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第四話― カンフー少女VSハチャメチャトリオ(1)

 ハチャメチャトリオの三人が在籍する二年七組。彼らの教室から三つほど離れたところに、当たり前のことだが二年四組の教室がある。

 この二年四組では、ただいま一時限目の化学の授業の真っ最中だった。

 うるさい騒ぎ声や耳障りな物音もせず、水を打ったように静かな環境で行われている化学の授業。それにはそれなりの理由があるのだ。

「いいか? ここは次の定期テストで出すからな。もし間違いでもしたら落第確定だぞ。落第したくなかったら、ちゃーんと板書を写しておけよ。クックック」

 卑しい笑みを浮かべて生徒たちを脅しているこの化学の教師。

 鼻を突く薬品の臭いがする白衣をまとい、スチールウールのような髪の毛を頭に乗せて鼻の下にヒゲを生やした貧弱そうな男。彼のあだ名は“チョビヒゲ”という。

 チョビヒゲはニタニタと笑いながら、二年四組の生徒たちを蔑んだ目で見回していた。彼はこのように、生徒たちをいじめることに快感を覚える捻じ曲がった性格をした下劣な男なのである。

 そんな居心地の悪い雰囲気が漂う中、教室の後方の扉をガララッと勢いよく開け放つ一人の生徒。すかさず頭をペコリと下げたその生徒は、遅刻してしまったことを丁重に謝罪する。

「遅れてすいません。理由は寝坊です。以後、気を付けます」

 淡々とした棒読みで詫びるこの生徒。カンフースーツのような衣装を着こなし、おさげ髪を輪ゴムで縛った目の鋭い女の子であった。

 寝坊による遅刻という大罪、それなのに飄々とした生意気な態度、反省の色を感じさせないその振る舞いが化学教師のチョビヒゲの反感を買ってしまったようだ。

「ん~、おいフウウンガ、今何時だと思ってんだ? おまえの家には時計っちゅーもんがないのか?」

 嫌味ったらしい口調で、遅刻した女子生徒を執拗に罵るチョビヒゲ。相手が教師である以上、彼女は悔しさから唇を噛み、その嫌味にひたすら耐え抜くしかなかった。

「なー、フウウンガ。おまえは今日で何回目の遅刻だ? 今学期だけでもう十回は超えてるぞ、違うか、おい?」

 遅刻常習犯はもう救いようがない。チョビヒゲは女子生徒に落第の烙印を叩き付ける。居場所もないから、さっさと帰ってしまえ!とまで言い放つ始末であった。

 この横暴さに他の生徒はさすがに黙ってはいられない。遅刻してしまったクラスメイトを擁護しようと、二人の男子生徒がチョビヒゲの真ん前に果敢と立ちはだかる。

「ちょっと待ってくれ、先生。もうリュウコを責めるのは止めてくれよ」

「リュウコはアルバイトで睡眠不足なんだ。だから、許してやってくれ」

 女子生徒は苦しい生活環境を改善しようと日夜アルバイトに精を出しており、その代償として学業はどうしても疎かになってしまうという。

 クラスメイトたちが声を揃えて女子生徒を必死にかばうも、それに耳を傾けようとしないチョビヒゲ。部外者は黙っておれ!と叱責し、男子生徒たちを跳ね除け彼女のことをこっぴどく糾弾し続けるのだった。

「おまえはカンフーとか物騒なもんを使うせいか、どうも粗暴で野蛮でいかんからなぁ。いっそのこと、おまえは学校辞めちまって土木会社で薪を割る仕事でもしたらどうだ?」

「――なんだと!」

 これには女子生徒もカチンと頭に来たらしく、つい衝動的に備え付けの木製棚を手刀で破壊してしまった。不気味に笑う教師を突き刺すような目で睨み付ける彼女、今にも殴り掛からんばかりの形相だ。

 その反抗的な行為に腹を立てて、チョビヒゲは声を荒げて捲くし立てる。このまま停学になってもいいならこの俺をぶっ飛ばしてみろと、挑発的発言で少女の感情をさらに刺激した。

「ケッ、この根性なしめ! さぁ、どうした、やれるもんならやってみやがれ! ハッハッハ!」

『バキャッ――!!』

 それはあっという間の出来事であった。

 カンフー少女の渾身の一撃が炸裂し、チョビヒゲは無残にも教室のドアを突き破り、さらには廊下の窓すらも突き破ってはるかかなたへと飛んでいってしまった。

 紅潮した顔を静めるように、フーッと大きく呼吸をする彼女。悪びれる様子もなくポツリと独り言を呟く。

「ふー、すっきりした」

 この女子生徒こそ、カンフーを司る一触即発の地雷少女、二年四組に籍を置く風雲賀流子フウウンガリュウコその人であった。

 暴挙に出てしまった流子のことを至って冷静な目で見つめている男子生徒。先程、チョビヒゲに許しを請うた二人組だ。

「はぁ……。またやっちまったな」

「リュウコ、これで何回目の停学になるかね?」

 男子生徒の一人が教室備え付けの木製棚に視線を向ける。よくみると、先ほど破壊された場所とは別にもう二箇所、同じように壊された痕跡が残っていた。

「……アレ見る限り、もう三回目じゃねーかな」


* ◇ *

 翌日のこと。ここは二年七組の教室内。

 教室の中に轟く大きな笑い声。珍しく始業前に登校していた拳悟と、遅刻皆無のクラス委員長の勝が身振り手振りしながら高笑いしていた。

 ストーリーの都合上ご推察通りかも知れないが、この二人が笑っていたわけとは前日に巻き起こった二年四組のドタバタ劇のことについてだ。

「いやはや、やってくれちゃったな。これで今学期三回目だってな」

「しかもよ、やられたのがあのチョビヒゲなのもさらに笑わせてくれるよな」

 笑い話をしている二人をよそに、教室内にさわやかな笑顔で入ってくる女子生徒がいた。紺色のブレザーにスカート、薄青色のリボンをかわいらしくあしらった由美である。

 彼女はすれ違いざま、クラスメイトの勘造や志奈竹たちと元気よく挨拶を交わす。そして、自らの席までやってきて拳悟と勝にもおはようと清々しく声を掛けた。ところが、男子二人は何の反応も示さない。

 プププ……と口から息を漏らして体をプルプル震わせている彼ら二人。どうやら笑いを堪えているような様子だ。

「…………?」

 由美はしばらくその様子を見ていたが、もう一度挨拶をしようと思った矢先、とうとう耐え切れなくなった拳悟と勝は込み上げる笑いの衝動を一気に放出した。

「やっぱり笑えるわ、わっはっはっは!!」

 拳悟と勝の突然の大爆笑に、由美はびっくりして思わず足を滑らせて転んでしまいそうになる。

「ど、どうしたんですか、二人ともそんなに大笑いしちゃって?」

 お腹を抱えて笑っていた拳悟と勝の二人は、唖然とする由美の存在に気付くと目元から落ちる笑い涙を手で拭った。

「おお、ユミちゃん、おはよ」

 朝の挨拶をしてきた拳悟と勝に、由美は改めて爆笑していた理由について尋ねる。すると、たいしたことじゃないと彼らから思わせぶりにはぐらかされてしまった。

 彼女にしたら、あれだけの大笑いを目の当たりにして気にならない方がおかしいだろう。彼女は興味津々の顔つきで少しでもいいから教えてほしいと、まだ笑いを堪えている二人に懇願するのだった。

「ははは、教えてもいいけどユミちゃんの知らないヤツのことだよ」

 ストライプ柄のYシャツの襟元に巻いた、ブルーのネクタイをクイッと緩める拳悟。そうそうと相槌を打ち、光沢のあるミラーグラスにスカジャンを羽織った勝がそれに話を続ける。

「隠してるわけじゃないから言うけど、話のネタは二年四組にいる風雲賀流子っていう女のことさ」

「フウウンガリュウコ……?」

 その言いにくい名前に、由美は不思議そうにコクリと首を捻った。

 勝が語るに、その風雲賀流子という女子はカンフーの使い手で二年生の中でも一目置かれており、勝気で男勝り、ちょっと頭に血が上っただけで暴力を振るう危険人物なのだという。

 そんなデンジャラスな彼女が前日の朝、教師の一人をぶっ飛ばして停学処分になってしまったのはもうご承知の通りであろう。

「えー、その女の子が停学になったことがおかしかったんですか? それはあまりにも失礼だと思いますよ」

 ついつい優等生ぶって苦言を呈してしまう由美。これまでの学生生活で、停学を身近に感じたことのない彼女らしい発言だった。

「いやいや。それはそれで笑えるんだけど、それ以上に笑えることがあるんだ」

 それ以上に笑えることとは何か?カンフー少女の必殺の一撃で、哀れにも校舎から追放されてしまった教師チョビヒゲのことであった。

 陰湿で執念深く、根性のへん曲がった教師の惨めな姿を想像し、拳悟と勝の二人はざまーみろとばかりに嬉しそうにケラケラと高笑いしていた。

 転校してからまだ一ヶ月半ほど。そのチョビヒゲと呼ばれる教師に由美は顔と名前が一致しなかったようだ。

「この前の自習の時に顔出したヤツだよ。ひねくれたパーマかけて、やたら人を小バカにする陰気臭いオッサンさ」

「あ、何となく覚えてます」

 そんな会話が展開されている頃、学校の前庭には、頭に包帯をグルグル巻きにして松葉杖をつきながらフラフラ歩く一人の教師がいた。

 登校途中の生徒たちに嘲笑されて後ろ指を指されている彼は、ひたすら悔しそうに歯ぎしりしながら噛み付くような視線を周囲に撒き散らしていた。


* ◇ *

 あっという間にその日の放課後である。

 せっせと教科書をカバンに片付けた由美は、慌てる様子で別れの挨拶も疎かに下校しようとしていた。そこへ声を掛けるのは、待望の放課後を心から喜んでいる拳悟であった。

「おや、ユミちゃん、そんなに急いでどーしたの?」

「帰りに夕食のおかずを買って帰らないといけないんです」

 アパートで姉と二人暮らしの由美。夕食の支度は姉の役目だが、食材調達や雑用などは妹である彼女の役目でもあった。

 これは姉の仕事が早く終わることが前提であって、彼女が残業で帰宅が遅くなったりする場合はお惣菜や出来合い弁当で済ますことが大半だという。

 今日たまたまアパートの近所のスーパーで安売りがあるらしく、少しでも家計を助けようと早く電車に乗ってそこに立ち寄りたい。それこそが、由美が慌てて下校を急いでいる真相なのであった。

「というわけでケンゴさん。さようなら」

「はいよ。あんまり慌てて走って不良にぶつかったりしないようにね~」

 それから十数分後、拳悟が予言した通り不良にぶつかって波乱の騒動に巻き込まれることなど、この時の由美は知る由もなかった。


* ◇ *

 ここは矢釜中央駅の付近にある駄菓子屋である。

 この駄菓子屋、子供たちの目を引こうとお店の軒先にビデオゲーム機なんぞを設置していた。これをダシにガキを集めて、ついでに駄菓子も買わせようという見え透いた魂胆だったわけだが。

 今日も思惑通りにビデオゲームにつられてやってきた子供たち。ところが、その子供のお楽しみを独り占めする一人の高校生がいた。

「ねー、そろそろボクたちにもゲームやらせておくれよー」

「うるせーな、ガキども! もう少しでクリアなんだ。どっか向こうへ行きやがれ!」

 不平不満を口にする子供たちに、その高校生は年甲斐もなくゲームに熱中しながらガラの悪い文句を吐き捨てた。

 少々トッポい風貌の彼は、ゲームオーバーになるたびにコインを投入しゲーム機を自分一人で独占してしまっていた。これには、ゲーム目的に集合した少年たちもすっかり半泣き状態であった。

 そんな矢先、高校生の背後に迫ってくる一つの影。その人物は与太った声を投げ掛けて、ゲームに夢中になっている高校生の肩をポンと叩いた。

「何だよ、こちとら忙しいんだ! ゲームやってんのが見えねーのか!?」

 邪魔するなと怒鳴り散らす高校生だが、後ろからいきなり首根っこを掴まれてしまった。そして彼は無理やり振り向かされる。憤慨している茶髪のメッシュの男の手によって――。

「呼んでんのが聞こえねーのか、テメェ! どーなんじゃ、コラッ!」

 茶髪の男の世にも恐ろしい怒り顔に、高校生はビクビクと震えて怯えてしまい、もうしません、お許しください!と泣き叫ぶのだった。

「あ、ああ、あの、ボクに何の御用で……?」

「用があるから呼んだんだろうが」

 許しを請う高校生から手を離した茶髪の男は、ニヤリと不敵に笑って土色に鈍く光る銅貨を差し出した。

「十円玉落としたぞ、このうっかり者めっ」

 それはただの落し物。高校生は思わず頭をカクンと振り落とし、その場でズッコけるようにつんのめってしまった。

 彼は十円玉を押し付けられるように受け取ると、泣きべそをかきながらゲーム機の傍から逃げ出した。満面の笑みの小学生たちから万歳三唱で見送られながら。

 茶髪の男はにやける口元に一本のタバコをくわえる。

 ふぅ~と吐息交じりに煙を吐き出した彼は、後ろで控えるリーゼント頭の男と赤毛の男のことを見やり一日一膳を感慨深げに自慢するのであった。

「フ~、落とした金を拾ってあげる。フッフッフ、俺というヤツはどこまで人格者なのだろうか」

 警察に届けて恩に着せることも考えたという彼。だが持ち前の良心が咎めたのか、落とし主に返還して喜んでもらう、いわばお互いにとって後腐れのない良策を選んだらしい。

 正義の心を貫いた男の晴れ晴れしい背中を仲間二人は冷ややかな目で見据えていた。もちろん、彼ら二人の心境は同感というよりも呆れ返っているといった方が正解だろう。

「ハッキリ言うけどよ、たかが十円を警察に届けるヤツなんて、ただのアホだぜ」

「ほっといてやれよ。コイツ、正真正銘、自他共に認める偉大なアホなんだから」

 奇しくも、高校生を追っ払う格好となってしまったこの男たちこそ、派茶目茶高校の変態番長こと碇屋弾。並びにアホな彼に冷静なツッコミを入れる悪友ノルオとコウタの二人組であった。

 この変態番長、ただいま停学による自宅謹慎の身であるが、じっと家で寝転がっていられるわけでもなくブラブラと世のため人のために街中を見廻りしていたというわけだ。

 今日もこれから意味もなく、行く当てもなく、矢釜中央駅付近の街路をうろつくところだった。というわけで、彼ら三人は肩で風を切って颯爽と歩き出した。

「フッフッフ。このつまらねー停学期間も、もうじき終わる。そうすればまた白鳥のように大空を自由に飛び回ることができるのだ」

 朝六時に起床、ラジオ体操第一から朝が始まり、午前中から本屋で偉人伝を読み耽り、午後は午後でご近所の赤ちゃんのお守りと、それはもう窮屈な毎日を過ごしていたという番長。

 不自由な生活とようやくおさらばできる喜びに、彼は大空に両手をかざして白い歯を見せながら高笑いしていた。

「ケッ、何言ってやがる。毎日、自由気ままな生活しやがってよ。それなりに楽しんでたじゃねーか」

「まったくだ。自宅謹慎のくせして散々俺たちを付き合わせやがって。少しは反省でもしろってんだ」

 ノルオとコウタは仏頂面のまま、停学中の弾にふてぶてしく悪態を付いた。学校の下校時間のたびにアホ番長に呼び出されるものだから、その苛立ちときたら半端ではなかったようだ。

「フン、テメーらみたいなハンパもんに停学の侘しさがわかってたまるかってんだ!」

 文句一辺倒で後ろにいる悪友二人を睨み付けていた弾。彼はこの時、背後に気を取られるばかりに、正面の十字路から曲がってくる一人の少女に気付くことができなかった。

『ドッシ~ン』

 ――もうお気付きと思うが、拳悟が予言した通りに、その少女こと由美は不良こと弾とものの見事にぶつかってしまったのである。

「キャッ!?」

 由美は弾かれた勢いで、手にあったカバンすら放り投げて地べたにドシンと尻餅を付いてしまった。一方の弾もぶつかった反動のせいで、街路沿いにあるコンクリート壁に顔面を強打してしまった。

 打ち付けたお尻を擦りながら大慌てで起き上がった由美。急いでいたばかりに不注意だったと、ぶつかってしまった相手に黒髪を振り乱すほど頭を下げていた。

「ご、ごめんなさい。大丈夫ですか!?」

 弾は壁に張り付いた顔を引っぺがすと、これ見よがしに由美に凄んだ。しかも血まみれになった顔面で。

「こ、この無礼者がぁぁ~!」

 まずは止血が先だろ!と仲間二人からハンカチを投げられても、弾はそれを無視したまま、まるで悪役レスラーのような顔つきで由美にどんどん迫っていった。

 彼はその刹那、怖がる少女の面影にふわっと過去の記憶が蘇ってきた。

「おい、おまえ。あの時のお嬢さんじゃねーの?」

「……えっ?」

 ドキっと鼓動を激しくして、由美は迫り来る悪魔を涙目のまま見つめる。すると弾と同様に、彼女にも過去の忌々しい記憶が戻ってきた。

「あ、あなたはあの時の――」

 睨みを利かしている不良に向かって、由美は人差し指を突き立てて驚きの声で叫んだ。

「停学中のダンとかいう変態番長さん!」

 ズバリと言い当てられて、弾はズルッと足を滑らせて地面にすっ転んでしまった。後ろにいるノルオとコウタの失笑まで聞こえて、彼のプライドはすっかりボロ雑巾のようだった。

 とりあえず、後ろの二人にゲンコツをお見舞いした弾は、顔をハンカチで止血してから生意気な台詞を口走った由美にまたしても迫ってきた。

「このアマ~、言ってくれるじゃね~かぁ~」

 わなわなと全身を震わせながら、変態番長は眉毛を吊り上げて由美を逃げ場のない壁際へと追い詰める。

 この危機的な緊迫感に、彼女は恐怖のあまり声を失っていた。

 まさに一触即発のこの状況を固唾を飲んでハラハラしながら凝視しているノルオとコウタ。もう彼らにも、弾の狂気を止めることはできないだろう。

 おい!と怒鳴り声を上げた弾は、目を瞑って身構えた彼女にこれまたとんでもない爆弾発言を投下する。

「やっぱり、マジで惚れた♪」

 頬を赤らめる弾のときめきのポーズに思わずズッコけるノルオとコウタ。そんな二人を尻目に、彼は鼻息を荒くして泣き叫ぶ由美に襲い掛かろうとした。

「わっはっは! おまえはもう俺の女になるしかないのだぁ!」

「きゃあああ!」

 不良の不道徳で不純な魔の手が由美の身に降り掛かろうとしたその瞬間、空気を切り裂かんばかりの怒号が騒動の渦中に割り込んだ。

「そこまでにしておきなっ!」

 耳をつんざく尖り声に弾の動きがピタリと止まった。彼と仲間二人は突然のことに、顔をキョロキョロさせて周囲を警戒している。

「な、何ヤツだ!? 隠れておらんで姿を見せぬか!」

 弾は邪魔されたことに腹を立てて、時代劇風の言い回しで苛立ちを露にする。

 不良たちが焦りの表情を浮かべている中、交差点の片隅から颯爽と姿を現したのは正義のヒーロー……ではなく正義のヒロインであった。

 カンフースーツみたいな衣装、輪ゴムで留めたおさげ髪を垂らしたその女の子は、蔑むような細い目つきで不良たちのことを凝視している。

「か弱い女子相手にみっともないよ、ダン先輩」

「おお、おまえは派茶高のカンフーレディ、フウウンガリュウコじゃないか」

 不良たちの前に果敢と立ちはだかった彼女こそ、由美とは同級生にあたる二年四組の静かなる壊し屋、そうあの風雲賀流子である。

 その舌を噛みそうな言いにくい名前に由美は聞き覚えがあった。今朝、クラス委員長の勝から教えてもらった、暴力行為で停学になったばかりの女子のことだと。

 弾は割り込んできた主が流子だと知るや否や、ニンマリと笑みを零して由美のことを一方的に紹介し始める。しかもご迷惑なことに、しっかり自分の彼女だと言いふらしながら。

「……あの、勝手に彼女に決め付けないでください」

 由美のクレームなどお構いなしの弾は、停学者同士のよしみに、これから一緒に梅こぶ茶でも飲みにいこうと馴れ馴れしい感じで流子に誘い掛けてきた。

 その流子はというと、鋭い目を緩めて不気味なぐらいニッコリと微笑んだ。先輩からのお誘い嬉しいわ~と呟きつつ、彼女は弾のもとへじわりじわりと詰め寄った。

「なーんて言ってさ、このあたしがホイホイ付いていくわけ、ないでしょーがっ!!」

 彼女の鋭い目がギロリと光った瞬間、研ぎ澄まされたカンフーキックが閃光のごとく炸裂した。

『ドッカーン!』

 見るも空しく蹴り飛ばされてしまった弾。遠吠えを上げながら、彼ははるか遠くのかなたへとたった一人で旅立っていった。

 カンフー少女の次なる標的は、ポツンと残されている不良仲間のノルオとコウタだ。

「さあ、あんたたちも容赦しないよ! このあたしの白鷺拳をお見舞いしてあげるわ!」

 両手を広げて飛び立つように羽ばたかせる流子。その姿はさながら、美しく華麗に舞い上がる白鷺のようだ。それに恐れをなして、ノルオとコウタの二人はお助けを~と叫びながら逃げ惑う。

 由美が呆然としていたほんの十数秒間。流子はお得意の武術を如何なく披露し、不良たち三人をあっという間に追っ払ってしまった。

「怪我はなかったかい、あんた」

「あ、はい。……助けていただきありがとうございます」

 由美の様子を尋ねた流子は鬼のような形相から一転、穏やかで女の子らしい笑みを浮かべていた。しかし、由美の方は流子の攻撃的な印象が焼き付いていたのか、内心ビクビクしながらお礼の言葉を振り絞るのが精一杯だった。

「とても強くてびっくりしました。えーと、フンウンコさんでしたっけ?」

「フウウンガよっ! そんな臭ってきそうな名前してないわよ。ひっぱたくわよ、あんた!」

 奇想天外な天然ボケを繰り出す由美に、さすがのカンフー少女も憤慨し相手が女の子だろうが衝動的に手を振りかざしてしまいそうだった。

 ごめんなさいと、いたいけな少女に繰り返し謝られてしまっては流子も怒りを静めないわけにはいかない。どうにか生やした角をしまい込むと彼女は呆れるような嘆息を漏らした。

「あんたねー、そんな弱々しいから、さっきみたいなアホに狙われちゃうのよ。あたしみたいにもう少したくましくならないと」

「は、はあ……」

 納得するように相槌を打ってはみたものの、男性を遠くのかなたまで蹴り飛ばせるほどたくましくはなれないと心に思う由美なのであった。

 流子は少女のピンチを救うばかりか、親切にも由美が放り出してしまったカバンまで拾ってあげようする。ぶつくさと苦言を述べていても女性には心優しい性格のようだ。

「あれ?」

 由美のカバンを持ち上げるなり、何かに気付いたような声を上げた流子。彼女の見つめる先にあるもの、それは派茶目茶高校の名称が記された小さいステッカーであった。

「ああ、あんた、派茶高の生徒だったの。矢釜中央駅の傍だから、そうかなとは思ってたけど」

「はい。わたしは二年七組の夢野由美です」

 由美は恐縮しながら丁寧に自己紹介する。すでに流子についてクラスメイトたちから聞かされていたことを明かすと、流子は急にムスッとした顔で気のない返事を突っ返してきた。

「七組ってことは、どうせハチャメチャトリオのバカどもでしょ? あいつら、あたしについてろくなこと言ってなかったでしょ」

 首を横に振ってごまかしてみる由美だったが、戸惑いの表情を見透かされてしまったのか、嘘をついても無駄だと流子からお叱りを受ける羽目となってしまった。

「よし、決めたわ」

 思い立ったように両手をパチンと合わせた流子。それを見た途端、ドキンと心臓の鼓動が脈打った由美。

「助けたお詫びといっては何だけど、あんた、これからあたしとお茶に付き合いなさい。そこで、やつらがどんな話してたかゆ~っくり教えてね」

 不良から救ってもらった恩義は当たり前として、断ったらどんな目に遭うかわからない好戦的な少女からのお誘いとなれば、臆病者の由美に拒否権など発動できるはずもなかった。

「は、はい。こちらもお詫びと言っては何ですが、お茶の代金はごちそうさせてください」

「それは任せるわ。言っておくけど、あたしは恩の着せたつもりはないからね」

 ニヤリと微笑する流子に連れられて、由美は動揺を隠せないまま矢釜中央駅の傍にある喫茶店へと足を運ぶのだった。

 由美はこの時、ショックな出来事の連続のせいで夕食の買出しで急いでいたことが頭の中からすっかり飛んでしまっていた。

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