前編
今でもときどき思い出す。自分がすべてを失った日のことを。
愛する二人の子どもに続いて、最愛の妻まで失ってしまった、あの日の絶望を。
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私ことジョルジュは、この国の王の長子として生まれた。
母は隣国の王女だったそうだ。母は父と幼い頃に婚約し、婚約したときからこの国の城で暮らし、父と一緒に育った。二人は幼少の頃からずっと仲がよく、結婚後も睦まじかったと聞く。だがその母は、私を産んだ後すぐに儚くなった。
若くして国王という立場にあった父には、母の死を嘆く暇も与えられない。
今度は国内の貴族の娘の中から、次の妻を迎えることになった。国内の勢力バランスを考えた上で、宛がわれた妃だったらしい。完全なる政略結婚だ。
新しい妃、つまり私にとっての継母は、健康で丈夫な人だった。私のひとつ下の弟を始めとして、さらに弟と妹を産んだ。
父は再婚した後も、私の母のことを忘れず大事に思っている、と使用人からは聞かされた。でも正直なところ、私は「かわいそうな幼いあるじ」に対するただのリップサービスにすぎないと思っていた。
確かに父は、毎年、母の命日に墓参りを欠かさない。墓参りには私を連れて行き、その日だけは朝から晩まで私の暮らす離宮で過ごした。逆に言うと、父である国王という存在は私にとって、一年に一度、母の命日にだけ顔を合わせる遠い存在でしかなかった。
いくら使用人たちから「陛下は殿下をとても大事に思っていらっしゃいます」と口を酸っぱくして言い聞かせられても、子どもの私に実感が持てなかったのは、無理もなかったと今でも思う。
物心ついた頃からずっと、私は王宮の敷地内にある小さな離宮で暮らしていた。
その離宮は、父が母のために建てたものだと言う。父や継母たちが暮らす宮殿とは、広大な庭園をはさんで、敷地の反対側にある。
寝室が二部屋、あとはダイニングとリビングがあるだけの、実に質素な農家風の離宮だ。母の愛した離宮とのことで、母が生前にそろえた家具や食器類がそのまま残されている。外からの見た目は、まさに田舎の農家そのもの。もちろん中身も農家風。まあ、本物の農家にしては小ぎれいであろうが、およそ貴族、それも王族の住むような場所ではない。
王宮の敷地内に、このような離宮を建てることは大変に贅沢なことなのだ、と子どもの頃からよく言い聞かされていた。だが、私に言わせれば、この離宮で暮らすことのどこが贅沢なのかさっぱりわからない。
普段、宮殿で暮らしていて、遊びのためだけにこの離宮を維持するのが贅沢だと言う話なら、まあわかる。
しかし、私はずっとこの離宮で暮らしていたのだ。普通に農家で暮らすのと、何が違うと言うのか。身につける衣服も農家風、食事も農家風。本物の農家の子とは違うのは、私は労働に従事させられることがなかったという点だけだ。そこは確かに、大きな違いだと思う。その代わりに、私には何人もの家庭教師が付けられた。
勉強は、好きだった。
身も蓋もない言い方をすると、本しか娯楽がなかったのだ。しかも、本を読めば褒められる。本だけは、いくらでも与えられた。
衣食住すべてにおいて質素だったけれども、こと教育にかけては本当に贅沢だった。おそらく付けられた教師たちも、一級の学者ばかりだったと思う。それも、ただ知識を持つだけでなく、教えることに長けた者が選ばれていた。何か疑問を持って質問すれば、それに関連した書物を次から次へと与えられる。
そんな環境で育った私は、呆れるほど世間知らずで、頭でっかちな王子に育った。
何しろ贅沢とはさっぱり縁がない。ついでに、宮廷に足しげく通うような貴族たちとも縁がなかった。最高の教育を受けたという点だけ除けば、おそらく下位貴族よりもよほど暮らしぶりは慎ましかったと思う。
付けられた使用人もほんの数人で、乳母を始めとして平民ばかり。乳母の他には、メイド、護衛を兼ねた従僕、料理人、庭師。庭師に至っては私に付けられたというよりは、離宮周辺の庭の管理人というほうが正しい。これが私の世界のすべてだった。
彼らは私によく尽くしてくれたが、私にとって幸いなことに、決して甘やかすこともしなかった。いや、庭師だけはちょっと甘かったかもしれない。幼い頃、仕事中の庭師にまとわりつくと、よくポケットから甘い菓子を取り出しては、日に焼けたしわだらけの顔いっぱいに笑みを浮かべて渡してくれたものだ。
彼らは私にとって、擬似的な家族のようなものだった。母のように優しい乳母、父のように厳しい料理人、歳の離れた姉や兄のようなメイドと従僕、祖父のように甘やかしてくれる庭師。実の家族とは心理的にも物理的にも距離があったが、この使用人たちからはたっぷりと愛情を受けて育った。ひねくれたりせずに済んだのは、彼らのおかげだと思っている。
平民に囲まれて育ったおかげで、私は身の回りのことはひととおり自分でできたし、よくも悪くも、王族らしい威厳や傲慢さを身につけることはなかった。
十二歳になった頃、私は初めて宮殿に連れて行かれた。
母の国から送られてきた大使と、晩餐をともにするためだ。その大使は母と遠い血縁関係にある者とのことで、つまりは私とも血縁があった。
宮殿は、離宮から馬車で十五分ほどの距離にある。徒歩なら一時間弱。いくら質素に育ったとはいえ、さすがに王子を歩かせることはなく、馬車での移動だった。それまで着たこともないような飾りの多い服を着せられ、高揚感に包まれながらも、どこか浮き足だっていた。
連れて行かれた先で、晩餐が始まる前に、私は初めて継母と異母弟の顔を知った。
父は彼らの側に立って、二人を私に引き合わせた。父に腰を抱かれた継母と、肩に手を置かれた弟。ああ、これが父の「家族」なのだなと感じた。その三人に向かい合って立つ自分は、どう見たってその「家族」の中には含まれていない。
そこはかとない寂しさを覚えつつ、礼儀作法の教師に教わったとおりの無難なあいさつをした。父はそれを見て満足そうだった。
王妃である継母は、私の目から見て「いかにも貴族らしい女性」だ。平民に囲まれて過ごすのが日常の私には、まったく馴染みのないタイプのひとだった。そしてまた弟も、「いかにも貴族らしい少年」なのだった。
父の紹介を受けて、王妃は私に向かって、貼り付けた笑顔で鷹揚にうなずいてみせた。弟は笑顔さえなく、固い表情でうなずいただけだ。歳が近いから仲よくなれたらいいな、という淡い期待は一瞬で砕かれた。おそらく彼にしてみたら、王子とは名ばかりの、田舎くさい小僧とは親しくしたくなかったのだろう。それが透けて見えてしまい、悲しい気持ちがした。
まあ、実際、田舎くさかったと思う。王宮の敷地内とはいえ、田舎の農家を模した家で暮らし、平民に育てられたわけだから。勉強の合間には、虫取り網を振り回して昆虫採集に励むような、のどかな田舎の生活が身にしみついた子どもだ。
王家の礼儀作法はきっちりと教え込まれてはいたものの、日常的に使っているわけではない。だから十二歳という年齢では、まだうまく切り替えて取り繕うのが難しかった。ましてや「家族」として紹介されたのだから、取り繕わなくてはいけないという頭もなかった。
けれども初対面でのこの手痛い失敗を経て、私も学習した。
この人たちは自分の「家族」ではない。自分の家族は、あの離宮にいる使用人たちだけだ。だから一歩でも離宮を出たなら、たとえ系譜の上では「家族」である相手に対してであっても、きちんと線引きをして接する必要がある。礼儀作法を忘れてはならない。
母の生国からきた大使は、恰幅よく人懐こい笑顔の壮年の男だった。
食事の席で、ひととおり紹介とあいさつが済むと、彼は母国語で話しかけてきた。
『殿下は、我が国の言葉はおわかりになりますかな?』
『もちろん』
私が同じ言葉で返事をすると、大使はうれしそうに破顔した。それから世間話のように、上機嫌でいくつも質問をしてきた。私はそれに、彼の国の言葉で答える。質問内容は、教師たちが試験のときに尋ねるような内容が多かった。歴史や地理や経済の、ちょっとしたクイズみたいな。
正答すると大げさなほど大使が褒めてくれるので、世間知らずで愚かな子どもだった私は、場所もわきまえずに調子に乗った。
ひとしきり問答が終わると、大使は満面の笑顔を父に向けた。
「すばらしく聡明なお子ですな」
「この子は勉強が得意のようでしてね」
父もまんざらでないように、笑顔で返す。大使は弟のほうへ身を乗り出すようにして、笑顔のまま母国語で問いかけた。
『そちらの殿下も、王太子殿下と一緒に勉強なさっておいでかな?』
この質問に、弟は眉をひそめてかすかに首をかしげた。それを見て私は「おや?」と思う。「違う」とひとこと答えればよいだけなのに、どうしたのだろうか。不思議に思って見ているうちに、弟には大使の話す言葉がわからないのかもしれないと、やっと思い至った。
居心地の悪い短い沈黙の後、私は無作法と知りつつ、助け船を出すつもりで横から口をはさんだ。
『あの子は一緒には勉強していません。住んでいる場所が違うので』
『おや? 弟ぎみは宮殿ではなく、別の場所にお住まいということですか?』
『いえ、彼はここに住んでいます。離宮で暮らしているのは、僕です』
意外そうに眉を上げる大使に、私のような愚かな子どもも、さすがに自分の失言に気づく。あわてて父や継母たちの顔色をうかがったが、継母は言葉を理解している様子がなく、父は理解はしているようだが口を出すつもりがないらしい。
仕方なく、使用人たちからの受け売りを口にした。
『母のために父が建てた離宮に住んでいるんです。僕は母の顔を知らないけれども、母の思い出を大事にしたいから』
実際のところ私が離宮で育ったのは、ただ単にそこで育てられたから、というだけのことにすぎない。だが使用人たちは、事あるごとに「お母上と国王陛下の、思い出の詰まった離宮でございますからね」と言っていた。だから、それをそのまま伝えてみたわけだ。
大使は「なるほど」とうなずいた。
何とか弟を窮地から救い出せたことにホッとして、もう大丈夫だよ、と安心させるために弟に微笑みかけようとして、私は自分の失敗に気づいた。彼は心底不愉快そうな顔をして、私をにらみつけていたのだ。
少しでも彼の立場に立って考えてみれば、わかることだったのに。彼にとって私のしたことと言えば、自分に向かって話しかけようとしてきた大使に、横から話しかけて話題を奪い、しかも自分にわからない言葉で会話を続けていた、という失礼千万で嫌なやつだ。だが、そのときの私にはにらまれる理由がわからず、当惑した。
大使は弟の様子に気づいたのだろう。眉尻を下げて再び身を乗り出し、今度はこの国の言葉で弟に謝罪した。
「自国の言葉が話せて、つい調子に乗ってしまいました。ご無礼をいたしましたこと、どうぞお許しください」
これに弟は機嫌を直したようだ。不機嫌顔を一転させて目をまたたき、「うん」と鷹揚にうなずいてみせた。だが残念ながら、私に対する敵意は、この後も薄まることがなかった。
私は弟への接し方に、初手でつまずいたのだ。しかも、その後も挽回することができなかった。このときもう少しうまく立ち回ることができたら、もっと違う関係を築くことができただろうか、と今でも思うことがある。今となってはもう、どうにもならないことではあるけれども。
大使からは、帰国後に一度だけ手紙をもらった。一般的な時候のあいさつの後、「もしもいつか何かに困ることがあれば、必ず助けになるから、どんなつまらないことでも決して遠慮せずに相談してほしい」と書かれていた。距離がありすぎて言葉どおりには受け取れないけれども、気持ちがうれしかった。