第41話「もう誰もいない」
残酷な事実に頭の中が真っ白になる。
血塗れのメリエの亡骸。
その絶望的な造形を脳が認識し____
私は獣の様な咆哮を上げた。
「メリエから離れろッ! 下衆女がッ!!」
「な!?」
私は感情のままに【紫電】のスキルを発動させた。
酔いのせいで照準が定まらない。
紫色の雷撃は、その高威力の破壊力をあらぬ方向へとぶつけた。
室内が揺れる。
一瞬だが、カーラが警戒の目をこちらに向けた。
「……びっくりしました。そんな状態でもスキルは使えるのですね」
カーラは額の汗を拭い、
「”インキュバス祓い”の追加を」
そう部下の騎士達に指示をする。
視界で騎士達が懐から筒を取り出すのが見える。
再び、”インキュバス祓い”を使用するつもりだ。
「……させるか!」
脳内で火花が散る。
私は目の前へと手を伸ばし____
本能的に”それ”を行った。
「____”止まれ”!」
そう命令する私。
次の瞬間、カーラの身体を中心に光り輝く私のインキュバス紋が展開された。
カーラだけではない。
一つ、また一つと、騎士達の身体を中心にインキュバス紋は展開される。
気が付けば、全ての騎士の身体がインキュバス紋に囲まれていた。
「!? ……なんですか、これ……って、あれ……」
カーラは顔をしかめ、
「身体が動かない……!」
インキュバス紋の中で身体をよじる仕草をするカーラ。
カーラを含め、全ての騎士達の動きが止まっていた。
……どうして、こんな事が出来たのかは分からない。
だが、私は、どうやってか、騎士達の動きを封じたようだった。
この力は一体____
「……もしかして、”支配”の能力」
インキュバスにそなわっているとされる能力の一つだ。
私は先程、”止まれ”と命令した。
その命令通り、騎士達は動きを止めているのだろう。
「くっ……小賢しい真似を……行けッ! あの魔族を噛み殺しなさい!」
カーラは苦悶の表情を浮かべながら、軍用犬に命令する。
「……! ”止まれ”!」
迫り来る軍用犬に、私は”支配”の能力をしようする。
が____
「……ぐうっ!?」
どうやら、犬には”支配”の能力が発動しないらしい。
軍用犬は私に飛び掛かり、床に押し倒した。
「……ぐッ……このっ……!」
肩口を噛まれる。
激しい痛みと共に血が噴き出すのが分かる。
私は歯を食いしばり、手を腰元のダガーへと伸ばした。
黒耀白牙____母親の形見であるダガーを握りしめ、その切っ先を軍用犬の首へと突き立てた。
あの時……フォレストタイタンと戦った時と同様に、ダガーは黒い光を放ち、
「離れろ____この犬畜生が!」
黒い光は鋭い一閃となって、軍用犬を貫く。
軍用犬は宙を舞い、その血を周囲にまき散らしながら床に落ちた。
「……はあ……はあ……ッ!」
身体が動く。
決して万全ではないが、立ち上がって歩く事が出来る。
「……よくも……メリエを……!」
私はダガーを手に、動かなくなった軍用犬の身体に這い寄った。
そして____
「よくも、メリエをッ! よくも、メリエをッ! よくも、メリエをッ! よくも、メリエをッ! よくも、メリエをッ! よくも、メリエを____」
手元のダガーで何度も、何度も、軍用犬の身体を突き刺した。
メリエを噛み殺した軍用犬。
その牙に付着する、恐らくメリエのものであろう血を認め、私の中で激しい憎悪が芽生えた。
その憎悪に駆られるままに、私はダガーを振るう。
狂ったように軍用犬を痛めつけていた私に、
「……止めろ……シロメ……!」
身体が自由になったロッドが【怪力】のスキルを発動させて、私の元に飛んでくる。
「……ぐっ」
「ロッド、大丈夫!?」
私の元に辿り着いた瞬間、ロッドの【怪力】のスキルは切れる。
そのまま地面に倒れ込みそうになるロッドだが、その身体を私が受け止める。
ふと、ロッドがダガーを握りしめる血塗れの私の手に触れ、
「止めてくれ……シロメ……」
「……」
私は無言でロッドとダガーと軍用犬の亡骸を見遣った。
ロッドが何かを訴えかけるように、私の手を強く握る。
それから____
「身体は動くか、シロメ?」
「……うん……万全じゃないけど」
たくさんの血を流したお陰か、”インキュバス祓い”による酔いが覚め始めていた。
満足にとは行かないが、歩く事は出来る。
ロッドは私の答えに頷き、
「じゃあ……俺の事は置いて、早くここから離れろ……」
「……!」
ロッドの言葉に私は目を見開く。
「シロメ……俺はもう……駄目だ……だから、お前だけでも____」
「馬鹿言うな!」
ロッドの言葉を遮るように、怒鳴る。
「一緒に……ここから生き延びるんだ!」
私はロッドの肩を担ぎ、荒い息を吐いて歩き出す。
「絶対に、絶対に、生き延びるんだ!」
一歩、また一歩と、少しずつ前へと進む。
ロッドは短く小さな呼吸を繰り返して、私の身体にもたれ掛かっていた。
一歩、また一歩____やがて、暗い貨物室を抜け出し、廊下へと足を踏み入れる。
……これからどこへ向かうべきか?
分からないが……取り敢えず、外へ出よう。
「……すまねえな……シロメ……俺が不甲斐ないせいで……」
ロッドがぽつりと囁く。
すまないって……謝る事なんてないのに。
ロッドは十分に戦ってくれたのだから。
「なあ、シロメ……やっぱり俺は間違っていなかったんだ」
「……? どうしたの、急に?」
ロッドはかすかな笑みを浮かべていた。
「……心の何処かで、まだ疑ってたんだ……お前が俺達を騙しているんじゃないかって……お前はただ俺達を利用しているだけなんじゃないかって……でも____」
ロッドは一息ついて、
「お前がメリエのために苦痛に耐えている姿を見て……確信した。シロメはやっぱり”シロメ”なんだって。お前は俺の……俺達の知るシロメだ」
ロッドのかすれ声の中には安堵が混じっていた。
「最後にそれが分かって……俺は本当に幸せだ……」
「最後にって……何言ってるんだよ!」
思わず怒鳴る私。
「一緒に冒険者になるんでしょ! 大丈夫だよ、私達なら、この局面を切り抜けられる。困難はこれが初めてじゃないんだから。まずは、この船を降りて、何処かで身体を癒そう。それから、予定通りデントデリオンに向かうんだ」
「……シロメ」
「きっと、楽しい日々が待っている筈だよ。大変な事もたくさんあると思うけど、私達なら乗り越えていける。私とロッドとメリエの3人で力を合わせれば、出来ない事は何も無いよ」
「……なあ、シロメ」
「ロッドもさ、もういい加減メリエをからかうのは控えなよ。四六時中、喧嘩ばっかしてたら身が持たないよ。メリエも女の子なんだから、あんまりデリカシーが無い事言っていると____」
「聞いてくれ、シロメ!」
ぴしゃりと私の言葉を遮るロッド。
「……お前は半魔で……それは決して揺るぎない事実だ……だがな……お前の心には太陽がある……他人を思いやる事の出来る優しい気持ちと……他人を傷付けることに苦しみを感じる気持ちと……正しく生きようとする真っ直ぐな気持ちがある……だから、お前はヒトとして生きていける」
気が付けば、景色は開け、私達はデッキに足を踏み入れていた。
巨大な地下空間を見渡す私。
眼下には広大な水面が広がっている。
船は水しぶきを上げ、ぐんぐんと”地下水道”を進んでいた。
「シロメ……絶対に誰も殺すな」
デッキの中央部に差し掛かった時、ロッドが絞り出すような声を発する。
「憎しみで人を殺めるな。その瞬間……お前はもう、戻れなくなる」
船上で景色が次々と流れていく中、私とロッドの空間だけが停止しているような錯覚を感じた。
「……ロッド?」
ロッドが両腕を私の後ろ首に回してくる。
願うような抱擁が私を包み込み、
「いつまでも……俺達の知るシロメのままで……い……て……」
「……ロッド?」
「……」
「ねえ、ロッド!」
返事がない。
私は慌てて、ロッドの身体をデッキの上に横たえ、その頬に触れた。
冷たい肌の感触に私の息が詰まる。
私は手の震えを抑えるように深呼吸を繰り返し、それからすがるようにロッドの身体を揺さぶった。
「……起きてよ、ロッド」
ぴくりとも動かない親友の身体。
「……一緒に冒険者になるんでしょ……私とロッドとメリエの3人で……」
呼び掛けても、言葉は返ってこない。
「返事をしてよ、ロッド!」
息が詰まる様な静寂がその場を支配する。
私は呆然と膝をつき、ただロッドの身体を抱えていた。
その身体に、再び温かさが蘇る事を願って。
だが、その時は訪れない。
ロッドの身体は冷たいままで、そのまぶたが開かれることは決してない。
それを理解した時。
ロッドの死を理解した時。
私に出来たのは、ただ声を上げて泣き叫ぶ事だけだった




