シキンの正体
千里に見えたのは、剣閃の残光だけだ。
勇輔の剣が、シキンの乱打を弾いている。豪雨を超える速度と量で振るわれる拳を、全て千里の前で防いでいるのだ。
ただの一発も、攻撃は千里に届かない。
先ほどまでの戦いとは違う。勇輔はシキンだけではなく、後ろにいる千里も気にかけなければいけない。ほんの少し攻撃を受け損なえば、千里は死ぬ。
今勇輔にかかっている重圧は、想像をはるかに超えるもののはずだ。
更にいえば、勇輔の身体は既に満身創痍と言っていいレベル。剣を振るどころか、立っていることさえ辛いだろう。
それでも剣は輝きを失わず、むしろ時間を経るごとに鋭さを増してシキンの拳を弾いていく。
――これなら行けるかもしれない。
そんな慢心が招いたのか、あるいはその油断を見逃さなかったのか。
「雲雷鼓掣電」
弾ッ‼ と乾いた炸裂音が鼓膜を打つと同時、勇輔が横に吹き飛ばされた。
誰も気づかない、鮮やかな静と動の変転。
雹の間を駆け抜ける雷撃の一閃は、勇輔をして受けきることはできなかった。
「‥‥」
すぐ近くでシキンが千里を見ていた。
彼女が望んだ間合いに、自ら踏み込んできたのだ。
しかし千里の方がその展開についていけていなかった。千里がシキンに奥の手を打ち込むためには、彼女自身が踏み込んで仕掛ける他ない。
シキンの腕が優しささえ感じるほど自然に千里へ伸ばされた。
「『夢幻霆剣』」
今度はシキンが千里の視界から消えた。
一直線に残る翡翠の火花だけが、勇輔が何か技を使ったのだということを教えてくれる。
双方ともに無茶苦茶だ。怪異としての力を完全に開放した千里をして、何が起きているのかさっぱり分からない。
「『四辻、合わせろ。次で動きを止める』」
「わ、分かったよ」
攻撃を受けるだけでも精一杯のはずなのに、どうやって動きを止めるのか。千里には勇輔に何が見えているのか理解できなかったが、頷いた。
どちらにせよ、彼に賭ける他ないのだ。
「よき一撃だ! 我の不意を突くほどの速さとは!」
歓喜の声を上げるシキンに向けて、勇輔は剣を構える。右手にはバスタードソードを、左手には魔力の剣を。翡翠の光が螺旋となって腕に巻き付き、銀の刀身に翡翠の模様が走る。
「『根競べだ、シキン』」
もはや悲鳴にも似た魔力の高鳴り。
剣が振るわれ、翡翠の嵐がシキンを飲み込んだ。
「『封陣嵐剣‼』」
風が、シキンの肉体を掴んだ。
本来なら比喩表現でしかありえない事象だが、千里の目には確かにそう見えた。風神の手とでも呼ぶべき巨腕が、シキンを捕らえたのである。
「ぬ、これは動けんな」
シキンが身体を動かそうとするが、風の圧はそれを許さない。指の一本に至るまで風は入り込み、その動きを縛り続ける。
千里は知る由もないが、本来この『封陣嵐剣』は、広範囲を殲滅する嵐剣を、一か所に集中、操作し続けるという技である。
本来なら、捕らえられた相手は動くこともできぬまま、細かな斬撃の群れに皮膚から削られていき、血飛沫と共に霧散する。
無窮錬を発動するシキンだからこそ、動けないだけで済んでいるのだ。
あの怪物をもがんじがらめにする斬撃の牢獄。確かに強力な技だ。
「でも、これじゃ僕も近づけない‥‥!」
千里は歯噛みした。
勇輔の封陣嵐剣は、圧縮された嵐そのもの。千里では近付いただけで文字通り粉々になってしまう。
勇輔とて、そんなことは百も承知だった。
「『チャンスは一瞬だ。技が破れる一瞬だけ、あいつに踏み込む隙が生まれる』」
話している間にも、勇輔の身体は残像を残して剣を振るい続けていた。あのシキンを止めるのだから、少したりとも気は抜けない。
「‥‥」
千里は喉を鳴らして頷いた。
恐らく、機会はこの一度きりだ。その一瞬をものにできなければ、千里は二度とシキンに近づけない。
「『はぁぁああああああああああ――‼』」
剣を振るう速度が上がる。
更に上がる。
限界を超え、加速する。
嵐の腕は捕らえたシキンを握り潰さんと隆起し、そして圧縮されていった。
このまま千年という時間ごと潰してしまうのではないか。
そう思わずにはいられない気迫と魔力の高まりだった。
しかし嵐の奥から、紫紺の光が透けて見え始めた。光は徐々に濃くなり、最後には嵐を切り裂いて輝く。
そして勇輔の言った通り、その時は来た。
シキンが封陣嵐剣を強引に打ち破ったのだ。
魔力と魔力が反発し、凄まじい爆発が起きた。翡翠の嵐と紫紺の鬼たちは、互いに食らい合いながら拡散する。
衝撃に床板がめくれ上がり、部屋そのものが崩落するのではないかという揺れに襲われた。
その中で、勇輔とシキンは相手へと踏み込み、剣と拳を振るっていた。
千里の力では、近づくどころか、衝撃に吹き飛ばされていただろう。
「――!」
しかし千里の目には、確かにシキンへと至る道が見えていた。
わずかに残った翡翠の光が開いた、希望への道筋。
千里は考える間もなく、その道を駆けた。
そしてついに辿り着く。
千里は指に挟んだ一枚のカードを、シキンの額へと当てた。彼女の魔術では、シキンに傷を与えることはできない。
それでも人である以上、絶対に通る技がある。
それは、真実という名の刃だ。
――シキン、あなたは遠き過去、仙道の道を命を懸けて歩んだはずだ。そんな人間が目的を変えるためには、それこそ生まれ変わるか、初めからそうだったと思いこむ他ない。
つまり仙道と無窮錬の両立を成しえている秘密とは、強力な暗示。
長寿の術も、それまでに積み重ねた全ての修練も、初めから主のためだったと思い込むことで、『無窮錬』という魔術の形に落とし込んだのだ。
勇輔は沁霊の気配を感じなかったと言ったが、それで当然。何故ならシキン自身が、自らを偽っているのだから。
目的を見失った、死にぞこない。
千里がそうシキンを称したのは、そういう理由だった。空の悟りという目的を見失い、かといって死という道も選べず、生に執着した。
今ここに、あなたが隠した真実を暴き立てる。
「解‼」
カードに込められた真実の言霊が、シキンの頭を貫いた。
魔術とも呼べない、原始的な言葉の力だ。
もしも千里の予想が外れていれば、この一撃は何の意味も持たず、シキンに殺されるだろう。
しかし千里にはどこか確信があった。
この部屋の内装、シキンの言葉の節々に現れる、悔恨。
飄々とした物腰ではあったが、シキンは間違いなく何かを背負っていた。人生観ががらりと変わるほどの、何かを。
「‥‥」
「『‥‥』」
世界が停止していた。
勇輔も千里も、先ほどまでの激戦が嘘のように、ゆっくりと腕を下ろす。
「――――」
その視線の先で、シキンが動きを止めていた。




