銃対槍 四
それは嫌になるほど見た、『正義の槍』。
『嘘‥‥だろう‥‥』
ネストの声が遠くに聞こえる。
途方もない魔力が大地を割り、その裂け目から影が噴出した。
そして、絶望は地獄より這い戻る。
「やってくれたものだ、侵略者どもよ」
噴出する影から、ルガーが踏み出でた。
ただこれまでの彼ではない。
その背には、巨大な甲冑を背負っていた。
人ではない異次元の圧。目にしただけで網膜が焼かれるような、不可視の光を放つ超常の存在が、ルガーの背後に立っていた。
沁霊だ。
自身の魂の根源に住まう怪物を、ルガーは影の中で顕現させたのだ。
前以外は見えなかろうという兜に、美しくも見る者を不安にさせる紋様が描かれた甲冑。そして、その両腕は槍になっていた。
あまりに歪な姿は、ルガーの中の屈折した思いを体現しているようだ。
「侵略者ごときが見るにはあまりに不釣り合いが過ぎるが、これは我が心からの称賛でもある。見よ、これが『正義』である。これこそが『正義』である‼」
沁霊が槍を構えた。
来る。
分かっていても、避けられなかった。
タリムが咄嗟に操作し、黒騎士は動いた。
それでも槍の乱舞を避けきることはできなかった。沁霊術式を超える手数、範囲。
宣言通り、ルガーの正義を象徴するような暴虐の嵐だ。
どれだけの時間が経っただろうか。
『――ナミさん‼ カナミさん‼』
通信機を通してネストの声が聞こえた。
声が聞こえるということは、彼は無事だったのだろうか。
「‥‥はっ、ぁ‥‥」
息をしている。
まだ生きている。
生暖かいものが顔を濡らし、視界の半分が潰れていた。
「ぁ‥‥タリム‥‥」
『‥‥ここにいますよ』
「被害、状況は‥‥」
『装甲の六割を欠損。武器も盾も使い尽くしました。何より、あなたのダメージが酷い』
「私の‥‥?」
そこまでを言い、気付いた。
こちらを見ているルガーが、肉眼で見える。
つまり、自分を守っていたはずの黒騎士の胸部装甲は崩壊し、カナミの身体が露出しているということだ。
そして彼女自身は気付かなかったが、状況はそれよりも酷かった。
黒騎士はもはや動くこともできない有様で、特に左肩から胸にかけては、完全に抉られていた。
カナミの左半身も被害は大きく、左腕は力なく垂れ下がり、頭からは絶え間なく血が流れ、ドレスを濡らしていた。
左眼に入れていた『シャイカの眼』も動かない。
何よりもそこまでの怪我を負いながら、それに気付かなかったことが一番の問題だった。
(痛みも、身体の感覚もない)
それがどれだけ危険な状況なのか、カナミはよく知っていた。
次に彼女が考えたことは、単純だった。
「‥‥タリム、黒騎士を解体。私のイメージを読み取って‥‥武器を作るのです」
『本気ですか? もう動く力は残っていないでしょう』
「ええ。ですから‥‥、これが最後の一撃になりますわね」
『あなた――。いえ、分かりましたよ』
タリムはそう言うと、黒騎士を解体し、カナミをゆっくりと地面に下ろす。
カナミは地面に降り立つと、ルガーを見据えた。
「まだ抵抗するつもりか。もはや立っていることさえも奇跡に見えるがね」
「言ったでしょう。私があなたの妄執を打ち砕くと」
ルガーの言う通りだった。カナミにはもはや自分で立つ力も残っていない。今もタリムが作った『強化外骨格』に支えられている状態だ。
それでも思考は動く。
魔力は回せる。
ならば、戦える。
カナミの右手に作られたのは、巨大な騎乗槍だった。人が持つようなものではない。直径だけでもカナミの身体を覆ってしまうような代物だ。柄尻にも巨大な装置が着けられ、真っ当な槍でないことが一目で分かる。
「大きくしたところで意味はないと学んだだろう」
「意味なら、ありましたわ。黒騎士のおかげで、私はまだ死んでいませんもの」
それでもルガーの言う通り、ただ突撃したところで彼には届かない。
だから別の手段が必要だ。
ルガーの正義を打ち砕くだけの覚悟を、見せなければならない。
槍の柄に頬を寄せ、カナミは言った。
「タリム、契約を果たす時ですわ。私が、あなたを最強の槍にしましょう。誰にも折れることのできない、魔王にさえ届く槍に」
『何を言っているのですか? ついに今際の際で頭がおかしくなりましたか』
もしかしたらそうなのかもしれない。
そうだとすれば、
「おかしくなったのは、今ではありませんわ」
ランテナス要塞で白銀の輝きを見た時から、きっと狂っていた。
カナミは槍に魔力を流す。これまで戦闘で使っていた魔力のほとんどはタリムのものだ。カナミの魔力はまだ残っている。
血のように熱い魔力が駆け巡るのをタリムは感じた。
今までのカナミの魔力とは明らかに違う。
『これは、まさか』
「私の『血の盟約』の沁霊術式は、契約者の能力を強化させますの。言ったでしょう、あなたは誰にも負けない槍になると」
カナミは槍を水平に構えた。
迷う理由は、何もない。脳裏に過ったたくさんの顔に微笑みかけると、カナミは魔力を込めて叫んだ。
「『命令ですタリム。貫きなさい‼』」
返答は柄の爆発だった。
後方に噴出された火炎に押し出され、カナミは最後の魔弾となってルガーに突貫する。
「無駄なことを‼ 『正義』‼」
沁霊が槍を放った。
当たれば必殺の攻撃が、何度もタリムに衝突する。
それでも砕けない。
タリムの『混生万化』は適応の魔術。幾度となく受けてきたルガーの槍に、全力で対抗する。
しかしそれだけであれば、既に壊れていただろう。
『血の盟約』は契約の魔術だ。そして契約による命令は絶対。
カナミはタリムに命じたのだ、『貫きなさい』と。
故に砕けない。
どれだけ強力な攻撃であっても、貫いて進む。
「ッ⁉ そんな馬鹿なことが、あるものかぁあ‼」
ルガーの絶叫と共に、沁霊が更に苛烈に槍を突いた。
あらゆる異端を許さない正義の槍と、万難を貫けと命じられた魔弾。
まさしく矛矛。
「ぁぁあああああああああああ‼」
『はぁぁああああああああああ‼』
声が重なる。
魔力が共鳴する。
ほんの数メートル。
あまりに長く、遠い数メートルを、カナミとタリムは進む。
矛矛の答え合わせは、その先で行われた。
カナミは辿り着いたのだ、ルガーの下へ。
「‥‥は、はははははははは‼」
兜の下で笑い声が鳴り響いた。
確かにカナミは沁霊の攻撃を抜け、ルガーへと至った。
何も握っていない右手が、ルガーの甲冑に触れていた。
もうタリムの声は、聞こえない。
「やはり無駄であったようだな」
全ての武器を使い尽くし、相棒も失った。
「――せんわ」
「何?」
「無駄、などでは‥‥ありませんわ」
ぐっ、と倒れ込むようにしてカナミはルガーの甲冑を掴む。手からあふれた血が、甲冑を濡らした。
「結果が出なければ、それは全て無駄な行いだ」
ルガーは盾を捨て、カナミの首を掴むと、その顔に向けて槍を向けた。
その瞬間に見た。
死に体とは思えぬほどに爛々と輝く濃紺の瞳を。
「無駄ではありませんわ。タリムは私を、ここまで連れてきてくれたのです。あなたに手が届く、この距離まで」
「何をわけの分からないことを――」
もう突いてしまおう。
そう思い腕に力を込めたルガーは、自分の腕が動かないことに気付いた。
「何⁉」
見れば、槍を持つ腕を、赤い糸のようなものが雁字搦めにしていた。
それだけではない。後ろに立つ沁霊すらも、赤い糸に絡め取られていた。
違う。
赤い糸ではない。
これは――髪だ。
「沁霊顕現――『血の盟約』」
ルガーの頭上に、赤い髪の女が浮いていた。
目も口も縫い付けられ、下半身は虚空に埋まっている。長く伸びた赤い髪が、ルガーを縛り上げているのだ。
そしてその目前には、一枚の羊皮紙が浮かんでいた。
「貴様‥‥これは、なんだ」
「私の魔術は、契約。沁霊が持つ力は、その強制ですわ。発動条件は、私自身の手で、触れること」
「契約の、強制だと」
ルガーは嫌な予感に身体を震わせた。
既にカナミには触れられている。つまり、魔術は始まっているのだ。
何らかの契約を、結ばされる。
「貴様‼ 一体我輩に何を契約させようとしている‼」
「‥‥焦らずとも、すぐに分かりますわ。心配せずとも、契約の基本は、等価交換ですのよ」
「ッ――⁉ まさか、貴様」
沁霊が羊皮紙と共にゆっくり降りてくる。
そして赤い糸で縛られたルガーとカナミの腕が、それぞれ羊皮紙に向かって動き出した。
「ぅぐ、うぉおおおおおおぉぁああ‼」
万力を込め、腕を折らんばかりに抵抗するルガーだが、『血の盟約』の前では無意味。
『正義の槍』を使おうにも、発動すらできない。
当然だ。ここは契約の場。暴力で解決できる場所ではない。
「ぐぁあああああああ‼ よせ、このようなやり方で決着など、認められぬ‼ 我輩は誇り高き主君の槍‼ 正義が、こんなことで――‼」
いくら叫ぼうが、腕は止まらない。
二人の指が、自身の血を使って羊皮紙にサインした。
これにて、契約は為された。
『我、我が命を以て汝の正義を誅する』
『血の盟約』が満足そうに笑い、両腕をカナミとルガーへ伸ばした。
これでよかったのだ。
この男が扉の先に進めば、間違いなく勇輔の障害になる。
だから彼のために使うこの命、惜しくはない。
ただ。
『カナミ、ありがとう。助かった』
『本当に美味しい。お弁当も上手だな』
『カナミも普段気張ってるんだから、明日くらいは羽を伸ばしてくれていいからな』
『この戦いを終わらせるために来ました。後は私たちに任せ、皇女様はゆっくりお休みください』
『そんな不安そうな顔するなって。すぐに俺たちがあいつらぶっ飛ばしてくるからさ。明日からはゆっくり過ごせるようになるさ』
――ああ。
どうしてそのような顔をしてくださいますの。
どうしてそんな気安く話しかけてくれますの。
あなたがもっと勇者として遠い存在でいてくれたなら、きっとこんな身の丈に合わぬ想いは抱かなかったでしょうに。
頬に、血よりもずっと熱い雫が伝う。
せめてこの言葉を直接伝えることができていたら、とそう思ってしまう。
もう届かないと知りながら、それでも彼ならばと願いを捨てきれず、カナミは紅い唇を動かした。
「ユースケ様、誰よりも、お慕いしておりました」
『血の盟約』の両手が、ルガーとカナミの心臓を握り潰した。
真っ赤な華を咲かせて散らし、カナミ・レントーア・シス・ファドルは、地に伏した。




