10秒前
「・・・やべぇ!寝坊した!!」飛び起きて、支度をする。
いつも家を出る時間に目が覚めた。
洗面所に走り、顔を洗って歯を磨く。鏡に映る自分の顔を見て愕然とした。
今日は得意先を回るのに、目と心なしか右の頬が腫れている。
昨日、彼女のゆかりと明け方までお互い泣きながら喧嘩をした結果だろう。
ま、当のゆかりはソファーで寝ているが・・。
とっちらかった部屋には破れた本や、お揃いで買ったマグカップが無残に床に欠けて転がっている状況から、顔の結果が当然だろう。
そんな部屋を横目に慌しくスーツを着てドアを開けると、一言。
「いってきます!」
ドアを閉めてから気がついた。
人間、せっぱつまると習慣が出るもんだなと感心しながら走り始めた。
「・・・いってきますって・・・」
ソファで寝たふりをしていたゆかりが呟いた。
流石に明け方まで別れ話をしてたら、眠れる訳がない。
のそのそと体を起こす。目に映る惨劇に昨日の別れ話が思い出された。
「最後のスーツ姿、見そびれたなぁ・・・。」
マグカップの破片を踏まないように洗面所に向かった。
顔を洗って視線を下ろすと歯ブラシが二本カップの中にくっついて置いてある。
小さなカップの中で一緒にいる歯ブラシは付き合った頃の二人のようだった。
小さな世界の中にいる二人。あの頃のたくやは優しかった。何よりもゆかりを優先してくれたし、お金や時間がなくても一緒にいて楽しかった・・・・のに・・・。
自分の歯ブラシを掴んで歯を乱暴に磨くと、習慣で同じコップの中に入れそうになって手が止まる。
「・・・これは、どこに置こう・・・。」
手が泳ぐ。一緒に入れた狭い空間に戻していいのか。かといってゴミ箱に入れるのも・・・。あの頃の自分を捨ててしまうような気分になったからだ。
散々悩んで持ち帰る事にした。自分のカバンに歯ブラシを入れて、部屋を見渡す。
昨日は、今までの中で一番荒れた。最初の引き金を引いたのは私の一言。
「せっかく休みだから来てあげたのに・・・」
「は?俺がいつ頼んだよ?」
そこからは日頃積もっていた不満が垂れ流しになって、悪意のある言葉になってお互いを傷つけて、止まらなくって。一番傷つけたくなくて、一番笑っていて欲しいのに・・。
いつか一緒に行きたいねって話してたじゃらんの温泉特集は表紙が破れて、お揃いだねって笑って買ったマグカップは床で破片になってる。
あんまり覚えてないけど、たくやの顔もひっぱたいた気がする。
最後の別れの言葉も私が言って・・・。
マグカップだった物を破片を拾い集めながら、今までの事を思い返した。
「・・・で、その顔はなんなの?」
一緒に得意先でへ動向する青木が運転席から声をかけた。
「先輩・・外出先で使う資料、出来てますよ!」と助手席に腰を掛けた空元気のたくやが笑顔で返す。
「俺は、資料なんて聞いてねぇ。お・ま・えの面見て言ってんだよ!」とたくやの顔をつかんだ。
「痛い!先輩、マジ痛いんで!」と涙目になるたくや。
「お前さぁ、金曜日に彼女が来てくれるって仕事速攻終わらせて帰ったよな?で、月曜日にこんな面下げてこられたら俺は気になるワケ。」とタバコに火をつける。
「・・・俺が悪いんですよ。俺、あいつは、いつも俺の事、理解してくれて、何言っても許してくれるって勝手に思ってて・・・。甘えてた結果、明け方まで喧嘩して別れ話してこの状況ですわ(笑)もう、笑うしかないんで・・・。さぁ、行きましょう!」
たくやの話を聞いていた青木は無言で運転席のドアを開けて車の外に出た。
どこかに連絡をしている。不思議そうに見ていると戻ってきて、無言で車を出した。
運転集の青木の顔は明らかに怒っていて、もう、たくやは下を向くしかなかった。
「よし、これで大丈夫かな」
ゆかりはたくやの家をきれいにするついでに自分の物を荷物に詰め直していた。
もう、ここには来ない・・・いや、来れないからね・・・・と心の中でつぶやく。
たくやの一人暮らしの部屋には思っている以上に自分が置いていた物があり、一つ手に取っては思い出に浸っていたので思った以上に時間がかかった。
もう駅でゆっくりお土産を吟味する時間もなさそうだ。
でも、この部屋を出たくない、出れない。足が動かなかった。
「あ、あそこも汚れてるから綺麗にして行こう」
だって、もう来れないし・・・・
わかっていた。
これで荷物を持って鍵を閉めたら、鍵を持っているのは微妙だから、エントランスのポストに入れて、そこで本当に二人を繋いでたモノは切れてしまう事を。
少しでもその時間を遠くに放りたかった。
「はい、着いた。」車を止めた青木は、いつも通りの口調だった。
その言葉に少し安心して顔を上げるたくや。
「ここ・・・」着いた場所は、自分が朝出たマンションの前だった。
「あれ?打ち合わせは??得意先の会社に行くんですよね??」困惑するたくやに青木が笑顔で言う。
「昼に拾いに来るから、それまでに仲直りして来い。もしくはスッキリして来い。その面で一緒に仕事なんてできるか。アホめ。」と言うと半ば強制的に車から下し去っていった。
のろのろとマンションの扉を通り、エントランスのポストを開ける。
過去の経験上、もし、本当にゆかりが離れる事を選んだならここに鍵を入れるはず。
「・・・ない」心の声が思わずでた。少しだけ安心した。
まだ部屋にいるはずだ。
不安と緊張と少しの期待が自分の足をより早くさせた。
「ごめん、本当に俺が悪かった。泣かせるつもりじゃなかった。いつでも俺は、ゆかりの笑顔を見たいんだ。」心ではいくつもの謝罪が出る。が、実際にゆかりを目の前にして言える自信は・・・自信は・・。段々、足取りが重くなっていって、部屋のドアの前に佇んだ。
深呼吸をして、一言つぶやく。
もう、片づける場所もなく、ソファに腰掛けるゆかり。
時計を見る。それはゆかりが就職したお祝いにプレゼントした物だった。
「 二人で一緒の時間を刻んであるいて行きたいね 」
なんて話していた事を思い出すと胸が熱くなった。
思わず、つぶやく。
「「・・・もう一回やりなおしたいなぁ・・・まだ間に合うかなぁ・・」」
そう思ってゆかりは携帯を取り出した。