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第2話「迷惑なアンリエット」

 白くて長い髪を持つ美しい少女。


 人は私の外見をそのように形容するらしい。


 100人いたら、その100人が私の事を美少女だと口にするのだろう。


 だが、私は女の子ではない。女の子の姿形をしているが、ハーフインキュバスで、つまりは男子なのだ。


 それと、皆、私の事を病弱だと思っているようだが、それもまた真実ではない。


 むしろ、私には人並み以上の身体能力が備わっていた。私は皆に病弱だと偽っているだけなのだ。


 ではなぜ、私は病弱の振りをしているのか。


 それは魔族である事を隠すためだ。


 たった数十秒。その短い間でも直射日光を浴びれば、私は眩暈(めまい)を起こして卒倒する。それは魔族特有の体質だった。


 日の光は魔族の弱点なのだ。


 日の光に弱いと言う体質自体を隠すのは困難であるので、病弱と偽る事で私は魔族である事実を誤魔化しているのだ。


 周りの者達に嘘を吐き、騙しながら、私はリリウミアで生きている。


 男子である事。魔族である事。そのどちらかがバレてしまえば、私はここには居られなくなるのだろう。





 段々と日が長くなって来た今日この頃、私は日傘を差しながら、自宅へと帰った。


 私と母親の二人で住む一軒家。聖日騎士団の副団長である母親はまだ帰宅していない。


 私はキッチンへと向かい、夕飯の準備をする事にした。


 しばらく野菜を包丁で切っていると、呼び鈴が鳴り、私は料理の手を止める。


 私が玄関口へと向かうより先に、やや横暴な足音が屋内へと入り込んで来て、


「お邪魔するわよ」


 こちらの許可もなく家の中に足を踏み入れ、応接間の椅子に我が物顔で腰を下ろす女性が一人、横柄な態度で私にそう告げた。


「なにぼーっと突っ立ってるのかしら? 貴方、客人に対してろくに挨拶も出来ないの? それと、飲み物」


「え? あ、はい……すみません」


 女性に睨まれ、私は慌てて頭を下げる。そして、急いで女性にお茶を出した。


「何よ、この安っぽいお茶は。それと、湯吞みじゃなくてソーサー付きのティーカップで出しなさいよ。そんな事も出来ないの?」


「す、すみません。今直ぐ別のものを用意するので____」


「いいわよ、もうこれで。私は寛大だから我慢して上げる」


 私は尊大な態度を取る女性に謝る事しか出来なかった。


 女性の名前はアンリエット。聖日騎士団の騎士だった。


 白地に赤のラインが入った騎士の制服がその証だ。


 アンリエットは私の母親クロバと同い年の20歳だったが、母親よりも先に聖日騎士団に入団しており、元々聖日騎士団の副団長は彼女だった。


 しかし、”剣聖”と呼ばれるまでに至った母親の台頭でアンリエットは後輩に副団長の座を奪われてしまう。


 そのため、アンリエットは母親を憎んでいた。


 親が憎ければその子まで憎いのか、アンリエットは私に対しても嫌悪を抱いており、事ある毎に大人げなく私に嫌がらせをしていた。


「母親と同じで無礼な娘ね、全く」


 そんな愚痴を漏らしながら、お茶を口にするアンリエット。


 無礼なのは、許可なく家に上がり込んだ上にお茶をせびる方なのではないか。


「あ、手が滑ったわ」


 そう言って、アンリエットは唐突に湯呑みを床に落とす。


 軽い音を立て、中身を周囲にまき散らす湯呑み。幸い、割れはしなかった。


「なに黙って見てるのよ。早く片付けなさいよ、これ」


 アンリエットは足元の湯呑みを指差す。


 手が滑ったなどと言ったが、絶対にわざと床に落としたのだ。私に対する嫌がらせだろう。


 逆らうと面倒な事になると思い、私は大人しく身を屈めてアンリエットの足元に転がる湯呑みを拾い上げ____


「……!」


 ふと、頭上に冷たい液体の感触を覚え、驚いて顔を上げる。私の目に飛び込んで来たのは、小瓶を傾けて中身の液体を私にかけるアンリエットの意地の悪い笑みだった。


「……くさっ!」


 前髪、額、そして鼻先まで液体が垂れて来たところで、私は鋭い生臭さを感じた。無色透明だが、液体は強烈な臭気を放っている。


 私は立ちあがって、袖で額の液体を拭った。


「手が滑ったわ」


 白々しくそう述べるアンリエットは、小瓶を手に握った状態のまま、私の様子をじっと観察するように見つめていた。


 改めて液体の臭いを嗅ぐと、その生臭さに鼻が曲がりそうだ。


 これは一体何の液体なのだろうか?


「……何も起きないわね」


 立ち上がり、身を乗り出して私の事を凝視するアンリエットは、何やら不満気にそう呟いた。


 そして____


「な、ちょっと、何してるんですか!? 止めて下さい!」


「良いから大人しくしていなさい!」


 アンリエットが私のシャツを掴み、無理矢理脱がそうとして来たので、さすがに抗議の声を上げる。


 ……何なんだ、一体?


 謎の液体を掛けてきたり、服を脱がそうとしてきたり……この人、ヤバい。


 アンリエットに抵抗しつつ、私はインキュバスの能力の一つ、”擬態”を使用する。


 私の身体つきは元々女性のそれに近いのだが、”擬態”を使用する事で一時的に完璧な女体を手にし、右太腿(ふともも)付近に存在するインキュバス紋を消す事が出来るのだ。


 これで、服の下の身体を見られてもハーフインキュバスである事はバレない。


 しばらく取っ組み合いを続けている内に、私のシャツは、その下のキャミソールごと無惨に破け、普段は隠している肌が露わになる。


 アンリエットは血走った目で私の身体をまさぐり、「無い!」と甲高い声を発した後、「こっちはどう!?」と私のスカートを引っ掴み、力任せに奪い取った。


 スカートを脱がされ、派手に尻もちをついた私。破れたキャミソールとショーツを纏うだけのその姿は、さながら暴漢に襲われた少女のそれだった。


 さながら? いや、今の私はまさに許し難い卑猥な暴行を受けている最中なのだ。


 裸同然の私の姿を見下ろすアンリエットは、不満気な表情をうかべたまま「無い? そんな筈は」と独り言を漏らす。


 恐怖に支配される心と身体。


 私は震える自らの身体を抱きしめながら、にじり寄るアンリエットの恐ろしい姿を見上げていた。


 怖い。


 涙目になる両目をぎゅっと閉じ、助けを呼ぼうとしたその矢先、


「何をしているの、貴方!」


 鋭い怒りの声が、私とアンリエットの間に割り込んで来た。


 その声に、そして、次いで現れた声の主の姿に、私は恐怖から解放される。


 聖日騎士団の騎士の制服を身に纏った麗人。白いボブヘアに青い瞳。華奢ではあるが、四肢(しし)の筋肉は力強く引き締まっている。


「……クロバ」


 アンリエットが忌々しそうにその名前を口にする。


 クロバ____聖日騎士団の副団長であり、”剣聖”であり、私の母親。


 最愛の母親は、今まで見せた事がないような怒りの表情でアンリエットを突き飛ばした。


「いたっ!?」


 壁に衝突し、痛みに顔を歪めるアンリエットは、気だるげな様子で母親に向き直り、肩をすくめて溜息を一つ吐いた。


 なんてふてぶてしい態度なのだろうか。


「説明しなさい。貴方、何をしているの。これは立派な犯罪行為よ。児童への暴行。それに住居侵入」


 私とアンリエットを遮る位置に移動しながら非難の言葉を発する母親。


 私を叱る時とは明らかに様子が違う。明確な敵意が母親の声には込められていた。


「あら、他人様を犯罪者扱いするの? 全く、つくづく無礼な女ね。それと、私は貴方の先輩よ。敬語の一つも使えない訳?」


「敬語を使わないといけないのは貴方の方じゃないのかしら? 私は貴方の上司よ。学校で習わなかったのかしら? 目上の者は敬えって」


「……なんですって」


 睨み合う母親とアンリエット。しばらく、沈黙が続いた後、


「まず、住居侵入なんて犯していないわよ。だって、しっかりとその子の許可を得たもの」


 アンリエットは平然と嘘を吐く。彼女は私の許可もなく勝手に家の中に上がり込んで来たのだ。


「それに暴行も冤罪よ。見てみなさい。その子、傷の一つも負ってないでしょ?」


「服がボロボロなんだけど」


 母親の指摘にアンリエットは馬鹿にするような笑みを浮かべ、


「それはその子が勝手にやった事よ。その子が突然、自分の服を破り出したの。貴方の子、頭がおかしいんじゃないの」


「わ、私は……そんな……!」


 全くのデタラメを言うので、反論しようとするが、舌が上手く回らなかった。


 母親は「大丈夫、分かってるから」と私に優しく頷き、再び険しい表情でアンリエットに向き直る。


「貴方が私を憎んでいるのは知ってる。だけど、この子は関係ないでしょ」


 じりじりとアンリエットににじり寄る母親。


「聞きなさい、アンリエット。私は貴方には寛大にして来たつもりよ。これまでに行われてきた貴方のつまらない嫌がらせについては全て不問にして来たし、無礼な言動の数々にも文句を付けなかった。私は本来であれば罰すべき貴方の行いの全てを見過ごして上げてたの」


 母親は家の中から追い出すように、再びアンリエットの身体を押した。


「貴方が可哀想だと思ったからよ。才能があって、その上で人の何倍も努力をして、ようやく手にした副団長の座を後輩に奪われた貴方に、私は引け目を感じていた。だから、私は貴方を許して来た。だけど、さすがにこれは度が過ぎるわ」


 いつの間にか、母親の気迫に押され、アンリエットは屋外まで自ら後退していた。


 強がっているようだが、アンリエットの憎しみの表情には母親への恐怖が隠れているのが分かる。


「警告するわ。私が貴方を許すのはこれで最後よ。次、私に……いえ、私達に何かしてみなさい。その時は____潰すわよ」


 ”剣聖”クロバの放つ怒気に、その怒りの矛先ではない私ですら足がすくんでしまう。


 アンリエットも母親と相対出来てはいるものの、恐怖で身体が震えているようだった。


「……生意気な女」


 悔し気にアンリエットは呟く。


「覚えていなさい、クロバ……貴方の事は絶対に……!」


 それを捨て台詞に、アンリエットは母親の前から立ち去った。


 迷惑千万な客人がいなくなった所で、母親は大きな溜息を吐き、私に向き直ると____


「ごめんね、シロメ」


 謝罪の言葉と共に、私を強く抱きしめる母親。


 母親の温もりに包まれ、私はこらえていたものが一気に解放されたのか、優しく締め付ける両腕の中で、声を上げて泣き始めた。


 12歳にもなって情けない。


 しばらくの間、何度も「ごめんね」と母親に言葉を投げ掛けられ、ようやく気分も収まって来た頃、母親は私の身体を放し、


「シロメ、アンリエットには他に何かされなかった?」


 私をあまり刺激しないように、慎重に尋ねる母親に、私は「大丈夫、他には何もされなかった」と言い掛け、


「……変な液体をかけられた」


「変な液体?」


 私がアンリエットの液体によって濡れた自身の頭部を指差すと、母親はそっと鼻を近付けて、その臭いを嗅ぐ。


「……この臭い……まさか」


 強烈な生臭さに顔をしかめつつ、母親は考え込むように自身の額を押さえる。


 何だろう。母親の顔がひどく青ざめている。それは、恐らくだが、嗅いだ液体の臭さだけが原因ではないように思える。


「もしかして……”サキュバス祓い”」


「お母さん?」


「あのね、シロメ、よく聞いて」


 真剣な表情で私の両肩を掴む母親。その鬼気迫る様子に、私は思わず呼吸を忘れてしまう。


「もしかしたら、アンリエットは貴方の正体に気が付いているのかもしれないわ」


「……え?」


「シロメがかけられたその液体、恐らくは”サキュバス祓い”と呼ばれるもの。サキュバスがそれを浴びると、お酒を飲み過ぎた酔っ払いのようになってしまうの」


 ”サキュバス祓い”なら私も知っている。


 その正体はヒト族の精液をベースにした魔法薬だ。


 ヒト族の精液にはわずかながらサキュバスを酩酊(めいてい)させる効果があると知られている。その酩酊作用を何倍にも増幅させたのが”サキュバス祓い”だった。


「アンリエットが”サキュバス祓い”をシロメにかけたのは、その正体を察してのことだと思うわ。幸い、”サキュバス祓い”を受けても、シロメは平気だったようだけど」


 つまり、アンリエットは私の正体に気が付いていて、それを暴こうとしたのだ。


 インキュバス相手には”サキュバス祓い”が通じないのか、それともアンリエットの使用した”サキュバス祓い”が不良品だったのか、私は液体を頭から被っても何の反応も示さなかったが。


「いい、シロメ、注意して。貴方の正体は決して悟られてはいけないの。もし、正体がバレたら、貴方は命を奪われるかも知れない」


 脅す様な口調で忠告した後、母親は「ごめんね、怖がらせるつもりはないの」と私を再び抱きしめた。


「大丈夫だよ、お母さん。私、もう12歳、もうすぐ立派な大人だよ。自分の身は自分で守るから、安心して。それに、怖い事があっても、私、頑張れるから」


 私は母親を安心させるようにその身体を抱きしめ返した。


 母親はいつも私を守ってくれる。


 だが、私ももうすぐ13歳。いつまでも母親の強さと優しさに甘えている訳にはいかない。


 どう言う訳か、アンリエットは私の正体を察していて、それを白日の下にさらそうとしているようだが、そうはさせない。


 私がハーフインキュバスであることがバレてしまえば、母親にまで危害が及ぶ可能性があるのだ。


 私自身がしっかりとしていなければ。


「料理は私が作るわ。シロメはお風呂で身体を洗ってきなさい。そのままだと臭いでしょう?」


 最後に優しく微笑むと、母親は私の肩を叩き、「ほら、いってらっしゃい」と風呂場の方へと押した。


 私は風呂場に行き着き、改めて液体の臭いを嗅ぐ。


 ……生臭い。


 これが、本当に”サキュバス祓い”であるのなら、この臭いの正体って……。


 アレ(、、)なんだよね。


「……うう……気持ち悪っ……」


 想像したら吐き気がして来たので、私は急いでお風呂を沸かして、汚れを洗い落とす事にした。

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