決戦の始まり
人々が寝静まった夜。
俺たちはゆっくりと夜闇の中を歩いていた。
『我が真銘』は鎧であるが、その能力の一つに感覚機能の拡張というものを持っている。つまり初夏の蒸し暑さを肌で感じることができ、視界も一切遮られない。体を動かす感覚は平素と同じ軽やかさだ。
故に魔術を発動しながら歩いていても、まとわりつくような湿った空気の重さまで感じられてしまう。
嫌な夜だ。
人の気配は完全に消え、静けさが周囲に溜まって澱んでいく気さえする。
「ユースケさん‥‥、大丈夫でしょうか」
隣を歩くリーシャが、不安げな視線でこちらを見上げた。
リーシャがそう思うのも無理はない。何せ俺とカナミ、そしてリーシャは三人以外の誰も連れず、どうぞ狙ってくださいと言わんばかりに夜道を歩いているのだ。
マナが濃くなる地球の夜は、総魔力量の多い魔族に有利。
しかも不意打ちもし放題の状況。
あからさまな釣りだ。
リスクが大きすぎるため、本来なら相手の出方を窺いながらこちらから詰めに行くのが最善。
しかし今回はそんな悠長なことはしてられない。混の魔族はジルザック・ルイードと戦いに対する考え方が異なる。
たとえリーシャを囮にするという悪手であっても、相手を誘い出す。
「『安心しろリーシャ。君は俺が守る』」
故にリーシャには傷一つ付けさせやしない。俺の都合で危険に晒すのだから、俺が必ず守る。
隣でゴシックドレスの豪奢なフリルを揺らしながら、カナミも口を開いた。
「そうですわ。仮にも聖女なのですから、どのような状況であっても泰然と構えているべきですのよ」
「カナミさん‥‥でも私、聖域しか使えませんし、戦えませんし‥‥」
「『適材適所だ、君の聖域があるおかげで戦える』
「その通りですわ。貴方の聖域は紛れもなく随一。そのことに自信をもちなさいな」
カナミの言う通りだ。今回の作戦でもリーシャの魔術は重要な要素になっている。
ぶっちゃけ俺の魔術は直接戦闘向けなので、搦め手で来る相手には相性が悪い。
だからカナミやリーシャに頼る必要がある。
加賀見さんや月子たちにはとにかく人払いをお願いしている。相手を誘い込むために、戦闘への参加は正真正銘俺たち三人だ。
さて、後は相手がどう出るかだが‥‥。
「来ますわ」
カナミが呟いた。
同時に上空から感じる魔力の気配。
見上げれば、夜空を染め上げる白銀の光が流星となって落ちてきた。
全方位から向かってくる数多の槍たちは、守護者の魔術だ。
やっぱり魔族じゃなくてこいつが来たか。
「『奇襲にしては温いな』」
相手もこっちの動き方を図るつもりか。
剣を出現させて魔力を込めようとすると、それより先にカナミが動いた。
「この程度なら私が」
タン、とまるで舞踏会で踊るような軽やかなステップで前に出ると、カナミの腕が跳ねた。
そこからは銃声の連続である。両手に持った拳銃の銃口から、魔力の光がマズルフラッシュのように瞬き、弾丸が槍へと放たれる。
槍と弾丸の衝突は一瞬だけ拮抗し、爆ぜた。
あの銃、魔術で弾丸を作り出してるな。似たような魔道具は戦争の最中で何度も見たことがあるけど、拳銃サイズであれだけ高度な魔術を発動できるのはお目にかかったことがない。
戦争の後に開発された物か、あるいは皇族だからこそ持てる物なのか。
どちらにせよ、作戦に変更はなくてよさそうだ。
「‥‥」
光の向こうにそいつは佇んでいた。銀の髪と同じ翼を背負い、純白の長槍は夜の中で不気味な輝きを放っている。
冷徹な美貌は無感情のまま凍り付いていた。
「あら、裏切者がノコノコとよく顔を出せたものですわね」
即座にカナミが煽りを入れた。『鍵』を守るべき守護者が寝返ったことが、相当頭に来ているらしい。
そりゃそうだ。こいつの都合がなんであれ、戦時中の利敵行為は例外なく死刑である。
敵につく以上容赦はしない。
翼の守護者は無言で魔術を発動させる。
純白の槍が突き出され、そこから一直線に閃光が駆け抜けた。空気を焼き焦がしながら、槍の一閃が目前まで迫り、次の瞬間にはカナミの銃から放たれた弾丸が、光を弾き飛ばした。
直後、これまで黙秘を貫いてきた守護者が口を開いた。
「‥‥守護者や鍵など、所詮は生贄。世界だの大義だのと、貴方も下らない価値観の中で生きている」
初めて聞くその声は、酷く冷え切っていた。驚いた、まさか守護者から神魔大戦そのものを否定するような言葉が飛び出るとは。
呆気に取られたのも一瞬、カナミが目を吊り上げて返した。
「口を開いたかと思えば、碌でもない戯言でございますか」
「戯言だと思うのは、貴方が何も考えていないだけ」
ギリッ! と歯を噛み締める音が俺のところまで響いた。今にも血管が千切れる音が聞こえてきそうだ。
この守護者がどういった生い立ちなのかは知らないが、カナミは神魔大戦を経験している戦士である。幾度となく傷つき、死を目前に無力に打ちひしがれ、尚戦う選択を取った英雄。皇族の娘として生まれたのだから、その気になれば戦う以外の選択肢もあっただろう。
だがそうしなかった。
そんな彼女に戦いそのものを侮辱するような物言い。もはやカナミの我慢は限界に近い。
「ユースケ様、あれの相手は私が」
「『任せた』」
もはや言葉を交わすことは無意味と判断したのか、カナミがそう言って前に出た。
同じく戦争の当事者であった俺が平然としているのは、翼の守護者が言っていることに共感できるところがあったからだ。
所詮は異世界人。皇族、王族として民を守る立場にあるカナミやエリスとは、出自も環境も違う。
だからやはり、あいつの相手はカナミこそ相応しかった。
翼の守護者は槍を構えながら魔術を発動する。
翼が羽ばたくように揺らめき、多くの羽が輝きながら舞い散った。羽は意思をもっているかのように守護者の眼前へ集まると、優美なオブジェを形作る。
大技だ。
しかもこの間の全方位に放つものとは違う、一点突破の強力な一撃。そこらの魔術師では防御ごとねじ伏せられる威力を秘めているのが見ただけで分かった。
にしてもやっぱり、
「馬鹿にしてますの?」
戦いの経験が足りてないな。
「――っ⁉」
すぐ真横に現れたカナミに、翼の守護者は咄嗟に槍を振るおうとした。
だが遅い。
いくら翼で短縮しているとはいえ、敵の眼前であんな溜めが必要な魔術を使うなんて、自殺行為だ。
カナミの指が引き金を引く。弾倉が連続で回転し、銃の中で生成された魔弾が放たれた。
「『業風弾』」
カナミが撃ったのは暴風の弾丸。夜が歪んで見える程の圧縮された暴風が、何層もの螺旋を重ねて翼の守護者に衝突した。
咄嗟に翼が防御魔術を発動したが、完全には防ぎきれない。銀のオブジェクトは光の粒となって消え去り、翼の守護者は凄まじいスピードで吹き飛ばされた。
カナミの攻撃はそれだけでは終わらない。
「少しばかり、場所を替えさせていただきますわ」
拳銃が唸り、続けざまに暴風が守護者へと放たれた。
カナミの役割は、まずあの守護者を俺たちから引き離すこと。
怒りを覚えながらもカナミはその役割を確実にこなしてくれた。
あとはこっちがどう出てくるかだな。
改めて剣を握る力を強め、俺は周囲を見つめた。
新年あけましておめでとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。
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