混のタリム
カナミと翼の守護者が俺たちの場を離れていくのを、俺は何もせずに眺めていた。
カナミと協力すれば、いや協力しなくてもあの守護者を倒すくらいはわけない。それは自惚れではなく、一度手合わせして確信した事実だ。
だからこそこの戦いはカナミに任せた。
俺がすべきことはあいつと戦うことじゃない。
「カナミさん、大丈夫でしょうか‥‥?」
「『戦士ができると言ったんだ、信じて待つ他ない』」
正直今回の戦いはカナミにかかっていると言っても過言じゃない。
それほど重要な役割を任せようとした時、彼女は躊躇なく頷いた。勇者に頼られるなんて、この上ない誉だと。
だとすれば心配するのは無粋だ。彼女の思いに応える方法は心配じゃない、黙って自分のすべきことをする、それだけだ。
「『来るぞ』」
守護者だけ差し向けてくることも考えていたが、予想通り魔族も動きを見せた。
そうだよな、翼の守護者は魔族にとっても強力なカードのはずだ。それを切ってくるってことはここで勝負を決めたいはずだ。
闇の中でいくつもの影が蠢く。
つい先ほどまで存在しなかったはずの気配が数え切れないほど現れていく。
予想した通りではあるが、考えうる限り最悪のやり方を選んできやがった。
「ユースケさん、あれが魔族に操られている人たちですか」
「『ああ、操られている人もいれば、そうじゃないのもいるがな』」
「私には見分けがつきません‥‥」
リーシャの言う通り、暗闇の中から続々と現れたのは多数の人間だった。
学校の制服やスーツ、私服姿のどこにでもいる人たち。
その正体は二種類だ。魔族が作り出した分体か、分体を寄生させられた本物の人間か。
その中の一人がゆっくりと俺たちの前まで歩いてくる。
それは十歳前後の少年だった。可愛らしい顔立ちで、見る者の威勢を削ぐような笑顔を浮かべている。
しかしその正体が俺の眼には確かに見えていた。ただの少年ではありえない禍々しく濃密な魔力。
「『貴様が混の魔族か』」
少年は笑みを深めて答えた。
「ええ、その通りです。僭越ながらも僕が混の称号を承った者です」
とても卑劣な手段を用いるとは思えない無邪気な声。
「そういう貴方は何者でしょう、守護者というわけでもなさそうですけど」
「『現地の魔術師だ。縁あって彼女たちの手助けをしている』」
「現地の魔術師‥‥」
混は少し考える素振りをしてから肩をすくめた。
「あり得ませんね。この世界の魔術師のレベルは低い。貴方程の魔術師が存在するとは思えません」
「『貴様の判断はどうあれ、事実だ』」
「本当のことを話す気はないということですね」
つぶらな目を細め、混は手を上げた。
「そちらがその気ならば僕もやり方を変えましょう。現地の魔術師というならば、こちらの方がよさそうですしね」
それと同時に混の後ろに並んでいた人間たちが構えた。まともな武器らしい武器ももたぬまま、前のめりになる。
「どの人間が分体で、どの人間が本物か分からなければ、どうすることもできないでしょう?」
この鎧にどれだけの人間が群がったところで傷一つつけることはできないが、あの中に交じった分体ならば、こちらの隙を見てダメージを与えることも可能というところか。
混が手を振り下ろすと、人間たちがこちらに向けて走り出す。
「ユースケさん、聖域を!」
リーシャが魔術を発動しようとするのを手で制す。
そうだな、嫌なやり方だよ。俺が相手じゃなければ、どうすることもできなかっただろう。
「『舐めるなよ下衆が』」
ただの人間と、寄生された人間を見分けるのは難しいが、完全な魔族の分体と人間とでは間違える方が難しい。相手が取ってくる手が分かっていれば、対応のしようもある。
剣を左肩に構え魔力を込める。翡翠の幾何学模様が刀身を這い、魔術を構成した。
右足を前に出し腰に力を溜め、捻転。力は腰から上半身を回転させ、切っ先が爆ぜるような速度で疾駆する。
放つは横薙ぎの一閃。
「『月剣』」
夜を切り裂き三日月が浮かび上がった。
それは空に浮かぶ金色のものではない。向かってきた人間たちを刈り取る翡翠の三日月だ。
広範囲を一閃で切り払う魔術、『月剣』。嵐剣や極剣よりも出が早く、どんな体勢からでも使える技だ。月剣は目前の一切合切を瞬きの間に両断した。
閃光の余韻が消え、またも静寂と暗闇が辺りを包む。
「馬鹿なっ、人族ごと切るなんて!」
そんな中、まとめて斬られた混が上半身だけの状態で叫んだ。
だが生憎と俺は人は斬ってない。
夜道には両断された身体の残骸と、五体満足で倒れている人々の姿があった。
混も周囲を見回し、初めてそのことに気が付いたらしい。
「‥‥まさか、斬る相手を選んだとでも」
「『何を驚いている』」
一度見ているんだ、その対象だけを選んで斬るくらいは容易い。
単純な『月剣』だからこそ、そういった調整も行える。お前の手口は分かってたんだ、まさか何一つ策を用意せず現れたと思うのか。
「す、すごいですユースケさん」
リーシャが驚いているが、この技術はさほど珍しいものじゃない。勿論調整できる魔術とできない魔術があるが、カナミでも攻撃対象を選ぶくらいわけないだろう。
再び剣に魔力を込めながら一歩を踏み出す。この一撃で決着なら楽な話だが、残念なことに混の纏う魔力はまるで変っていなかった。
「『これで分体、寄生体共に斬った。いい加減本気で来い』」
混は腕で分断された上半身を引きずりながら、こちらを見た。
その異様な光景にリーシャが息を呑むのが分かった。ジルザック・ルイードは比較的人間と似たような形をしていたが、そうじゃない魔族もいくらでもいる。
身体を両断されて尚、混は笑った。
「ははは、ここまでの強さだとは思いませんでした。確かにいつまでも様子見をしているわけにはいかなさそうです――ねえ」
「ひっ」
ついにリーシャが声を漏らした。
それも無理はない。混の小さな口が骨格を歪めるようにして開き、そこから十本の指が出てきたのだ。
指は更に口を強引に開き、痛みを感じる程の音を立てながら手、腕、肩、と口の中から現れていく。
「ああ、嫌になりますねぇ。もう少し簡単に行くかと思ったんですけど」
そいつは長身痩躯に灰色の肌をした、石像のような姿だった。
大まかなシルエットは人型に近いが、こいつを人型と言うには抵抗がある。細長い尾に額から生えた二本の角。
まるで動物の特徴を人に融合したような姿だ。
しかし最も人とかけ離れているのはその頭部。顔にあたる部分にあるのは、巨大な口だ。更にその中からは大きな瞳が一つだけ覗いている。
つまり正面から見た姿は、ボウリング玉サイズの単眼を口が飲み込んでいるようなものだ。
明らかに生物としての規格が違う。
「仕方ありません、直接相手をしてあげましょう」
両手を広げ、俺たちを見下しながら混が言った。その余裕を裏付けるように全身から更なる魔力が溢れ、身体を覆う。巨大な目が歯の隙間で蠢き、辺りを睥睨した。
「ああ、ですがその前に」
瞬間、混の尾が撓った。
鞭と化した尾は目にも止まらぬ速さで空気を引き裂く。
狙いは倒れている人たちか!
「『っ!』」
すんでのところで剣を割り込ませ、尾の一撃を受けた。とても生物の尾とは思えない硬質な衝突音が響き渡り、腕に重い衝撃が走る。想像以上に威力が強いが、この程度なら大したことはない。
受けた瞬間に逃すことなく尾を斬り飛ばした。表面は硬いが中はまるで泥を斬るような重い感触で、血すら出ることなく尾の先端は地面を転がった。
混は自分の身体が斬られたにも関わらず、微動だにせず突っ立っていた。
分体を作り出したり、身体を変化させたりするような奴だ。肉体的ダメージは効果が薄いのか。あるいは何か核のようなものを持っていて、肉体そのものは外装という可能性もある。
それにしてもこいつ、躊躇なく殺しにきやがった。
「『貴様、神魔大戦について何も知らないのか?』」
「人を殺し過ぎれば追放されるというものですかぁ。それはどれだけの人数を殺せば起こるのでしょう? そもそも本当に起こるものなのですかねぇ」
首を回しながら混は何て事のないように言う。
「それが分かるのであれば、試してみる価値もあるかもしれませんね? 幸い材料はいくらでも転がっているわけですし」
その口調はあまりに気軽だった。
こいつにとって人間はその程度の価値しかない。命は塵芥と変わらず、それが何かに利用できるならいっそ無価値よりよかろうと本気で信じている。
今更それについて問答するつもりはなかった。そこらの人にゴキブリを慈しめといったところで不可能だろう、それと似たようなもんだ。
だが聞いていて愉快かどうかは別問題。
「『俺を相手に余所見をしている余裕があると?』」
「そうですねぇ、それは些か骨が折れそうです」
飄々とそんなことを言いながら混は尾を軽く振った。半ばで斬り落としたはずの尾はバキバキと音を立てながら形を変えていく。
瞬く間のことだった。
細長かった尾は節に分かれた甲殻を纏い、鋭く研ぎ澄まされたものに変わった。その見た目は尾というよりも蛇腹剣に近い。
肉体そのものを変化させる魔術。獣の要素を加えたり、特定の法則に従って身体を変化させる魔術は見たことがある。
ただこいつの魔術はそれと比べても異質だ。再生、変化、分体、どういった魔術なんだ?
混はガチガチと歯を鳴らし、歯と目の隙間から舌を伸ばして目玉を舐め上げた。
「しかしいいでしょう、私もそろそろ試したいと思っていたのです」
「『試す?』」
「ええ、私の今の力がどれ程のものなのか。あの守護者崩れは弱すぎてお話にもなりませんでしたからねぇ」
「『‥‥』」
そうか、てっきり鍵を人質に取られて一方的に主従関係を結ばされているのかと思ったけど、純粋な実力差で負けてたのか。
あの翼の守護者だって決して弱いわけじゃない。それを歯牙にもかけないとなれば、戦闘力は想像以上だ。
混は両腕を広げ、空を仰ぎ見た。その先にあるのは星々すら覆い隠す夜空だけだ。
しかし混は目を大きく見開き、空の向こう側にある何かへ語りかける。
「私は混の称号を授かりし者タリム。あらゆる因子が溶け合う混沌の泥。ああぁ、我が主よ。この出会いに感謝を。今より主に反する愚かな人族を冥界へとお送りいたしましょう」
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