夏の風
そういうお年頃です。
自転車置き場から、わたしは急いで校門に向かう。
先輩と待ち合わせ。
男の子を家に呼ぶなんて初めてのこと。しかも……。
心臓のドキドキが止まらない。
さっきまであんなに積極的だった自分が信じられない。
でも、ここまできたら引き返せないし、またそのつもりもない。
勢いでするようなことではないことも判っているけど、こういうことってある意味、勢いが必要なんだよね。
そう、今の気持ちに正直に生きるなら……。
それにしても、ロマンチックというには程遠い展開になってしまった。
どっちかというと「先輩の部屋で」ってのが第一希望だったんだけどな。
(けど、しょうがないよね。したいんだもの!)
はしたない本心をひたかくし、校門で所在なげにたたずむ先輩に声をかける。
「お待たせしました」
「あ、うん」
事の成り行きに戸惑っているのがありありとわかる表情。もうちょっと、シャキっとしてもらいたいなあ。
こっちも、ちょっとこわいんですよ。
それを素直に出さない自分もどうかとは思うけど。
しかも、ずるいことにいろいろな作戦パターンも立てちゃってるし。
そんなことを考えながら先輩の顔を覗き込む。
「どうしました?」
いつもならポンポンと言葉を発する口がなかなか開かない。と思ったら
「ごめん。調子に乗ってた俺が悪かったんだけど、さっきのあれ、ナシにしよう」
いきなり真顔になって謝る先輩。
「えっ?」
その言葉に、今度はわたしが戸惑う番。
「カッコつけるわけじゃないんだけど、なんか…、なんか違うって思うんだよね」
かなりその気になっていたわたしの中で、サーっと何かが引いていく。
「それに高橋さんて、今一人暮らしでしょ。そこに上がり込むわけにもいかないし。うーん……、だからさ……、ごめん」
そのまま、先輩は頭をかきむしり黙り込む。
父親が腰の手術をし、いまだ入院中。だからいまわたしは実家で一人暮らしとなっている。
だからこそ誘ったのだけれど、うーん、それが逆にアダとなってしまった。
わたしはわたしで、着陸指示のシュミレーションまでしていたものだから、旋回されてしまって、ただ呆然。
ちょっと気まずい空気。さてさて、ここでわたしの取るべき道は?
1.わたしに恥をかかせるんですか?となじる。
2.平手打ち!
3.強引に家に連れていき押し倒す!
制限時間一分。ハイ、スタート!
・
・
・
しゅーりょー。さあ、1、2、3のうち、どれ?
・
・
・
だぁー!どれもパス。んなことできるわけないじゃないの。
というか、逆にホッとしているし。調子に乗っていたのはわたしのほう。まったくわたしもバカなんだから。
あらあら、先輩も自力じゃ上昇気流には乗れないみたい。
うん、これは仕方ない。「清く正しい男女交際?」に舵をきりなおそう。ちょっと残念だけど。
「あーあ、結構、勇気いったんですよぉ」
わたしは先輩の顔を覗き込みながら、努めて明るい声を出す。
「ちょっと恥ずかしかったし」
そのまま先輩の胸に軽く頭を押し当てる。先輩の胸って分厚そう。ボタンが当たってちょっと痛かったけど、これは先輩をからかったバチが当たったんだと思うしかないよね。
「あ、ああ、ごめん」
あ、なんかマンガでこんなシーン見たかも。中味は全然違うけど。
サブキャラのキレイな女の子が振られて、そのあとサバサバした表情で相手の男の子に笑いかけるシーン。
うぉっと、縁起でもない。
それに、お相手の男の子も……。
ちらり。
…
……
………全然ちがーう!
ダ、ダメだ。耐えられない!
思わずその場で吹き出してしまうわたし。だってマンガとのギャップが激しすぎて……。
「な、どうしたん?」
ひとしきり笑いこけるわたし。わけもわからず、おろおろする先輩。
やっぱりこれかな?
あまり事を急いたって、いいことなんかありはしないんだから。一人で勝手に納得。ころころ、ころころ、転がるわたし。
いろんな意味で恥ずかしいことしてたね。先輩、ごめん。ホント、わたしのほうがなじられてもいいくらい。
先輩はわたしが思っているより、ずっとロマンチストだったんだね。たぶん、わたしが思っている以上に、わたしのことを考えてくれている。
ありがとう。やっぱり大好きですよ、先輩。
少し涙目になりながら、わたしは自転車のハンドルを先輩に押し付ける。
「はい」
わたしの反応に、どう対応していいのかわからない様子の先輩は、マンガの男の子のようにはなれなくて、困ったような顔でわたしを見るばかり。
オロオロキョロキョロ落ち着きないし。
けれど、今のわたしにとって、この人以上にカッコイイ人はいない。
でも、エッチな期待を反故にしてくれたお礼はきっちりしとかないとと、これまた性悪魔女のわたしは思うわけで。ホント、多重人格じゃないかしら、わたし?
「じゃあ、エッチ抜き、ということで」
「え?」
「えっじゃなくて、勉強教えてくれるくらいはいいでしょ?」
「あ、でもやっぱり一人暮らしの女の子のところには……」
「わたしは気にしませんよ」
「でもなあ……」
「大丈夫ですよ。なにもしませんから」
自分で言って吹き出してしまったわたし。だって……。
「ねえ、先輩。これって、普通逆じゃないですか?」
「ん? あ、ああ、そだね。っはは。うん、じゃあ、ちょっとだけお邪魔させてもらうかな」
頭をかきながら照れ笑いの先輩。うん、やっぱり可愛い。
「だから、はい。運転よろしく」
「えー、俺がこぐの?」
「んもう! わたしに先輩を乗せて走れと?」
ずっと前から持っていたささやかな願い事。
好きな人が乗る自転車の後ろ座席に、ちょこんと女の子座りして、後ろから抱きつくようにして腕を巻き付ける。いいよね、アレ。
今がそのチャンス。
なら逃がしちゃいけないとばかりに、演技派アデルにバトンタッチ。
先輩のシャツをつまんで、ちょっと俯き加減。
そして聞こえるか聞こえないかのような、小さい声で言ってみる。
「先輩?これって女の子の憧れ、なんですよ。だから……」
ポン。先輩の手がわたしの頭に乗せられる。大きい手。
「はいはい、わかった、わかった。でもさ……」
了承してくれたにも関わらず、まだ何か言いたいことが?
「今笑ってるだろ」
ギクッ!あっちゃあ…。
どうやら先輩もいつもの調子を取り戻したみたい。
「ま、でもいっか。うぉっし、んじゃ」
先輩にうながされて、わたしは後ろに座り、だぶついたシャツをこわごわとちょいつまみ。その場になるとなかなか大胆な行動には移れない、言行不一致この上なし。
「行っくよ!」
最初よれよれとふらつく自転車。ちょっとコワい。でもすぐにスピードに乗って。
あ、なんだか……。
目の前の風景が横に過ぎていく。初めてだな、こんなの。
電車やバスとは全然違う。とても新鮮。
先輩がわたしの手を取って、自分のおなかの辺りに押し付ける。
「危ないから、手はこっち」
うわ、こんなのでドキドキしちゃってるよぉ。
先輩がその気であのままいってたら、もしかしたらその場で気絶してたかも? 経験値の無さはやっぱりいかんともしがたいなあ。
そして、わたしはその手に感じる先輩の腹筋にまたしてもドギマギ。
もっとプヨプヨかと思ってた。
「先輩?結構腹筋硬いんですね」
「ふっふーん。意外でしょ。こう見えて、俺って体鍛えてんのよ」
「じゃ今度見せてくださいね」
「あのねえ…。にしても、うーん、やっぱ思うんだけど、高橋さんてさあ……」
「はい?」
「エッチだよね」
何言ってんですか、いまさら。女の子なんてみんなエッチなんです! 変な幻想抱いちゃダメですよ、先輩っ!
特にわたしなんて、そのことばかり考えている時があるんですから。
「先輩? もしかして今、ちょっと失敗したかなあ、とか思ってます?」
「そりゃ当然。かっこつけんじゃなかったって、後悔しまくりだよ」
「じゃあ、します?ちなみにわたしは「したい」ですよ」
きわどい会話。わたしも懲りないなあ。
「んにゃ、武士に二言なし!」
「据え膳食わぬは武士の恥ってのもありますし。まだ間に合いますよぉ」
こうなったら、とことんあおってあげよう。
けれど先輩はそんなわたしの目論みはお見通し。
「あんまり調子こいてっと振り落とすぞー!」
「あうっ」
いきなり蛇行運転をされて、わたしはさらに先輩にしがみつく。
ふふっ。わたしは自然と口元がゆるむのを心地よく感じていた。
たぶん、先輩も笑っていることだろう。
ああ、風が気持ちいい。
夏、二人乗りでの帰り道。
さて、本当に勉強だけで済むのでしょうか?