しながら、ナギはそこに腰掛けた。
隣には眼鏡をかけた短髪の少女が座っていた。彼女の髪の毛は短く切り揃えられていて、一見すると利発そうに見える少女だった。
しかし、その顔は少女らしい顔立ちで、むしろ可愛らしい印象を抱かせる。
似合わない訳ではないのだが、目を瞑って座っていることも相まって、どこか無機質な造形物を思わせる。
ナギはしばらくそのままその席に座って、教壇の後ろの黒板をぼけっと見つめていたのだが、なんとなく隣の少女のことが気になった。
彼女はどんな人間なのだろうか。
「おはよう。私はイール・ナギ。隣の席同士、よろしく」
少し肩を突いて、彼女が目を開いたところに、叩きつけるように挨拶をする。
「………えっと、『ローペー・スー』。こちらこそよろしく」
声を掛けた直後には驚きが如実に表情に現れていたが、次の瞬間にはその表情は儚い微笑みの下に消えてしまう。
薄い褐色の目を持つ彼女は、人差し指を差し出し握指を求めてきた。
人差し指は神の宿る指とされ、それを合わせることは、信用の証として捉えられている。
かつては堅苦しい場面で使われていたある種の「儀式」らしいが、今やその堅苦しさは形を顰め、友好の証としての挨拶となっていた。
「スーさん?珍しい名前、もしかしてこの辺りの人じゃないの?」
ナギは彼女の指に自分の指を合わせて軽くゆすってから、彼女の名前の響きが今まであってきた人たちのものとは異なっていると感じて訊ねた。
「………うん。『ソンテルマ』から来たの」
「北部の出なんだ!ここまで来るの大変だったでしょ?」
彼女が口にした「ソンテルマ」という地名は首都プリマスの北部、運河の下流に位置している地域を指す。
名前の由来はイニフル運河の終着点である『ソンテルマ湖』。その周辺に構築された地域ゆえに、「ソンテルマ地方」「ソンテルマ」などと呼ばれる。
「まあね。時間はかかった」
いっそそっけないとも言えるような回答があって、しばらく沈黙が続く。
「私は、プリマスの居住区の出ではあるのだけれど………」
なんとなく彼女は意図的に距離を置こうとしているような気がして、ナギはその沈黙の障壁に開いた隙間を押し広げるのに、自分の身の上を話すことに決めた。
自分の過去は少しばかり特殊だから、こういう時には役に立つ。
「私、記憶がなくてね?ここに来る前はどこにいたのかも分からないの」
「………どういうこと?」
ナギの目論見通り、スーの方から訊ね返してくれた。
「いやもう、そのまんま。何も覚えてないの。どこの誰で、誰から生まれたのかも」
「にわかには信じられないような話ね」
「ほんとにね」
「あなたの話でしょ」
「いや、自分でも意味わからないし」
それを皮切りに、彼女は小さく笑い声を漏らした。
「ふふ、変な人。普通そんな風に楽観的にいられる?もっと、探るとか………」
「いやいや、探してはいるよ?見つからないだけで」
「野暮なこと聞いたわ。それはそうよね。そういえば私も………」
ナギは自分の作戦がうまいこと機能してくれたことに内心でほくそ笑みながらも、たわいのないお喋りに興ずるのだった。