表に出ろ!
不埒な目論みというものは天の配剤で潰えるものです。
「じゃあ、どうぞ。かなり散らかっていますけど」
家につき、玄関ドアを開けて先輩を連れ込む。もとい、招き入れる。
と……。
(えっ?)
(えっ、なんでぇ~?)
(サンダルが……)
(なんでお父さんのサンダルがあるのぉ~!?)
「おー、お帰りー」
居間から父の声がする。
「先輩、すみません。ちょっと待っててもらえます?」
追い出すわけにはいかないので、玄関での待機を要請。
あわてて居間に飛び込むと、そこにはパジャマ姿でソファーに横たわっている父が、わたしに手を振っていた。
「ちょっ、お父さん、なんでいるのよ。あとひと月は入院って言ってたでしょ?」
「なんでいるのよ」は父親に向けるべき言葉ではなかったと、あとでちょっと反省。
「あ、スマン。言ってなかったけど「一時帰宅」の許可が出てたんだよ」
「ちょっとぉ、そういうことはちゃんと言ってよね。だいたい、どうやって帰ってきたの?まだちゃんと歩けないんでしょ」
「あ、歩くくらいはできるようになったよ。長時間は無理だけどな。ちょうどアニキが休みだったんで、車で送ってもらった」
あとで伯父さんにお礼言っとかないと。
にしても……。
防具? ともとも見えるコルセットが痛々しい。あんなんじゃろくに動けないでしょうに。
「それより友達来ているんじゃないのか」
!
そうだった~。あわてて玄関に逆戻り。
「先輩、すみません。あの、父が帰ってきててですね、その……」
下駄箱の上に飾った人形や写真を眺めていた先輩に想定外の事態を伝えるわたし。
「退院できたんだ。よかったじゃない」
「いえ、一時帰宅みたいなんですけど……」
「それじゃ俺がお邪魔するわけにもいかないし、今日は帰るよ」
くっ、これは口惜しい。せっかく来てもらったというのに。
とはいえ、父をほったらかしにするわけにも……。
父をとるか先輩をとるか? くぅ~、なんだ、この突発イベントは。
「おーい、オレのことはいいから、部屋にあがってもらったらどうだー」
エッチ抜きと言いつつ隙あらば、という不埒な思惑をものの見事に打ち砕いてくれた父が、わたしの気も知らず声をかけてくる。
はぁ……。
しかたない。本当に勉強を教えてもらおう。
「あ、すみません。ああ言っていることですし、とりあえずどうぞ」
そのまま階段で上がれば、先輩を会わせることなく部屋に行けるけど、紹介しないわけにもいかないよなあ。
「お父さん。紹介するね。学校の小森先輩」
想定外すぎて、抑揚のない口調の紹介になってしまった。
「はじめまして、小森です。おじゃまします」
先輩も普段聞いたことがないようなトーンで挨拶。しかも直立不動?ちょっと緊張しているみたい。
父は父で女友達を連れて来たと思っていたらしく、目が点。
……。
う~、なんだ、この沈黙は。き、気まずい。
それでもここはやっぱり大人? の父が自己紹介で雰囲気を断ち切る。
「あー、すまないね、こんな格好で。アデルの父です」
ソファーに横になっていたものの、それでは失礼に当たると思ったのか体を起こそうとする父。
しかし、10cmほど体を浮かせ、そこでうめき声を上げて顔をしかめる。
「あ、お父さん、いいから横になってて」
わたしがお願いするも「いや、そういうわけにもいかない」と唸るようにして、なんとかソファーに座り直した。
「いや、みっともないところを見せて申し訳ない」
腰に響くのだろう、両手をテーブルにおいて体重を支えながら、先輩に頭を下げる。
「あ、いえ。こっちこそ突然おじゃましてすみません」
先輩は背筋を伸ばしたまま頭を下げる。ビシッという音が聞こえそう。そして気にしていたであろうことから口にする。
「それと、お留守に上がり込む様なマネしてすみません」
「うん?」
何を言っているのかわからないといった表情で父がわたしを見る。
あ、そうだ。この人はこういう人だった……。
「あのね、先輩はね、女の子一人住まいの家に上がり込むなんてできないって、はじめはしぶっていたの。それをわたしがわがまま言って連れてきたの。そのことよ」
「おお、なるほど」
あ、頭いたい。わが父なれど、こういう常識論が即座に通じないとは。
そして閃いたといわんばかりにポンと手を鳴らす。その衝撃が腰に響いたのであろう、一瞬眉をしかめる。バカなの?
「ということは、あれか。オレは小森君に「親がいないと知って、娘一人の家に上がり込むたぁ、どういう了見だ。その腐った性根叩きのめしてやらぁ。表に出やがれ」と怒鳴ればいいのか?」
さらに頭が痛くなってきた。やっぱりバカだった。
「もう、お父さんは黙ってて!」
「ああ、冗談だ冗談。小森君も顔を上げてくれないか」
見ると先輩は頭を下げたまま、その姿勢を保っていた。
「ああ、先輩、すみません。そんなこと気にしないでください」
ようやく顔を上げた先輩は、わたしに顔を向け
「いや、怒鳴られて当然だと思う」
と言い切り、続いて父に向き直り
「すみませんでした!」
ともう一度頭を下げたのであった。
うわっちゃぁ……。
本当、妙なところで真面目なんだよな先輩って。
重苦しい雰囲気。
うう、こんなときどうすればいいの?
わたしが父と先輩を交互に見やるなか、均衡を破ったのは年の功というべきか、やはり父だった。
「ところで小森君」
そう先輩に声をかけた。ちょっとなに言うつもり!
「すまないが、横になっていいかな?」
は?
先輩もお辞儀をしたまま、顔だけをあげて「?」
「いや、腰がもうもたないんだ。できれば楽な姿勢になりたい」
だから言ったじゃない。
「もう、お父さんてば。痛いなら痛いって言ってよ」
「いや、なんだか真面目な雰囲気になっちゃっただろう。言うに言えなくてな」
「あ、すみません。大丈夫でしたか?」
ほら、あなたみたいな人でも先輩はちゃんと気遣ってくれるんですよ。
もう親を親とも思っていないわたし。
「ああ、平気平気」
そう言いながらソファーに横たわると、顔の表情が痛みからの解放を物語る。
あ、かなり痛かったんだ。もう、これじゃなにも言えないじゃない。
「いやね、娘が友達連れてきたのは初めてでね。しかもそれが君だろ。正直驚いた」
いきなりソレ?
「ほら、今の状態で表に出たってかないっこないし。体治っても難しそうだ」
それならそうと先に言え!
「まあ、だから娘のことは任せるよ」
ちょっと待ってって。何すっとばして、娘をいきなり嫁に出してんの!
先輩は……。
ほら、どうしていいのかわからないで固まってるじゃん。もう、いきなりバカなこと言わないでよね。
あまり気にしないでくださいねって言おうとしたら……。
えっ、先輩? 何を真面目な顔してるんですか?
「それは交際を認めてくれるということでしょうか?」
ええー! ちょっとちょっと先輩まで何言ってんですか。
これでわたしは一気にまっかっか。二人の間で両手を振りまくる。
父は寝そべったまま、威厳とは無縁の格好で、これまた愉快そうに笑う。
「いいなあ、君。親御さんの教育がいいのかな。オレが君の立場だったら、たぶんそういうところには気が回らなかっただろうし、それどころかラッキーって思ったろう。しかも、こうも面と向かって言うなんてできないよ。うん、たいしたものだ」
本当に楽しそうだ。わたしはわたしで、好きな人が褒められるのってうれしいものだな、と悦にひたる。
「いえ、そんなことは……」
ちょっとばかり照れる先輩。あ、年相応の顔してる。かわいい。
けどね……。
お父さん? 特大ブーメランに気付いてないの? あなたの教育の結晶がわたしなんですけど?
そして極めつけの一言キター!
「でも本当にいいのかい? このコ、面倒くさいだろ?」
おいコラ!表出ろ!!今すぐ出ろ!!!
「すみません、あんな父で」
なんだかよくわからないうちに、先輩と付き合うことを父に認めてもらったわたし。
喜んでいいやら、もうわやや……。
「いや、楽しくていいお父さんだと思うよ」
先輩もなんか微妙な表情。笑ったら悪いと思っているんだろうな。
家から最寄のバス停。
「あ、お父さんにさ、お大事にって」
そう言いながら先輩がバスに乗り込む。
「ありがとうございます」
バスの中から手を振る先輩に頭を下げ、しばらくその場で見送るわたし。
父の様子を見て、早々の退散を申し出た先輩を引き止めることは出来なかった。
それにしても、先輩があんなふうに言ってくれるとは思ってもみなかったな。素直に嬉しくて少し有頂天。なんだか未だにフワフワしている。
だけどなあ……。
う~、なにがどうしてどうなった~!
結果だけを見れば、交際を父親に認めてもらったのだから、戦果としては上々なんだけど、なんか……、なんか違う! ちがうぞぉ! はぁ……。
先輩を家に引っ張り込むことは、もうできなくなったよね。たぶん先輩のことだから、誘ったってキッパリ断ってくるよね。
あ~もう! 千載一遇のチャンスだったのに~!
まぁだけど……、先輩のあの顔を見られただけでも、あの言葉を聞けただけでも十分かな。というか十分すぎるでしょ、うん。
早歩きで家に戻りつつ、バス停での先輩の言葉を思い出す。
「今度ウチの親に紹介するよ」
あ~今から緊張するなあ。
結局、勉強はしませんでしたね。しょうがないコです。
今度先輩がご両親に紹介してくださるそうですが、
何か粗相をしそうで、どうにもこうにも心配です。何事もなければいいのですが。