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第六話― 体育祭シリーズ① 真拳勝負?百メートル競争(2)

 賑々しく始まった派茶目茶高校の体育祭。スタートを切るべく最初の種目は百メートル競走である。

 スタート地点へ集合するよう、放送席から出場選手たちに号令が発布された。その中には、多数の種目に出場しなければいけない拳悟と勝の二人も含まれていた。

 顔を両手でパチパチと叩いて気合を込める拳悟。もう一方の勝はというと、あからさまに不機嫌そうな顔で予期せぬかわいらしいゲストの応対に追われていた。

「いいか、さやか。ここでおとなしくしてろよ。間違っても周りに迷惑を掛けたりするなよ。わかったな?」

「はーい、わかってまーす! スグルくん、がんばってねー!」

 学校をサボってまで勝の応援に駆け付けてきたさやか。その一途で健気な心意気が七組チームの同情を誘い、彼女は空いている座席を提供してもらうばかりか応援団の一人として暖かく迎え入れられた。

 すっかり疲れ果ててしまった勝は、愚痴を零しながらスタート地点へ歩き始める。そんな彼に嫌味をぶつけるのは、この展開を誰よりもおもしろがっている拳悟であった。

「良かったなー、スグル。あんなにカワイコちゃんが応援に来るなんてよ。羨ましい限りだぜ」

「うるせーな。アイツが勝手に来ただけで、俺にとっちゃ嬉しくも何でもない。むしろ迷惑だ」

 勝はさやかの来訪をまるで吐き捨てるように冷たくあしらう。

 それはあまりにも失礼だろうと拳悟が咎めるように言い返すも、勝は殴り掛からんばかりに凄んでこの話題に触れるなと突っ返してしまった。

 彼ら二人がグラウンド方面へと向かっていた頃、七組の応援席では、座席に腰を下ろしている由美のもとにゲストであるさやかが興味津々に近づいていた。

「あのー、ユミさん、でしたよね?」

「う、うん。そうだけど……」

 さやかから唐突に声を掛けられて、内心ドキッと緊張してしまう由美。知り合ったばかりの人と接するのに不慣れな彼女、それは男子だけではなく女子でも同様だったようだ。

 由美がビクビクしながら警戒していると、さやかは遠慮といった言葉も知らないままストレートに問いただしてくる。

「ユミさんって、ケンゴくんのこと好きなんでしょ?」

「は、はいぃ!?」

 驚きのあまり由美は仰け反って、椅子の背もたれにびったりと張り付いてしまった。蒸気を噴き出さんばかりに、彼女は顔の隅々まで真っ赤にしている。

 いくら他校の生徒とはいえ、好きとか嫌いとか、そういう感情を無闇に伝えることはできない。由美は必死に手をばたつかせて胸に秘めた本心をはぐらかした。

「ふ~ん、そう? あたしさー、そういうのって勘がいい方なんだけど勘違いだったのかなー」

 顎を人差し指で突いて、残念がるような顔をするさやか。彼女の鋭い感覚と物怖じしない性格に、由美は冷や汗を滲ませながらただただ苦笑するしかなかった。


* ◇ *

 スターターピストルの空気を裂く音とともに、体育祭の第一種目、百メートル競走がいよいよ幕を開けた。

 各チームの若さ溢れる応援合戦が響く中、クラウチングスタートする生徒たちは百メートル先にあるゴールを目指して全速力で駆け出していく。

 一等賞のリボンを胸に飾って自慢する者もいれば、入賞を果たせずに悔しがる者もいる。そこには体育祭らしい学生たちの青春の一ページがあった。

 七組チームの総合優勝のためにも負けるわけにはいかない。出走する順番を直前に控えた拳悟は、屈伸運動をしたり足首を伸ばしたりして万全な体勢を整えようとしていた。

 まあ死ぬ気で踏ん張れと、勝からの声援を背中で受け止めた拳悟。任せておけと豪語しながら、彼は白線で引かれたスタートラインへと一歩足を進める。

 その時、拳悟の横目に映った見覚えのある人影。チラリと一瞥してみると、そこには何と、男子の徒競走にも関わらずカンフースーツを着たおさげ髪の女子が立っていた。

 その女子こそ拳悟にとっては宿敵でもあり犬猿の仲、会いたくなかったナンバーワンの二年四組のあの人であった。

「うわっ、リュウコじゃないか!」

 びっくり仰天の拳悟に気付き、カンフー少女である風雲賀流子は顔色をみるみる紅潮させて敵意を剥き出してきた。

「おのれ、キサマはケンゴ! ここで会ったが百年目、ここで息の根を止めてやる!」

「おいおい、出会って早々、殺す気満々かよ!?」

 流子は殺意の波動をほとばしらせて、積年の恨みを晴らすかのように拳悟に向かってカンフーキックを仕掛けてきた。

 その攻撃一閃を何とか防御した彼は手を出すより話が先だろうと窘めるも、いきり立つ彼女は聞く耳など持たず問答無用だと攻撃の姿勢を解こうとはしない。

「まー、落ち着けって。ここは体育祭らしく百メートル競走でケリを付けようじゃないか」

 暴力を振るったりせず正々堂々とスポーツで勝負しようと、目が血走った流子の怒りを静めようとする拳悟。

 それでも腹の虫が治まらない様子の彼女だったが、これほどの人前で暴れてしまうとただの危険人物という印象を与え兼ねないと思ったのか、やむを得ず徒競走による勝負を買って出ることにした。

「よし、いいだろう。言っておくが絶対に負けないからな」

「そーこなくちゃな。俺の方も負けるわけにはいかないぜ」

 早く整列するよう、スターターを担当する生徒から注意された拳悟と流子の二人。隣同士のレーンに並び合い、石灰で引かれたスタートラインにそっと足を置く。

 一コースから八コースまで選手が出揃い、それぞれがゴールを目指すためにクラウチングスタートの体勢に入った。

 スタートダッシュにすべてを懸ける拳悟と流子は、緊張気味に表情を引き締めてピストルが奏でる高音を今か今かと待ちわびた。

「位置についてー……」

 拳悟と流子だけではなく、出走する選手全員が手足に力を込めてゴクリと息を呑み込んだ。

「……よーい」

『――パン!』

 耳をつんざくような音が上空へ弾け飛んだ、まさにその瞬間、前進あるべきはずの拳悟の片足がなぜか隣のレーンの方角へ差し向けられた。

「なにっ――!?」

 拳悟が伸ばしてきた足にスタートを切る第一歩を引っ掛けてしまった流子。つんのめってしまった彼女は、そのまま顔からグラウンドへと滑り落ちてしまった。

「はっはっは、お先に~」

 拳悟は不敵に笑い、敬礼のポーズをしながら走り始める。正々堂々と勝負しようと言った割には、とんでもなくせこく姑息な手……というか足を使う男である。

 この目に余るほどの卑劣なやり方に、カンフー少女の憤慨はまさに頂点に達しようとしていた。わなわなと全身を震わせて、彼女は倒れたまま鋭く尖った瞳を獣のごとく光らせる。

「この卑怯者がぁぁぁ~!」

 これこそが強靭なバネを持つ流子の離れ業というやつか。彼女は伏せた体勢から宙を舞うと空中で素早く一回転して、前を走っていた拳悟の後頭部目掛けて飛び蹴りを一発お見舞いした。

「ぐえぇぇ~!」

 キックがもろに後頭部に直撃し、拳悟はめまいに襲われながら頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。

 もだえ苦しんでいる彼の横を通り過ぎて、流子は冷笑しながら捨て台詞を吐いていく。

「フン、自業自得だ。ざまーみろ」

 沸々と怒りと悔しさが込み上げてくる拳悟。こうなったらとことんやってやる!と感情を爆発させて果敢と立ち上がる。どうやら、彼は心のどこかにある武力開戦のスイッチをオンにしてしまったようだ。

「リュウコ! 俺を怒らせたらどうなるか思い知らせてやる。とことん、やっつけてやるわぁ!」

 白線で囲まれたグラウンドの陸上トラックの上で、怒りに狂い燃え上がる一人の男子生徒。彼のことを見つめるギャラリーたちは呆然としたまま開いた口が塞がらないといった様子だ。

 その一方、てれてれと走っている他の選手たちを流子は猛烈なダッシュでどんどん抜き去っていく。それはまさに独走の様相を呈していた。

 ここで突然、応援席からとてつもないどよめきが巻き起こる。先頭を走る流子の背後に、追撃に燃える拳悟があっという間に迫ってきていたからだ。

「そう簡単に勝たせてたまるかぁー!」

 拳悟は地面にヘッドスライディングして、流子の両足をガッチリと鷲掴みにした。足を極められてしまった彼女は、体勢を維持することができず全身を地べたに打ち付けてしまう。

 体操選手並みの運動神経を生かし、彼女の両足が跳ね返る反動を巧みに利用した彼。倒れている彼女を飛び越えて、前方宙返りで見事なまでに着地して見せた。

 ところがどっこい、彼女もずば抜けた身体能力を生かしスプリングのごとくジャンプするなり、カッコよく着地を決めた彼の後頭部にまたしても痛恨の蹴りを放つのだった。

「甘いわ、ボケ!」

「うおぉぉぉ~、後頭部連発かぁ!」

 曲芸師のような神業のオンパレードが続き、応援席にいる生徒たちはすっかり大盛り上がりで、もっとやれ~と声を張り上げてこの二人のことをけしかけ始めた。

 ただ、七組の応援席からは当然ながらそういった歓声などあるはずもなく、どちらかといえば失笑や苦笑といった呆れたような重たい吐息だけが充満していた。由美も唖然とするあまり、その中に混じって完全に言葉を失っていた。

 陸上トラックというリングの上で、激しいバトルを繰り広げる拳悟と流子。この二人とお友達である由美にしたら、どちらを応援すべきか迷うばかりでじっと戦況を見守るしかなかった。

 戸惑いを浮かべていたのは、何も彼女や七組の生徒たちだけではない。他のレーンでゴールを目指していた選手たちも、この有り様を目の当たりにして走っていた足をおのずと緩めてしまっていた。

 その選手たちは恐る恐る、乱闘騒ぎの二人を警戒しながら抜き去ろうとした。ところが次の瞬間、流子のギロッとした目が怪しく光る。

「あたしより、前を走るヤツは許さん!」

『ドッカーン!』

「うわわぁぁ~~!」

 流子は見境なく、他のレーンにいた数人の選手たちをカンフーキックでぶっ飛ばしてしまった。彼らの運命はもう、このレースからの脱落という二文字しかなかった。

 一位を取らせまいと邪魔者どもを薙ぎ払う彼女だったが、さすがに離れたレーンを走る選手までは追っ払うことができずついには抜き去られてしまうのだった。

 しまった――!彼女が不意にそう声を漏らした直後、抜いていった選手がいきなり背後から飛び蹴りを食らってこの徒競走の勝負から完全に抹殺させられた。

 その飛び蹴りを放った華麗なるヒットマンこそ、彼女と二人きりの決戦に挑む覚悟を決めた、勇ましい表情をした拳悟その人であった。

「もう邪魔者はいない。これで俺たちだけだ」

「フッ、おもしろい。やってやろうじゃない」

 まさに一対一の熱き闘いに、闘志をみなぎらせる拳悟と流子の二人。

 それはとても清々しく、体育祭における青春群像劇と言えなくもないが、ここまでの行いを振り返ってみると、他の選手たちを蹴落としてまで勝負にこだわるエゴイズム的な傍若無人な振る舞いに過ぎない。

 次に出走を控えてスタートラインで呆然としている勝は、百メートル競走を台無しにしたバカな二人にミラーグラス越しから呆れた視線を送っていた。

「しかしまあ、よくあそこまでメチャクチャにしてくれたもんだぜ」

 そんな勝のもとに近寄ってくる男子生徒が一人。紺色のジャージを腕まくりしてとんがった髪の毛をクシでとかしている、二年八組のスピードスターと異名を取るキザな男、そう馬栗地苦夫である。

「二人ともバカの代名詞だからな。でも、そのおかげで盛り上がっていいじゃねーか」

 卑しい笑みを浮かべる地苦夫のことを勝は冷めた表情のまま横目に見据える。

「お? チクオじゃねーか。何でおまえ、ここにいるの?」

「次のレースに出んの、おまえと一緒にな。わざわざ見物に来たとでも思ったの?」

「お祭り騒ぎが好きなおまえなら、それもあるかと思ってよ」

 この二人が冷ややかな目線を送る先では、拳悟と流子の二人が仕切り直しとばかりに、お互いに睨み合いながら決戦への再スタートを切ろうとしていた。

「いざ、勝負!」

「望むところだ!」

 応援席からエールを送る両チームの誰もが、いよいよ脚力の対決になると思っていたことだろう。ところが、この格闘バカの二人はそれを見事なまでに裏切るのであった――。

 いざゴールを目指して駆け出そうとした流子だったが、それを阻止しようとする拳悟から肩を小突かれて、よろめいてしまいスタートダッシュに出遅れてしまった。

「キ、キサマ! この期に及んで、まだ卑怯なことを!」

「やーい、やーい、ヒキョウもオキョウもないよーだ!」

 拳悟はあっかんべーみたいな顔で、遅れを取った流子をバカにするように嘲笑う。その振る舞いは、まるで始末に終えない子供のようである。

 愚弄されるばかりか、ここまで見下されては当然黙ってはいられない。彼女は目を血走らせて、彼に追いつくなり自慢のカンフー技を繰り出した。

「このやろー、くたばれ!」

「おっと、そうはいくかよ!」

 最初の一撃こそかわすことができた拳悟だったが、さすがに多彩な技を持つデンジャラス少女の連続攻撃に、ついには彼も一瞬の隙を突かれて脳が揺れるほどの強烈な一撃をお見舞いされてしまった。

「うぐっ、油断したぜ~……」

 痙攣を起こして身動きが取れない拳悟を尻目に、流子はほくそ笑みながらゆっくりとゴールに向かって駆け出していく。

 このまま独走させてなるものか!彼は萎えそうな魂を奮い起こし、しびれていた手足に喝を入れる。

「ま、負けてたまるかぁぁ!」

 先を行くターゲットに狙いを絞り一心不乱にダッシュする拳悟。すぐさま追いついた彼は、行かせてなるものかと流子のことを背後から羽交い絞めにした。

「な、何をしやがる、このスケベ野郎! 放せ、放しやがれ~~!」

 流子は頭を後ろに振って頭突きをお見舞いし、しがみつく拳悟を無理やり引き剥がそうとする。しかし、彼はおでこの痛みを我慢しながら彼女にしがみついたまま放そうとはしない。

 じたばたと暴れる彼女の一瞬の隙を突き、彼はもの凄い掛け声を上げながら残り少ないパワーを放出して彼女のことを腰から持ち上げる。

「キャアアアッ!?」

 上体を浮かされた流子は、綺麗なアーチを描きながら後ろへと投げ飛ばされてしまった。それはまさに、プロレス技でいうジャーマンスープレックスのようであった。

 彼女は頭を地面に強打してしまい、軽度の脳震盪を起こしたのか目を回してノックダウン状態に陥った。

 かなり無理な体勢で投げ技を繰り出した拳悟。彼も無傷というわけにはいかず、打ち付けた頭と痛めた腰を擦りつつグラウンド上に起き上がる。

「おー、いてて……。ようやくこれで仕留めたようだな」

 立ち上がれない流子を確認するなり、拳悟はゴールに向かってフラフラと歩き出す。かなり疲労が蓄積していたようで、彼の足つきはそれはもうおぼつかないものだった。

 応援席からどよめく歓声が巻き起こる中、彼は勝利という勲章のために一歩、また一歩と大地を踏みしめていく。だが彼はその時、戦線離脱したと思っていた宿敵が息を吹き返したことに気付かなかった。

 地べたに寝そべっていた彼女は、着用しているカンフースーツの結び紐を引き抜くように指で摘み取る。この結び紐こそ、彼女の隠し技であり奇襲を掛けるアイテムでもあった。

「……おお、あと二十メートルってところか」

 栄えある一等賞、それが目の前に見えてきた瞬間だった。

 拳悟の肩口にいきなり巻きついてきた結び紐。それは言うまでもなく、流子が渾身の力で放り投げた隠し技だ。

「うそぉ……? おまえ、まだ生きてたんか?」

「フ、フフフ、勝手に殺すな……」

 ヒートアップしていくこの百メートル競走。応援席の至るところから、やんややんやと興奮する喚声が巻き起こる。

 二人の対決が異様に盛り上がっている中でも、勝と地苦夫はいつになく冷静な面持ちで果てなく続く不毛な闘いをじっと傍観するしかなかった。

「百メートル競走だけでここまでプライドをかけるとは。いやはや、敬意を表するところだな」

「褒めてやってもいいけどよ、どっちが勝っても、俺たちとしてはちょっと複雑なところだな」

 その果てない闘いの渦中にいる拳悟は、流子が投げ付けた結び紐を必死になって解こうとした。ところが、解こうとすればするほど紐はますます彼の肩にきつく食い込んでいく。

「く、くそ、くたばれ、コイツ! 何てしぶといヤツなんだ!」

 拳悟は無我夢中で、生き物のごとく絡み付いた紐と悪戦苦闘していた。

 あと少しで解けそうなぐらい結び紐が緩んだ直後だった。知らず知らずのうちに紐を手繰り寄せていた流子が彼との距離を一気に詰めていた。

 ――それに彼が気付いた時はもう手遅れ。そこは彼女の完全なる間合いの中であった。

「ゴー、トゥ、ヘル!」

『ズガッッ!』

「はおぉぉう~~!」

 流子の復讐のアッパーカットが顎に突き刺さり、拳悟は意識を失ったかのように目を泳がせたまま後方へと沈んでいく。

 さらば、良きライバルよ……。流子は激戦の勝利に感涙し、ねじ伏せた好敵手の傍を走り抜けようとする。ところが、この闘いはまだ終わってはいなかった。

「な、何だとぉ!?」

 左足に紐が絡まっていることに気付き、流子は目を大きくして驚愕の声を上げた。その紐は何と、先程まで拳悟の肩に巻き付いていたあの結び紐であった。

 彼は遠くなりかけた意識ながらも、倒れる寸前に解いた紐の先端を彼女の左足に放り投げていたのだ。これも一重に、恐るべき闘争本能というやつか。

「ど、どうだ? 俺の神業を思い知ったか」

「う~ん、とことん侮れんヤツ……」

 これまでの途方もない格闘により、スタミナのほとんどを消耗してしまったこの二人。残り十メートルで決着を付けようと、気力を振り絞りながら果敢に走り出した。

 その十メートルの激走の途中にも、肩をぶつけたり、肘鉄を繰り出したり、はたまたヘッドバッドをお見舞いしたりと性懲りもなく小突き合いを繰り返していた二人。それもあって体力はもう限界に達しようとしていた。

 拳悟も流子も走ることができず、フラフラになってゴールを目指して歩くのが精一杯だ。大きくなる応援席からの激励の声が、そんな二人の背中をどうにか押してくれた。

 ゴールまで残り三メートル、二メートル、そして一メートル――。二人は力尽きるように前のめりで倒れながら、ほぼ同じタイミングでゴールライン上の白いテープを切るのだった。

 長きに渡る白熱したバトルもやっとこさ終わり、勝と地苦夫の二人は疲れ果てた様子で安堵の吐息を漏らした。

「やっと終わってくれたみたいだな」

「果たして、どっちが勝ったのやら」

 ほぼ同時にゴールのテープを切った拳悟と流子。うつ伏せのまま顔だけ上げた二人は、どちらが勝利したのか教えろとゴールの傍で呆然としている生徒に震える声で尋ねた。

「え? ……た、たぶん、同着だと思いますが」

 その生徒は嘘偽りなく、見たままの答えを述べるより他なかった。

 拳悟と流子は結果を知らされるなり、怒り心頭でいきり立ち鬼の形相で地べたから這い上がってくる。同着なんてオチがあってたまるか!と、怯えている生徒の胸倉に掴み掛かった。

「てめぇなんざ、消え失せろっ!」

 何とも哀れなことに、二人から八つ当たりという暴挙のせいで先程の生徒はこの場から吹っ飛ばされる運命なのであった。

「わぁ~、ひどいや~。どっちにも殴られたくないから同着って教えてあげたのに~!」

 それでも怒りが収まらない二人。この野蛮な生き物を宥められるのは、飼い主ともいうべき尊厳のある凛々しき教職員しかいないだろう。

 ここで果敢にも踏み込んできた教師こそ、こういう教え子にいつも手を焼いている二年七組の担任である静加その人だった。

「そこの傷だらけのヒーローとヒロイン。先生があなたたちに勝敗の行方を教えてあげるわ」

「おお、シズカちゃん! 頼むよ、どっちが勝ったのか教えてくれ~!」

 呆れ顔を通り越して、苛立ちにも似た険しい表情をしている静加。その口から語られる勝敗の行方は、死に物狂いで闘った二人にとって悲惨とも言える結果であった。

「二人ともラインからはみ出した時点で失格よ。誰一人として正規にゴールできなかったので、このレースは無効です!」

 ここまでの苦労と苦痛がすべて無駄に終わり、拳悟と流子の二人はショックのあまりズルズルと腰から砕け落ちていく。この二人が手に入れたものはただ一つ、後悔という名の勲章だけだった。

 何とも後味の悪いままに決着した二人の対決。次の競争に控える勝と地苦夫は互いに苦笑し、ヤツらみたいな惨めな思いは御免とばかりにスタートライン上で気合を込める。

 ――とはいうものの、いざスタートしてみるとどこから用意したのかわからないが、ローラースケートを履いた勝とスケートボードに乗った地苦夫が言ってる傍から反則行為で争う姿がそこにあった。

「だから、そういうマネをするなと言ってんのよ、あんたらはー!」

 静加の怒気が混じったお叱りが響き渡る中、失格者続出の百メートル競走は賑やかなままに終わりを告げた。


* ◇ *

 第一種目から無様な姿をさらけ出してしまい、すごすごと七組の応援席まで戻ってきた拳悟と勝。そんな彼らを待ち受けていたものは、決して暖かな励ましの声とは言えなかった。

「まったくもう、あんたたち、やる気あんの?」

 困惑気味に眉をしかめる麻未は、偉そうに腰に手を宛がいつつ遊び半分の二人のことをチクチクと説教していた。

 いやはや面目ないと調子に乗ってしまったことをしきりに反省する勝だったが、チラリと横に流した冷たい視線は、すっかり疲労困憊している拳悟の方へと向けられていた。

「……まだ俺なんて、コイツよりはマシだろ?」

「あ~? 何か言ったかぁ、スグルぅ~?」

 拳悟は自分の椅子に座るなり、背もたれにぐったりともたれかかってしまった。あれだけの激戦を繰り広げた後だけに、気が抜けたようになってしまうのも仕方のないところだろう。

 もうヘトヘト状態である拳悟に声を掛けるのは、クラスメイトの中でも彼のことをそれとなく気遣っている由美であった。

「ケンゴさん、大丈夫ですか? 次の種目も出番ですよ」

「あらら、そうだっけ? ちなみに次ってどんな競技なの?」

「ソフトボール投げ、って書いてあります」

 プログラム表に記載されている種目、拳悟が次に出場するそのソフトボール投げとは、文字通りソフトボールをいかに遠くに飛ばすかを争う至ってシンプルな競技だ。

 次なる種目が単純なものとわかった途端、彼はやつれながらもホッとしたような小さい笑みを零した。

「なーんだ、ただのボール投げかぁ。それならあっさりと済ませてこようかな」

 どっこいしょと起き上がり、フラフラとソフトボール投げの競技場所へと足を進める拳悟。疲れた体にムチを打つ彼の身を案じて、無理だけはしないよう気遣いのメッセージを送る健気な由美なのであった。

 グラウンドの真ん中付近にある競技場所までやってくると、彼に語り掛けてくる一人の男子生徒がいた。

 額に真っ赤なバンダナを巻き、きつめのランニングを着てモリモリな筋肉をいかんなく見せ付けるワイルドな男子、二年八組の寡黙な核弾頭こと知部須太郎である。

「……ケンゴ。おまえ、連続で出場するのか?」

「ああ、いろいろと事情があってな。おまえもこれに出場すると思ってたよ」

 この二人はお互い、七組チームと八組チームの優勝の行方を左右するともいえるキーパーソン同士。二人は健闘を誓い合うように、お互いの肩を右手でバチッと叩き合った。

「ぐおぉぉ!」

 須太郎からの励ましの一撃は、拳悟にとってあまりにも強烈だった。その衝撃は肩の神経を瞬く間に通り過ぎて、先程イヤってほど攻撃を食らった後頭部の神経までも刺激してしまった。

 偏頭痛のような痛みを襲われる彼。その場にしゃがみ込んで、泣き叫ばんばかりのうめき声を上げてしまう。

「う~、競技前から早くもリタイアさせる気かぁ……」

「……すまん、少しだけ力を込めてしまった」

 こんな感じで、生徒たちがワイワイ楽しんだりうだうだ悔しがったりする中、派茶目茶高校の体育祭はその名の通りハチャメチャな盛り上がりを見せていく。

 現在のところ、七組チームはスタートダッシュに出遅れてしまい最下位という順位となっていた。

 まだまだ体育祭は始まったばかり。優勝するチームがどこか?など、この時点ではまだ誰にも予想できるはずもなかったのである。

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