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愚かな女

 櫛名命は状況が自分の思う通りに行ったことに、高揚していた。


 陽向紫は契約を承諾した。


『私があなたの心を、必ず彼の元に届けます』


 その言葉に嘘はない。その心がどのような形をしているかは、こちら次第だ。


 櫛名は陽向の胸に突き刺した手で、彼女の恋心をつかんでいた。


 そして確信した。


 この想いは、人を殺せる。


 これを弾丸にし、山本勇輔に撃ち込むことができれば、いくら勇者といえど、無事では済まない。


 何故なら、弾丸は肉体ではなく心を破壊するからだ。


 ただの殺意や敵意では、ダメだ。奴はそれらに対して強い耐性を持っている。それでは意味がない。


 後輩の純粋な恋心だからこそ、防御をすり抜け、届く。


 手を通して熱く脈動する心を感じながら、櫛名は笑みを深めた。


 もう計画は本格的に始まろうとしている。ここで勇輔を排除することができれば、障害が少なくなる。


 後はこの恋心を取り出して、弾丸に成形すればいい。


 その後に彼女がどうなるかは、正直分からない。ただ勇輔への恋心がなくなるだけならばそれでいいが、人の心はそう単純なものではない。


 これだけ強い恋心だ。失うことで廃人になってしまったら、少しだけ後処理が面倒になる。


 それでも、仕方のないことだ。


 櫛名は握りしめた陽向の恋心を取り出そうとした。


 既に契約はなされている。もはや誰にも櫛名の行動を止めることはできず、陽向は勇輔への想いを失うことになる。


 それは凶器へと姿を変え、彼女のまったく知らないところで、勇輔に届くだろう。


「ははははは」


 もはや隠すこともない。


 櫛名は笑い声を上げながら、腕を引き抜く。



 

 瞬間、誰かが彼の腕を(つか)んだ。




「は?」


 この場には陽向と櫛名以外に、誰もいない。扉の外にはコーヴァが立っていて、侵入は不可能だ。


 ならば誰が止めたのか。


「おい待て、どういうことだ!」


 櫛名は笑いから一転、狼狽(ろうばい)の声を上げた。


 それも無理はない。


 何故なら彼の手を掴んで止めていたのは、他でもない、陽向の左手(・・・・・)だったからだ。


 ありえない。


 契約が結ばれた時点で、既に意識はないはずだ。


 しかも、


(動か、ない‥‥⁉︎)


 いくら身体能力に自信のない櫛名であっても、そこらの女子大生に力で負けるはずがない。


 しかしそんな当然を嘲笑(あざわら)うように、櫛名の腕はピクリとも動かせなかった。


 何かが起きている。


 それも笑えないような、異常事態が。


「ぐ、ぅおぉぁあ!」


 ミシミシと陽向の手が筋肉を潰し、骨を(きし)ませる。


 同時に気づいた。


 光を失っていた陽向の目が、櫛名を見ていた。先ほどまでの弱々しい少女の目ではない。狩人が獲物を見るような、冷淡な目だった。


 櫛名が驚いたのは、それだけではなかった。


 瞳にゆらめく炎のようなオーラ。


 ──馬鹿な。そんなはずがない。陽向紫は一般家庭の生まれで、血筋の中に魔術師もいない。そして本人にも、その素質は一切ないはずだ。


 だが、その目は間違いなく魔力を宿していた。


 それも底の見えない深淵を覗いたような、重く深い魔力だ。




「乙女の恋心に無遠慮に触れるとは、この恥知らずが。その無礼、死をもって(つぐな)え」




 陽向紫(ひなたゆかり)の声で、それは言った。


 脳内でけたたましく響くアラートに従って、櫛名(くしな)は『冥界』の魔術を発動した。


 たとえ殺してでも、ここで止めなければまずい。


 その判断は正しかったが、無意味だった。


 ゴッ‼︎ と体内から鈍い音が響き渡り、体がバラバラになるような痛みと衝撃が弾けた。


 そして。


「ぅごぉっ‼︎」


 部屋を覆っていた結界ごと、壁をぶち破って櫛名は吹き飛ばされた。


 庭に転がった櫛名は、痛みをこらえて顔を上げた。


 穴の空いた壁から、陽向がこちらを見下ろしていた。


 その姿は既に、先ほどまでの陽向紫のものではなくなっていた。


 全身を濃密な魔力が覆っている。それを示すように、茶色だった髪は濃い桜色に染まり、長く波打っていた。


 まっとうな人間の魔力ではない。


 それこそシキンや、あるいは魔族といった、世界のルールから外れた存在。


 理由は分からない。


 それでも立場は逆転している。櫛名がどんな魔術を使おうが、今の陽向には勝てない。常日頃から化け物たちに囲まれている櫛名は、すぐにそれに気づいた。


「‥‥」


 陽向が穴から降りてきた。


 冷たい怒りを秘めた視線が、櫛名を貫く。


 その拳が叩きつけられるよりも先に、それは来た。


「っぶなー。これ、どうなってんすか」


 櫛名を抱えて距離を取ったのは、扉の外に待機していたコーヴァだった。


「来るのが、遅い‥‥!」

「そう言われても、いきなりでかい音鳴るし、扉は歪んで開かないし、何事かと思いましたよ」

「僕だって知るか! 陽向紫は魔術と何の縁もない一般人だ、あんな力があるなんて聞いてないぞ!」

「調査したのは先輩じゃないっすか」


 コーヴァは櫛名を地面に下ろすと、陽向を見た。


 櫛名の言う通り、彼女は少し見ない間に、魔術師へと変貌(へんぼう)を遂げていた。


「あー、こんなこと聞くのも変かもしれませんけど、あんた、誰?」


 それは答えを期待しての質問ではなかった。


 しかし予想に反して、陽向は答えた。


「私は陽向紫。けれど、今のあなたたちが欲しいのは、別の答えですよね。ですから、あえてこう答えましょう」


 彼女は言った。


 本来、二度と口にすることのない、その名を。




「恋に溺死した愚かな女。『夢想(パラノイズ)』──ノワール・トアレ」




 シキンによって殺されたはずの、魔族最強の一角(いっかく)


 戦争にはまるで参加せず、しかし挑んだ人族の英雄たちをその圧倒的な力で一蹴した、最強の恋する乙女。


 兵士の間で恐れと共に伝えられる通り名は、『恋獄無双(れんごくむそう)』。


 『夢想の魔将(パラノイズ・ロード)』は、陽向の顔でそう言うと、一歩を踏み出した。


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R15 残酷な描写あり 異世界転生 異世界転移 キーワード男主人公 ギャグ 主人公最強 勇者
― 新着の感想 ―
[一言] 章題と魔将の一角に関連があったとは。
[良い点] なんとか櫛名ぶっ飛ばして欲しいなと思ったけどこうくるとは思わなかった。恋する乙女は強いですね…
感想一覧
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