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第九話― 体育祭シリーズ④ 傷だらけのヒーローたちへの応援歌(2)

 派茶目茶高校の体育祭で、午前の部の締めくくりとなる四百メートル競争。

 スターターピストルの音が轟くたびに、応援席から野次や激が騒音のように飛び交いレースは異常なほどに盛り上がりを見せる。各チームの順位が拮抗していたことも盛り上がる一つの要素だったようだ。

 一組、また一組とレースが繰り広げられていくうちに、順位争いはますます激化の一途を辿っていった。

 その結果の一つ一つが最終組に出走する各チームの選手に重く圧し掛かり、表情からもゆとりを消し去ってしまうのであった。

 いよいよ、プレッシャーの掛かる最終組の出走の順番となった。スタート地点にはそこにいるべきはずの拳悟と、そこにいるべきではない勝が張り詰めた空気の中で隣り合っている。

 七組チームの応援席の一部では、それを初めて知ってかガヤガヤとざわつき出していた。一方、それを知っていた拓郎や由美、そして他の仲間たちは落ち着いていられないのか胸がザワザワと騒ぎ出していた。

 スターターを担当する生徒が出走の準備を促すと、スタートラインに立つ選手各自がクラウチングスタートの体勢に入った。

 しゃがんだ姿勢のまま隣り合うライバル二人。険しい表情を見合わせることもなく罵倒や嫌味といった会話すらもない。彼らの胸中にあるもの、それは栄誉ある勝利とハンデとなる体調面の不安の二つだけだ。

(……ちくしょう。左足がまたうずき出してきやがった。何とかゴールまで持ちこたえてくれ!)

(……参ったな。目が霞んできちまった。こりゃゴールまで死ぬ物狂いで踏ん張るっきゃねーぞ!)

 勝と拳悟は萎えかけた気持ちを鼓舞すると、残された体力のすべてを放出し、男としての誇りをかけてこの徒競走を走り抜くことをここに誓った。

「位置について――」

 勝利のゴールを見据える彼ら二人。その出走を固唾を飲んで見守る七組チームの選手たち。そして、ただ野次を飛ばしたいだけのギャラリーたち。出走するその時を今か今かと興奮の面持ちで待ちわびる。

「よーい――」

『――パン!』

 大きな破裂音が鼓膜を刺激した瞬間、最終組の選手たちが一斉に走り出す。

 これまで幾多の競技で存在感を示してきた拳悟と勝、ここでも幸先のいいスタートダッシュを切るかと思いきや、先頭に踊り出たのは何と、ギャラリー全員の予想を裏切りまったく度外視されていた他のチームの生徒だった。

 そればかりではなく拳悟と勝はどんどん失速してしまい、いつの間にか最下位争いをするほどの順位まで後退していた。

 もう理由は言うまでもない。彼ら二人とも、不安視していた体調不良がこれ見よがしに襲い掛かってきたのだ。

 負傷した左足を引きずる勝と、エネルギー不足でフラフラと体を揺さぶる拳悟。どうやら彼らには、一等賞を狙えるどころか完走できる体力も残ってはいなかった。

 その異常な光景を目の当たりにして七組チームのメンバーたちに戦慄が走る。それはいつしか大きなどよめきとなりチーム全体に暗色の影を落としていく。

 拓郎たちクラスメイトは、拳悟と勝が抱えている肉体的苦痛を把握していただけに、一様に青ざめた表情で彼らの痛々しい戦況を見守るしかなかった。

 ここでついに、予想もしたくないショックな出来事が起こった。まるで力尽きたかのように、拳悟がグラウンド上にひざから崩れ落ちてしまったのだ。

「ケンゴさん――!」

 衝撃のあまり、由美は無意識のうちに彼の名前を声にして叫んでしまった。ドクドクと鼓動が激しく脈打ち、背中に冷や汗がじんわりと滲んでいく。

 彼女の眼差しの先にいる拳悟はというと、立ち上がることができないままグラウンド上にうつ伏せになって倒れ込んでしまっていた。

 体力のすべてを使い果たし、渇いた大地へ朽ちてしまったライバルの姿に隣のコースを歩いていた勝が気付かないはずがない。それをどう受け止めたのかわからないが、彼も歩く足をピタッと止めてしまった。

 ひれ伏してもなお、両手を地面に付いて必死に起き上がろうとする拳悟。しかし、気力すらも消耗が著しく支えている両腕にまったく力が入らない。

 もどかしくも踏ん張りが利かない哀れさに同情してか、いつしか応援席の喧騒が水を打ったように静かになっていた。どのチームの応援席も、放送席で控えている教師陣までもグラウンド上に倒れている拳悟に注目していた。

 そんな彼の近くにやってきたのは、左足の激痛で走ることもできずこのレースで一等賞という地位を捨ててしまった勝だ。

 彼は苛立たしい顔つきで、地面に伏しているライバルの情けない容姿を見下ろしていた。

「おい、ケンゴ。おまえらしくねーじゃん。いつものおまえは、そんなに根性なしじゃねーだろ」

 それは捨て台詞なのか、それとも彼なりの激励だったのか?

 息も絶え絶えの拳悟は歯を食いしばった顔を無理やり持ち上げて、仁王立ちしている勝のことを見上げた。

「……おめー、何してんだ? 俺にかまってるヒマがあるなら、さっさとゴールすりゃいいだろうが」

 それは理にかなっており、拳悟のことを置き去りにしてゴールすればライバル同士の対決で有終の美を飾ることができる。それを知っていても、勝はそこから立ち去ろうとはしない。

 ふざけるんじゃない!と、勝は鬼のように眉を吊り上げて悔しさを含んだ口調で怒鳴り散らした。

「おめえがこんなとこにぶっ倒れてるのに、俺がこのままゴールしたってちっとも嬉しいわけねーだろうが!」

 いくら勝利にこだわっていても、こんな一方的なワンサイドゲームではクラス委員長として、また一人の男として納得などできるわけがない。

 お互いが同じ土俵に乗っかり、同じまわしを締めて正々堂々と勝負するからこそ勝利した時の価値は大きいのだ。彼が言い放つ恫喝は、どんなにいがみ合っていても信頼のおける親友への励ましの言葉と呼べるものであった。

 彼は言いたい放題ぶちまけると、倒れている拳悟にそっと右手を差し出した。

「おまえがもし、俺と逆の立場だったらどうした? 嫌みったらしいこと言うだけ言って、こうやって俺に手を差し伸べたんじゃねーか?」

 口元を卑しく緩めてニヤリと笑った勝。拳悟にしたら、彼からの質問など考えるまでもない。男として認める仲間の汗ばんだ手を握り返すこと、それが答えに他ならなかった。

 思いっきり手を引っ張られて、もう少し優しくしてくれと文句を言いながらも、拳悟はどうにか起き上がることができた。

 四百メートル競走のコースには、もはや彼ら二人以外に誰もいない。それでもこの二人はリタイアなどせず、白いテープが切られた後のゴールを目指した。

 コースの上をヨタヨタと歩く二人に目を向けはするものの、すっかり賑やかさを失ってしまった各チームの応援席。それは、彼らが在籍する七組チームも同様であった。

 応援の声すら上げないその不甲斐なさに、拓郎は苛立たしさから語気を強めて叫び声を上げる。

「おまえら、何してるんだ! 二人のことを応援しろ、このバカどもがっ!」

 拓郎の叱責がこだまとなって響き渡り、七組チームの生徒たちはすぐさま応援メッセージを叫び始める。それが他のチームへも浸透していき、いつの間にかグラウンド上は拳悟と勝を称える大合唱となっていた。

 拳悟のことを応援する黄色い声。勝のことを励ますどぎつい叫び声。さまざまな応援歌が彼ら二人の傷だらけの背中を後押ししていった。

「どうした、ケンゴ。早く付いてこいよ。おまえ、ホントに負けちまうぞ?」

「へっ、余裕かましてると、いきなり追い越されちまうかも知れねーぞ」

 勝は左足をぎこちなく引きずり、拳悟は千鳥足のようにフラフラ歩く。この二人の決着は勝が一歩リードしたまま、ゴールまであと数十メートルのところまで迫っていた。

 気迫だけで闘いを続ける男子二人のことを複雑な胸中で見つめている由美とさやか。どちらにも勝ってほしい。でも、できれば……。彼女たちの顔色に、どちらか一方を応援してしまう揺れ惑う感情が浮かんでいた。

 応援席からこだまする声援がどんどん大きくなり、いよいよゴールまでの距離が残り十メートルを切った。

(……どうした、ケンゴ。てめえ、俺に負けちまってもいいのか?)

 勝のミラーグラス越しの視界に、ここまで熾烈な争いを演じてきたライバルの姿は映らない。それが左足の苦痛と重なり、彼のやり切れない焦燥をより強めていた。

 最後の踏ん張りとともに、勝は先にゴールラインへ足を踏み入れる。勝利という勲章を胸に刻みながら、激しい動悸のままその場にひざまずいた。

 四つん這いの状態で、咄嗟に後方へと顔を振り向かせる彼。その目線の数メートル先には、コースの途中でひざを付き、呼吸を乱して動けなくなった拳悟がいた。

(ケンゴ……!)

 勝は無理やり起き上がると、レースを途中棄権になり兼ねない拳悟のもとへ急ごうとした。ところが、そんな彼の腕をガッチリと掴む力強い手があった。

「お、おい、何しやがる――!?」

 向き直った勝は唖然とした顔をする。彼の腕を握り締めていたのは、レースの行方を冷静な面持ちで見守っていた、彼ら二人の理解者であり担任でもある静加だった。

「彼の気持ちになってあげなさい。最後まで諦めない姿を見届けることが、クラス委員長であるあなたの責任でしょう?」

「……シズカちゃん」

 静加と勝の二人が見届ける向こうで、拳悟は全身を震わせながら立ち上がろうとしていた。支える両手を大地に付き、踏ん張る足を地面に据えて、彼はグラウンドの上に堂々と起き上がった。

 七組チームの大歓声がグラウンド上を包み込んだ。女子生徒らしき黄色い声も、野次っていた男子たちのどら声も、そのすべてが顔も衣装も砂まみれになった拳悟ただ一人へと送られていた。

 割れんばかりの励ましの拍手で迎えられた彼は、途中リタイヤという憂い目に遭うことなく勝が待つゴールラインにようやく到着することができた。

「ちぇっ、負けちまったか。俺ももう歳かね、体力が落ちたもんだ」

「へっ、まだまだ青春小僧の分際で、何言ってやがる」

 お互い照れ隠しなのだろう、減らず口を叩き合う拳悟と勝の二人。

 順位こそ悪い結果でも、正々堂々と闘った健闘を称え合う彼らにとって大事なことはただ一つ、途中で投げ出したりせず最後までやり遂げたことにあったのだ。

 そんな青春小僧たちを見つめる静加は、担任という立場だけに呆れ顔をしたものの教え子のすがすがしい友情の形にクスリと微笑するのだった。

「スグル、俺の負けだ。おまえからの命令って何だよ?」

「まあ、待て、ケンゴ。それは応援席に戻ってからだ」

 勝はお楽しみは後でと言わんばかりに不敵に笑う。内心穏やかでいられない拳悟は、ここで不満など漏らせる立場でもなく彼と一緒になってすごすごと応援席へと戻っていった。

 勝利にあれだけこだわっていた勝が下す命令とは、いったいどんなことなのだろうか?


* ◇ *

「あ、ケンゴさんとスグルさんが戻ってきたッスよ!」

 勘造の大きな声に弾かれて、七組チームの生徒たちは一斉に視線を動かした。 四種目の対決を終えた二人のことを盛大な歓声と拍手で出迎える七組チームのメンバーたち。ブービー賞と最下位への激励だけに、彼らの照れ顔は気まずくて気恥ずかしそうだった。

 勝のファン第一号と自負するさやかは、勝利を手にした彼のもとへと駆け寄るなり、おめでとうと甲高い声で労をねぎらった。

 勝ち名乗りを上げた勝だけではなく、敗北を喫して冴えない顔の拳悟にも彼女は気持ち程度の気遣いを見せてくれた。

「ケンゴくん、がんばったけど残念だったね。これがスグルくんの実力ってこと。はい、ご苦労さまでしたー」

「棒読みすんなよ。おまえ、感情こもってないじゃん」

 さやかに冷たくあしらわれる拳悟であったが、彼のことを誰よりも尊敬するクラスメイトの女の子がいる。彼女は小さく微笑を零して、最後までやり遂げた彼にそっとタオルを差し出した。

「ケンゴさん、お疲れさまでした。どうぞ」

「ユミちゃん。サンキュウね」

 残念な結果に終わってしまったが、ゴールまで諦めなかった闘志に心を打たれたという由美はちょっぴり頬を赤らめて拳悟の努力を労った。

 力があと一歩及ばず、敗北感に気持ちが萎えていた彼。それでも、彼女からの心優しい励ましは悔しさを幾分にも和らげてくれたようだ。

 七組チームの一部の生徒、そしてクラスメイトたちが一同に集結し拳悟と勝のことを輪になって取り囲んでいた。まるでこれから胴上げでも始めそうな意気揚々とした雰囲気だ。

「おいおい、おまえらちょっと待て。みんなで盛り上がるのはチームの総合優勝が決まった時だ」

 勝は七組チームのリーダーとして、午後からの後半戦も気合を入れて臨むよう、ここに集いしメンバーたちのやる気を奮い立たせた。チームの士気をより高めるため、拳悟にその人柱になってもらうと言い放ちながら。

「おいおい、そりゃいったいどういう意味だよ?」

「なーに、簡単なこった。俺からの命令、それは、この俺の拳を受け取ってもらうことだ」

「はぁ? 意味わかんねーよ」

 勝は拳をグッと固めると、後ずさりする拳悟のもとへじわりじわりと近寄る。

『ゴツッ!』

 鈍い打撃音が鳴り響き、拳悟の頬に容赦ない鉄拳が打ち付けられた。思った以上に威力があったのか、彼は勢いのままにふらついてグラウンドの上に尻餅を付いてしまった。

「あ、ケンゴさん――!」

「おい、スグル。おまえ、どうして!?」

 突然の鉄拳制裁に、由美や拓郎は唖然としてしまい二の句が継げない。他の生徒たちもびっくり仰天して、みんな一様に押し黙ってしまっていた。

 ここにいる誰よりも驚いていたのは、負けたペナルティーとはいえ意味もわからず殴られた当人である拳悟のはずだ。地べたに腰を下ろしたまま、彼はしばらく身動きを取ることができなかった。

 こだわり続けた勝利を手に入れて使命も果たせた達成感というやつか、勝の表情だけはすっきりとさわやかであった。

「これで俺のもやもやも解消したし、おまえも俺の一撃で負けちまった悔しさもすっ飛んだだろ?」

 その意味ありげな一言に、頬を赤く腫らした拳悟は呆気に取られる。

 七組チームを牽引するのは自分だけではない。目の前にいる勇希拳悟という人一倍タフでど根性の持ち主の存在も必要不可欠なのだ。

 心残りもわだかまりも振り払った自分たちが息を合わせて後半戦の団体競技に挑むことが、チーム全体の戦意を高めて強いては順位を浮上させるきっかけになるのだと、勝はチームリーダーらしく誇らしげにそう語った。

 勝の駆け引きじみた思惑を察した拳悟は、呆れたように溜め息交じりで苦笑する。彼はゆっくりと起き上がると、リーダーの得意げな顔にビシッと人差し指を突き付けた。

「おし、そこまで言うなら、とことんやってやろうぜ。七組チームを絶対に優勝させてやるぞ!」

「おう! おまえみたいな青春バカは、やっぱりそうじゃなきゃな。このあとも気合を入れろや」

 拳悟と勝の二人が気迫を込めると他の生徒たちも一斉に気勢を揚げる。拳と拳を重ね合ったり手のひらでハイタッチしたりして、それぞれが後半戦に向けて闘志を呼び起こさんとしていた。

 仲間たちが盛り上がっている中、誰にも聞こえていないであろう小声で会話する拳悟と勝の姿があった。

「……それはそうとよ。いくら俺をたきつけるとはいえ、グーで殴ることなかったんじゃなくね?」

「ああ、あれはな。さっき、おまえに散々悪口を言われたお返しだ」

「おまえ、何やかんや偉そうに言ってても、やっぱり恨んでやがったのか。ガキっぽいマネしやがって」

 これにて体育祭の午前の部が滞りなく終了し、これから一時間ほど休憩を兼ねた昼食の時間となる。

 七組チームは現在のところ、上位まで順位を上げており逆転優勝を狙えない位置でもなかった。午後からの後半戦の活躍により、勝と拳悟が先導する七組チームは念願の優勝という栄光を掴むことができるのだろうか?

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