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ざまぁされちゃったヒロインの走馬灯  作者: 海野宵人
ざまぁされちゃったヒロインの走馬灯
1/6

前編

 夫のジョルジュが、私の左手を両手で握っている。


「ミミ……」


 元王子の夫は、歳を重ねても端正なその顔を涙でぬらしていた。いい大人のくせに、まったくしようのない泣き虫だ。なお、元「王子」というのは比喩じゃない。彼は本物の王子さまだった。愚かにもその地位を投げ捨ててしまったけど。


 夫の後ろには、神官が控えている。最期を看取りに来たのだろう。


「ごめんなさいね、ジョルジュ。ひとりで残してしまうことになるけど、私はひと足さきに子どもたちのところへ行くわ」

「ミミ……」


 かわいそうなジョルジュ。

 二人の子どもには先立たれ、今また妻にも先立たれようとしている。

 本当にかわいそうだとは思うけど、でもこれだけは言っておかないといけない。


「絶対に後を追ったりしてはだめよ。そんなことをしたら、もう二度と会えなくなるんだから」

「ミミ……」


 だめだ。この人、さっきから「ミミ」しか言ってない。

 大事なことだから、ちゃんと聞いてほしいんだけど。


「ジョルジュ。お願い、約束して」

「ミミ……」


 さすがにイラッときた。最期の最期くらい、ひとの話をちゃんと聞きなさいよ。


「ジョルジュ。約束するの? しないの?」

「します」


 よし。

 私の苛立ちが声に出たのを敏感に察知して、ジョルジュはこの世の終わりのような顔をして目を見開き、条件反射的に返事をしていた。そんな約束はしたくないのに、逆らって妻の機嫌を損ねるのはもっといや、という顔だ。かわいそうで、愛おしくて、笑ってしまいそうになる。

 この人はこの世で何よりも、妻のご機嫌が大事なのだ。困ったことにたぶん、自分の命よりも。


「ジョルジュ、約束よ。生きて。私は子どもたちと一緒に、また会える日まで遠くからずっと見守っているから」

「ミミ……!」


 あーあ。夫の涙腺が決壊しちゃった。

 まあ、でも、言質は取った。

 これで大丈夫だろう。妻との約束は絶対だ。この人には。


 満足した私は息を大きく吐き出し、目を閉じた。


 ひとは死に瀕すると、人生のすべての思い出を映像として見ると聞く。だからなのか今、私の頭の中にもそんなふうに自分の長かったような、そうでもないような二十六年分の人生の思い出がひとつひとつ流れていった。



 □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □



 思えば少女小説のヒロインのような人生だったかもしれない。

 ────途中までは。


 とりあえず、出だしは文句のつけようのないヒロインっぷりだと思う。

 何しろ生い立ちが小説じみている。


 私は、元女優の母に女手ひとつで育てられた。

 名前はミリアン、愛称はミミ。


 母は女優を引退した後、貸家の管理人として雇われて生計を立てていた。決して豊かではなかったが、つつましく暮らせるだけの収入はあったようだ。贅沢をしたことはないけれども、通いの女中がいて、料理も洗濯もしたことのない母の手はあかぎれひとつなくきれいだったし、私は母の仕立てた服を着せられていた。母の仕立てる服は華美ではないが、上品でかわいらしく、私の自慢だった。


 読み書きや計算は、母から教わった。

 女優は台本を読む必要があるから、当然、母は読み書きができたのだ。


 女優だった母は、美意識が高かった。それだけでなく気位もまた、おそろしいほどに高かった。いつでも平民には似つかわしくない丁寧な言葉遣いをしていて、礼儀作法にもうるさく、私にもそれを強制した。

 お陰で私は、まわりの子どもたちからは浮いていた。


 それでも私は、厳しくも美しい母が大好きだった。

 だから元女優という経歴を理由に「女優なんて娼婦と一緒だ」と、母をさげすむような言葉をかけられたときには、くやしくてたまらなかった。


 くやしくて、くやしくて、家に帰るなり泣き出した私から、母は辛抱強く話を聞いた。

 聞き終わると、母は鼻で笑ってこう言った。


「安い芝居小屋の三文女優しか知らない人の言うことなんて、いちいち気にしなくていいのよ」


 自分が三文芝居しか知らないと暴露しているようなもので逆に恥ずかしいわ、と母は笑い飛ばした。

 豪華絢爛たるシャンデリアに照らされた舞台で、きらびやかな衣装に身を包んだ役者たちが、教養高く含みを持たせたセリフを交わすような、格調高い本物の芝居を知らないのでしょうよ、と。そんな舞台に身を置く女優が娼婦と一緒のわけがないでしょう、と母から聞いて、やっと私の涙はとまった。


「私もお母さまみたいな女優になりたいな」

「なれるわ。なれますとも。ただし一流の女優になりたいなら、しっかりお勉強なさい」


 特に礼儀作法と語学の勉強は大事だ、と言い聞かせられた。外国語のセリフを自国語と同じように繰れてこそ一流の女優と言えるのだ、と母は言い、隣国の戯曲の一節を見事な発音でそらんじてみせた。


 気位の高い母は、その気位に見合うだけの芯の強さがあった。母の気位に泣かされることもあったけれども、その強さに守られていたのも確かだったと思う。


 そんな母は、私が十一歳のときに病で亡くなった。たったひとりの肉親を失って悲しかったが、それ以上に途方に暮れた。ほかに身寄りがなかったから、これからどうして暮らしていけばよいのか見当もつかなかったのだ。



 唯一の肉親を失って呆然としていた私の前へ現れたのが、その後養父となった男爵だ。私の父の知り合いだと言う。

 母からは父の話を一度も聞いたことがなかったので、本当の話なのか正直まったく判断がつかなかった。でも引き取ってもらわなければ、きっと身売りするよりほかないだろう。それに男爵は見るからに誠実そうだった。それで素直に男爵について行き、養女となった。


 この辺りまでは、まさに王道ヒロインという感じの人生だった。

 片親の幼少期を過ごした後に貴族の養女になるなんて、これぞお決まりの展開ってものじゃない?


 男爵家での暮らしは、決して悪くはなかった。

 いきなり私のような境遇の娘を引き取ったら、浮気の末の婚外子と疑われても不思議ないと思うのに、夫人から冷遇されるようなことは一切なかった。きちんと教育も受けさせ、五人いる実子とほぼ変わらない扱いだったと思う。

 ただし男爵の知り合いだという実父について尋ねたときだけは、男爵も夫人もはぐらかすばかりで何も教えてはもらえなかった。


 とてもよくしてもらったとは思うけれども、本当の親子のようだったかというと、それはない。やはりどこか一線を引かれているというか、「預かっている子」という感じの接し方だった。


 でも男爵の実子たちとは、そこそこ仲良くなれたと思う。

 男爵家は子だくさんで、私より上に三人、下に二人の子がいた。真面目な長兄、面倒見のよい姉、快活な次兄、物静かで賢い上の妹、おしゃまでちゃっかりしている下の妹、という構成だ。みんな実の兄弟と変わりなく接してくれた。特に妹たちとは歳がほとんど変わらず、姉妹というより仲のよい友人のような関係だったと思う。全員そろうとそれは賑やかで、母との二人暮らししか知らない私には新鮮だった。



 王太子だったジョルジュと知り合ったのは、社交界にお披露目をした十六歳のときだ。

 三歳上のジョルジュは、そのとき十九歳。


 養父母に夜会に連れて行かれると、私はテラスに出るのを楽しみにしていた。

 夜会ホールを外から眺めるのが好きなのだ。テラスは恋人たちの語らいの場となっていることもしばしばあるけど、そうでなければ養父母の許可を得てから外に出る。養父か兄たちのどちらかが、必ず付き添ってくれた。


 テラスから夜会のホールを眺めると、ガラス窓からこぼれる夜会の灯りがきらきらと輝く。特にシャンデリアが見える角度から見ると、夜空の星をすべて集めて飾りつけたかのようで、いつまで見ていても見飽きないほど美しいのだ。本物の劇場にはまだ行ったことがなかったけれども、母の言う「一流の女優」の立つ舞台はきっとこんな場所だろうと思った。


 その夜も少し踊った後に養父にねだり、テラスに出ていた。

 うっとり夢心地で夜会ホールを眺めていると、突然背後から足音が聞こえ、闇の中から人影が現れた。それがジョルジュだった。


「おお、これが妖精か」


 私のほうを見てこんなことを言うもので、思い切りうろんげな眼差しを向けてしまった。だってふざけているなら失礼だし、本気で言っているなら頭が心配だ。なのに養父から「王太子殿下だ」と耳打ちされたものだから、あわててお辞儀をした。


 後で聞いた話では、「王宮の夜会には、妖精が出る」とうわさが流れていたそうだ。どうやら私がテラスに出ていたところを窓越しに目撃した人たちが「あれは妖精じゃないのか」と言い出したのが発端らしい。うわさの真相を確かめようと彼がときどき外を見回っていたところ、私に行き当たったというわけだった。王太子殿下みずから何をしておいでなのやら。


 そんなきっかけで知り合った後、ジョルジュは私を見かけるたびに声をかけてくるようになった。

 最初は「ずいぶん気さくな王子さまだな」としか思っていなかった私も、回数を重ねるうちにはジョルジュの目に宿る好意に気づくようになる。見目のよい王子さまに好意を示されれば、私だって悪い気はしない。読む本の話をしたりして、話題が合えばなおさらだ。


 ただしジョルジュは好意を態度で示すものの、具体的に言葉にするわけではなかった。だから私は困惑しつつ、相手の好意には気づいていないふりをしていた。


 とはいえ、十六歳の小娘でも気づくほどのあからさまな好意だ。周囲が気づかないわけがない。

 当然の結果として、王太子の妃の座を狙っているお嬢さまがたからの嫌がらせが始まった。

 中でも婚約者候補の筆頭だという侯爵家のお嬢さまは、なかなかに苛烈だった。


 いちいち突っかかってきては嫌みを浴びせていく。でもまあ、言葉で済ませるのは、まだおとなしいほうだ。

 しつけのなってない子どもみたいな、直接的な行動に出てくることまであった。やることの程度が低すぎて、びっくりだ。きっと爵位が下の者には何をしてもいいと思っているんだろう。


 後ろを通り過ぎる振りをしながらドレスのすそを踏みつけて転ばせようとしたり、軽食用の部屋からわざわざワイングラスを持ち出してよろけた振りをしてドレスにかけようとしたり。あなた、本当にお嬢さまなの?


 気の毒なことに、彼女の仕掛ける意地悪はとても成功率が低かった。

 すそを踏まれたときには歩みをとめて、周囲に気を遣ってすそをさばくような仕草で優雅に、でも実際には力いっぱいに踏まれたすそを引いてやる。一流の女優を目指す私には、これくらいは造作もない。こうすると、踏みつけたほうが足をとられてしりもちをつくことになるのだ。夜会ホールの真ん中で、はしたない姿をさらす羽目になっていたけど、同情はしない。


 ワインなんて、彼女は挙動が不審すぎるから余裕で避けられる。私が避ければ絨毯にしみをつくるか、誰か別の人が犠牲になるわけだ。あの見るからに値段の高そうな絨毯にワインをかけるだなんて、考えるだけでおそろしい。彼女、弁償したのかしら。


 そんなふうに彼女に絡まれている私を見て、ジョルジュは夜会の間ずっと私に付き添うようになった。

 それがさらなるやっかみを生むのだけど、とりあえず夜会の間の直接的な攻撃はなりを潜めた。


 夜会で王子さまに一目惚れされるなんて、まったくヒロインみたいよね。

 だけど、私が王道ヒロインだったのはここまで。


 この後に起きたある出来事から急転直下、凋落の一途をたどることになる。

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