棍対拳 一
◇ ◇ ◇
音が聞こえていた。
もしこの場に第三者がいれば、その異様な光景に首を傾げるか、あるいはすぐにでも逃げ出しただろう。
それほどまでに、床の間で繰り広げられる戦いは異次元のものだった。
ドドドドンッ‼ と何百もの太鼓が打ち鳴らされるかのような、音の乱舞。
ただ聞こえるのは音だけだ。
行燈が照らすほの暗い部屋の中は、誰の姿も認めることはできず、音だけが絶えず大気を揺らしていた。
そう、見ることはできない。
それほどの速度で、コウガルゥとシキンは戦っていた。
棍が音を超える速度で、正確無比にシキンの急所を狙う。
突けば槍、払えば薙刀、持たば太刀と言わんばかりに、たった一本の棍から千変万化の攻撃が放たれる。
コウガルゥの魔術は『暴駆』。対象を際限なく加速する、反則じみた魔術だ。
しかし際限なくと言っても、それは机上の話。当然現実問題として、限界は存在する。
魔力や身体の限界だ。
暴駆を強く踏み込み過ぎてしまえば、すぐに身体はコントロールを失う。凄まじい速度で転倒や衝突が起きれば、加速した分だけ大きいダメージを受けることになるのだ。
魔術が強力な分、それを扱う難易度もまた破格。
コウガルゥはそれを恐るべき精度で乗りこなし、音速を超える速度でシキンへと殴りかかっていた。
魔将であっても、そうそう容易く受けきれないはずの打撃の嵐を、シキンは捌き続ける。
「荒々しい。まさしく暴力。しかし不思議だな。自然が作り出した雄大な芸術を眺めているような気分になる」
「詩人にでもなるつもりか? その余裕、いつまでももつと思うなよ」
勇輔からシキンについては聞いていた。今回の戦いに出てくる可能性も十分に想定していた。
千年を修練に費やした魔術師。
近接戦闘の技能はアステリスの達人に匹敵すると。
言葉通りだ。
コウガルゥの攻撃に余裕綽々で対応できる人間はそういない。
――面白れぇ。
相手は沁霊を宿した常識外の存在だ。そんな簡単に倒れられてしまっては興ざめだ。
ズンッ‼ と床全体が沈みこまんほどに踏み込み、コウガルゥの速度が更に上がる。
『連鎖黒環』
棍が回転し、黒い円環を作ると、大気を切り裂いた。
「ほう」
受け流そうとしたシキンの腕が、半ばまで斬れる。
打撃を斬撃に変えるほどの速度だ。
何よりも驚くべきはそこではない。千年の修練を肉体の強化に変える『無窮錬』は、シキンの身体を鋼よりも硬くする。
コウガルゥの魔術は、それを容易く貫いたのだ。
「驚嘆だ」
シキンが斬れた腕に力を込めた瞬間、出血が止まり、傷が塞がる。
そしてシキンはその場で回った。
「『降雹澍大雨』」
変幻自在の拳の豪雨が、円環を迎え撃った。
捻転が捻転につながり、捻じれは力を生む。
破裂音が連続して重なり、瞬く間に周囲の床や壁に無数の裂傷が刻まれた。
「おいおい冗談だろ」
「この世には現実を疑いたくなることばかりだ、コウガルゥ」
押していたはずのコウガルゥは、笑うしかなかった。
『連鎖黒環』の攻撃が全て逸らされている。
シキンは円環を横から殴って軌道を変えているのだ。
高速で動く棍を、正確に真横から打ち抜くなんて、あり得ない話だ。
それも一発ではない。
確実に全ての攻撃を弾いている。
「さて、そろそろこちらからも行こうか」
シキンは軽い口調でそう言うと、コウガルゥの踏み込みに合わせて踏み込んだ。
散歩でもするような気軽さで、コウガルゥの間合いと起こりを潰したのだ。
「ッ――!」
「『雲雷鼓掣電』」
脱力状態から放たれる神速の拳が、コウガルゥの腹を打ち、吹き飛ばす。
コウガルゥは水平方向に飛び、壁に激突した。
拳はもろに入った。それもコウガルゥの踏み込みにカウンターを合わせる形でだ。暴駆の加速は、諸刃の剣となってコウガルゥを斬りつけた。
「まさか、この程度ではないだろう?」
壁に埋まったコウガルゥに対し、シキンが言った。
ガラガラと壁から身体を引き出したコウガルゥは、せりあがる血を吐き捨てた。
「ああ、がっかりさせたか。悪かったな」
ほこりを払い、まるで何事もなかったかのように、彼は答えた。
「次は本気で行くぞ」
「楽しみだ」
二人は盃を鳴らすように、棍と拳を交わした。
 




