熱帯夜
蒸し暑い夜はイヤですね。
眼下を貨物列車が過ぎる。ゆっくりとした動きから、徐々にスピードをあげてゆく様を、私はケータイ片手に眺めていた。
そして最後の車両が過ぎるのを待ち、送信ボタンを押す。
『今会えますか?』
返信が来ることはない。そんなことはわかってる。
夜中の三時過ぎ。
深夜は電源を切ると言っていた。あの人がこのメールを見るのは明日の昼くらいになるだろうか?こまめにメールチェックなどする人ではない。
バカなことをしていると自分でも思う。多分自虐的な笑みを浮かべているだろう。
一人で街をさまよって結局何処にも行けず、跨線橋の上で頬杖ついているなんて滑稽にもほどがある。
明日、あの人にメールのこと聞かれたら、「ちょっと寂しかっただけです」とでも言おうか。
頭を冷やすつもりでいたけれど、今日も熱帯夜。無為な時間を過ごしたことも手伝って、ぬるい風が余計に私の心にささくれを残す。
「バカみたい」
吐き捨てるようにつぶやいて、私はケータイをたたむ。
塒がないわけじゃない。戻ろう。ただ眠るために。ただ体を横たえるためだけに。そしてその方角に向けて足を向けたとき、あの人専用に設定した着信音が、横を通り過ぎる車の音よりも大きく響く。
!
まさか……。なんで?
「今何処にいる?」
通話ボタンを押すと、いきなり怒気をはらんだ声が私を詰問する。
地元ターミナル駅北側にかかる跨線橋の名を告げる。
「10分で行くから待ってろ。絶対そこから動くなよ」
それだけ言うとあの人は電話を切った。
なんで?電源切ってるハズじゃなかったの?
え、どうして?
そして頭の中を整理しきれないうちに、あの人が自転車でやってきた。
実際何分だったんだろう?10分もたっていなかったと思う。
「ああ、良かった。いたか」
私のそばで、ハンドルに顔を突っ伏すようにして、大きく息を吐くあの人。
「あの……」
私はどうしていいかわからず、ただおろおろするばかり。
「うーんと、まあいいや。とりあえずな……」
「えっ?」と伏せ気味だった顔を上げた瞬間
パシッ!
(あ…れ…?)
一瞬何が起こったのかわからなかった。後を追うように右頬がしびれるように熱くなってきて、そのとき初めて、自分が平手打ちされたのだとわかった……。
・・・・・・・・・
……痛い。
「ほれ、行くぞ」
「あの……、何処へ?」
「決まってんだろ。ウチだよ、ウチ」
この後、先輩は有無を言わさずといった感じで、わたしを自分の家に強制連行する。
家にあがると年配の女性が待っていた。先輩のお母さん?
「ああ、おかん。ただいま」
何か言わなくてはと思うのだけれど、言葉が出てこず、あわてて頭だけをさげる。
こんな形で初対面を迎えることになるなんて……。
「今はいいから、とりあえず休みなさい」
厳しい口調。呆れているんだろうな。
連れて行かれた部屋にはすでに布団が用意してあった。
「ああ、俺ので悪いんだけど」
着替えろというのだろう、Tシャツが渡された。
「とにかく休んでくれ。話は起きてから聞くから」
先輩の顔をまともに見ることができない。
「ごめんなさい」
ようやく声を出したとき、わたしの頭に手を置き、先輩はため息を一つ。
「おやすみ」
渡されたTシャツは思った通りブカブカだった。
(知らない天井だ……)
目を覚ました時、その場所にまるで見覚えがなく、一瞬の混乱が起こる。
(あれっ、ここどこ?)
頭がうまく働かない。上体を起こし、寝呆けたままゆっくりと室内を見回してみる。
そして徐々に意識が覚醒するとともに「なぜ自分がここにいるのか」を思い出し……。
わたしは本当に頭を抱えてしまう。
(あ~、やっちゃった~)
やっぱり、やらかしてしまったようです。