まどろみの中で
「いやぁ、ついにあんたにも彼氏がねぇ...。友達もろくにいなかったあんたがねぇ...お姉ちゃん嬉しいわー」
『ばかっ!お姉ちゃんのばか!』
家に帰った私は、ソファを占拠するお姉ちゃんにクッションで襲いかかる。そんな私を簡単に片手であしらうお姉ちゃん。
鈴野 雅。基本奔放としていて、かなり好き勝手しているお姉ちゃんだけど、今回ばかりはやりすぎだ。
『勘違いされたらどうするの!!』
「勘違いなの?」
うぐ。そんな急に真面目な顔で聞かれたら困る。そんなの私だってわからない。
さっきまで喧嘩してたのをお互いすっかり忘れて、お姉ちゃんは私をひたすらにいじってくる。
「妹が男を弄ぶような子だったなんて...」
『だからそんなんじゃないって...!ま、まだただの友達だから!』
「ふーん。まだ、ね」
『あう...』
したり顔のお姉ちゃんを見て、からかわれていることに気づく。最悪だ。しかも墓穴も掘ってしまった。
私のそんな表情を見て、お姉ちゃんはさらに口角を上げる。
「ま、いいじゃないの!あんたにとって、これはきっと悪いことじゃないよ。ただの友達だとしても、大事にしなさいよ?」
『それは...わかってる』
一転、からかいの中に若干の真剣みを帯びさせて、お姉ちゃんは私にそう言った。
そんなのはーー自分が一番わかってる。
ーーーー
『楽しかったな...』
ベッドに横になり、さっきの出来事を反芻する。
たまたまだったけど、少しでも彼と話せて楽しかった。厳密には話していないけれど、彼とのコミュニケーションはそんなふうに、話している気になるのだ。
それはきっと彼の優しさのおかげだ。そう思えるように、私と接してくれているんだ。
それがきっと私はーー
『そっか...嬉しかったんだ私』
彼は教室で言ってくれた。私のペースでいいんだと。
私にとって、足並みは揃えるものだから。遅れているのはいつも私で、みんなを待たせてしまってる。
だからこそ、彼の言葉は心に沁みた。
『焦らなくてもいいから、か』
この言葉はかなり嬉しかった。
きっと彼は私が間の悪さーー会話のテンポの遅さを気にしてることに、きっと気づいているんだろう。
ゆっくりでいいではなくて、焦らなくてもいいってところが、その...ポイント高い。私の悩みを否定しないでくれてるというか、ともかくそんな感じだ。
たまたまかもしれない。でも、そう思うのは自由なはずで、誰かに責められるいわれもない。
『...私、ちょろすぎる』
ちょっと優しくされただけでこれだ。我ながら詐欺に遭わないか心配である。
だけど、だからこそ。
『ーー難しいなぁ』
好きかと聞かれれば、好きじゃないと答える。
私はそう答えなければいけないんだ。
委員会に誘ってくれたこと。あれはきっと私に気を遣ってくれたのだろう。いくらなんでも、あれには気付く。
誘ってもらえて嬉しかった。でも、ちゃんと自分から聞くべきだったと少し後悔。
でも本質はそこじゃない。大事なのはそこじゃない。
ダメなのは、私の心だ。
『やっぱりーー声が出せないから?』
もし私に声が出せて、周りと何にも変わらない女の子だったら?
彼と仲良くなれていただろうか。彼は私に声をかけてくれただろうか。
そうやって思ってしまう自分に、どうしようもなく自己嫌悪する。
彼がそうではないと、私自身が否定したはずなのに、そのことさえも否定してしまう。
あれだけ優しくされて、あれだけ気を配ってくれて、それでも何か裏があるんじゃないかって。
勝手に疑って、信じることのできない自分に反吐が出る。
ーーこれじゃあの時と変わらない。
一歩踏み出して、弱さと決別すんだと決意しても、私の心の根っこの部分はそう簡単には変わらない。
私は浮かれていたんだ。彼に助けてもらって、欲しい言葉をかけてもらって、それが嬉しくて。
変われる気がした。
一歩踏み出して、彼となら何か変われるんじゃないかって、勝手に運命を感じたから、一歩を踏み出した。
そんな私を受け入れてくれた彼を、今は一人疑っているなんて、ただの最低だ。
あぁ、本当に自分が嫌になる。
彼の心を読めたら、どれだけ楽だろうって思う。
『私はーー』
彼に嫌われたくない。彼とまだまだ話したい。
こんなに自分が嫌いでも、こんなに自分が大切だ。
後悔があるとわかっていながら、理想を押し付け、そして現実に打ち負かされる。
彼に近づけば近づくほど、苦しい。
そもそも全部勘違いかもしれない。彼は私のこと、なんとも思ってないかもしれない。
なのにそんな淡い希望を持ってしまうほどに、彼との時間は、会話は、空間は、私にとって心地の良いもので。
踏み出したくせに、次の一歩は出てこない。
踏み入れたのは、きっと憧れだ。光の中に理想を抱いて、夢を描いた。
なのに、そこに影を落としているのは紛れもない私自身で、いったい私は何がしたいんだろう。
『...わかんないや』
瞼を閉じ、微睡の中に沈んでいく。
誰も私を責めない、優しい優しい夢の中でーー私は一人逃げ惑う。