帰郷 4/7
前回の続き、全7話中4話目です。
「わざわざ遠いところから来てもらってありがとうな。ジェードの父のエドガーだ」
「母のキャシーです」
「クリス。弟ね~」
「い、妹のパールですッ!」
居間のテーブルにつくと、ジェードの家族がアンバーとサナに順に名乗っていった。
自分の息子が嫁と孫を連れて帰ってきたというのに、両親は思ったより落ち着いていてジェードもほっと胸を撫で下ろしていた。
しかしそういう性格だとわかっているとはいえ、弟は少し緊張感が足りない気がする。ガチガチの妹とどうにか中和できないものだろうか。
ふと隣に目をやると、一斉に名乗る家族の名前を覚えようとしているのか、アンバーは必死に頷きながら聞いていた。妹ほどではないが、彼女も少し緊張気味なようだ。
「うむ、今日はお招き感謝する。妻のアンバーと申す者じゃ。それから……ほれ、サナ」
名乗り終えるとアンバーは、隣に座るサナに向けて囁いた。
一瞬きょとんとしたサナだったが、話の流れを考えて名乗る場面だと気づいたのか、突然元気よく手を挙げた。
「はい! サナっていいます!」
「うん、よく言えたね。サナは偉いなあ」
「えへへー」
ジェードに褒められてサナも上機嫌だった。あまり人見知りしない性格に育ってくれたのは本当にありがたい。
「それじゃあ、お茶でも淹れてくるわね。紅茶で大丈夫かしら?」
「うむ、平気じゃ。いつも主様と飲んでおる」
「あらあら、主様だなんて。ジェードも立派になったものねえ」
「やめてくれよ、母さん……」
母はからかうようにジェードに笑いかけると、厨房の方へと消えていった。
すると妹のパールが「手伝うよ!」と言ってついていく。
アンバーもつられて腰を持ち上げようとしたが、彼女はジェードにそっと制されて座り直した。
気が利くのはよいことだが、今日の自分らは客人だ。ここでアンバーが出ていったのでは、母や妹には逆に気を遣わせてしまうだろう。
「それでジェード、アルスアルテの暮らしはどうだ? 旅はもうやめたのか?」
仕切り直すように口を開いたのは、父のエドガーだった。
弟のクリスは頬杖をついてはいるが、話に興味はあるらしく目はジェードの方を向いていた。
「うーん。別にやめたってわけじゃないよ。旅を終えて帰る場所をちゃんと持つようにしたってだけさ。サナのこともあるし、ずっと旅の身の上なのにはいろいろ限界があったからね」
「へ~え。兄さんもいろんなこと考えてんだね~」
「クリスが何も考えていないだけだろう?」
「そうかもね~」
間延びした口調の弟は、昔から何事も楽観的で七割主義。
行動力に乏しく、自分から何かを切り開くようなことが苦手な彼は、実家の店を継ぐという初めから用意された筋書きをなぞっていく生き方が性に合っているのかもしれない。後継ぎが自分ではなく彼で本当によかったと、ジェードは二重の意味で安心したのだった。
「クリス、といったのう。なんというか、主様とは兄弟じゃというのに性格はあまり似ておらぬのじゃな」
すると、兄弟の会話にアンバーがふと混ざってきた。
不意に呼ばれたクリスだったが特に驚いた様子もなく、頬杖をついたまま死んだ魚のような目をアンバーに向けた。
「義姉さんにも同じこと言われた~。知り合いもみんなそう言うんだよね~」
「ね、姉さん……? わしは主の姉ではないぞ」
たった今会ったばかりの相手に姉呼ばわりされ、アンバーは目を丸くして困惑していた。
それを見たクリスは小さく吹き出してひらひらと手を振ってみせた。
「あはは、そうじゃなくて。だって、兄さんと結婚したんなら、義姉さんももうオレの義姉さんになったわけだからさ~」
「クリス、それじゃあちっともわからないと思うけど?」
首を傾げるアンバーにジェードが助け舟を出してやると、母と妹がちょうど紅茶を持ってきた。
ジェードは「ありがとう」と呟いて紅茶を受け取り、アンバーも目の前にカップを置かれると小さく頭を下げていた。
子どもには紅茶以外のものがいいと判断したのか、サナのもとには分厚いカップに入った温かいミルクをパールが運んできた。
元気よく「ありがとー!」とお礼を言ったサナはそれを一口で飲み干してしまっていたが。
「あのね、アン。人間の社会では、結婚すると伴侶の両親や兄弟とも家族になるんだ。だから血の繋がりはないけれど、クリスは君の義弟だしパールも君の義妹になったんだよ。これならわかるかい?」
「ほう、そういうことじゃったか」
年齢を考えるなら恐らくアンバーよりもクリスの方が上だ。
しかし物事を深く考えないクリスのことだ。自分より若い義姉ができたからといって気にするとも思えなかった。
実際のところ、アンバーの正確な年齢は不明のためなんとも言えないのだが。
「あ、そっか。義姉さんは妖狐だから、そういうの馴染みがないってこと?」
温まり始めていた席が、クリスの一言で途端に沈黙した。
ジェードが無言で睨むと、クリスは自分の失言を自覚していないのかきょとんとしていた。
そう、ジェードが連れてきた妻――アンバーは人間ではなく妖狐だ。
今回の帰郷において最も繊細かつ重要な話題であるだけに、ジェードはいつこの話を切り出そうかと機会を窺っていた。
それがまさかこのような形になるなど、想像もしていなかった大誤算だ。
「ええと……そのことなんだけれど、僕の方から説明させてもら――」
「――ねえ、おとーさん」
腹をくくり、口を開いたジェードの袖を、隣に座るサナがくいくいと引っ張ってきた。
見るとサナは、なんだか面白くなさそうな顔をして、足をぶらぶらと揺らし父親の顔を見上げていた。
「さっきからお話ばっかりだけど、サナ、いつまですわってればいい?」
「あはは。ひょっとしてサナちゃん、飽きちゃったのかな」
そう声をかけてきたのは、妹のパールだった。
パールは自分の紅茶を飲み干すと席を立ち、サナの元へやってくると膝に手をついて視線を合わせた。
「お父さんはこれから大事なお話があるんだって。だからサナちゃんは、あっちで私と遊ぼっか?」
「おねーちゃん、サナとあそんでくれるのー!?」
「うん、そうだよ。……ね、いいでしょ、ジェード兄さん?」
そう言って笑うパールを見て、胸が熱くなったのはここだけの話だ。
最後に会ったときたったの四歳だった妹が、まさかこんなにも気の利く頼りがいのある女性に成長していたなど、ジェードはまったく知らなかった。弟には彼女の爪の垢を煎じて飲んでもらいたいくらいだ。
「……悪いね、パール。なら、お願いしようかな」
「お願いされましたっ!」
椅子から飛び降りたサナを連れて、パールは居間の隅に置かれたソファへと向かっていった。
二人が離れたあとで、ジェードはもう一度クリスを軽く睨みつけると、クリスは両手を上げてため息をついた。
「わかってるわかってる。さっきは空気読めてなかった。謝るからそんな顔しないでよ兄さん?」
そんな弟をため息一つで許してしまうあたり、自分も大概甘いのかもしれないとジェードは自覚したものだ。
しかし突然のサナの我が儘とパールの機転が場の雰囲気を和ませてくれた。ソファの方からは「サナといっしょにお絵かきしよー!」と楽しそうな娘の声が聞こえる。不幸中の幸いとはこのことだ。
「それじゃあ、アン」
「うむ」
ジェードが合図すると、アンバーは椅子から立ちあがった。
エドガー、キャシー、クリスが見守る先で、アンバーは自分の頭を両手でそっと撫でる。するとそこには、今までなかったはずの大きな獣の耳が姿を現していた。
彼女の腰にはいつの間にか琥珀色の尾もついている。手紙であらかじめ伝えていたこととはいえ、改めて家族の前でアンバーの正体を明かす緊張感に、ジェードは心臓を吐き出しそうな心地であった。
両親も弟も、何も言わない。
首都の指導者の取り組みによって尾人への偏見が和らいできているとはいえ、家族がどのような第一声を発するか、ジェードは心配でならなかった。
「……ええと、どうか怖がらんでくれ。わしは見ての通り人間ではなく妖狐じゃが、決して主らをどうこうしようなどとは思っておらぬから、その……」
「怖がる? 何を的外れなことを言っとんだお前さん」
「……えっ?」
俯きながらぼそぼそと話していたアンバーが、エドガーの返答に顔を上げた。
そこに並んでいた三人の表情からは、畏怖も嫌悪もまるで感じられない。ただ、新しい家族を快く迎え入れたいという温かな意思だけが、そこにあったのだ。
「ジェードが選んで連れてきた嫁さんなんだろう? ならお前さんはもう俺たちの娘だ。娘を怖がる親がどこにいる?」
「その通りよ、アンちゃん。だから安心してちょうだい」
エドガーもキャシーも、笑ってアンバーを見ている。その表情から嘘をついていないことはすぐにわかった。
これはアンバーにとってもジェードにとっても随分不思議な感覚だった。彼女の正体を知って平然としている者は、長い旅の中でも僅かしかいなかったのだから当然かもしれない。
「むしろ怖かったのはお前さんのほうだったんだろう? 人間が昔、妖狐らにしたことを考えたら、それも仕方がないことだ」
エドガーが苦そうな声で語ったことが何を指しているのかは、ジェードもアンバーもすぐにわかった。
まだジェードが旅に出る前。まだアンバーが子狐だったときに起きたあの悪夢――妖狐駆逐作戦のことだ。
「謝って済むことじゃないのはわかってんだが……すまなかったな、妖狐らは何も悪くなかったってのに。……本当はあの日、俺は妖狐を殺したくなんかなかったんだがなあ」
言い訳じみた言葉と共に目を伏せるエドガーの姿には、アンバーはどこか覚えがある気がした。
夫と同じ青黒い髪の男。そして彼の口から発せられる言葉は、あの悪夢の日に耳にしたそれとどこか響きが似ている気がする。
「……まさか、主は――」
そのときアンバーに過ったのは、ただの直感だったのかもしれない。
しかし、気がつくと立ったまま前のめりで卓に手をついていたアンバーは、どうしてもその直感を今すぐ確かめずにはいられないと、そう思ったのだった。
次回は本編の内容が大きく関わってきます。
「翡翠と琥珀」本編の第一章第十三話「過去編 妖狐駆逐作戦」を振り返っておくとよいかもしれませんよ。笑




