第十五話― 夏休み 場外乱闘なアルバイト【後編】(2)
大衆食堂”えびすや”で乱闘騒ぎが続いていた頃、お店の方角へ歩いてくる一人の男性がいた。
黄色いヘルメットに作業着姿が土建業という感じで、年齢はまだ十代と思われるハンサムボーイ、これ見よがしにくたびれた顔つきをして手の中にある給料袋をまじまじと見つめていた。
「あれだけ働いても五万円とは。これからの一週間、これでどうにか生活しないとな」
疲労感たっぷりに、重たい溜め息を漏らしたハンサムボーイ。悩んでいても仕方がないと気を取り直して、彼は生活費の入った給料袋をポケットの中へ仕舞い込んだ。
そんな矢先、この近辺で人気のある大衆食堂の前に群がる人ごみを発見し、彼はふと両足を止めた。
行列ができるにしては時刻がずれているし、しかも人の並び方もどこかおかしい。ハンサムボーイは不審に思ったのか、帰路の途中ではあるがその人だかりの方へ方向転換した。
人ごみの先に何があるのか判別ができない彼は、野次馬の一人に声を掛けて事情を聞いてみることにした。
「おい、どうかしたのか?」
「喧嘩みたいだな。高校生らしいけど」
高校生の喧嘩に興味が沸いたわけではないが、どんな連中なのか気になったのだろう、ハンサムボーイは人ごみを掻き分けて顔を覗き入れてみた。
そこには四人の高校生らしき少年たちがいる。ミラーグラスを掛けた見知らぬ少年を取り囲むのは、不良っぽい風貌をした柄の悪い男子三人組。みんながみんな、殴り合いを演じたのか顔が傷だらけだ。
――その直後、ハンサムボーイが驚愕の声を漏らした。それはなぜかというと、勝のことを包囲している三人組の顔に見覚えがあったからだ。
(アイツら、何をしてやがるんだっ!)
ハンサムボーイの焦燥の目線と群集たちの好奇な視線に晒されている男子四人は、長丁場の喧嘩に発展してしまったせいか肩で息をしながら睨み合いを繰り広げていた。
特にミラーグラスの勝は、三人の不良たちを相手にしていただけに体力と気力の消耗も著しく、実際のところ立っているのがやっという状況だった。
それでも喧嘩上等。己のプライドを誇示するかのごとく勝は音を上げることはなかった。むしろ、一人ずつではなく三人まとめて掛かって来いと言わんばかりに闘志を剥き出していた。
そろそろ決着を着ける時――。そう願わずにいられないのは勝だけではなく、夜叉実業高校の三人組も同じだ。彼らの中の一人が拳を握って息を切らせながら大地を蹴る。
「ここらでトドメを刺してやるわ!」
「おお、やれるもんならやってみろ!」
『バキィッ!』
――ここで誰もが驚く唐突な出来事が起こった。
破壊音が耳に飛び込んだかと思うと、勝の目の前から不良の男子生徒があっという間に消えてしまっていた。その代わりに、黄色いヘルメットを被った見ず知らずの男が傍に立っていた。
殴り飛ばされた男子生徒、そして彼の仲間たちの顔色がこぞって青ざめていく。まるで、魔物にでも遭遇したかのように身震いしながら。
「ハ、ハ、ハンダさん――!」
ハンダと呼ばれたハンサムボーイがヘルメットを脱ぎ捨てると、さっぱりとした黒い髪の毛が顔に垂れ下がる。髪の毛の隙間からわずかに見える目が凶暴な悪魔のごとく鋭く光っていた。
「てめぇら、こんなところで何してやがる」
ハンダの凄んだ目つきと怒気を含んだ声は、夜叉実業高校の不良たちを完全に萎縮させていた。それはあまりにも凄まじくて、この事態がさっぱり把握できない勝をも震え上がらせてしまうほどだ。
喧嘩はもうおしまいだ。早々に立ち去るよう叱責された不良たち三人。ハンダに逆らえない彼らだが、店内にいるリーダー格を残したまま立ち去るなんて当然できない。
「じ、実は、店の中にオニタロウが……」
「何?」
男子生徒の一人が店内を指差すと、ハンダはその方向へ視線を移した。
無惨に破壊されている玄関のドア。店内からかすかに響いてくる鬼太郎らしき男性の怒鳴り声。ただならぬ事態を予測させる光景を目撃し、ハンダの表情に緊張が走った。
その時、大衆食堂の店内がどうなっていたかというと、胡椒の目潰しを食らった鬼太郎が奇声を発しながら猛獣のごとく暴れまくっていた。
下手な鉄砲でも数撃てば当たる。縦横無尽にパンチ攻撃を仕掛けていた彼だが、視界を失った拳はことごとく空を切り宿敵である拳悟を捉えることができない。
一方の拳悟も、鬼太郎のパンチが見境なく飛んでくるせいで無闇に接近することができず、決定打を打ち込むチャンスをなかなか作れないでいた。
いつまでも終わらないバトルの真っ只中、お客や従業員を押しのけてずかずかと乱入してくる一人の男性。この喧嘩の仲裁に入るためにやってきたハンサムボーイのハンダだった。
「おい、オニタロウ、もうやめるんだ」
鬼太郎の背後に近づき肩に掴み掛かるハンダ。それは、獰猛な獣を相手にちょっかいを出すぐらい危険な行為と言えなくもない。
ここで巻き添えを食らったら一大事――。いきなり現れた男性に拳悟がすぐに手を離すよう警告を発したが、鬼太郎はすでに振り向きざまに握り拳を振り上げていた。
「だ、誰だ、てめぇは!? 俺の邪魔するんじゃねぇ!」
「危ない、逃げろっ!」
拳悟の叫び声が店内に響いたかと思った瞬間、それをかき消さんばかりに鈍い音が耳を突いた。その音の正体とは、目にも止まらぬ速さで放出されたハンダのボディーブローであった。
ボディーに衝撃を受けた鬼太郎は、白目を剥いて頭をだらんと垂らした。そして、ハンダに寄りかかる体勢でそのまま気絶してしまった。
(な、何だ? まったく見えなかったぞ)
まさに電光石火の出来事に、拳悟は口を開けたまま絶句していた。声を失ったのは彼だけではなく、戦況を見守っていた由美や柚加利、さらにお客や従業員も同様だった。
ハンダの指示により、気を失っている鬼太郎を抱きかかえてお店から撤退していく不良たち三人組。恐る恐る逃げてゆく後ろ姿から、さっきまでの闘争心などすっかり消え失せていた。
事態の終息に安堵したのか、ハンダはホッと吐息を零してからクルリと方向を変えて拳悟のもとへと近寄ってくる。
「さっきの連中が迷惑を掛けてすまなかった。許してくれ」
不良たちが犯した非礼無礼をしきりに謝罪するハンダ。腰を折らんばかりの丁重なお詫びをされてしまい、拳悟も苦笑いを浮かべてただただ恐縮するしかなかった。
ハンダは作業ズボンのポケットから茶色い袋を取り出した。それは言うまでもなく、彼が汗水垂らして働いた報酬、つまりアルバイトのお給金である。
「ここに五万円入ってる。店の修理代金に回してくれないか」
拳悟はただのアルバイト風情、それを受け取る義務も義理もないところだが、ギャラリーの中に紛れていた店長の目配せから事情を察し、その弁償代金をありがたく頂戴することにした。
男子二人のやり取りを無言のまま眺めているアルバイト女子二人。拳悟が無事だったことに胸を撫で下ろしていた由美の隣で、柚加利一人だけは鬼太郎を一撃で粉砕したハンダという男に目を奪われていた。
それを不思議に感じたのだろう、呆けた顔でボーっと一点を見つめる柚加利に由美は頭を傾げながらつい声を掛けてしまった。
「ユカリさん、どうかしたの?」
「えっ? う、ううん、何でもないわ」
柚加利は赤らんだ頬を恥ずかしそうにごまかしていた。鬼太郎からの呪縛から解放されたこともあり、その心中はきっと安堵感に満たされていたに違いない。
成すべきことを終えたハンダは、店内にいる人たちにも丁寧に一礼すると駆け足で玄関から外へ飛び出していった。
彼と入れ違いでお店に入ってくる勝。謎の男の登場により一様の解決に至ったとはいえ、その心境は穏やかとは言えず複雑そのものだった。
「おう、ケンゴ、生きていたか?」
「まーな。おまえはずいぶんやられたな」
「仕方がねーだろ。俺は三人も相手してたんだぞ」
嵐が去った後の大衆食堂に、平穏という暖かみのある空気が久しぶりに戻ってきた。しかしながら店内は思いのほか荒れ果てており、しばらくの臨時休業を余儀なくされてしまうのだが。
お客らしいお客も去り、従業員たちが慌しく後片付けに勤しむ中、店内の隅っこには五万円の弁償代金を握り締める苦渋の面持ちの店長の姿があった。
「たった五万円では、ドアの修理代にも足りないぞ……」
「まーまー、店長。ないよりはマシでしょうよ。それより、俺たちへのボーナスも忘れないでくださいネ」
いくら損害保険が下りるといっても、二度に渡るお店の被害やら不良を追っ払ったアルバイト生への臨時出費やらで店長は頭を抱えて愚痴を漏らすしかなかった。
救急箱が置かれたテーブル席に腰掛ける勝と拳悟。彼ら二人は負傷した顔を由美から手厚く介抱されていた。
「それにしても、気になるのはあの男だな」
「あの男だが、連中からハンダと呼ばれていたな」
向かい合う彼らの話題といったら、やはり”ハンダ”という名の男のことだろう。ヘルメットと作業着という身なりからして自分たちと同じ高校生とは思えない。
だからといって、まったくの赤の他人がしゃしゃり出てくる場面とも言い難い。まかり間違えば、怪我の一つや二つでは済まない可能性もあるからだ。
夜叉実業高校の不良たちに関係があるように思えるが、果たして、あの謎の人物の正体とはいったい……?
「仮にも、デンジャラスカラーズのオニタロウを一撃で倒しちまうなんて、あれは並大抵の実力じゃねーぞ」
「ハンダ、ハンダ……。どこかで聞いたことのある名前なんだが、どうも思い出せないんだよな」
腕組みしながら唸り声を上げる二人を見るに見兼ねて、脱脂綿に消毒液を湿らせていた由美が余計なことと思いつつその会話に参加してくる。
「たぶん、あの人たちの学校の先輩じゃないですか。あの人たち、怯えるように小さくなってたし」
学校の先輩というキーワードに勝がピクッと反応した。その直後、彼は思い出した!と大声を張り上げる。
「あの男は、半田強だ。ほんの一ヶ月ほど前、教員を半殺しにして退学処分を食らったばかりの」
もし退学になっていなければ、夜叉実業高校の三年生だったはずの半田強。しかし彼は一年留年していたらしく、二年生である拳悟や勝よりも一つ年上であった。
さらに驚くべき素性が勝の口から明かされた。あの半田という猛者もデンジャラスカラーズのメンバーであり、その愛称が”紫昇龍”だということも。
「紫昇龍、半田強か……」
静かながらも山のようなあの存在感、そして風のような巧みな身のこなし。拳悟の脳裏を掠める、半田という男のハイレベルな格闘スタイル。
表情をにわかに険しくする拳悟。いくら対戦相手ではなかったとはいえ、恐るべき強敵となり得る男と急接近していたことに百戦錬磨の彼でも心の動揺を隠し切れなかった。
「まぁ、何はともあれ、これにて一件落着ってわけだな」
傷の応急処置も終わり、心を晴れやかにして席を立つ拳悟と勝。そんな彼らの向かう先とは、従業員としてテーブルの拭き掃除をしていた柚加利のところだ。
満面の笑みを浮かべて近づいてくる男子の臭気を感じたのか、彼女は後ろ向きながらゾクッと身震いしてしまった。
「さーて、ユカリくん。約束は忘れてないよねー?」
「いろいろプランを決めるからさ、ちょっと付き合ってもらうよ~」
「え! ……あ、でも、まだ掃除の途中だから」
後片付けの最中にも関わらず、にやける男子二人に無理やり連れていかれる柚加利。彼らの目的は語るまでもなく、不良を退治したご褒美である夜のデートのことだ。
「あれ、ケンゴさんたち、どこへ行くんですか?」
「ちょっとした用事さ。気にしない、気にしない」
何やら意味ありげな行動をする拳悟たちを目にして、一人だけ事情を知らない由美は独りぼっちの疎外感からか、ちょっぴり寂しげに首を捻るしかなかった。
それから一分後、密談には丁度いい休憩スペースへやってきた三人。
夜のデートが現実となり、拳悟と勝の表情がだらしなく緩んでいく。真に情けない話ではあるが、これも若さ溢れる青少年特有の欲情というやつなのだろう。
約束はちゃんと守ってもらおうか。勝の脅しみたいな一言に、いったい何のことかしら?と柚加利はとぼける素振りをして見せる。
これにはカチンと頭に来たのか、拳悟も勝も眉をしかめて声を張り上げる。嘘つきは泥棒の始まり、針千本飲ましてやろうか?と。
「確かに約束はしたけど、それは、あの不良からわたしを守ってくれたらという条件付きだったはずよ」
「だから、ちゃんと守ってやっただろう? アイツらを追っ払ったのをその目でしっかり見ただろーが!」
拳悟と勝の二人が負傷してまで夜叉実業高校の札付きのワルを撃退したのは紛れもない事実であり、助けてもらった側の柚加利も納得せざるを得ないことだ。
それを承知しているはずの彼女、ところが、彼女の言い分は拳悟と勝の二人を震撼させるものだった。
「とんでもないわ。わたしを守ってくれたのは、あの鬼みたいな不良を一瞬でやっつけてくれた、あのかっこいい人だもん」
柚加利の妄想の中には、ヒーローのごとく登場し、見事に悪を退治した王子様の顔が映っていた。その人物こそ、ハンサムボーイと呼ぶほど美男子な半田強である。
あの人とだったらデートしてみたい。夜景を見ながら語り合い、そして、静かなホテルの一室で……。彼女の妄想はいつしか、大人を夢見る願望にまで発展していった。
(――うっ、何だか嫌な予感が)
柚加利はその時、とてつもない身の危険を感じ取った。
妄想から現実へ戻ってきた彼女は、チラリと視線を横へ向けてみた。するとそこには、鬼よりも邪悪な形相をした鬼畜な男子二人が牙と爪を剥き出して今にも襲い掛からんばかりに凄んでいた。
「このアマ~、よくもおめおめと、そんなことほざきやがるな~!」
「こうなったら容赦しねぇ。てめぇを骨の髄までなめ尽くしてやる!」
後悔先に立たず――。これまでのこともデートの約束もみんな冗談だったと柚加利がすべてをリセットしようとしても、この展開となってはもう冗談では済まされない事態となっていた。
「あらら……。もしかして、あたし、貞操の危機?」
「このまま逃げられると思うなよ~~っ!」
休憩スペースの室内にこだまする少女の悲鳴。そして、男子二人の獣のような雄たけび。この三人の追いかけっこは、お店の従業員たちがやってくるまでの間しばらく続いたという。
ちなみに余談ではあるが、結局、柚加利とのお楽しみデートは夢と幻に消えて水泡に帰したそうな。




