娼婦の少女 上
シルヴァは衛士から宿屋までの道を聞き、ティーゼと共に村中に足を踏み入れた。
太陽も昇り始めているというのに、大通りを歩いてもまばらな人数の村人とすれ違うだけだった。外目から眺めた通り、千人規模の村ではないだろう。おそらく、その半分程度か。
そしてもう一つ実感する。
「この村の連中、冷てえな」
すれ違った村人に会釈をするが、返事も何もひとつとして返ってこなかった。
リーウ村の気質なのか単に部外者が気に入らないのか定かではないが、この冷たさ。果てして自身の目的を達成することができるのかとシルヴァは不安に思い始めるが、首を横に振った。
「大抵眠い時ってのはテンションが落ちやすいんだ。今後のことは寝てから考えればいい。とにかく宿だ」
落ち始めた気分を吹き飛ばしながら、シルヴァは宿屋を目指した。村の入り口から200メルほど歩いて左側。地面に看板が突き刺さっており、『冒険者傭兵商人専用宿屋』と書いてあった。宿屋の近くに幾つか鉄柵の付いた檻があった。移動者が連れて来た馬やバウルを寝かせるためのものだろう。
宿屋の近くにバウルを待機させ、シルヴァは戸を開けてカウンターに座っている女性に声を掛けた。
「すいません。泊まりたいんですが。俺は素泊まりで連れのバウルには飯を」
「アンタは素泊まり。バウルには三食飯付き……銀貨5枚だよ」
「は、はあ!?」
店主であろう女性が告げた値段にシルヴァは驚く。
大陸で流通している貨幣の種類は四種類。価値の低いものからそれぞれ赤貨、銅貨、銀貨、金貨とあるが、庶民が手に触れることができるのはせいぜい銀貨までだ。銀貨一枚分の価値がどのくらいかというと、銀貨が一枚あれば一日中遊ぶことが出来るほどだ。詳しく言えば高い酒も飲めるし質の良い剣も買える。下世話なことだが、そこそこの見た目の娼婦すら買えるだろう。
それがなんだってこんな田舎町の宿屋で銀貨五枚を払わにゃならんのだ。
「冗談にしてはつまらないですね」
自身の腰にぶら下げている双剣を見せ付け指先で柄をトントンと叩くと、店主が小さな悲鳴を上げた。怖がるなら最初からふざけた真似するんじゃねえ。
「……銅貨五枚だよ」
それでも相場より少々割高な気もするが仕方が無い。シルヴァは彼女の掌に銅貨八枚を置いた。
「数が分からないのかい?」
哀れな目でこちらを窺いながら真顔で馬鹿にする店主にシルヴァは訳を告げる。
「馬鹿にすんなよこんちくしょう。そうじゃなくて、俺のバウルが肉を寄越せとうるさいんだ。これでちょっと美味いもんをあげてくれ」
「そういうことかい。でも、さすがに……」
六枚を除き、銅貨二枚を突き返そうとする店主の手を両手で包み込み、笑顔で言う。
「まあ受け取っといてくれ。素敵な女性へのプレゼントだと思ってさ」
円滑な人間関係を築くためにはまず相手を褒める。それに尽きる。女性店主はそのようなおべっかに慣れていないのか顔を赤くさせた。
チョロいな。
「それはそれとして――ちょっと聞きたいことあってな」
「なんだい?」
「最近この辺りで魔物を見かけなかったか?」
「どうだろうねえ。あたしゃ村の外にではあまり出ないけど……あっ!」
ポンと手を打ち、それから店主は大きな声で言う。
「二、三日前に裏通りの人達が言ってた気がするよ。魔物がどうのこうのって」
「……裏通りってことは飲み屋街や風俗街があるのか?」
シルヴァが言外に匂わせたのは、『こんな辺鄙な村に』という意味であったが、店主はそれを察して苦笑と共に言葉を返した。
「まあ、こんな村だからね。言いたいことは分かるけど、一応リーウ村の別名は『夜の村』だからねえ」
「聞いたことなかったよ」
「知らなかったのかい。てっきりアンタもそれ目当てで来たのかと思ったのにねえ」
「いやいや。ふらっと立ち寄っただけなんだ。じゃあ夕刻まで寝るかな」
「一番奥の部屋の鍵だよ。ほら。それと入る前にちょっと綺麗にしておきなよ」
カウンターの奥の壁に掛けてあった鍵と共に、小綺麗な布と手桶を渡された。これで身に着けているものを磨いておけ、という意味だ。
宿屋の横手に置いてある大樽から手桶で少量の水をすくい、そこに布を濡らしていく。大人が四人は座れるほどの大きな横長椅子に腰掛けたシルヴァは皮鎧や双剣、そして最も汚れている靴をゴシゴシと洗っていった。
魔物の血。油汚れ。泥。土埃。
湿らせた布を滑らせ、黙々と汚れを落としていく。
手桶の水がくすんで淀んだ色をした頃、ようやくシルヴァは顔を上げた。
「これぐらいやりゃあ部屋には入れてくれるだろ。っとこっち来いティーゼ」
こちらを窺っていたティーゼを手招きし、シルヴァは荷台から替えのシャツと下着を手に取った。周囲に人影がないことを確認してから素早く着替え、備え付けられている小窓を開けた。ちょうど店主と顔が合った。
「服洗いたいんだけど代金追加な感じ?」
「|無料≪タダ≫でいいよ。この辺にいい川が流れててねえ。だから水は好きに使っていいよ。洗ったものはその辺の棒に掛けておいてくれ」
「ありがとう」
桶に水を張り、そこに衣類を浸けた。取り出したコッケの実をギュッと絞ると、薄茶色の汁が出てくる。色だけ見れば逆に汚れてしまうんじゃないかと思うが、コッケの実の果汁はしっかりと汚れを落としてくれるのだ。
その内洋服から、汚れが浮かんでくる。ほら来た。
腕に軽く力を入れ、掌で揉むように洗っていくとたちまちに良い香りがしてきた。
これもコッケの実がよく使われる理由だ。何故かは分からないが、ポッケの実を使うと洗い立ての洋服から良い香りが漂ってくるのだ。
この工程を二~三度繰り返したあと、洗ったものを丁寧に水から上げて絞った。
そして言われた通り、洗濯物を干すための竿に引っかけておく。
靴や武具を装着し、ティーゼに言う。
「じゃあティーゼ。俺は寝るよ。夜になったら見に来るから、あっちの柵に入ってろな」
バウバウと返事をしたのを見ながら、シルヴァは宿屋に入り寝室に向かった。店主が何も言わないということは入っても大丈夫な汚さということだろう。
部屋は簡素な作りだが、悪くはなさそうだ。右側には皺ひとつ無いベッドが置いてあり、奥側には木製のテーブルが置いてある。
部屋の戸を閉め、内側から鍵を掛けると、シルヴァは張り詰めさせていた気をようやく抜いた。そうすると、旅の疲れがどっと押し寄せてきた。
「疲れたなあ……」
綺麗に整えられたベッドに腰掛けると自重でベッドがたわんだ。良い素材を使っているのか、体が沈みすぎることはなかった。あまりにも柔らかいとそれはそれで体が痛くなるのだ。その辺は使用者によって感覚が違うからなんとも言えないのだが、シルヴァにとってこのベッドは寝心地が良さそうに思えた。
海岸線の町リーファウスからリーウ村まで、おおよそ一週間の距離をティーゼと共に移動してきた。幸いにして雨に濡れることはなかったが、それでも疲労は溜まっていた。
道の端で野営が出来たとはいえ、野党の心配はあったし行商人を乗せているバウルともすれ違ったし、満足に休息できていたとは言えなかったのだ。
再度身に着けているものを外すと、シルヴァはベッドに倒れ込んだ。
そしていつものよう、魔法を解除する。
「ふう。慣れているとは言え、やっぱり疲れんなこれ」
永続的に掛け続けている魔法を解除すると、彼は腕を前に伸ばした。
自身の両腕――と言っても、左腕は途中から消失しているのだが――を見つめる。
しばらく見つめたあと、シルヴァは目を閉じる。
次第に音が遠くなり、現実と夢が混ざり合っていく。
思い出す。
自分が独りであったことを――
思い出す。
愛した女性のことを――
思い出す。
己の全てを賭けても届かなかった人物のことを――
思い出す。
何もかもが奪われたことを――
意識を手放す手前、シルヴァは強く思った。
だからなんとしても、やり遂げなくてはならない。
絶対に殺すのだ、と。