表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/10

声の出せない少女

 「行ってきます」


 年季の入ったドアノブを捻り、家を出て鍵をかける。返事は返ってこない。ここに住んでいるのは俺一人だからだ。


 とうとうはじまった一人暮らしだが、大して気持ちは高まらない。新生活へのワクワク、というよりは辛い生活からの脱却、という感覚が強すぎるためか安堵の気持ちに近かった。

  

 叔父さんと叔母さん。二人との別れは後味の悪いものだった。


 (やっと終わった。これでゆっくり生活できる、か)


 もちろん口には出されていない。育った家から出る瞬間、俺が勝手に心を読んでしまっただけだ。二人の安堵に寂寥感を感じながら、俺は二人と別れた。


 とはいえ、二人はすごい人だと思う。心の中で俺を疎ましく思いながらも、表面上は一切その感情を悟らせなかったのだから。

 

 二人が俺をどう思っていようが、そこは感謝である。

 

 ともあれ、二人と別れたことが生活の改善に繋がることには他ならない。一人は色々と楽でいい。


 少々古いアパートではあるが、その程よい古めかしさが俺は気に入っていた。これも一つの風情というやつだろうか。

 偉そうに語れるほどの人生経験はないが、心の中で一人得意になるぐらいは許されるだろう。


 家具もすでに一通り揃っており、当面の生活に対して特に不安はなかった。


 駐輪場に停めてある自転車にまたがり、春特有の暖かい風を全身に浴びながら登校する。街道沿いに咲いている桜は満開で、今日という入学の日を、その景観をもって祝福してくれているようだ。


 朝一にしか味わえない感覚を楽しみながらも、反面心はどんどんとそのテンションを落としてゆく。


 俺にとって学校は、決して楽しいものなんかじゃない。なにせ、半ば強制的に人間関係の形成を強いられるからだ。できるだけ一人でいたい俺にとっては、文字通り遊びの場ではないからだ。


 通信制の学校を選ぶ選択肢もあったが、とある理由で断念した。そこに関してはこれ以上考えても仕方ない。

 

 ともかくこれから三年間、また俺は耐えなければいけないんだ。込み上げてくる不安のせいか、自転車を漕ぐ力はどんどん弱くなっていった。


 スピードの落ちた自転車を走らせることおよそ15分。俺が通うこととなる都立東和学園高等学校が見えてきた。


 景観はそこそこ。大きくもなければ小さくもない。まぁ良くも悪くも「普通の学校」といったところだ。


 駐輪場に自転車を止めて、教室へと向かう。すでにクラス分けは通達されており、人の波に逆らうことなく俺は自分のクラスにたどり着く。


 教室にはもうすでに人がたくさんいた。時間的にも、大体真ん中ぐらいだろうか。


 (おっ、一番後ろか。ラッキーだな)


 すぐに席替えがあるかもしれないが、小さな幸運に喜びつつ席に着く。


 予定としてはこの後入学式があり、その後各教室でホームルームが行われる。


 やがて時間になり、全員で移動を始める。


 すでに周りには友達を作っている人もいたが、俺は一人だった。友達を作る気はなかった。そういう人に話しかけてくる奴はいないし、俺から誰かに話しかけることもない。



 ...これはちょっと強がりだな。正確には「作れない」が正解だ。どうせ自分から壊してしまう関係を作るのは嫌だ。


 ーーそんなことになるなら、俺は最初から一人がいい。

 

ーーーー


 「篠宮幸仁しのみやゆきひとです。よろしくお願いします」


 入学式が終わり、今はホームルーム行われていた。

 

 手始めとして、順番に自己紹介が行われた。


 俺の自己紹介が終わると、教室を小さな拍手が包んだ。当たり障りのない、まさに平凡なものだった。


 (普通だな)(つまんなそーなやつ)(うーん65点)


 教室のいたるところから、そんな心の声が聞こえてくる。悪かったな普通で。

 てか点数つけんな。65点なら...まぁいいのか?


 自己紹介は滞りなく進んでいく。途中最高得点の95点を叩き出した奴もいたが気にしない。仲良くなることもないだろうしな。


 (あっ!次あの子だ!)(わっ!まじで可愛いなー)

 

 瞬間、教室の「声」が一気に増えた。俺だけに聞こえるものと、俺以外には聞こえていないもののどちらもだ。


 教室中から注目を浴びるのは、ちょうど俺の隣の子。


 その子は朝から注目されていた。皆が一様にその容姿を心の中で褒めていた。


 黒い髪を長く伸ばし、ピンと背筋を伸ばした凛としたその姿に、俺はつい見惚れてしまった。


 (綺麗な子だな)


 そんなことを胸中で思いながら、彼女の様子を見守る。


 すると彼女は立ち上がって、他の人がその場で自己紹介したのにも関わらず、黒板の前まで出た。


 その行動に、教室のざわめきが強まる。そりゃただでさえ注目されてた子が、周りと違うことをしだしたらこうなるだろう。


 彼女の手には一冊のスケッチブックがあった。


 【私の名前は、鈴野琴葉すずのことはです。よろしくお願いします。】


 開かれた1枚目にはそんな文面。


 状況を掴みきれず、教室を包む喧騒が鳴りを潜める。


 そして2枚目には・・・


 【私は声が出せません】


 そう書いてあった。


 教室がざわめきを取り戻す。それもそうだろう。いきなりそんなことをカミングアウトされたって、反応に困る。


 彼女は凛とした佇まいを崩すことなく、自分の席まで戻ってきた。


 周りのことなど気にしていない様子で、彼女は席に着く。


 その毅然とした姿に、またしても俺は見惚れてしまった。


 一言で表せば、美しい。そう思わせるようなオーラが彼女にはあった。


 だけどそのイメージは、一瞬で崩されることになるのだった。



 『あー、めんどくさっ』

 「えっ」


 聞こえてきた「声」に、思わず返してしまった。


 やばい。やってしまった。


 【どうかしましたか?】


 彼女はそんな俺に対して、あらかじめ用意されていたのだろうか、慣れた手つきでページをめくって見せてきた。

 こつんと首を傾げる姿は、先程の態度とは違って、どこか可愛らしさを醸し出していた。


 『なんだろ?もしかして声出てた・・・?あっ、出せないんだったわ』

 「ぶふっ」


 いきなりぶっこまれたブラックジョークに、思わず俺は笑ってしまった。まずいまずいまずい。


 なんというか、ギャップがすごい。なんかさっきまではカッコよさすら感じていたのに、もう既にそれを微塵も感じさせない。


 だけどどこか親近感が湧くと言うか・・・。


 というかとりあえず謝らないと、色々とまずい。


 「ご、ごめん。何でもないから・・・」

 

 その言葉に、彼女はコクンと頷いた。一応納得はしてもらえたのだろうか?と思ったのだが。


 彼女の内心では・・・


 『何だこいつ』


 第一印象。何だこいつ。


 最悪である。


 まぁ、今のはうっかり反応してしまった俺が悪い。


 この先仲良くなることもないだろう。関わることだってないはずだ。


 きっと、俺にそれはできないだろう。


 だって俺には、普通に話せる人にさえそれができない。喋ることのできない彼女となんてもってのほかだろう。


 俺は前を向き、残りの人たちの自己紹介を聞き流していった。


ーーーー


 学校が始まって2週間が経った。


 教室ではすでにグループがあらかた完成しつつあり、それぞれの生活を形作っていた。


 しかしそんな中でも、やはり輪に属さない人間もいるわけで、かく言う俺もその一人だった。


 (...形はそれぞれだな)


 思いは様々だ。本当は華々しい高校デビューを試みていたが失敗した人。そして俺と同じく、本当に一人が楽だと思い、必要以上に人と関わらない人。

 

 (ま、俺には関係ないか)


 どうせ関わることなんてない。俺は手元の小説に目を落とす。


 本はいい。嘘をつかないし、その裏切りに誰かが傷つくこともない。教室内の喧騒をバックグラウンドに、おひとり様の世界に沈む。


 俺が読書にハマったのは中学の頃だ。時期的に一番辛かった頃、他人と関わることのできなくなった俺は、孤独を紛らわせるようにそれに没頭した。


 今ならあれが強がりで、ただの誤魔化しだったとわかる。


 あるいは今だってーー





 『うわぁ、次国語かぁ。あの先生苦手なんだよなぁ・・・』



 ・・・・・・。



 『はぁ、しかもその次の体育ペア活動か・・・』



 ・・・・・・。



 『結局またひとりぼっちになっちゃうなぁ・・・。まあしょうがないかもしれないけど・・・』


 ・・・・・・うるさいな。


 や、勝手に聞いてしまっているだけで、文句を言う筋合いが無いのはわかっているけれど。


 わかってても気になってしまうほど、その()は大きいものだった。


 『話しかけてくれても、ちゃんと返せないし・・・仕方ないよね・・・。みんなは手話、分かんないし』


 隣の席の鈴野さんーー声の出せない少女は、そんなことをぼやいていた。学校が始まって2週間。ずっとこんな様子だ。もちろんそれだけってわけでも無いのだが。


 もちろん、その声は心の中のものだ。


 そして彼女が言う通り、この二週間でみんな、彼女との付き合いを避けるようになっていた。


 正確には、「人を避ける彼女」をさけるようになった。


 最初の方こそ、みんな彼女に話しかけていたのだが、やはり返事が遅いということが、そしてその返事も文字であることが良くなかったのだろう。


 別に無理に彼女に付き合う義理もないクラスメイトは、ひとり、またひとりと彼女に声をかけることがなくなっていった。


 もちろん俺は、最初から声をかけてはいないんだけど。


 『まぁ、同情で話しかけられるよりはいいけどさ。みんな、明らかに可哀想な目で私を見るし』


 まぁ、実際その通りだった。事実、彼女に話しかける生徒はみな、心の中で「可哀想」だとか「優しくしてあげよう」と思っていた。


 悪いことだとは思わない。だって仕方ないじゃないか。


 俺だって事実、彼女を可哀想だと思っている。


 当たり前のことが、彼女は当たり前にできないのだ。少なくとも、「普通の女子」として接することは難しい。


 それに、だ。彼女の「声」は人一倍多いのだ。

 きっと声が出せるのなら彼女は、いわゆるおしゃべりさんになっていたに違いない。


 そういうことを、俺はわかってしまうから。なおさら彼女のことを可哀想だと思ってしまう。きっとこの感性は普通のものだと思う。


 そして彼女が、ネガティブなことだけ考えているわけではないことも知っている。


 彼女はかなり好奇心旺盛だ。


 クラスメイトの会話に耳を傾けては、色んなことに興味を持っている。娯楽に対しての欲求もかなり強いようだ。


 だからこそ、こんなにもいろんなことを思って、それを発信できない彼女が可哀想だった。


 じゃあ何かしてあげるか?それはノーだ。


 俺にできることなんてたかが知れてるし。


 それにいつかはきっと傷つく。俺も彼女も。


 俺が持ってしまった障害は、そういうものなのだ。


 というか、俺だって彼女のことは言えないしな。

 人を寄せ付けないように生活していたら、あっという間にぼっちの出来上がりだ。


 まぁ、彼女と一緒ではないけど。


 彼女は望んでもできないから。

 

 対して俺は望んでいない。悩むことから逃げ、諦めているから。


 ーー根本的に、俺と彼女は違うんだ。

評価等々お願いします!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ