第6話「インキュバス祓い」
数日が経過した。
あれ以来、アンリエットからの接触は無い。
それは平和で喜ばしい事なのだが、この静けさがかえって不安をあおる。
アンリエットが追及を止めたとは思えず、彼女は必ず次の一手打ってくると私は確信している。
それが来ない今が、とても不気味に感じられて仕方がない。
見えない影に怯える日々が苦痛だった。
〇
学校からの帰り道、私は日傘を差して歩きながら、ふと目線を上げる。
今日の天気は曇りで、太陽は姿を消している。日傘の必要もないぐらいだ。
これはとても不思議な事なのだが、私は曇りや雨の日よりも晴れの日____太陽が堂々と青空の中で輝く日が好きだった。
私はハーフインキュバスで、日光に弱い。
しかし、それでも、私は……太陽が好きなのだ。
晴れの日は気分も晴れやかになる。
それはきっと、私の半分がヒト族で出来ているからなのだろう。
太陽が大好きなヒト族の要素が私の半分を構成している。
だから、私は太陽に対するこの壮大な片想いを受け入れていた。
私がヒト族として生きている事を許されているような気がしたからだ。
太陽に片想いしている限りは、私はヒト族としていられているのだ。
「こんにちは、シロメ」
その声に私はびくりと肩を震わせる。
「……アンリエット……さん……」
目の前にアンリエットがいた。
いや、アンリエットだけではない。その周りを聖日騎士団の騎士達が囲っている。彼女の部下であろうか。
人数はアンリエットを含めて10人。
こんな大勢で、一体何事だ?
「貴方に用があって来たの」
迫りくるアンリエットに私は思わず後退りをする。
「そんなに怯えなくても良いでしょ? すぐに終わる用事だから」
アンリエットはそう言うと、懐から小瓶を取り出した。
小瓶____アンリエットが私に”サキュバス祓い”をかけてきた事を思い出す。
今度のそれは何だ? まさか、また同じ”サキュバス祓い”を私に試そうと言うのだろうか? 臭いのは勘弁だ。
アンリエットが騎士達に目配せをすると、彼女達は私の周りを囲い始めた。
私を逃がすまいとしているのだろうか。
「……ッ」
アンリエットが私の肩を掴む。
強引に引き寄せられる身体。
「……また、それを試すんですか?」
小瓶の口を向けて来たアンリエットに私は尋ねる。
怖かったが、毅然とした態度を取る。
「それ、”サキュバス祓い”ですよね? まだ、疑っているのですか、私がサキュバスだって。何度も言いますが、私は魔族ではありませんよ」
アンリエットは笑みを浮かべ、
「さあ、どうかしらね」
小瓶から液体が垂れる。
「試してみないと分からないわよ」
無色透明な液体が私の額に触れる。
ひんやりとした冷たさと____それに続く、癖の強い臭気。
「……!」
これは”サキュバス祓い”ではない。
臭いが違う。以前に嗅いだ、あの生臭さではない。
これは一体、何だ____
「……う____」
途端、視界がぐらつく。
妙な高揚感と浮遊感とが脳天から足先へと駆け抜けた。
未だかつて味わった事のない快楽の波が押し寄せ、その強烈さに混乱する脳が思考力を失う。
経験は無いが、これは恐らく、アルコールの酔いに似たものなのだろう。
気が付けば、私は日傘を放り投げて、地面へと倒れ伏していた。
顔を上げると、そこには凶悪な笑みを浮かべたアンリエットがいた。
「……やった」
不気味な笑みを顔に張り付け、わなわなと震え出すアンリエットは、おもむろに天を仰ぎ、
「アハハ! やった! やったわ! 実験は成功よ!」
半狂乱になって哄笑するアンリエットを私はじっと眺めていた。
耳障りな笑い声。
思考が思うようにまとまらず、私は自らその視界を閉ざした。
そんな私の耳元に____
「なるほど! シロメ、貴方、サキュバスじゃなくて____インキュバスだったのね! いえ、正確にはハーフインキュバスかしら? ねえ、そうなんでしょう?」
ハーフインキュバス____アンリエットはその言葉を、私の正体を確かに口にした。
何故だ? 何故、私の正体がバレたのだ?
「この液体はね、”サキュバス祓い”じゃないのよ。そうね、名付けるとするならば、”インキュバス祓い”と言ったところかしら」
勝ち誇るように説明するアンリエット。
「ヒト族の精液にはサキュバスに対する酩酊作用がある。それを倍増させた魔法薬が”サキュバス祓い”」
……知っている。
”サキュバス祓い”はヒト族の精液をベースに作られた魔法薬だ。
「私はね、精液にはインキュバスに対する酩酊作用が存在せず、代わりに愛液にその作用があると予想したのよ。そして、もし、精液の代わりに愛液を使って“サキュバス祓い”を作れば、それはインキュバスを酩酊させる効果を持つんじゃないかって思ったの」
私には”サキュバス祓い”が通じなかった。
恐らくだが、インキュバスと言う種族に対し”サキュバス祓い”は通じないのだろう。
もっと言ってしまえば、ヒト族の精液はインキュバスに対し、酩酊作用を持たないのだと考えられる。
では、こう考えればどうだろうか。
サキュバスは精液にではなく、異性の性的な体液に対し酩酊を示していた。
この法則をインキュバスにも適用すれば、インキュバスは異性の性的な体液____即ち、愛液に対し酩酊を示す事になる。
アンリエットの予想はかなり妥当なものであると言える。
事実、私はこうして酩酊状態にあった。
「まあ、かなり疑わしかったけど、私は貴方がハーフインキュバスじゃないのかって思ったのよ。予想に予想を重ねての実験になっちゃった訳だけど、兎に角、これで全て明らかになったわ」
私の身体を数人の騎士達が押さえる。
「シロメ、貴方は魔族で、リリウミアの、ヒト族の敵よ。貴方をバスティナ監獄へと連行するわ」
酩酊状態にある私は抵抗する事すら出来ない。
仮に、素面だったとしても、騎士達の拘束を解く事など不可能だったろうが。
「貴方だけじゃない。魔族の子を匿ったとして、貴方の母親、クロバも監獄へと連行するわ」
母親を?
……。
駄目だ。そんな事はさせない。母親だけには手を出させない。これは私の問題だ。私だけの問題だ。母親は関係ない。
私は何か言葉にしようとして、しかし上手く口が回らなかった。
そして____
”インキュバス祓い”が本格的に効いてきたのか。
私の意識はぷつりと途絶える。




