銀杏の木の下で③(わたしはあなたに三度目のキスをする)
シリアス調の後半。
「わたしが初めて先輩の家に行った時のこと覚えてます?」
紹介してくれると言った先輩の顔をつぶしてしまった愚行については、いまだに後悔している。
「ああ、真夜中にふらふらしてた不良娘を迎えにいったな。で、その不良娘はウチのおかんにケンカを売ったと」
「う、それは忘れてください」
「ああ、じゃあ君の胸チラ」
「記憶がなくなるまで殴りますよ」
「大事な思い出なんだから勘弁してくれ」
二人で共有したあの日のことをなぞりながら、わたしはなぜ真夜中の不良娘を気取っていたのかを話し出す。
「あの日ですね、祖母が入院しちゃったんですよ。食道癌だそうで」
「悪いのかい?」
「いいえ。早期発見みたいで。ただ年齢も年齢ですので」
「……」
「それでですね、ちょっとショック受けちゃって。なんだか家に帰るのもイヤになっちゃって。コンビニやファミレスをハシゴしていたんです」
「なるほど…ね。あ、でもおばあさん、今は家にいるんでしょ」
「定期的に通院してます。今のところ問題はないそうです」
「よかった、と言っていいのかわからないけど、とりあえずは君が心配するのは、お母さんのことだけってことでいいのかな?」
「そう……、なりますけどね」
各事案を個別に捉えるならばその通りなのだろう。でもだからといって、それらを切り離して論じることは意味がない。
「おばあさんのことも色々と心配なところで、お母さんに会わなくちゃいけない。もうやってらんねえ!ってことかな」
「そういうことですね。すみません、あいかわらずで」
足元の銀杏の葉を一枚拾い上げ指先で回しながら、わたしはある出来事を思い出していた。
自分が悪いのだけれど、あれはかなり痛かった。お礼はしておかないと。
「ああ、やっぱり話したら大分スッキリしました。先輩、ありがとうございます」
わたしは指を組んだ両手を絞るように頭上にかかげ、のびをしながら礼を言う。
「あ、それなら良かった。なんにしても、あまり無理しないでな」
「そういえば先輩? あまり関係ないことなんですけど聞いていいですか?」
「なに?」
「女性に暴力をふるう男の人ってどう思います?」
「いや、サイテーだろ、それは」
当然の答えが返ってくる。うん、やっぱりそうよね。
「なにかしらの理由があったとしても、ですか?」
「いや、理由があったとしてもね、暴力はいけないと思うよ」
「そうですよねえ」
「で、それが?」
「そういえば、最近わたしも暴力をふるわれまして」
「ちょ、誰に! なんで言わないんだよ!」
少し慌てたようにわたしに向き直る先輩。わたしはその鼻先に人差し指を当てる。
「お忘れになりました?」
「あっ!」
「不良娘だったわたしのほっぺ、誰かさんに叩かれちゃったんですよ。あれは痛かったなあ」
「えーと、そろそろ帰ろうか……」
そう言いながらベンチから立ち上がろうとする先輩。そうはさせじと腕を掴むわたし。
「せんぱーい。女の子にビンタくらわせる男の人ってどう思います?」
「いや、あの時はだな……」
「あの時は?」
うん、こうやって追い詰めるのってちょっと楽しい。でもね、先輩。
「すまん。俺がわ……」
みなまで言わさず、わたしは先輩の口を手でふさぐ。
「悪くはないですよ。だって、わたし嬉しかったんですから」
そして、そのままその手で頬をなでる。
「先輩って右利きですよね」
「そうだけど……」
「うん、だからそういうことです。あの時、悪かったのはわたし。そして叩かれて嬉しかったのもわたし。あ、被虐性癖とかじゃないですから、誤解しないでくださいね」
わたしが言いたいことは、たぶん伝わっていないだろう。何言ってんだ? って思っているかな。
でも、それでいい。わたしが叩かれたのは右の頬。
「だからね先輩。……ありがとう」
わたしは今日三度目となるキスをした。
とにかくキスがしたかったようです。




