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真相里見八犬伝  作者: 下上次郎
第一楫  奥村仁右衛門、里見一族に出会うこと
2/6

その一見 人狼、現れしこと


○   一


 時節は、黴雨(ばいう)である。

 時は、幕末――

 所は、江戸。

 上野、寛永寺、境内であった。

 仁右衛門の奥村家は、御徒衆を代々続ける、歴とした御家人である。

 この二百年ばかり。徳川家の禄を食んできた。

 仁右衛門は、現当主だ。妻帯はしているが、子はない。

 本人が死ねば、お家は断絶だが、彰義隊にノコノコと参加した困った男だ。

○   二


 慶応四年――

 五月十五日、のことである。

 江戸城は無血開城し、徳川慶喜は、すでに水戸へと去っている。

 が、彰義隊は、徳川家、霊廟守護を名目に、寛永寺に留まり続けた。

 薩長軍と敵対しては、政府軍兵士を殺傷する。そんな事件が、多発していたおりである。

 その新政府が、対旧幕軍の司令官として呼び寄せたのは、天才軍略家、大村益次郎であった。

 大村は、手始めに、上野山に総攻撃をかけることを、江戸中に布告した。

 市中に散らばる隊士を、一カ所に集めて殲滅すること、逃げる時間を与え、戦闘を回避することを、目的としている。

 事実、四千名を超えていた隊員も、決戦の間際には、千名ほどに減ってしまった。

 仁右衛門は、旗本御家人らの子弟によって組まれた隊にあって、諸門の防衛にあたることになった。

 さて――


○   三


 雨は、続いている。

 全く、堰を切ったような土砂降りである。

 戦闘は、黒門口よりはじまり、当初、彰義隊は優勢であった。

 地の理を活かし、山王台からの砲撃をくわえ、官軍を諸門に近づけなかった。

 が、会津藩兵に化けた長州軍が、藩旗を掲げ、彰義隊陣地に出現すると、背後を打たれた部隊は大混乱に陥った。

 時を同じくして、アームストロング砲が、不忍池を越して炸裂した。

 薩摩兵の決死の吶喊がはじまると、各隊は総崩れとなり、ついには黒門口まで抜かれてしまった。

 圧倒的多数の官軍に囲まれ、彰義隊は、寛永寺本堂まで退却している。

 仁右衛門は、生きたまま、戦場に取り残された。


○   四


 山内の伽藍が、次々と焼かれている。

 が、仁右衛門の関心は、徳川家の霊廟になく、赤子にあった。

 刀を杖に彷徨し、やがて官軍の捨てたスペンサー銃を拾い上げた。

 声は、近い。

 スペンサーの操作を確かめながら進む。

 辺りを索敵しながら、木立の蔭を拾うようにして移動する。

(なんだ、あれは?)

 低木の茂みに隠れ、折り膝の姿勢をとる。

 銃を構え、狙いをつける。

 赤子が、いた。木の根の隙間を、揺りかごがわりに転んでいる。

 仁右衛門の狙いはむろん赤子ではない。近付かなかったのは、赤子の目前に、化け物がいたからだ。

 化け物――としか言えない。人型をした狼が、人界に存在しないのならば。 (おれあ、死んであの世にでもいるのか)

 と、彼は疑う。

 その迷いを振り払うかのように、慌てて照準をつけ直した。人狼が、赤子に向かって、巨大な爪を伸ばしたからだ。

 仁右衛門は、暴れる心臓を呼吸で抑え、レバーアクションをして排莢する。ハンマーを起こし、銃床を頬に当てた。

 スペンサーは、七連発のはずだ。が、弾丸が、何発残っているかはわからない。

 眉に雨粒が流れ、視線が散じる。

 人狼の足元に、無惨に引き裂かれた死体が、散乱しているのが見えた。

「あいつの仕業か……」

 仁右衛門は、無意識のうちに引き金をひいた。

 硝煙が雨中に舞った。人狼の頭部が揺れ、血が吹きだすのが見えた。

 見守るうちに、ゆっくりとその場にくずおれていった。


○   五


 銃を杖に、赤子の元へ急ぐ。

 敵も味方も、あの人狼が残らずやっつけたものらしい。動く人の気配がない。

 仁右衛門は、木の根元に行き、覗き込んだ。赤子は紫の衣にくるまれて、小さな手をばたつかせている。

 生後半年ほどにみえた。

 仁右衛門が、血に濡れた指を添えて、かき抱くと、雨のために、その衣はすっかり濡れそぼっている。が、どうやら怪我はなく、わずかにしゃくり上げるばかりである。

 丸々とこえた赤子で、ズシリと重い。

 仁右衛門は、安堵の吐息をつくと、半襟を開き、赤子を懐に抱き入れる。

 と、彼は身を凍らせる。

 地獄の釜底より、沸き上がるような唸りが、背後より轟いたのだ。

「貴様……」

 仁右衛門は、樫の木に背をうち当て、振り向いた。

 右頭部は大方砕け、脳すら露出していた。

 死んだと思われた人狼が、口より白煙を吹き出しながら立ち上がる。

 怪しく光る両の目を、仁右衛門にひたと押し当て、「貴様、表の家人か」

「なんだと……?」

 仁右衛門は銃口を下に向けると、夢中でレバーを押し下げ装填し直す。

 引き金をひいた。

 カチリ。

 空しい音がする。

「不発か」

 仁右衛門は夢中でレバーを操作し、コックをいじくる。が、弾のないのは明白だ。

 物怪は血液混じりの唾したを飛ばし、

「表の貴様が、里見殺しの邪魔立てか! 奴等の血筋を守って何になる!」

「黙れ!」

 仁右衛門が、空の銃を投げつける。

 妖狼が、やすやすと払いのけた。

 仁右衛門は大刀を引き抜いた。が、傷が読めるのは重く、木立ちを離れることができない。彼は、口惜しさに歯がみしながら、

「貴様、何者だ。なぜこの子を狙う」

「知れたこと、食らうのよ」と妖怪は、せせら笑う。「さすれば、里見の霊力はわしのものだ!」

 仁右衛門が惑う内に、人狼が腕をあげた。

 巨大な爪が、一つに揃った。

 かと思うと、喉笛めがけて飛んでくる。

 仁右衛門は、転げるようにしてかわしたが、首の皮一枚が切れた。

 背後の樫が、怪力に砕かれ、木片が降ってくる。

 人狼が、牙を剥いて追ってきた。

 仁右衛門は、落ち葉を掻き集めるようにして、赤子を抱いた。

(もうだめだ――)

 死を覚悟したとき、数発の銃声が、殺戮の場を切り裂いた。

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