歪み至る紅衣
勇輔の変化を目にした時、ラルカンは槍斧を振っていた。
まるで自ら炎に焼かれているかのような異様な光景。だが本質は見た目ではない。
魔力そのものが変質している。
今まで感じていた白銀の魔力とは、根本的に異なる何かが、あの中で生まれているのだ。
それは魔王、魔将を含め多くの強敵を見てきたラルカンだからこそ、感じる危機感だった。あれだけは完成させてはならない。
従来の魔術師が行う魔術とは、明らかに違う。
敵の覚醒、未知の魔術。普段のラルカンであればそれを鷹揚に眺め、全てを見定めたうえで叩き潰しただろう。
しかし戦士としての勘がそれを許さなかった。
一刻も早く殺さなければならない。
そんな焦燥が腕を動かしたのだ。
「『真理へ至る曲解』!」
槍斧が加速し、勇輔を薙いだ。
それだけに飽き足らず、複数の曲解を経て幾度もの斬撃を連続で浴びせる。塵が舞い上がり、それすらも青い閃光に分断される。
沁霊術式によって強化された斬撃は、確実に鎧の関節から入り急所を切り裂いたはずだった。
だがそうはならなかった。
斬撃は火花を散らすだけに終わり、彼は現れた。
「‥‥それが、貴様の本当の姿か白銀」
ラルカンは見た。
そこに立っていたのは一人の騎士だった。
銀の輝きは失せ、黒くくすみ、一回り小さくなった鎧。
そしてそれを覆うのは深紅のコートだ。袖や裾の端はまるで燃えているかのように揺らめき、フードは兜を照らしていた。
人族の英雄として求められた勇者はそこにはいない。
数多の戦いの果てに立ち上がる、清濁を併せ吞んだ戦士。
ラルカンは自然と武器を構えなおしていた。
くしくもこの感覚には覚えがあった。近づきがたく、しかし見ずにはいられない覇者のオーラ。ラルカンが初めて魔王ユリアス・ローデストと出会った時にも、同じような感覚にとらわれたことがある。
人族でありながら、やはりその本質は魔王様に近い。
唯一変わらないバスタードソードを持ち上げ、勇輔は答えた。
「『本当も何もない。ただ前に進んだだけだ。人間とは、そういうものだろう』」
「違いない」
ラルカンは笑った。恐らく勇輔も兜の下で笑っていただろう。
互いに待つという選択肢はなかった。
同時に相手を噛み殺さんと、二人は距離を詰めた。
ラルカンは空折によって空間を圧縮し、不意を突くように勇輔の眼前に現れる。
どれ程の距離を飛ぶかは自由自在。奇襲も回避も思うがままだ。
「――っ」
だが不意を突かれたのはラルカンの方だった。
間違いなく勇輔の速度と動きを予想して移動したはず。にも拘わらず勇輔の姿が消えていた。
即座に五感をフルに活用し、その位置を探った。
上を取られたか。
隠そうともしない膨大な魔力が上から降ってきた。顔を上げる時間すら省き、槍斧を切り上げる。
直後骨を砕かんばかりの衝撃が襲い掛かってきた。
明らかに今の勇輔の力はラルカンより上。姿を変えたことで速度、力共に跳ね上がっている。
だがラルカンも最強と謳われた魔将。
未だ発動している沁霊術式はあらゆる現実を改変し、理不尽をまかり通す。
「『五壊指』」
不可視の指が勇輔を捕まえようと伸びた。物質、魔術、現象、全てを問答無用で捻じ曲げる最強の魔術。
普段のラルカンであればそれなりの時間を取って発動する術式だが、沁霊術式を発動している間はノータイムで複数展開が可能だった。
勇輔もそれを悟ったのか、空中を蹴って脱した。
しかし勇輔の攻勢は続く。距離を取ったと思った瞬間には別の方向から斬撃が迫った。一撃一撃が重い。そして五壊指で迎撃しようにも速すぎて追い付かない。
「『霆剣』」
赤き雷光の刺突が心臓を狙い、それを弾けば新たな型につながる。
「『二重月剣』」
夜闇に浮いた二つの月が、目にも止まらぬ速さで広範囲を薙いだ。脚と肩から血が爆ぜ、追撃の蹴りで吹き飛ばされる。
近接戦闘でここまで圧倒されるとは、想像以上だ。
ラルカンは五壊指で捉えるのを早々に諦め、別の一手を打つ。
「そう好き勝手暴れられては困るな」
こちらが追い付けないのであれば、相手に制限を掛ける。
ラルカンは魔力を回し広範囲に魔術を発動した。
『蜃楼郷』。
青い魔力が空間を無作為に捻じ曲げ、透明な迷宮を作り上げた。一時的なものではなく、持続的に曲げた空間は侵入者の動きを阻む。
本来であれば敵軍の進撃を止める対軍魔術だ。それを個人に対して発動した。どれ程の速度と力があろうと、これは越えられない。
勇輔は魔術を見るや、突撃をやめた。
腕の周りで赤い魔力が螺旋を描き、バスタードソードに幾何学模様が走った。
兜の向こうで勇輔の眼が語った。周囲を丸ごと覆うというのなら、その空間ごと制圧すればいい。物量で押し切る。
「『嵐剣』」
迷宮を剣の嵐が飲み込んだ。
迷宮そのものを圧倒的な水量で水没させるような荒業だ。こうなれば蜃楼郷はラルカンを閉じ込める牢獄と化す。
赤い風が砂を巻き上げ、青い魔力を切り刻んだ。
凄まじい。判断の速さも、それを実行する瞬発力も。
だが読めている。
ゾンッ‼ とその壁を切り開き、迷宮を解除したラルカンが勇輔に肉薄した。身体中傷つき、外套を血で染めながら前に進む。
初めから蜃楼郷で攻撃を防ぎきれるとは思っていない。攻撃に移る一息が欲しかった。
青い光を宿した槍斧が勇輔の剣と激突した。
純粋な力技では勇輔に軍配が上がる。
だがラルカンもまた化け物だ。その卓越した魔術と経験はどんな強敵をも殺しうる武器になる。
「『重天握・狂刃』」
槍斧が爆発した。
否、あらかじめ重天握によって徹底的に圧縮された刃が、衝突と同時に解放されたのだ。
刹那の間に重なる斬撃。
勇輔も完全に防ぎきることはできず、鎧の各所が割れ、血しぶきをあげながら吹き飛んだ。
至近距離で受ければ、どんな相手であれ肉片に変える技だ、原形を保っている時点でまともではない。
ラルカンはとどめを刺すために五壊指を展開した。