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第八話― 体育祭シリーズ③ コンビプレーで対決!二人三脚(2)

 二人三脚のスタート地点にはペアを組む生徒たちが続々と集結していた。拳悟や由美と同じく、この種目に出場することになる勝と麻未の二人も群集に紛れながらすでに待機しているところだった。

「ちょっとスグルくん。あんた、その足で本当に走れるの?」

「心配すんな。おまえはただ、俺のペースに合わせるだけでいい」

 麻未の気配りすらも、いつもの調子で冷たく振り払ってしまう勝。

 彼は念のためにと、保健室で左足をテーピングしてもらっていた。だが、それは怪我の悪化を防ぐものであり苦痛まで静めるものではない。

 どんなに痛くても、勝負を継続さえできればそれでいいのだ。その執念こそが、ミラーグラスで隠した目の輝きを失わない彼の悲壮なる本音だったのだろう。

「それより、ケンゴの姿が見えねーな。どこをほっつき歩いてやがるんだ?」

「そういえば、ユミちゃんもいないわね。二人一緒ならいいんだけど」

 同じチームのライバルが一向に姿を見せず、困惑したような表情を浮かべる勝と麻未。そんな二人のもとに、にやけた顔をした一組の男女コンビが歩み寄ってくる。

「よう、スグル。おまえも二人三脚に出るのか」

「おお、チクオか。まさか、おまえも出場するのか」

 勝に気安く声を掛けた男子とは、八組チームのエースといっても過言ではないとんがりヘアの地苦夫であった。そして彼の後ろには、二人三脚でペアを組むであろう女子が立っている。

 ブラウン系のメッシュの髪を肩まで垂らし、人懐っこそうなタレ目が特徴のその女子は勝の傍にいる麻未に気さくに声を掛けた。

「オッス、アサミ。今日も一段とおしゃれしてるじゃなーい?」

「あら、ヒロじゃな~い。あんたも、そのメイクいい感じよ~」

 ヒロと呼ばれた彼女は麻未のピンクのリボンを指でいじくっている。麻未もお返ししようとヒロの化粧栄えする頬を指で摘んでいた。勝と地苦夫と同様に、この女子二人も気心知れたお友達同士だったようだ。

「しっかし、おまえも出番が多いヤツだな。さすがは天下無敵のクラス委員長だけあるぜ」

「うるせー、悪かったな。六種目もあるんだから、しょうがねーだろうが」

 地苦夫の皮肉めいた言動に、勝は突っ掛かるように噛み付いた。左足の痛みと勝敗にこだわる彼のイライラ具合ときたら、一言では言い表せないぐらい大きかったであろう。

 あまりの機嫌の悪さに、これ以上刺激しないようにと後ずさりする地苦夫。それなりに付き合いが長いだけに、目の前の暴れん坊の扱いには慣れていたようだ。

 一方のヒロはというと、当然ながら勝が苛立っている理由など知る由もない。やはり気になってしまったらしく、麻未の腕を引っ張るなりその辺りの事情を問い詰めようとした。

「スグルくん、いつもよりも荒れてるじゃん。何かあったん?」

「たいしたことじゃないわ。ケンちゃんに悪口言われて、ふて腐れてるだけよ」

 女子二人のトークは井戸端会議のごとく、ひそひそ話となって盛り上がっていく。ほとんどが大人気ない勝の悪口ばかりで、彼女たちは呆れたような嘆息ばかり漏らしていた。

 それは彼にとって耳障りな内緒話。その一つ一つが神経が逆立っている彼の耳に不思議なほどよく聞こえていた。

「……おまえらさ。そういう話は本人がいない時にしてくれねーか?」

 悪い子にはお尻叩きと言わんばかりに、勝は右手をブンブンと振り回している。さすがにお仕置きはごめん!と、ヒロと麻未の二人は絶叫を上げて慌ててそこから逃げ出してしまった。

 怒ってばかりの猛獣はとことん始末に負えない。彼の肩をポンポンと軽々しく叩いた地苦夫は、嫌々ながらも宥め役を買って出るのだった。

「おい、スグル、怒ってる場合じゃねーだろ? おまえのチームは現在、最下位真っ只中なんだからよ」

「余計なお世話だっ! てめぇなんざ、さっさと遠くに行っちまえ!」

 地苦夫もお尻叩きだけはごめん被りたいのか、労いと慰めの言葉だけを残して怒りに震える勝のもとから小走りで去っていった。

 鼻息を荒くして一人憤慨している勝。渇いた砂が舞うグラウンドに向かって、やり場のない独り言ばかりを吐き捨てていた。

 そこへやってきたのが、遅ればせながら登場した拳悟と由美のコンビ。レース前から息を切らすチームメイトを目撃し彼らはただ呆然としている。

「おまえ、一人きりで何ぶつくさ言ってるんだ?」

 背後から近づいた拳悟を察知して、勝は苛立った表情のまま振り返る。そしてすぐさま、ミラーグラス越しの目で拳悟のことを睨み付けた。

「てめー、来るのが遅いんだよ、ボケ! 俺との対決から逃げちまったのかと思ったぜ」

「逃げるわけねーだろ? 俺はおまえが思ってるほど弱虫ちゃんじゃないんだからよ」

 いつになく険しい表情を向け合うこの二人から、ゆとりや余裕といった感情は微塵にも感じられない。そこにあるのは、どんなことがあっても負けられないという闘争本能だけだ。

 拳悟と勝の隙間に漂い始めるピリピリと張り詰めた緊張感。その肌を突くような凄まじさに、由美は全身が竦み上がってしまい投げ掛ける言葉すらも失ってしまっていた。

 フェアな真剣勝負を望む拳悟は、ハンデとなるであろう勝の左足を危惧していた。それでも、対戦相手からの情けなど無用だと勝は頑固なまでに取り付く島もない。

「同情してるわけじゃないさ。ただ、捻挫した足で俺に勝てると思ってるのかって話だ」

「バッキャロー! 負けるとわかってる勝負なんざ、するわけがねぇだろ!」

 勝は高圧たっぷりの凄みを利かせて、拳悟の顔に人差し指を突き立てる。

「いいか、俺は絶対に勝つ! おまえの生意気面を泣きっ面に変えてやるから覚悟しておけっ!」

 その迫真の怒鳴り声に、拳悟も由美もビクッと身を縮ませて一瞬たりとも動くことができなかった。そればかりではなく、周辺にいた生徒たちまでみんなびっくりした表情を振り向かせていた。

 雷鳴のような怒号を轟かせた勝は、周囲の生徒に当り散らしながらそこから離れていく。そんな彼の刺々しい後ろ姿を拳悟は複雑な胸中のまま見つめるしかなかった。

(スグルのヤツ、俺にどんな命令をする気なんだ? まさか、全裸になって犬のマネしながら校庭を一周とか、そんな悪ふざけじゃないだろうな……)

 あらゆる屈辱的行為を妄想し、すっかり血の気が引いてしまった拳悟。その尋常じゃない顔色を見て、傍にいた由美が慌てて声を掛けてきた。

「ケ、ケンゴさん、どうかしたんですか? 汗びっしょりですよ?」

「あ、ああ、ごめん。ちょっと、犬になった自分を想像しちゃって」

「犬……?」

 そうこうしているうちに、グラウンドのスピーカーから二人三脚のスタートを告げるアナウンスが流れてきた。それに弾かれるように、応援席の方から割れんばかりの野次と声援が飛んでくる。

 七組チームの出走順だが、拳悟と由美のペアが先頭で勝と麻未のペアがそれに続く。なお、それ以外については、ほとんど目立たないキャラなので省略させてもらう。

 拳悟はスタートライン上で屈み込んで、自らの左足と由美の内側の右足に真っ白いリボンを結び付けた。走っている途中でペア解消なんてオチにならないよう結び目もしっかりと。

 彼ら二人に負けじと、真っ赤なリボンを交互の足に巻き付けた男女コンビがいる。これで準備万端と気合を込める男子の方は、四組チームから出場するサン坊であった。

「なあ、サン坊。一つだけ聞いてもいいか?」

「どうかしたの、リュウコ?」

 四組チームの威信をかけて、サン坊とペアを組むことになった流子。彼女は冷ややかな顔つきで、なぜがクロスしている自らの両足を見据えていた。

「外側同士の足を結んでどうする気だ? どう考えても、これじゃあ走れないと思うが」

「……あらら、ホントだ。間違えちゃった」

 スタートの直前から大ボケをかましてくれたこのコンビ。常軌を逸した恥ずかしいやり取りを眺めていた拳悟が、これ見よがしに二人にちょっかいを出してくる。

「やれやれ、どこのアホかと思ったら四組のお似合いカップルかよ」

 そのふてぶてしい声に気付くなり、流子はあからさまに憤怒して拳悟のことを野獣のような目つきで睨み付けた。

「キ、キサマはケンゴ! 百メートル競走での屈辱、この二人三脚で晴らしてやる!」

「おお、怖い怖い。触らぬ神に祟りなしだな、こりゃ」

 恐ろしさで肩をすぼめている拳悟の横からひょこっと顔を覗かせる由美。笑顔で挨拶を交わす彼女を見掛けた途端、流子の表情が別人のように愛らしく破顔した。

「あら、ユミじゃなーい! ケンゴのバカとペアだったの? よーし、この勝負は負けないわよぉ!」

 ガラリと性格が変わったようなその豹変ぶりに、足を結んでいながらも器用にズッコける拳悟とサン坊の二人。競争する前から気力がズルッと抜けてしまう彼らなのであった。

 気を取り直して、さらに体勢も立て直した両チームの四人はスタートラインに足を乗せて、いざスタートの瞬間をじっと待つ。

「しかし、リュウコのヤツ。ユミちゃんだとコロッと態度を変えたな」

「どうも、女性には優しい性格みたいですね。リュウコさん」

 この二人に噂されている当人はというと、今回ばかりは絶対に勝つ!と一人闘志を燃やし、サン坊の首根っこを摘んでとにかく足手まといにならないよう厳命を下した。

 スターターを担当する生徒が位置に付くよう声を張り上げる。すると、この闘いに負けられない拳悟や流子は、一様に緊張した面持ちで目指すべきゴールを見据えた。

「よーい――」

『――パン!』

 スターターピストルの破裂音が耳をつんざき、選手たちが一斉におぼつかない三本脚で歩き出した。どのチームの選手もスタートダッシュは順調な滑り出しであった。

 ちなみに、ここで二人三脚のルールを簡単に説明しておこう。

 スタートからゴールまでの距離は百メートル。途中の五十メートル地点にある、小麦粉が入った箱の中から飴玉を口で拾い上げて、それをくわえたまま一番にゴールしたチームが一等賞となる。

 つまり、どんなに息の合ったコンビネーションを発揮できても、飴玉を素早く発見できなければそのチームに栄えある勝利はないというわけだ。

 スタート時こそほぼ同じライン上を競い合っていた各チームだが、一位以外は必要なしと豪語していた拳悟と流子のチームが他のチームを出し抜き一歩リードする展開となった。

 お互いのペアを横目に見ながら先へ先へと急ぐこの両チーム。このまま五十メートル地点まで到達するかと思いきや、ここで拳悟と由美のペアに思わぬハプニングが起こってしまう。

「あ、あれ、ケンゴさん!?」

「ぐぅぅ~、足が重たくなってきた~」

 驚きの声を上げた由美の隣で、肩で息をしながら失速してしまった拳悟。これは言うまでもなく、これまでの競技で蓄積していた疲労という二文字そのものだった。

 彼女の足が前に出ようとしても彼の足がそれを邪魔してしまい、それを繰り返していくうちに二人はとうとうフィールドの上で完全に停止してしまった。

 哀れなライバルのことをチラリと見て、流子とサン坊の二人は勝ち誇ったようにせせら笑う。アンバランスに見えるこの二人、その走りっぷりはとても軽やかで息もピッタリだ。

「よし、チャンスだ。ケンゴさん、もうフラフラ状態だよ」

「それはそうさ。このあたしと、あれだけの小競り合いをした上に何種目も出場してるんじゃ、あーなって当然よ」

 五十メートル地点まであとわずかという位置で、拳悟と由美の二人はまだ立ち往生したままだ。そうしている間にも、他のチームの選手たちがじわりじわりと距離を詰めてくる。

「ケンゴさん、しっかりしてください! 一等賞を取るんでしょう? このまま、スグルくんに負けちゃってもいいんですか!?」

「……そ、そうだ。俺は負けるわけにはいかない。惨めな負け犬になるわけにはいかないんだぁ~」

 由美からの励ましにより、拳悟は不屈の精神を呼び覚まし身震いしながら気迫のこもったオーラを解き放つ。一等賞だ、一等賞だよ、一等賞なんだよと独り言を呟き、今まさに不死鳥のごとく息を吹き返した。

 闘魂という炎を瞳に宿らせる彼の勇姿に、奮起を促したはずの彼女もさすがに唖然としてしまったようだ。

(すごい。ケンゴさん、燃えている――)

 ――次の瞬間、由美にとって驚くべき出来事が起こった。

 いったい何を思ったのか、拳悟はいきなり由美の腰に手を回し片足を持ち上げながら抱きかかえてしまったのだ。

 これは俗に言うお姫様だっこというやつ。彼女はびっくりして、つい衝動的に悲鳴のような叫び声を上げてしまう。

「ケ、ケンゴさん、な、何をするんですか!?」

「ユミちゃん、さあ行くよ」

「……え」

 疲労感たっぷりの表情から一転、拳悟は凛々しい顔つきとなり五十メートルほど先にあるゴールの白いテープを見据える。勝利こそがすべての彼には、一等賞という栄誉の他に何も頭にはなかったのだろう。

 一方、抱きかかえられた由美はというと事態がまだ飲み込めなかったらしく真っ赤な顔でただただ放心するばかりだ。

 二人三脚の根底を覆したまま、拳悟と由美の二人は再スタートを切る。

 応援席からどよめきが巻き起こる中、追い上げてくる他のチームを引き離し、追い抜かれた他のチームをも追い越していくこの二人。狙いはただ一つ、現在トップをひた走る流子とサン坊のコンビに追いつくことだけ。

「この中から飴玉を探せって、まるでガキの遊びじゃないか」

 現在首位を独走し、五十メートル地点に到達したお似合いコンビは、小麦粉がぎっしりと敷き詰められた箱の真ん前で立ち止まっていた。

「おい、サン坊、早く飴玉をくわえろよ。ケンゴたちが迫ってきてるぞ」

「えっ? これ、俺がやるの?」

 目を丸くしているサン坊に、冷酷なる目つきで凄んでみせる流子。

「あんたの他に、誰がいるんだ?」

「ははは、リュウコがやってくれる、ってわけには?」

 その直後、小麦粉たっぷりの箱の中に思い切り顔を押し付けられてしまうサン坊の情けない姿があった。

「それがレディーに向かっていう台詞か! さっさと飴玉を探し出せ!」

 サン坊が真っ白い粉の中から飴玉を捜索している最中にも、拳悟と由美のペアは砂煙を上げながらひたすら突進していた。首位との距離はもうあと数歩というところまで迫りつつあった。

「おい、サン坊! 飴玉はまだかっ?」

「ゴベン、ボウズゴジ、バッデッデグデ」

 小麦粉まみれになりながらも、必死に飴玉を見つけ出そうとするサン坊。ちなみに彼の返答を翻訳すると、”ごめん、もう少し、待っててくれ”となる。

 あと一歩で追いつかれるといった時点で、彼はようやく飴玉をくわえた粉だらけの顔を持ち上げた。流子たちは僅差ながらも、残り五十メートルを首位のまま走り出すことができた。

 二位で五十メートル地点に到達した拳悟と由美。これ以上離されてなるものかと、彼はそっと彼女を地上に下ろすなり大きく息を吸い込んでからきめ細やかな小麦粉の中へ顔を埋める。

 彼がもぞもぞと粉の中で格闘している最中も、彼女はまだ顔を真っ赤にしたまま呆然としていた。もしかすると、思考回路が麻痺して彼に抱えられてからの記憶が飛んでしまっているのかも知れない。

 飴玉を探すことほんの十五秒ほど。拳悟は気勢を揚げるとともとに、飴玉を口に含んだ真っ白い顔を起こした。その割れんばかりの大声が由美をようやく我に返らせてくれたようだ。

「よし、ユミちゃん。ラストスパートだ!」

「は、はい!」

 首位を独走している流子たちは、巧みなコンビネーションでゴールを目指していた。彼女たちの一位はほぼ確定と思われたが、この青春ドラマはそう簡単に熾烈なレースを決着させたりはしない。

「うわぁ、ケンゴさんたち、すごいスピードで近づいてるよ!」

 背後から迫り来る宿敵の追走にサン坊は驚愕の声を張り上げる。そして、今にも追いつきそうな宿敵の猛追にさすがの流子も余裕の笑みすら失せてしまっていた。

「アイツらを追い越せば、俺たちが一位だ! もうひと踏ん張りだから、がんばって!」

「はい、がんばります!」

 拳悟は由美のことを心から励まし奮起を促した。それはつい先程、自らのことを発奮させてくれた彼女へのお礼返しのようでもあった。

 わずかながらも縮まっていく一位と二位の距離。逃げる流子とサン坊のコンビ、それに食らい付く拳悟と由美のコンビ。二人三脚の決着は絶妙なコンビネーションを誇るこの二組に絞られた。

 すべての応援席から両チームを応援する黄色い歓声が上がる。その中には、拳悟のファンらしき女性の激励が少なからず聞こえなくもなかった。

(ケンゴさんのためにも、絶対に一位にならなくちゃ!)

 拳悟への熱い声援を無駄にしてはいけない。彼のファンの一人である由美も萎えそうになる気持ちを奮い立たせる。

 ここまで順調な走りっぷりだった流子とサン坊だったが、追い詰められる危機感が増大していくうちに波長の合ったリズムに少なからず綻びが生じてきた。

 気持ちが逸るあまり、サン坊は無意識のうちに速度を上げてしまった。それが災いして、ペアを組んでいる流子とのテンポが狂い始める。

「わ、バカッ、いきなり速く走るなって! 足がついていけないだろっ!」

 こうなってしまうと、もう誰もが予想できる展開が待っていた。

 流子とサン坊の二人は協調性を失い、足を繋ぐ赤いリボンが引っ張られてピンと伸び切った。その直後、わめき声を上げながら地べたに前のめりで叩き付けられてしまうのだった。

 地面にうつ伏せている四組コンビのことを拳悟と由美の二人は軽やかに追い越していく。お先に失礼~と、さわやかな一声だけをそこに残して。

 サン坊は粉と砂まみれの顔を上げて、敵の方が一枚上手だったと一等賞を逃したこの結果を悔しがるしかない。そんな彼に向かって、流子は突き刺すような凍てつく目線をぶつけていた。

「上手も何も、こうなったのは、ぜーんぶおまえが悪いんだよ。あとでお仕置きするから覚悟しておいて」

 流子たちは事実上リタイア、そして他のチームも飴玉探しにもたつく中、もう拳悟たちを脅かす敵など存在しない。彼らはペースを歩くぐらいまで落とし、目の前にあるゴールまでリズムよく両足を動かしていった。

「ユミちゃんのおかげで、どうにか一位を取ることができたよ。がんばってくれてありがとう」

「そんな……。わたしは、ケンゴさんのペースに合わせただけですから」

 完全に独走状態となった二人のことを冷め切った表情のまま見つめている勝。同じチームの勝利を賛美しながらも、やはり複雑な心情を隠し切れなかったようだ。

(どうやら、俺もマジにやらなきゃならんな)

 七組チームの応援席から大きな声援を受けながら、拳悟と由美のコンビはゴールの白いテープを切った。それはまさに、この二人にとって栄光ある一等賞を告げるものであった。

 彼女の肩に置かれた彼の大きな手、そして彼の腰に触れる彼女の小さな手。二人はゴールした後も、一等賞の余韻に浸るように互いに寄り添い合っていた。

「勝因はさ、やっぱり息の合ったコンビネーションだよね。俺たちはそれだけ相性がいいのかも知れないよ?」

「相性まではわからないけど……。だけど、一位になれたことは素直に嬉しいです」

 拳悟の気障ったらしい言葉に、由美は照れくさそうに頬を赤らめる。正直なところ、彼の勝利に貢献できたことが彼女の嬉しさの本心と言えなくもなかった。

 この二人三脚、まずは先手必勝とばかりに拳悟が一歩リードした。引き離されるわけにはいかない勝は、一緒に走る麻未とペアを組みスタート地点で意気揚々と気合を入れる。

「いいか、アサミ。俺のペースを乱すんじゃねーぞ。わかったな?」

「その言い草、ちょっと気に障るけど今回だけは言うこと聞いてあげる」

 苛立つような険しい表情の勝と、ちょっぴり憮然とした顔の麻未は白いリボンで結ばれた足をスタートラインに乗せた。

 それから数秒後、スターターピストルの高音が緊張感に包まれる空気を切り裂き、すべての選手たちが一斉にスタートを切った。

(とにかく、最初の五十メートルで遅れを取るわけにはいかない!)

 左足に爆弾を抱えている勝は、内心ビクビクしながらも他のチームよりも好調な滑り出しを披露した。しかし、痛みがじわりじわりと脳に響いて彼の根気とやる気を阻害しようとしてくる。

 苦痛に顔を歪めてしまう彼だが、それでも走るペースを緩めようとはしない。ごまかしようのない無理強いが、肩を組んでいる麻未に否が応でも伝わってしまう。

「スグルくん、あんたホントに大丈夫なの? どーみてもその顔、いつにも増して普通じゃないわよ」

「やかましい、いつもよりも普通じゃなくて悪かったな! おまえは俺のことに構わずに前だけ見て走ればいいんだ!」

 見境なく当り散らす勝の自分勝手ぶりに、いつもお澄まし顔の麻未もさすがにカチンと頭に来たようだ。実をいうと、彼女は人一倍怒りっぽい性格だったりする。

「ちょっと何よ、怒鳴らなくてもいいじゃない! せっかく心配してやってるのにさ!」

 衆人環視の中、今まさに短気な男女二人の応酬が繰り広げられた。ゴールを目指して走りながらも、勝と麻未は我も忘れてグラウンド上に響かんばかりの罵詈雑言をぶつけ合う。

「遅刻組のあばずれのくせに、偉そうな口叩くんじゃねーぞ!」

「そっちこそ、クラス委員長だからっていきがってんじゃないわよ!」

 汗やら唾やらを吹き飛ばし、クラス委員長と副委員長の罵り合いはまだまだ続く。

「おまえな、いい加減、淫らな不貞行為を慎まないとそのうちPTAで問題になるぞ!」

「うるさいわね! そういうあんた、女子高校の前でナンパしてるでしょ? 評判ガタ落ちだよ!」

「おいおい、それは言うなっ! 俺の委員長としての尊厳がぁぁ~!」

 この二人の尖った口から出るわ出るわの忌まわしき秘め事。レースのことなどすっかり忘れて彼らは止め処なく暴言を吐き続けていた。

 グラウンドを取り囲む応援席から、溢れんばかりの失笑の嵐が巻き起こる。しかも七組チームに至っては、失笑というよりも怒りに染まった嘆きの声で埋め尽くされていた。

「おい、おまえら! レースの真っ最中に何バカなことやってんだぁ!」

「スグルくん、何してんのよ! 喧嘩なんてしてる場合じゃないでしょ!?」

 拓郎とさやかの怒気を含んだ叫び声が、舌戦を繰り広げていたクラス委員二人をようやく現実に引き戻してくれた。

 勝と麻未の耳に聞こえてくる高らかな笑い声。競技から脱線してしまった愚かさと気恥ずかしさに、二人とも顔を真っ赤に染め上げてしまうのだった。

 そんなアホな二人のことをゴール地点で高みの見物をしていた拳悟。彼と一緒になって観戦している由美も、勝たちの奇行に戸惑いを隠せない様子であった。

「スグルくんとアサミさん、仲良さそうに見えるけど口喧嘩とかもするんですね」

「あんなのしょっちゅうだよ。あいつらさ、漫才グランプリに参加したらいい順位までいけるんじゃないかな」

 コース上に漂う気まずい空気から逃げるように、本来の目的であるゴールに向けて駆け出していく勝と麻未の二人。

「くそ~、この俺としたことが、とんでもない大恥をかいちまったじゃねーかぁ!」

「あたしなんて、あんなにヒステリックに大声上げちゃって……。もうお嫁にいけないわ~」

 麻未が頬をピンク色に染めて、売れ残ったらお嫁にもらってくれる?と問うてみると、勝はミラーグラスで隠した目を細めてニタリと嫌味っぽく口角を吊り上げる。

「おお、もらってやるよ。おまえがもう少しお淑やかで、おとなしい性格になってくれたらな」

「……怒りんぼのあんたに言われたくない」

 無意味な言い合いをしているうちに、この二人は他のチームに先頭を明け渡してしまっていた。それでも、勝たちは二位をキープしたまま五十メートル地点にある小麦粉ポイントへ差し掛かった。

「ねぇ、スグルくん。一位のチーム、もう飴玉くわえちゃってるわよ」

「飴玉探しなら、唇のテクニシャンと呼ばれる、この俺に任せろ」

「その別名さ、どことなく卑猥な感じがするわね」

 麻未がじれったく急かす中、勝は真っ白な小麦粉の箱に顔を突っ込む。さすがは唇のテクニシャンだけに、彼は箱の中に隠された小さな飴玉をいとも容易く見つけることができた。

 口をもごもごさせながら、白粉を塗ったような顔を持ち上げる彼。その電光石火の素早さに彼女は手を叩いて感嘆の声を張り上げた。

 先頭をリードするチームに焦点を絞り、いざ再出発しようと彼の手を思いっきり引っ張ろうとする彼女。ところが、彼がいきなりそれを制止した。

「待ていっ!」

「ちょっと、どうしたのよ!?」

 勝はどうしてかTシャツをめくり上げて、真っ白くなった顔面をごしごしと丁寧に拭き取り始める。

「すまん。グラサンが粉だらけで視界不良なんだ」

「こんな時ぐらい、外したら?」

 ミラーグラスの視界も良好とばかりに、勝と麻未の二人は逆転勝利を目指して結ばれた足のつま先を大地に叩き付けた。首位との距離はおおよそ十五メートルといったところか。

 彼はがむしゃらにゴールを見据える。睨み付けるその先には、すでに一位でゴールして踏ん反り返るライバルの姿があったのだ。絶対に勝ってみせる!彼の闘志はどんどん高ぶっていく。

 クラスメイトからもお墨付きのこの漫才コンビ。息の合ったコンビプレーの成せる業か、先頭を走るチームとの差をぐんぐん詰めていった。

 その先頭のチームはというと、冷や汗を吹き飛ばして怒涛のごとく追走してくる敵に危機感を露にしていた。

「おい、やばいぞ! 七組のどスケベコンビが追いついてくるぞ!」

 つい勢いで口走ってしまった言ってはいけない一言。それを聞き逃さなかった七組コンビは、青筋を立てて目を血走らせながら襲い掛かってきた。

「どこの誰が、どスケベコンビだ、このやろう!」

「あんたたち! このレースが終わったら血を見せてあげるからね!」

 そこの差はもう目の鼻の先ほどの距離。そこまでようやく追いつき、先頭のチームを抜き去ろうとした、まさにその瞬間だった――。

『ズキッ――!』

 勝の左足首を電流のごとく走り抜けた激痛。その痛みは、彼がこれまでに経験したことがないぐらい破壊的で衝撃的なものであった。

 苦痛が瞬く間に全身を駆け巡り、彼の表情がみるみるうちに歪んでいく。そしてバランスを崩し体勢が大きくぐらついた。

 彼のただならぬ異変に逸早く気付いたのは、当然ながらペアを組んでいる麻未だ。

「ス、スグルくん――!?」

「アサミ、こっちを見るんじゃねぇ!」

 騒がしくするな!と、麻未に平静を装うよう指示を出した勝。どうにかはぐらかそうと彼も歯を食いしばって痛みに耐えようとしている。

「あんた、まさか今の……」

「わかってるなら何も聞くな! いいか、このことは誰にも言うんじゃねーぞ。特にケンゴにはな」

 麻未は納得はするもの、どうにも釈然としない素振りだ。それほどまでに勝の横顔は苦悶に満ちていたからであろう。

 彼が頑固なまでに拳悟にだけは隠しておきたいわけ、それはこの後も続く対決で手を抜かれてしまい真剣勝負ができなくなることを恐れてのものだった。

 怪我しようが何しようが勝負ばかりにこだわる不器用な相棒に、麻未は冷ややかな表情で呆れた吐息を吐き捨てるしかない。

「正直言ってさ、あんたのそういう男臭いところ嫌いじゃないわ。でもさ、あんまりカッコつけると、かえって度が過ぎて臭ってきちゃうよ」

「この俺はな、臭うぐらいが丁度いいんだよ」

 ぶしつけな嫌味を言われても、それをぶしつけな皮肉で返してしまう天邪鬼な勝なのであった。

 速度こそ落としたものの、立ち止まることは何とか回避することができた彼ら。しかし、すでに先頭チームとの距離の差は大きく追い越せるほどの気力も体力も残ってはいなかった。

 歩くことが精一杯だった勝と麻未のコンビは残念ながら二着に終わってしまい、この二人三脚の対決は拳悟の勝利という結末で決着した。

 ゴールまで到着した二人を励まそうと、少しばかり不安げな表情で近寄ってくる由美。やはり、勝の左足の具合が気になって仕方がないようだ。

「二人ともお疲れさまでした。スグルくん、足の方は大丈夫ですか?」

 勝はただ一言、どうってことねーよ!と強がって見せた。しかしながら、彼の全身の毛穴からは激しい痛みから来る脂汗が滲み出ていた。

 足に結んでいたリボンを解くと、彼はぎこちない足つきのまま口を真一文字にして待ち構える拳悟の横を通り過ぎる。

「二人三脚は負けちまったが、次の借物レースは絶対に勝ってみせるからな」

 勝は悔しさに唇を噛み締めて、無言を貫く拳悟に背中を向けて立ち去っていった。

 あくまでも勝利だけに執着する同じクラスメイトのライバルの後ろ姿。引くに引けないところまで来てしまったことに、拳悟の心情はやり切れない思いに包まれていた。

 もちろんそれは怪我の悪化を知っている麻未も、それを知らずとも不安を隠し切れない由美も拳悟と同じ思いを抱いていたに違いない。

 二年七組の踏ん張りにより七組チームの士気がどんどん高まっていく中、拳悟と勝の対決は残すところあと二つ。この二人の闘いは次話にて決着となる……予定だ。


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