贖罪
◇ ◇ ◇
「『久しぶりだな』」
「‥‥」
陽向の顔をしたノワは、うつむいていた。
見覚えのある桜色の髪に、濃密な魔力。
遠くからでも一瞬で分かった。
『夢想の魔将』――ノワール・トアレの魔力だと。
しかしおかしいところもある。
同時に微かに感じた気配。
それは後輩である陽向紫のものだった。
こうして目の前に立って分かった。
何があったのかは分からないが、陽向の身体にノワの魂が入っている。ノワの身体は、シキンによって殺されたんだろう。
それにしても一つの身体に、二つの魂が入っているなんて、聞いたことがない。魔術師にとって、魂と肉体の関係は非常に重要だ。双方が双方に影響を与えるからだ。
「『まだそこに、陽向はいるのか?』」
最悪の場合、ノワによって陽向の人格が消されてしまいかねない。
返事は別の所から来た。
「おいおい! いきなりやってくれるじゃないすか!」
振り向くと、右腕を斬り落とした男が切断面を押さえて叫んでいた。
魔族じゃない。櫛名の気配も感じるし、新世界の一人か。
こいつはこいつで珍しい。右腕に何か別のものを飼っている。だから斬り落としたんだが。
「斬り離せば、それで終わりだとでも?」
男の方からは、脅威となる魔力を感じない。
代わりに、地面に落ちた黒い腕。そこからはまだ禍々しい魔力が放たれていた。
宿主を失っても動き続けるのか。
「そいつは俺の肉体にあることで、制御されている。そこから解放されたら、どうなるか――」
言葉は最後まで続けられなかった。
黒い腕から触手が伸び、男の身体を貫いたのだ。
そしてカメレオンがそうするように、男の身体を引っ張ると、飲み込んでしまう。
――なに?
そこに現れたのは、黒い人影だった。
まるで影がそのまま立ち上がったかのような、違和感。
人族でも、魔族でもない魔力の気配だ。
影の中で、いくつもの目が開き、俺を見た。何かを見透かすように、ギョロギョロと蠢き、止まる。
直後、その背中から翼のように無数の触手が広がった。
なるほど、触れたら面倒くさそうな相手だ。
俺は右手の剣を構え、螺旋の魔力を流す。
新世界。シキン以外にも、こういう化物がまだまだ存在しているんだろう。
だが悪いな。
「『今、お前の相手をしている暇はない』」
殺到する触手の豪雨に対し、無造作に踏み込む。
「『嵐――』」
剣が、暴れる。
翡翠の剣閃が目に見える全てに無数の斬撃を叩き込み、その上から更に斬る。
斬っても動くというのなら、動かなくなるまで斬るだけだ。
「『剣‼』」
嵐が、全てをさらった。
黒い魔力の一粒すら残さず、影は消えていた。
なんだこいつ。もう死んでいたとは思うけど、奇妙な手応えだった。
しかしその違和感を探っている暇はなかった。
声と共に、それは来た。
「久しぶり?」
重圧。
肉体ではなく、魂そのものが潰れそうな重さが全身にかかってくる。
『我が真銘』を発動していてなお、軋む。
誰の魔術かなんて、考える必要もない。
魂だけになっても、ここまでの威力を出すのかよ。
「陽向はいる?」
後ろから聞こえてくる声は、質量をもっているかのように、突き刺さってくる。
とりあえず、ファーストコンタクトは完全に間違えたらしい。
「『ノワ――』」
振り返った瞬間、更なる重圧が叩きつけられた。
ぐっ⁉
立っていられず、地面に片膝を着く。周囲が陥没し、ひび割れが起きた。
ノワが、恐ろしい目で俺を見下ろしていた。
「私に伝えるべき言葉は、本当にそれですか?」
「『‥‥』」
いや、分かっている。
そうじゃない、そうじゃないよな。確かに何を言うべきか迷った挙句、間違えた。
「『生きてたんだな』」
ゴッ‼ とさらに重さが増した。
違ったらしい。魔力の出力を上げて、なんとか対抗する。
思い出せ、最後のノワの言葉を。俺たちがどのように出会い、そして別れたのかを。
『ユースケ、ノワ、ずっと待ってるよ』
そうだ。
結局俺たちの関係は、破綻した。
勇者と魔将だから。人間と魔族だから。
理由なんていくらだって思い浮かぶけれど、根本的な原因はそこじゃない。
俺が、受け入れることができなかったんだ。
だから、魔王を倒せば何もかも解決するって、そんな曖昧な理想に投げてしまった。
ノワとの約束を果たさないまま、俺は地球に帰還した。
「『すまなかった』」
君に嘘を吐いて。
置いて帰ってしまって。
「――!」
轟ッ‼ と炎が俺を巻いて燃えた。
身動きの取れないまま、鎧が焼けていく。
「私はっ――‼」
魔将の魔術だ。我が真銘を発動していても、全ては防ぎきれない。
いや違うな。
そんなもの障害にならないくらい、ノワの想いが強いのだ。
「私は、ずっと待ってました‼ あなたが来るのを‼ 魔族の裏切り者として――、誰もいない城で、たった一人――‼」
炎がノワの言葉に呼応して、激しく燃え上がる。
彼女の怒りを示すように、熱く、染みる。
「どうして――」
俺の脳裏に、一人で窓の外を見る少女が映った。
遠い人族の国の方を、誰も来るはずがない道を、ずっと。
「どうしてノワを、置いて行ったの‥‥?」
その言葉を聞いた瞬間、俺は改めて自分の馬鹿さ加減を痛感した。
ノワは涙を拭い、冷たい声で言った。
「私には、何が正しいのかもう分かりません。あの日、あなたを殺せなかった私は、魔王様ではなくあなたに恋をしてしまった。けれど、それは正しかったのでしょうか。私にはもう分からないのです。ここであなたを殺し、私の命と共に、せめてもの償いとすべきなのではないでしょうか」
「『‥‥』」
俺は黙ってノワの話を聞いていた。
どうしてノワがシキンに簡単に殺されてしまったのか、ようやく分かった。彼女の魔術、『愛せよ乙女』は強力な魔術だが、精神状況がもろに出る。
迷いがあったから、全力を出せなかったのだろう。
俺は俺を好きだと言ってくれた女の子を置き去りにした挙句、死に追いやったわけだ。
彼女の怒りはもっともだ。
なら、やることは簡単だろう。
「‥‥どういうつもりですか」
心重が解かれる。
俺は軽くなった体を起こし、ノワを見た。
「どういうつもりかと聞いているんです!」
凄まじい魔力の圧。正面に立っているだけで、気を失いそうになる。
けれど、この程度で倒れるわけにはいかない。彼女の怒りと悲しみは、こんなものではないのだから。
俺は何もさえぎるものがなくなった声で、言った。
「俺は君に謝ることしかできない。それだけのことをした。だからせめて――」
『我が真銘』を解除し、正真正銘の生身。山本勇輔となった俺は両腕を広げた。
「ノワの気が済むまで、好きにしてくれ」
刹那。
「ッ――‼」
真正面からノワに殴り飛ばされた。




