第10話「王国の放棄」
クロガネ王国からの援軍は来ない。
その報せが伝えられ、一同は落胆の様子を見せる。
あるいは、淡く苦しい期待から解放されたためか、かえって楽になっているような者もいた。
「まあ、俺は最初からあんまり期待してなかったけどな」
と、皆の落胆に対し苦笑いを浮かべるダン。
彼はそれから珍しく深刻な表情で、
「だが、問題はその理由だ。どうやらこの非常時にクトー王国がクロガネ王国に宣戦布告をしやがったらしい。おかげで、クロガネ王国はその戦力をクトー王国との戦いに投じないといけない事になった。だから、こっちには援軍は出せない、と。つまりは、今どこもかしこもヤバい状況って訳だ」
ダンは国王として民に問いかけるように、
「さあ、どこに行きたい、お前ら? ミン王国やその他の近隣諸国に逃げ込めば、リリウミアとの戦いの最前線で盾にされるのがオチだ。クロガネ王国に逃げ込めば、クトー王国との戦いの最前線に投入される。他の場所に逃げ込んでも、ゴブリンなんぞゴミのような扱いを受けるに決まっている。あるいはいっそ、集団と言うものから離れて、はぐれ魔族として生きてみるか?」
ダンの言葉にクロガネ王国のゴブリン達は顔を見合わせる。
「俺はクロガネ王国に行く。この通り魔王なんで、最悪の待遇は受けない筈だ。だが、お前らは違う。一匹のゴブリンとして良くない扱いを受けるだろうな。俺の力じゃ、きっとお前達を守り切れない」
動揺が収まらないゴブリン達に背を向け、ダンは歩き出す。
「それでも、俺に付いてきたい奴は付いて来い。嫌なら、他に好きな場所に行け。悪いが、時間が惜しいんで、悠長に待つ事は出来ない」
それは、国王として無責任に感じられた。
国土を放棄したかと思えば、国民すら投げ出すとは。
国王失格……だが、不思議な事に、ゴブリン達はそんな王様の後ろに当然のように付いていく。
他に行く当てがないからだとか、そんな雰囲気ではない。
ゴブリン達から、ダンに対する確かな信頼が感じられた。
私はダンの隣まで駆け寄る。
彼がちらりとこちらを見遣ったので、目が合った。
「悪いが伝令を頼めるか、シロメ。今俺が言った事を、最前線の奴らにも伝えて欲しい。それと、もう戦わずにさっさと逃げ出しちまえと」
「分かりました」
ダンの頼み事に私は頷き、それから彼に続くゴブリン達の列に目を配る。
生き残った者達は、皆、躊躇いもなくダンに付いて来ていた。
「ダン国王って、不思議と国民に慕われてますよね」
「おいおい、不思議とって何だよ。まあ、お前が思っているであろう通り、俺は国王としては落第者なのは確かだがな」
ダンは「ははっ」と笑い、
「だが、この通り長生きの秘訣とやらを心得ているもんだから、”コイツと居れば”なんて思っちまうんだろうな」
確かに、ダンには何か他人を安心させるような雰囲気があった。
この人と一緒に居れば、死ぬことは無いだろうと思わせる、錯覚にも似た安心感があった。
「まあ、実際はそうでもないんだがな。俺と一緒にいた奴らは、だいたいが消えていなくなっちまう。そして、俺は消えていった奴らの事を偲んだりはしない。それが長生きの秘訣だとも思っているからな。だから、クロバの事も____」
と、その名前を口にした途端、ややダンの表情が曇ったような気がした。
ダンは何かを思考の中から追い出すように頭を振って、
「そんな事より、伝令頼んだぜ、シロメ。ほら、行ってこい行ってこい!」
「わっ」
ダンが私の背中を押して、早く行くように促す。
私は何か口に仕掛けたが、彼の少しだけ寂し気な表情を目にして、結局何も言わずに戦いの最前線に駆けていく事に。
凄惨なキャンプ地を抜け、グン王国への道中を往く私。
目的地に近付くにつれ、聞こえる戦闘の音が大きくなっていった。
伝令……取り敢えず、現場の指揮官らしきゴブリンを探し出し、ダンの言葉を伝えれば良いのだろうか。
破壊された建物が乱立するグン王国の街に足を踏み入れ、周囲を見回す。
戦闘の音は聞こえるが、それは突発的なものであり、騎士達が侵攻に慎重になっているのが分かる。
私は地理的な知識を元に、ゴブリン達が布陣しているであろう場所へと足を向けた。
私の勘は当たったようで、行く先に最前線で戦うゴブリンの一団を発見する。
「おーい!」
と、手を振りながらゴブリン達の元へ向かうと、向こうもこちらの存在に気が付いたようで、「おーい!」だとか「どうしましたー!」と手を振り返して来た。
「シロメ姐さんじゃないですか。どうしましたか?」
顔見知りのゴブリンが出迎えて来たので、私は余分な挨拶は抜きにして、
「ダン国王からの伝令がある____」
早々にそう切り出し、ダンからの言伝を口にする。
クトー王国が宣戦布告をして来た事、クロガネ王国からの援軍が来ない事、そして、戦線から離脱するようダンからの指示があった事。
兎に角、簡潔に要点を伝えた。
「戦線を離脱したら、後は好きにして良いって。ダン国王の後に付いていくか、それとも別の場所に身を寄せるか」
一通り伝え終え、私はふうと息を吐く。
それから、ゴブリン達を改めて見回し、人数的に他の場所にも残存兵が居る事を察する。
彼らにもダンの言葉を伝える必要があった。
「ここに居ない皆にも伝えて欲しい」
「ええ、お任せください!」
ゴブリンは頷くと、仲間達に向けて何事か叫んで指示を出した。
すると、ゴブリン達はまるで打ち合わせたかのようにせっせと辺りを動き回り、数分もしない内に”地下水道”の上空に花火が打ち上げられた。
暗闇の世界に、大きな音を周囲に響かせる大輪の炎の花が咲く。
私が目を丸くして花火を見上げていると、
「撤退の合図を出しました。これで、皆、戦線を離脱して国外に逃亡する筈です」
そう説明をしてくれるゴブリン。
どうやら、花火は撤退の合図らしかった。
大きな花火だったので、王国のどこにいても合図には気が付く事だろう。
これならば、皆無事に撤退を開始する筈だ。
私はゴブリン達に向き直り、
「……よし、それじゃあ、皆、早くこの場から離れ____」
「へへっ、そうはいかないよ!」
私が言い掛けたその時だ。
突然、陽気な少女の声がその場に響く。
「少なくとも、シロメ、君にはここに残って貰わないと!」
声の方に私達は一斉に向き直る。
そこに居たのは一人の騎士だった。
小柄で、それなのに大きな大剣を背負った幼い少女。
「……お前は?」
低い声で尋ねる私。
幼く可愛らしい見た目をしているが、少女は強者のオーラを身に纏っている。
決して油断してはいけない事だけは分かった。
「私? 私の名前はアニェス! 見ての通り、聖日騎士団の騎士さ! ああ、それと____」
アニェスは自身の胸元の太陽の意匠のペンダントを指差し、
「君の母親と同じ“剣聖”の称号を与えられているよ!」
「な……”剣聖”!?」
太陽の紋章を目にした事で魔族として若干の眩暈を覚える私。
しかし、そんな事よりも……少女が“剣聖”を名乗った事に動揺を隠せないでいた。
彼女が嘘を吐いているようには思えない。
だとすれば、目の前の騎士は母親と同様、騎士団でも最強格の存在と言う事になる。
私は腰元からダガーを引き抜き、
「お前一人で来たのか?」
【気配察知】のスキルで周囲に他の騎士達が存在しない事を確認し、私は尋ねる。
アニェスは片手で大剣を軽々と振り回し、にかっと笑顔を浮かべて、
「他に人がいると気が散って存分に戦えないからね!」
「……そう」
確かに、あれ程の大剣を振り回す戦いをするとなると、周囲の味方を巻き込んでしまう恐れがある。
だから、アニェスは常に単騎で敵に切り込む戦い方をしているのだろう。
それは理に適った戦法に思えるが……この私を相手に単独で挑んでくる行為は、失策としか言いようがなかった。
“剣聖”であろうが、所詮は一人のヒト族。
であれば、私の”支配”の能力の前には全くの無力。
大勢の騎士達を同時に相手にするのでなければ、この力で敵を完封する事ができるのだ。
「皆は先に逃げてて」
私はゴブリン達にそう指示を出し、アニェスへと歩み寄る。
「私はコイツを倒してから、すぐに後を追うから」




