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第三話― サッカーという名の格闘技(1)

 五月に入り、五月晴れが続くお日柄のよいある平日。

 身支度を整えて、朝食をしっかりと摂って、これから学校へと通う女子学生が一人。

 派茶目茶高校に転校してから二週間ほど経過し、少しずつ学校や教室の雰囲気とちょっぴり幼稚な授業に慣れてきた夢野由美である。

 紺色のブレザーとスカートを着こなし、胸元から下がる薄青色のリボンが愛らしい彼女。光沢のあるカバンを握り締めて、いざアパートを出ていこうとした矢先。

「ユミ、忘れ物よ」

「あ! ごめんなさい、お姉ちゃん」

 姉の理恵に差し出されたピンク色の巾着袋。その中には洗濯したばかりの体操着が入っていた。

 派茶目茶高校では制服と同様に体操着も自由である。動きやすそうな衣類なら何でもいいのだ。由美はどうしたかというと、体操着においても引っ越す前に通っていた学校のものを流用することにした。

「本当におっちょこちょいね。今日から体育の授業が始まるんでしょ?」

 理恵の言った通り、派茶目茶高校の体育の授業は五月から始まるシステムなのだ。由美にしてみたら、本日の授業が新しい学校で初めての体育ということになる。

 由美はテヘッと舌を出してはにかむと、もう忘れないようにと巾着袋を背負うように右肩からぶら下げた。

「それじゃあ、行ってきまーす」

「行ってらっしゃい、気を付けてね」

 空は雲一つないほどの快晴だ。由美はそんな青空を見上げながら、今日もがんばろうと心に決めて学校までの道のりを歩いていくのだった。


* ◇ *

 ここは派茶目茶高校の二年七組の教室。

 一時限目が始まる前の休憩時間に、嘆くような声を上げて困惑している二人の男子生徒がいた。

「ギニャ~、今日は一時限目から体育じゃねーかよ」

「しかも困ったことに、今日は八組と合同だぜ」

 その正体とは、ミラーグラスの上の眉をしかめる任対勝と、あからさまにしかめっ面をしている関全拓郎の二人だった。

 彼らの前の席に座る由美が何か不都合でもあるのか尋ねてみると、すぐ隣にいた和泉麻未が代わりに答えてくれた。

「ほら、この二人は落第生でしょ。もうオッサンだから体力がないのよ」

「えー? 体力って、わたしたちと一つしか離れてないのに……」

 そんなわけねぇだろぉーと、麻未に怒気の混じったツッコミを入れる男子二人。それでもまだ愕然としている由美に、勝と拓郎は言い訳がましく真相を打ち明ける。

「いやね、ウチの学校の体育ってさ、かったるいっていうか正直言って面倒なんだよ、これがまた」

「面倒な上に、さらに今日の体育は八組と合同なんだ。だから、余計に疲れちまいそうなんだよ」

 お隣のクラスとの合同体育に、男子二人はこれ見よがしに嫌悪感を示していた。その合同体育を経験していない由美は、どういう意図なのか知る術もなくただ首を捻るばかりであった。

「どーする、タクロウ。見学すっか?」

「おお、そうすっか、スグル」

 勝と拓郎は情けない顔を突き合わせて合同体育をボイコットしようと企むが、その直後、麻未がそれを逃がすまいと及び腰の二人の腕に掴み掛かり銀色に輝く手錠をガチャッとはめてしまった。

「アサミ! おめー、なんてことしちゃってくれてんの!?」

「そもそも、おまえ、何でこんなもん学校に持ってきてんだよ!?」

 それは秘密ですわと、麻未は悪女っぽく麗しいウインクを零す。余談ではあるが、今日の彼女のハンドバッグには真っ赤なキャンドルも入っていたりする。

「ユミちゃん。あたしさ、これからこの怠け者を更衣室まで連れていくから」

 ギャーギャー喚く怠惰者を連行したまま、麻未は鼻歌交じりで教室を出ていってしまった。

 そんな彼女たちと入れ替わるように、ドタドタと慌しく教室に入ってくる男子がいた。ストライプのジャケットを羽織り、スカイブルーのネクタイを首に巻いたその男子は顔の汗を拭き取りながら由美のもとへと駆け付けてくる。

「ふぅー。何とか一時限目に間に合ったぜ。授業入る前からもう体育始めちまった気分だよ」

「おはようございます、ケンゴさん。走ってきたみたいですね」

 おはようと挨拶を返した拳悟は、火照った顔を手でパタパタと扇いでいた。

 普段の朝ならば、まずこんなに必死になって登校しようとはしない彼。それなのに、今日に限って汗をかいてまで一時限目に間に合わせようとした理由とはいったい?

「ケンゴさんは一時限目の体育、ちゃんと出席しますか?」

「へ?」

 由美からの思ってもみない質問に、拳悟はポカンと呆気に取られてしまう。

 彼はウルフカットの髪を掻きながら、そのために死に物狂いで突っ走ってきたのだと、ごく当たり前の答えを返すのだった。

「ユミちゃん、何ゆえ、そのような質問を?」

「あ、いえ。ケンゴさんは一つ年上なので、体力的に大丈夫なのかなーと思いまして……」

 照れ笑いを浮かべている由美を前にして、頭上にクエスチョンマークを二個ほど並べる拳悟なのであった。


* ◇ *

 ここは体育館の中にある男子更衣室。

 もうすぐ一時限目が始まろうとしている中、陰気臭く汗臭さが鼻につくこの更衣室に荒っぽく上着を脱ぎ捨てる勝と拓郎の姿があった。

 つい先程、手錠を外されたばかりの二人。いつか思い知らしてやると、彼らは麻未を名指しにしながら悪態を付いていた。

 そんな文句たらたらの二人のことを拳悟は呆れた顔で眺めている。いい加減往生しろと苦言を漏らしながら。

「オメェたち、さっさと着替えろよ。みんな、とっくにグラウンドに行ってるぜ」

「うるせーな! 俺たちはな、あの女に手錠掛けられて連れてこられたんだぞ。文句一つも言いたくなるだろぉがっ!」

 勝の怒りは頂点を極めている。ミラーグラスで隠された目も明らかに怒りに満ちているようだ。一方の拓郎はというと痛々しい手首を労わるように擦っており、その表情はすっかり意気消沈モードだ。

 拳悟にしたら、そんなこと知るかといった感じだろう。彼は口からぼやきの言葉を漏らしながらも、タンクトップの上に薄手のスポーツTシャツを着衣していた。

「だいたいよ、クラス委員長のくせにサボろうとしたおまえが悪いんだろうが」

「何だと? クラス委員長は授業サボっちゃダメなんか? 寄り道して帰っちゃいかんのか? サ店でチョコレートパフェ食べちゃあかんのか!?」

 そこまでは言ってないと反論する拳悟。チョコレートパフェだろうがフルーツパフェだろうが勝手に食ってろと、彼は溜息交じりでますます呆れるばかりだ。

「ケッ! 遅刻組のてめーが、体育の時だけちゃんと来るのはどーいう了見なんだよ」

 勝の捲くし立てる問いに、拳悟はニカッと白い歯を見せて力こぶを作ってガッツポーズをしてみせた。

「俺はスポーツ大好きだからな。走って転んで、そして這い上がる。それが俺たち若者の青春っていうヤツだろう?」

 頭脳がお留守なバカにも一つぐらい取り得があるものだ。勝が皮肉っぽい悪口を言い放つと、拳悟もお返しとばかりにすぐさま切り替えしてくる。

「そうだ、アホのくせにクラス委員長が務まる誰かさんと同じでな」

「何だと、てめぇ!? それは俺のこと言ってんのか、コラ!」

 喧嘩腰でいきり立つクラス委員長を拳悟は鬼さんこちらと嘲笑ってさらりとかわす。

 逃げる拳悟のことを追いかける勝。それを必死になって止めようとする拓郎。狭くて蒸し暑いこの男子更衣室で、喚き声が轟くやかましいドタバタ劇が始まった。


* ◇ *

 ハチャメチャトリオが暴れている頃、由美と麻未の二人は女子更衣室から出てグラウンドへ向かう途中だった。

 今学期最初の女子の体育授業は、噂では走り幅跳びらしいとのこと。麻未がそう語るや否や、ジャンプ競技は苦手だなぁと由美は眉を寄せて困り顔をしていた。

「……それはそうと、アサミさん。その格好で体育やるの?」

 由美が唖然としながら尋ねるのも無理はない。

 麻未の格好は、胸を強調するようなピチッとしたTシャツ一枚に太ももを露にするホットパンツといういでたち。これでは、体育の授業というよりはグラビアモデルの写真撮影のようだ。

「もちろん。せっかくのこのプロポーション、隠しちゃったらもったいないでしょ?」

 男子諸君の視線を釘付けにすることこそが魅力を持ち合わせた貴人の宿命なのだと、麻未は色っぽく茶色い髪の毛を掻き上げる。

 同い年とはいえ、見た目も考え方も大人ぶっている麻未に、由美は戸惑いながらも尊敬に値する憧れの眼差しを向けるのだった。

「ユミちゃん、ごめん。あたし、トイレでお化粧直していくから先に行っててくれる?」

 これから体育の授業だというのにどうしてお化粧直し……?と疑念を持ちながらも、由美は了解を示すように小さく頷いた。

 彼女は独りぼっちでグラウンドまで繋がる廊下を歩いていく。そんな彼女の横目に、すでにグラウンドに集合し始めていた生徒たちの姿が映った。

「あ、いけない。早く集合しなくちゃ!」

 さすがは優等生を絵に描いたような由美。周囲に迷惑を掛けてはいけないという気持ちの焦りか、彼女は慌てて歩調を速める。

 彼女はあまりに急ぐあまり、グラウンドへと連絡するアルミ製の扉の傍で三人の男子生徒とぶつかりそうになってしまった。

「あ、ゴ、ゴメンなさい!」

 由美の前に立ちはだかる男子生徒たち。彼らは少なくとも、彼女とは面識のない男子であった。

 真ん中に立つ男、大柄で筋肉モリモリのマッチョマンが黙り込んだまま彼女のことを睨み付けていた。それに恐怖を感じた彼女は、身構えるように縮こまってしまう。

 マッチョマンの脇にいた男子、髪の毛をビンビンに逆立てたキザ野郎がヘラヘラと笑いながら彼女に馴れ馴れしく話し掛けてきた。

「おやおや、カワイコちゃん。脅かしちゃってゴメンね。コイツ、無愛想なもんだから。悪いヤツじゃないからさ、俺のカッコよさに免じて許してやってくれないかい」

 ベラベラと調子に乗ってしゃべりまくるキザ野郎。それにどう反応してよいのかわからず、ただ相槌を打つことしかできない由美。

「体操着着てる、てことは、七組の女子、アルか?」

 もう一人の男子、弁髪に細い髭を蓄えた中国人が糸のような細い目で由美のことをジロジロと凝視している。

「あ、あの……」

 見覚えのない特異な連中に囲まれて、由美は動揺を隠し切れずに声を詰まらせていた。

 ほんの一瞬の沈黙の後、ボソッと口を開いたのはマッチョマンだった。

「……チクオ、いくぞ。敵がすぐそこで待っている」

「あいよ。チュン、いつまでカワイコちゃんに見惚れてる、ほれ、行くぞ」

 マッチョマンを先頭に、キザ野郎と中国人の二人は体育館内の更衣室へと向かっていった。廊下で呆然と立ち尽くす由美を一人残したまま。

(これから着替えるということは、あの人たち、八組の男子なのかな……?)


* ◇ *

 一時限目開始の時刻、八時五十五分をちょっぴり過ぎた当たり。グラウンドに集まった二年七組と八組の生徒を前に、体育教師の面倒くさそうな大声がこだまする。

「あー、本日の合同体育だがな、男子はサッカー、女子は走り幅跳びでもやってくれや。それぞれ適当に準備に取り掛かってくれ」

 女子がグラウンドの砂場の方へと散っていく中、男子はというとサッカーという走り回る種目にブーブーと不平不満を口にしていた。

 その集団の中へ、遅ればせながら登場するハチャメチャトリオ。

 クラスメイトの一員から本日の体育がサッカーと聞かされるなり、勝は怒鳴り口調で文句をぶちまける。

「サッカーだとぉ!? ジョーダンじゃねーぞ。こっちは深夜番組見過ぎて寝不足だっていうのによ!」

 口から文句ばかりの勝のもとに、同じクラスの桃比勘造と大松陰志奈竹の二人が早くも疲れた顔でやってくる。

「困ったことに、前後半の本格的な試合形式らしいっスよ」

「しかも、対戦相手は、あの八組ですからね」

 サッカーさることながら、八組と対戦することに難色を示している七組の生徒たち。果たしてその理由とはいかに?

「その理由はいたって簡単さ。大負けして吠え面かきたくねーからだもんなぁ? 七組の負け犬さんよ」

 群がる七組の男子たちに向かって、にやけながら毒づく男たちがやってきた。筋肉ムキムキのマッチョマンを筆頭に、トンガリ頭のキザ野郎と弁髪を垂らした中国人の三人組である。

 勝は眉を吊り上げて、あからさまに好戦的な態度で息巻く。

「言ってくれるじゃねーか、おい。毎回毎回、俺たちが泣きべそかくと思うなよ。八組のバカたれどもがっ!」

「何だと、このやろう! 弱いくせに、いきがるんじゃねーぞ、コラ!」

 勝とキザ男は罵り合い、お互いの般若のような怒り顔を近づける。二人は今にも、取っ組み合いの喧嘩でも始めそうな勢いだった。

 頭に血が上った二人を引き剥がす七組の拓郎、そして八組の中国人。戦闘こそ回避したものの、悪口のような口撃は激しさを増す一方であった。

 この一触即発の雰囲気の中、拳悟一人だけがニコニコしながら牙を仕舞いなさいと両者の間に割って入る。

「まーまー、落ち着きなって。この勝負はサッカーで決着をつけようぜ」

 若者は若者らしく、滑って転んで、そして起き上がる。そんな青春をみんなで楽しもうと、拳悟はいがみ合う両組の生徒たちをそう説得した。

 彼の言い分に同意したのか、今まで黙り込んでいたマッチョマンがウンウンと頷きながら呟く。

「……その通りだ。戦場はグラウンドの中。ボールは敵を打ちのめす弾丸だと思え」

 マッチョマンは表情を変えぬまま、怒り肩をゆさゆさと揺すってグラウンドへ足を踏み出していった。キザ野郎と中国人は置いてかれまいと、彼の大きな背中を慌てて追い掛けていくのだった。

「さて、丸く収まったところで、ちょっとばかし作戦会議でもやるか」

 拳悟の号令により、勝や拓郎、そして勘造に志奈竹といった七組の男子メンバーが輪を作って集結する。

 作戦会議の結果、まず前半戦は切り込み隊長の勝をリーダーに拓郎や勘造などが出場し、後半戦は様子を見ながら拳悟をリーダーとして志奈竹などが出場することでまとまった。

「よし、タクロウ。悪いけど、前半はおまえがキーパーやってくれ」

「おう、わかった。なるべくシュート打たせないでくれよな」

 ポジションを確認しながら、勝と拓郎は駆け足でグラウンドへと向かう。二人は気合を入れるように握り締めた互いの拳を突き合わせた。


* ◇ *

 一方の七組と八組の女子はというと、計測も疎かにわいわいと走り幅跳びを楽しんでいた。

 お遊び感覚でジャンプしている女子の中で、砂場を目指して熱心に跳ね上がる由美の姿があった。お尻に付いた砂を払い落としながら、彼女は二メートル七十八センチという記録に不満そうな表情をしていた。

 二回目の跳躍こそ、三メートルを越えてみせると意気込む由美。ところが、そんな彼女の手をいきなり引っ張る女子がいた。

「ちょ、ちょっとアサミさん、ど、どうしたの!?」

「いいから、いいから。ほら、男子のサッカーの試合が始まるよ」

 これからサッカー観戦の時間とばかりに、麻未は無理やり由美をグラウンドの方へと連れ出していく。

「ちょっと待って。わたしまだ一回しか計測してないよ」

「ああ、一回跳んだら十分だって。残りなんて一回目の記録と似たようなの申告しておけばいいんだから」

 由美は真面目な性格からインチキは良くないと当惑するも、麻未は気にしない気にしないといった感じで、体育の授業は肩肘張らずに気ままに楽しもうと進言する。

 長い物に巻かれろではないが、結局のところ、由美は無理やり押し切られる格好で麻未と一緒に男子のサッカー授業を見学する羽目となるのであった。

「ケーンちゃん。遊びに来たわよーん。ユミちゃんと一緒に」

「おいおい、アサミ。ユミちゃんをおまえの遊びに付き合わせちゃダメだろう?」

 拳悟は後半戦から出場のため、グラウンドのサイドライン付近でのんびり控えていた。そこへ合流する麻未と由美の女子二人組。

 まさに試合が始まるという雰囲気の中、グラウンドの中央へと視線を移した由美は、そこでつい先程声を掛けてきた特異な三人組を目撃した。

「あ、あの人たち。やっぱり八組の人たちだったんだ」

「ユミちゃんはお隣の男子のこと知らないもんね。それなら、あたしが簡単に紹介しておくわ」

 麻未が最初に紹介するのは、八組男子のリーダー的存在。タンクトップの下からモリモリの筋肉を強調し、パーマヘアに赤いバンダナを巻いたマッチョマンである。

「彼の名前は、知部須太郎トモベスタロウ。無口のくせに、時々爆弾発言するもんだから、“寡黙な核弾頭”とも呼ばれてるわ」

「そう呼んでるの、おまえだけじゃねーか?」

 拳悟のツッコミなど無視して、次はとんがった髪の毛を生やしてスラッとした細身のキザ野郎を紹介する麻未。

「彼の名前は、馬栗地苦夫バクリチクオ。自意識過剰なナルシストでね。まぁ、自分の自慢話ばかりする多弁な男よ」

 由美にだけ耳打ちしたつもりのその台詞が、どういうわけか春風に乗ってグラウンドにいるキザ野郎本人の耳に届いてしまった。

「よー、七組のエロス女子。そのカワイコちゃんに根も葉もないこと吹き込まないでくれよ!」

「……あんた、普通の人間か? どこまで耳ざといのよ」

 恐るべき地獄耳に呆れつつも、麻未は最後の一人となる中国人のことを紹介し始める。

「彼の名前は、中羅欧チュンラオ。正真正銘、四千年の歴史を持つ中国からの留学生よ。通信教育で拳法を勉強してる危険人物ね」

 主要人物の一通りの紹介を興味津々に聞き入っていた由美。まさか隣のクラスにもこれほどまで個性的な面々がいるものかと、彼女はただただ度肝を抜かれるばかりであった。

「あ、ちなみにあの連中、ケンちゃんたちと一緒で二年生二回目のアホだからね」

 余計なことまで紹介せんでいい!と、麻未のおでこを指で突っつく拳悟。

 そんなわけで、八組の猛者たちは同じ境遇にいるライバル。拳悟はそんな彼らを遠目に眺めながらバツが悪そうに照れ笑いを浮かべていた。

「いや、お恥ずかしい話だけどさ、これまでヤツらとの対決、五勝一敗で八組のダントツなんだよ」

「わたしたち七組が負けっぱなしというわけなんですね」

 拳悟や麻未、そして由美が見守る中、グラウンドではいよいよ七組対八組のサッカー対決が幕を開けようとしていた。先攻はジャンケンに勝った八組であった。

 センターサークル上に、ボールを足蹴にした須太郎とにやける地苦夫の二人が陣取る。

「……いくぞ、憎き怨敵ども。貴様らがその守るゴール、この俺の弾丸でこじ開けてやる」

 これが宣戦布告だと言わんばかりに、須太郎は七組が守るゴールに一本指を突き付ける。そんな戦闘兵みたいな彼に向かって、地苦夫はちょっぴり自制を促した。ここは戦場じゃないんだからあまりマジにならないようにと。

「おい、タクロウ。スタロウのヤツ、直接シュートしてくるつもりだぞ!」

「あの筋肉野郎、相変わらずムチャクチャなことするな」

 拓郎はゴールマウスの前で、中腰になって弾丸シュートに備える。それだけ、筋肉野郎の一撃が半端ない威力だと知っているのであろう。

 審判を嫌々やらされた体育教師が試合開始のホイッスル……のような口笛を吹いた。ここに、二年七組と八組の男子のプライドを賭けた壮絶なるサッカー対決の火蓋が切って落とされた。

「よっしゃ、一発かましたれ、スタロウ!」

 地苦夫のパスから始まったキックオフ。そのボールを足で受け止めた須太郎は、鍛え抜かれた筋肉をフルに発揮して渾身の力で右足を大きく振り抜いた。

『バシュッ――』

 蹴り出されたボールは風圧でひしゃげながら、七組の守備陣たちの横を猛スピードですり抜けていく。

 守備陣の誰一人も触れることができないまま、その弾丸シュートは拓郎がガードするゴール目掛けて突き進んでいった。

 あまりのスピードに、白と黒の模様すらはっきり見えなくなったサッカーボール。拓郎はゴールを死守するため、吹っ飛ばされまいと両足で踏ん張って迫り来る弾丸を胸と両手でガッチリと受け止める。

「よっしゃー、タクロウ、ナイスセーブだ!」

 七組のメンバーが安堵の息をつくのも束の間、そのメンバーの一人である勘造が勝に向かって大声で叫んだ。

「ス、スグルさん、あれを見てください!」

 ゴールキーパーの拓郎のもとに、全速力で駆け込んでくる一人の男。どういうわけか、彼はボールを持つ拓郎目掛けてトンガリ頭を剣山のように突き出したのだった。

 それにびっくりした拓郎はつい仰け反ってしまい、ボールを持ったままゴールラインの内側へ倒れ込んでしまった。

「ハッハッハ、ゴールだ! 一点先制だぜー」

 そのトンガリ頭の主である地苦夫が八組の先制ゴールを高々に宣言した。当然、それに納得できるわけもない勝たちが彼のいるゴールマウスへと駆け付ける。

「おい、チクオ! てめぇ、きたねーぞ、このやろう!」

「言い掛かりつけるなよ、スグル! これも戦術の一つだろうが!」

 ボールを掴んだキーパーへの妨害はキーパーチャージで反則だ。そうクレームをつける七組に対して、キーパーにはいっさい手を触れていないと反論する八組。

 数分間の言い争いの末、というよりも、やる気のない審判の独断と偏見で八組のゴールが認められる幕引きとなってしまった。

 この結果を了承できるわけもなく、完全に堪忍袋の緒が切れたリーダー役の勝、そして他の七組の生徒たち。さらにサイドラインの外で観戦していた由美もそれは例外ではなかった。

「あんなのひどい。あれは絶対に反則だわ! はっきりいって許せない」

 八組のラフプレイに可憐な美少女は憤りを隠せない。それを宥めようとしたのか、麻未はポンと彼女の肩に手を触れて、これからがおもしろくなると不敵に笑った。

 女子二人がそれぞれの思いで見守る中、砂埃が舞うグラウンドでは七組の反撃が今まさに開始されようとしていた。

「そっちがそう来るなら、こっちもそれなりにやらせてもらうぜ!」

 勝は眉毛を吊り上げてミラーグラスを妖しく光らせる。戦闘態勢に入らんと、フォワードの勘造を始め他の七組の生徒たちがそれぞれのポジションに散っていく。

 審判の惰性な口笛と同時に、勘造はすぐさま待ち構えている勝にボールを回す。彼はそれを足でキャッチするや否や、それこそ鬼の形相で敵が守る陣地へドリブルで突進していった。

「行くぞ、このゲス野郎どもがっ!」

 猪突猛進に進軍してくる勝を目の当たりにして、地苦夫は突破させてなるものかと八組の兵士たちに怒号で迎撃指令を下す。

「おい、おまえら。あの暴れザルを止めろ! 半殺しにしてでも動きを止めるんだ!」

 その大号令により、八組の兵士たちは雄たけびを上げながら迫り来る敵の切り込み隊長を迎え撃つ。ところが、勝は両手を突き出してはその迎撃兵たちを一人、また一人と吹っ飛ばしていった。

「ボールに触れたヤツは容赦しねぇ! 覚悟しやがれ!」

 勝はどけどけ~と怒鳴り散らし、何人たりとも寄せ付けまいと見境なく両腕を振り乱していた。

 暴れまくる彼のことを見据える大きくも怪しい一つの人影――。

 その人影は大きな足音を轟かせて、まるで戦車のごとく重量級のパワーで切り込み隊長に襲い掛かった。

『ズドーン!』

「どごえぇぇぇぇ~!」

 ラグビーばりの凄まじい体当たりによって、勝は鼻血を撒き散らしつつその距離一メートル五十センチほど吹っ飛ばされてしまった。

 彼をぶっ飛ばした重量級の男こそ、派茶高のグリーンベレーと異名をとる八組の総隊長である須太郎であった。

「……チクオ、敵陣に走れ」

 須太郎はボールを奪い取るなり、七組の陣地に向かってボールを高い軌道で蹴り出した。それに応えるように、弧を描くボールの軌跡を辿りながら地苦夫は七組の陣地へと突き進んでいく。

 さすがは二人の息の合ったコンビネーション。須太郎からのロングパスは、ものの見事に地苦夫の右足にピッタリと収まった。

「おっし! ナイスパスだぜ、スタロウ」

 最も危険な男にボールが渡ってしまい、勝は地べたに倒れ込んだまま、鼻血も拭き取らずに大声を張り上げて守備陣に非常事態を知らせる。

「誰でもいいから、ヤツを止めろ! 絶対にシュートさせるんじゃねーぞ!」

 七組のリーダーの指示を受けて守備陣全員が警戒態勢を敷いた。しかし、地苦夫はニヤリと不気味に笑い、ドリブルだけでその包囲網を突破しようとする。

 その技巧的な足捌きと身軽な動作で敵を翻弄する彼は、守備陣を一人、また一人と、まるで赤子の手を捻るようにかわしていくのだった。

「ハッハッハ、この俺のドリブルを止められるヤツなんか、世界中のどこにもいやしないぜ!」

 地苦夫はどんどん七組のゴールへと迫っていく。試合を見守っていたギャラリーたちは、その緊迫した状況をハラハラしながら見つめていた。

「これはマズイな。チクオの運動能力は派茶高一と言われてるからね。伊達に頭がとんがってないよ、まったく」

「……あの、運動能力ととんがった頭は関係ないと思いますが?」

 ちょっとしたボケと、控え目なツッコミを交わす拳悟と由美の二人。

 二人がそんな会話をしているうちに、頭がとんがっている敵はついにゴール正面まで到達してしまっていた。キーパーである拓郎と一騎打ちの構図である。

「タクロウ、悪ぃけど、必殺技で二点目をいただくぜ」

「チクオ、言っておくが、もう卑怯な手は通用しないからな!」

 地苦夫は掛け声とともに、上空に大きくボールを蹴り出した。すぐその刹那、ボールの位置を見極めながら彼は意を決して高々とジャンプする。

「バカ野郎、必殺技って言っただろう!」

 空中で器用に体を捻らせた地苦夫は、一回転しながら勢いをつけて落下してくるボールをガッチリと右足で捉えていた。その不気味でトリッキーな様は、あたかも死神が鎌を振りかざすかのようだった。

「どこかのサッカー漫画みてぇなシュートするんじゃねー!」

 死神の鎌から振り放たれたシュートは、びっくり仰天する拓郎の頭上を通り抜けてゴールネットの片隅に突き刺さった。

 空中で素早く上体を立て直し、地苦夫はサッカー漫画の主人公のごとく地上に降り立った。そして、カッコつけるかのように逆立った髪の毛を手ぐしで整える。

「フッ。これが必殺“死神ボレーシュート”さ。俺の華麗なプレーをみてくれていたかな? カワイコちゃん」

 グラウンドの向こうで観戦している由美に、八組一のナルシストは自慢げなウインクを飛ばした。

 そのウインクを送られた由美はというと、恋心を揺さぶられることこそ当然なかったものの、プロ顔負けのテクニックに度肝を抜かれたことは言うまでもない。

 一方、グラウンド内でプレイする勝や拓郎、そして勘造は、もうこれ以上失点を許すまいと気合を入れ直す。しかし、他の男子たちは相手が強豪の八組ということもあり、どこかやる気が薄らいでいるように見えなくもなかった。

「今度こそ、こっちが得点をいただくぜ!」

 リーダーの勝は威勢のいい掛け声と一緒に走り出す。先程の二の舞にならぬよう、彼は慎重にパスで繋ごうと併走している勘造へボールをいったん預けた。

 それを見計らっていたかのように、八組の危険人物である中国人、中羅欧がスライディングタックルで迎撃してきた。

「そう、簡単に、行かせない、アルよ!」

 砂埃を吹き上げて滑り込んでくる中羅欧。このままでは、勘造はボールごと吹き飛ばされてしまうだろう。

「おい、モヒカン、ボールをこっちに寄こせ!」

 ボールをキープしたままの勘造は、ここは任せて攻めてくださいと特攻隊長の勝にそう声を掛けて、何か秘策があるのかボールを両足で挟み込んでいた。

「この俺のサッカーテクニック、とくとご覧あれ!」

 怒涛の勢いで滑り込んでくる敵を避けようと、勘造はボールを挟み込んだまま思い切りジャンプしようとする。……が、もともとジャンプ力のない彼が人間一人を飛び越せるわけなどない。

 その顛末がどうなったかというと、中羅欧と接触して複雑に絡み合いボールをキープできずに地べたに倒れ込んでしまうのだった。

「このバッカ野郎! 何がとくとご覧あれだ。出来もしないことで時間を潰しやがって」

 勝が憤慨している間に、こぼれ球となったボールは八組の雑魚たちにパスされてしまい、気付いた時にはペナルティーエリアに佇む巨漢男の足元まで辿り着いていた。

 ボールの上にでかい足を置いて余裕の笑みを零している須太郎。彼は自信を誇示するように、すぐにシュートを打とうとはしなかった。

 キーパーの拓郎の呼び掛けにより、七組のディフェンダーたちが一斉にゴールの正面に陣取った。これだけの防護壁があればきっとゴールは守れるだろう、彼はにわかにそう考えたのだ。

「……無駄だ、タクロウ。この俺の究極の弾丸で、そのゴールに風穴を開けてやる」

 捨て台詞をポツリと呟き、須太郎は渾身の力を込めて引き締まった筋肉質の右足を振り抜いた。

『バシュッ――』

 蹴り出されたボールはスピードに乗り、爆音を響かせながら七組が死守しようするゴール目掛けて飛んでいく。

 須太郎の宣言通り、彼の放った究極の弾丸はディフェンダーをことごとく吹き飛ばしてキーパーである拓郎の真正面まで迫ってきた。

「ぐおっ!!」

 拓郎は体制を低くし、その弾丸を何とか胸でキャッチした。ところがボールはまるで生物のごとく胸の中で激しく回転すると、その勢いのままに彼をゴールネットまで一気に押し込んでしまった。

「おっとっと。もう時間だわ。そろそろ前半終わりねー」

 こうして、八組に三点目が入ったところで体育教師のハッと思いついたような一声により、この試合の前半戦が終わりを告げるのだった。

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