友達
『何か好きなものとかあるのかなぁ』
『趣味とか聞いてもいいかなぁ』
翌日、彼女の心の声が半端じゃないほど増えた。
彼女の「声」はもともとすごく多い方だったのだが、今日はさらに多い。
『連絡先、聞いちゃおっかなぁ・・・』
それのほとんどが自分のことともなれば、落ち着かない。やはり、曖昧な態度をとってしまったのが間違いだった。
昨日、友達になってくれないかと、そう聞かれた俺はどっちつかずの感じで頷いてしまった。
なぜそんな態度をとってしまったかと言われれば、俺にとっても初めてのことだったからとしか言えないだろう。
初めてだったのだ。「友達になってほしい」なんて言われたのは。
普通、友達ってそうやって作るものではないだろうから。本来は勝手に、自然とできるようなものなはずだから。
だけどきっと彼女にとってはーーいや、俺にとってもか。それは特別なことで、そういった一種の形式的な儀式ともとれる「過程」が必要なものなのだ。
つまりは彼女にとってそれは特別なことで、それがわかった俺はそれを断ることができなかった。
あるいは、断りたくなかったのかもしれない。彼女の心の強さに触れて、その姿に憧れにも近い何かを感じ取ったのだ。
そして彼女の欲求は、それから物凄く増えた。
だけど増えただけ。具体的に会話に発展とかはなかった。一応「友達」。だけどそれはまだ形だけで、吹けば消えてしまうほどの薄い関係。はた目から見ればただのクラスメイトだ。
その一番の理由はーー
『結局、会話になったらうまくいかないし・・・嫌われたくないなぁ』
彼女は会話を怖がっていた。
相手を知りたいという欲求はあるが、会話をすることで相手が離れることを怖がっているのだ。
理由は違えど、その気持ちは痛いほどよくわかった。好かれないことよりも、嫌われることを怖がる。
だけど、だからこそわからないことがあった。
どうして、俺なんだ?
恩を感じているのかもしれない。自分で言うのもあれだが、それはわかる。彼女を助けたと言う自覚はあるからだ。
でもはっきりと言った。同情だと。彼女が最も嫌がる言葉を、それがわかっていて浴びせたんだ。
なのに、なんで俺のことを気にかける?それが俺にはどうしてもわからなかった。
好意に理由を求めるのは、おかしいだろうか。
無条件な信頼を、俺は信じることなんてできなかった。
だって誰もが、心のうちで本心を隠している。
人の汚い部分もたくさん見てきた。
だから知っている。人間がどんな生き物かって。
表面上でどれだけ取り繕って生きてきているかを。
人間は打算的な生き物だ。行動には必ず理由があるし、いつだって自分のために生きる生き物だ。
誰かを助けるのだって、結局自分を満たす行為でしかないんだ。
それが悪いなんて思わない。人はいつだって、まわりまわって自分のために生きているんだ。
だから悪いなんて思わない。けれど、だ。
それでも納得できるかは、また別の話なんだ。
俺は知っているだけだ。
どれだけ見ても、どれだけ知っても。
俺は、人の気持ちを理解できてなんかいなかった。
ーーーー
【連絡先を教えてください】
それが彼女にとって、意を決した大きな一歩だったことは、俺にはよくわかっていた。
心を読まなくとも、その表情が、態度が、それを物語っていた。
「ーーどうして俺なんだ?」
気づけば俺は、彼女にそう問いかけていた。
一回同情で助けただけ。それなのに、なぜ。
彼女は少し考え込んだ後、ゆっくりとスケッチブックにペンを走らせた。
だけど俺には、それを見る必要なんてなかった。
【それは君が・・・何も求めてこなかったから。私のために、私を助けてくれたから】
そして数泊遅れて、スケッチブックを見せてくる。
「別に・・・同情って言っただろ。見返りとか、そんな話じゃない」
【普通はそうじゃないよ。同情でも何でも、普通は見返りを求めるんだよ、みんな。「人に優しくしている自分」「信頼」「相手からの好意」。みんなそう。結局は自分のためなんだよ。それが無意識であれ、意識的であれ】
一生懸命にペンを走らせ、俺に見せてくる。
それは・・・それこそ俺だってそうだ。
「俺だって隣であんなの見せられて、イライラしてたんだよ。それが嫌だから。それだって自分のためだろ?」
【それならそうと言えばよかった。だけど君は「同情」って言ったでしょ?何で?さっきは自分のためって言ってたのに】
・・・しまった。誤魔化すあまり、矛盾してしまったようだ。
【別に私に嫌われるようなことを言う必要はなかったよね?でも、君はそう言った。言ってくれた。私に恩を売らないために。私がそう言われれば、傷つくって知っていたから】
正直、驚きを隠せなかった。彼女が人の気持ちにここまで機敏だったなんて。
声が出せないのに、自分の気持ちを直接伝えられないのに。
心が読めるくせに、理解できない俺とは大違いだ。
【君は同情したから助けてくれたわけじゃないよ。多分君は、私に声が出せたとしても、私を助けてくれたよ】
締めくくりと言わんばかりに、大きく書かれたその言葉を彼女は俺に見せてきた。
そしてーー
『それに嬉しかった。私の気持ちを察してくれたことが。君にとっては何気ないことかも知れないけど、私にとって、私の気持ちが伝わるって、それは特別なんだよ?』
その言葉が、俺に伝えられることはなかった。
だけど、その想いはしっかりと俺に伝わった。
勇気が必要だったはずだ。こうして俺に関わろうとするのは。
現に彼女は怯えている。俺に拒絶されるのを。
よくわかる。人に突き放されるのは辛いんだ。
一人ならまだいい。だけど、独りにはなりたくないから。
ーーあぁ、そうか。俺は彼女に自分を重ねていたんだ。
生まれ持ってしまった障害で、人とうまく付き合えない自分と、照らし合わせていたんだ。
だから彼女のことが気になった。彼女のことを助けた。
だから俺は、彼女のことをほっとけなかったんだ。
根本的には違う。きっと俺たちは決定的に違った人種だ。
それなのに似たような悩みを持ちながら生きている。
だから、もっと彼女を知りたいと思った。
だけど今のままじゃダメだ。今のままじゃフェアじゃない。
彼女は一歩を踏み出した。
彼女と向き合うなら、対等でなければいけない。
彼女は話した。俺の質問に、怯えと戦いながら答えてくれた。
だから、俺はーー
「鈴野、俺と友達になってくれ」
今日は帰りに本屋にでも寄るとしよう。
駅前の本屋は大きいから、きっと手話の本だって売っているはずだ。
評価等々お願いします!