名前のない花
ヨハンナは考える。
このギフトは何故私を選んだのか?
ミラー家は元々軍人の名家ではあるが、ギフト持ちの系譜とは無縁であった。
だがギフトが開花してからは、公国軍の中で異例の速さで出世し、若輩の身でありながら少佐の地位を拝命した。
そもそもギフトとは何か?
万民を幸福にする事もできれば、無辜の民を容易く虐げる事もできる能力。
一代限りの能力もあれば、一子相伝に血族が能力を受け継ぐ場合もある。
神様の贈り物なんて人は云うが、私は悪魔の贈り物だと考える。
扱い方を間違えば、自分自身でさえも破滅へと誘う劇物に近い。
それに父上は常々私に言っていた。
『己を律し、能力を制御し、決して軽挙妄動する事なかれ。ギフトは己の鏡だ、善に悪にも傾く。その均衡は、自分自身の心で保て。正義を行え!』
セレスの毒蜘蛛、クロエは力に溺れた。
自身の内なる欲求に負け、力を垂れ流す様に行使している。
あれは同じギフト持ちとして容認できない。正義の心に従い、奴を今度こそ討ち取る。同胞達の無念は私が濯ぐ。
酸性の毒液がクロエの手から放たれるが、ミラーは左手を返すだけで、その軌道を簡単に逸らしている。
滴る毒液が辺りを溶かしている。
意識をクロエに向けると、彼女は無言なミラーにご立腹であった。
「私との決闘中に考え事?随分と余裕なのねミラー少佐。貴方は私の獲物よ、ちゃんと集中してほしいかな?」
「どう始末してやるか考えていただけよクロエ、別に他意は無いわ。あんたこそ、驕りが過ぎるんじゃない?」
「辛辣な物言いねミラー、それに仲間から私を隔離できた事に安堵しているの?
それこそ驕りよ…、一騎討ちこそ私の得意分野。何人のギフト持ちを、この手で殺したと思っているの?」
「それは私の台詞よクロエ…」
ミラーは周囲の土砂を丸ごと隆起させ、巨大な壁を瞬時に創り出した。
クロエの無差別攻撃を危惧した関係だ。
自分は空気の膜で身体を覆い、毒に警戒するが、万全とは言い難い。
接近を許し場合直接毒を注入されたら、空気の膜では防ぎきれない。
「閉じた世界は私の世界。自殺願望でもあるのかなミラー?ジワジワと嬲り殺しにしてあげる、降参は認めないわ」
「試してみるクロエ?これは貴方を殺すただの檻よ、猛獣を捕らえるね…」
事実、クロエの身体からは毒の霧が漂い始め、土砂の壁の突破を目論みながら、ミラーの隙を窺っている。
ミラーも負けじとギフトを使用するが、腕の角度や振り方で、攻撃箇所を予測され、本来の精細さを欠いている。
距離をとりたいミラーと、距離を詰めたいクロエ。両者の駆け引きはより激しさを増し、ギフトの応酬が続く。
瓦礫や土砂、礫などを投擲するミラー。
毒液を発射し、自らの毒でじわしわと空間を支配しつつあるクロエ。
足元が覚束ないミラーに、遂に自分の毒が命中するクロエ。
勝ったと、内心で雄叫びを上げた刹那、ミラーのギフトもまた彼女の首元を捉え、万力の様に締め上げている。
「…ぐぅ、ううう…」
ミラーの腕に直撃した毒は、黒い班目模様を形成しているが、ギフトの力で血流を一時的に止め、強引に血抜きする荒技を敢行している。
「毒を止めなさいクロエ、勝負ありよ。自分の力量を見誤まったのが、貴方の敗因よ。せめて苦しまない様にしてあげる、楽になりなさい…」
首を絞める圧力が上がり、酸欠状態になりつつあるクロエ。
だが、まだ喋る余裕がある。
「毒を、止めろだと…、逝きがけの駄賃よ、貴方も私と、一緒に…」
更に強く絞める事で、気道を圧迫し、肺に空気が送りこめなくなり、身体に血液が巡らず、脳の電気信号が微弱となる。
抵抗も弱々しくなり、ダラんと手足を伸ばしたままとなる。
「残念ね…、検体達がいるのに、私を待っている…、大勢の検体が…、私のギフトは、神様の、…福音、…なの」
やがてクロエからうわ言すら聞こえなくなると、彼女をゆっくり解放する。
毒気が霧散しているとわかると、土砂の壁を解き、彼女の亡骸を安置する。
「…貴方は軍人としての義務を果たしました。最期を見届けた私にも責任がある、これは私からの手向け。貴方の人生が幸福だったかは判らない、けど彩りくらい添えさせて。野晒しにはしない、貴方の怨みが残らぬように、ライナレスの墓所に運びます…。安心して」
瞼を手で閉じ、汚れを払い、胸の辺りで手を組ませて、その中心に一輪の花を添えるミラー少佐。
花の名前は知らない。
ただ真っ白な花は、戦場には似つかわしくない綺麗な形をしていた。