後編
私はずっと、自分がジョルジュと一緒にこの領地に追いやられたのは彼のせいだと思っていた。でもそれは真実とは少し違うということを、十八歳になったときに養父から聞いた。
私が政争に巻き込まれた、というのは間違っていない。
ジョルジュに好意を持たれたせいで巻き込まれた、というのも合っている。
けれども、追い落とされたのは彼が無能だったから、というのが間違っていた。彼は第二王子から、こうささやかれたらしい。
「今回は無事だったけど、次はどうでしょうね」
男爵家の養女にすぎない私は、守り切るには立場が弱すぎた。
そして他国の王女を母に持つ彼は、国内に頼れる相手が国王以外にいなかった。
だからジョルジュは第二王子の脅迫に屈して、取り引きをしてしまった。私に危害が及ぶことを恐れて、すべてを捨てる決意をしたのだ。
馬鹿じゃないの、と私は思った。私のためにすべてを捨てるなんて。
すべてを捨てておきながら、しあわせそうな顔をしているなんて。本当に馬鹿だ。あんなに賢いくせに、馬鹿で、弱くて、愛おしい。
私はこのとき初めて心から、この人をしあわせにしてあげたい、と思った。
まあ、私が機嫌よくしてさえいれば、ジョルジュはしあわせそうなんだけども。元王子のわりには、何とも安上がりな人だ。
養家の男爵家とは、私がジョルジュと一緒に領地に封じられた後も、折りに触れては行き来していた。養父母とは月に一度は手紙をやりとりしていたし、兄弟たちが訪れてくることもしばしばあった。実の兄弟ではないのに、こうして気にかけて訪ねてきてくれるのは、ありがたいことだ。
私が結婚した頃、上の兄はすでに子爵家から来たかわいいお嫁さんと結婚していて、子どもも二人いた。下の兄は大学を卒業して、弁護士になっていた。
妹たちは、私が結婚した数年後に結婚した。物静かな上の妹は地元の医者と、にぎやかな下の妹は王都の新聞記者と、どちらも恋愛結婚だった。上の妹の旦那さまには、何かとお世話になることが多かった。持つべきものは、身内の有能な医者である。
ジョルジュと結婚して三年近くが経った頃、私は最初の子どもを出産した。女の子だった。ルシールと名付けたその子は、ジョルジュに似た甘い顔立ちをしていた。
ジョルジュは救いようのない親馬鹿で、「ルル」と愛称で呼んで娘をべたべたに甘やかした。
それでいて、彼の世界の中心にいるのが私なのは、変わらない。
少しでも私に機嫌を損ねそうな気配があると、天変地異の前触れを察知したかのような緊張感を全身にみなぎらせて、大あわてで私のところに飛んできて抱きしめる。娘を放り出して。ほんとそういうところ、どうかと思うわ。
さらに二年後、二人目の子どもが産まれる。今度は男の子で、フィリップと名付けた。
この子は私に似ている。顔だけでなく、性格も。やんちゃで、とにかく負けん気が強い。
ルシールは、フィリップが産まれたときから彼にべったりだ。
フィリップもルシールが一緒にいると機嫌がよいので、子守りが楽で助かった。ただし、よちよち歩きしかできない幼子が赤んぼうを抱っこしようとするさまは、見ていて心臓によいものではない。
ちょっと。首締まってない? ────どう見てもルシールの腕に首が引っかかって締まってるのに、不思議とフィリップはご機嫌だ。
ねえ、ルル。その子はあなたのクマちゃんとは違うの。縫いぐるみじゃなくて、生きものなの。お願いだから、もっと、そうっと大事にしてちょうだい。お母さま、こわくて息がとまりそうよ。
利かん気なフィリップは、いけないことをしたときに叱ってもなかなか言うことを聞かない。
なのになぜか、ルシールが言い聞かせると素直に聞く。納得がいかない。
そんな愚痴をジョルジュにこぼすと、彼は「僕の言うことだって聞きやしないよ」と笑った。少し安心した。
子どもたちが熱を出すたびに、町医者をしている上の妹の旦那さまにはお世話になった。
「具合が悪くなったら、夜中でも気にせず連れてきてください」との言葉に甘えて、本当に夜中に何度も連れて行った。上の妹には、頭が上がらない。
子どもたちは二人とも、私の母の話を聞くのが好きだ。
母から聞いた、彼女の女優時代の話をすると、二人とも目を輝かせて聞き入る。
ルシールが「私もお祖母さまみたいな女優になりたいな」と言うと、フィリップも「ぼくも! ぼくもなる!」とすぐ張り合う。そんなとき私は、自分が母にかけられた言葉をそっくりそのまま子どもたちに伝えるのだ。
「なれるわ。なれますとも。ただし一流の女優になりたいなら、しっかりお勉強なさい」
そう言うと、二人とも競うように本を読み始めるから面白い。
もっとも、フィリップ、あなたはどう頑張っても女優にはなれないんだけど。
ジョルジュをはめた人たちは彼の不幸を望んでいたかもしれないけれど、おあいにくさま、私たちはしあわせに暮らしていた。食べるのに困りさえしなければ、しあわせになるのにお金はかからないのよ。
ただしこの後、私たちのしあわせはあっという間に崩れてしまう。
ルシールが六歳、フィリップが四歳になった頃、不穏なうわさが流れてきた。幼い子どもを狙ったひとさらいが出ると言うのだ。幼い二人の子を持つ親としては、神経質にならざるを得ない。
子どもたちには「知らない人から声をかけられたら、すぐに逃げなさい」と言い聞かせた。それだけでは不安だったので「万が一、つかまってしまったら大声を出しなさい」と教えて、大声を出す練習もさせた。練習している間、どれだけ大きな声を出しても叱られないのがうれしいのか、子どもたちは妙に楽しそうだった。危機感のなさに、力が抜ける。
ピリピリした気持ちで日々を送っていたが、ひと月ほどしたある日、養父から「ひとさらいの組織を摘発した」との知らせが届いた。養父の領地内で憲兵隊と協力して動いた結果、首謀者の特定に至ったらしい。
末端の者まで完全にすべての身柄を確保したわけではないだろうから、気を抜くわけにはいかないものの、だいぶ気は楽になった。
ところがこの半年ほど後、子どもたちは二人とも流行り病であっけなくこの世を去る。一度に二人の子を失い、私は魂が抜けたようになってしまった。
知らせを聞いた養父母はすぐに駆けつけ、弔いを手伝ってくれた。
子どもたちの弔いが済んで数日が過ぎた頃、私にも流行り病の症状が出た。
ジョルジュは青ざめた顔をして、上の妹の旦那さまを呼びに行き、診察をお願いした。体力があれば乗り切れたのかもしれないが、心身ともに消耗していた私は病に負けてしまったというわけだ。
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ジョルジュに「後を追わずに生きる」と約束させたからには、もう思い残すことは何もない。
心安らかに、子どもたちのもとへ旅立とう。
後は養父がよろしくやってくれるはずだ。
養父はまず、私が十八歳になったときに教えてくれたもうひとつの話をジョルジュにもするだろう。
それは私の実父にまつわることだ。
私の実父は、侯爵だった。それも、私に意地悪をしてきたお嬢さまの家の当主だった。
と言ってももちろん「彼女と私が実は異母姉妹だった」なんて話ではない。私と彼女は、親が違う。私の実父は、現当主の兄だった。だから現当主は、私にとっては叔父にあたる。叔父は事故を装って実父を殺し、当主の座を手に入れた。そのときお腹の中に私がいた母は、叔父に殺されそうになったところを家令に助けられて、市井に逃れて隠れ暮らした。
だから母が元女優というのは、言ってみれば比喩だった。彼女の舞台は、社交界だったのだ。
母を助けた家令は、私の養父である男爵の従弟だった。
養父は従弟である家令の頼みを快く引き受け、母の暮らしを手助けした。貸家の管理人という職は、養父が用意したものだったらしい。母亡き後は、私を養女として迎えて何不自由なく養育してくれた。
その間、家令は正統な嫡子である私が成人したらすぐに手続きできるよう、叔父の不正や犯罪の記録を着々と集めていた。本来なら十八歳になった時点で、その手続きをとる算段だった。
ところがその前に、私はジョルジュと結婚させられてしまった。
十八歳になったとき、養父は私にふたつの選択肢を示した。ジョルジュと離縁して侯爵家を取り戻すか、このままジョルジュと一蓮托生となるか。
私は、ジョルジュと人生を共にする道を選んだ。
私の選択を受けて、養父と侯爵家の家令は第二王子を追い落とす方策を探すことになる。
どうしてそこまでしてくれるのかと養父に尋ねたことがある。彼は、私の実父には返しきれない恩があるのだと言った。それが何だか詳しくは尋ねなかったが、たぶん養父の従弟が家令であることと何か関わりがあったのだろう。
でも実を言えば、第二王子も侯爵家も、私にとってはどうでもよかった。
小さな領地でかつかつの暮らしをしていても、ジョルジュは私をしあわせにしてくれたし、私はその暮らしに十分満足していた。彼らがこのまま私たちを放っておいてくれるなら、私も彼らを放っておいてあげてもいい。そう思っていた。
なのに、あの人たちは私の大切な宝物である子どもたちに手を出した。決して越えてはならない一線を越えてしまったのだ。おおかた保身のために直系の王位継承者をつぶそうと考えたのだろうけど。
私の弔いが済んだ後、養父はジョルジュに子どもたちと私の死因について話すだろう。
子どもたちに流行り病の症状が出たのは、行商人から買ったお菓子を食べた後だった。
あの行商人は第二王子の差し金で、毒入り菓子を我が家に持ってきたのだ。あれは病死じゃなくて、毒殺だ。
そうとは気づかず、気落ちしていた私は、再び我が家を訪れた行商人から子どもに買ってやったのと同じお菓子を買って口にした。
上の妹の旦那さまは、食べ残しのお菓子から毒物が検出されたことをジョルジュに伝えるだろう。
その毒を摂取したときの症状が、流行り病と同じように見えることも、併せて伝えるはず。
すべての証拠を手にしたジョルジュは、どうするかしら。
もう第二王子には、私を人質にして脅迫する手段は残されていない。
第二王子は知らないのだろうけど、ジョルジュは私という弱みさえなければ、どこまでも冷徹になれる強さがあるのだ。だからきっと、彼は私の父の仇をとってくれると信じている。そして自分自身が本来いるべき場所も、取り戻すはずだ。
すべての片がつくまでの間、私は子どもたちと一緒に遠くからずっと見守っていよう。遠く、ジョルジュのお母さまの生国の王宮にかくまわれて。
ジョルジュがすべて終わらせたら、きっと養父が種明かしをしてあげるだろう。
実は毒薬は、仮死状態にする薬と入れ替えてあった、と。死んだと見せかけて、私と子どもたちは彼のお母さまの国に一時的に避難しているだけだ。
第二王子がひとさらいの組織にうちの子どもたちの誘拐を依頼したと知ったときに、養父がこの計画を立てた。きっちり証拠をつかんで、これ以上私たちに危害が及ばないようにするために。国王陛下だけでなくジョルジュのお母さまの国とも渡り合って話をつけ、家令を経由して行商人と第二王子の橋渡しをし、その他すべての段取りを整えた養父の手腕と執念には、もはや言葉もない。
ジョルジュが事前に教えてもらえなかったのは、たぶん国王陛下の意趣返し。
九年前に陛下はあなたに煮え湯を飲まされたのだもの、自業自得よ。
ジョルジュ、あなたは諦めてすべてを捨てる前に、少なくともお父さまには相談すべきだった。
あなたにはお父さまの国王陛下だけでなく、お母さまの生国という味方があるの。ひとりじゃないのよ。忘れてはだめ。
さあ、憂いを払って、しあわせになりましょう。
かつて母が立ったのと同じ舞台を私と子どもたちに用意してくれたなら、私はあなたの隣でいつでも機嫌よく一流の女優として輝いてみせるわ。
ジョルジュ、愛してる。




