Episode ein Detektiv
挑戦状が届いてから数日後。書店での仕事を終えてから、今日も俺は桜のいる館へと足を運んだ。重い木製の扉を押し開き、圧倒されそうな程に並べられた本のある室内へと入る。書店の店長としては、ここにある本を売ってほしいと思う時もある。そんな本が並んだ棚の奥に、桜の机がある。
「今日はどうした、桜」
「挑戦者から手紙が届いた」
「思ったより早かったな。どんな内容だ?」
「ん」
差し出された水色の封筒を受け取り、中を確認する。出てきたのは同色のメッセージカードで、中央に数字が二つ並べられているだけだった。
「19」
「これだけ?」
「Ja」
ひっくり返して裏面を見ても、特に何か書かれているわけではなかった。
「本当に何も書かれてないな」
「そうなの」
「でも、何でこれが挑戦者からのものだとわかった?」
「ここに直接手紙を届けるのは、実家ではなく私に用があるからよ。普通は『魔女の館』と呼ばれているところには近づきたがらないわ。来るのは物好きばかりよ」
そう言う桜の顔が陰る。本当は、周りにそう呼ばれていることが嫌なのかもしれないと思った。
「桜の話だと、俺も物好きになるらしいな」
「本当よ。何で私なんかを……」
「私なんか、何だ?」
意地悪と言い出しそうな顔で、俺のことを睨む桜。それに対して、先を促すようにニヤリとする。
「……私なんかを彼女にして」
「君じゃなきゃ、嫌なんだ。俺の可愛い彼女さん」
「可愛くない! Idiot!」
そういう反応が可愛いんだがな。と言うと、更に怒られそうなので聞き流しておく。
「それより、この数字はどんな意味かしらね」
「俺にはわからないな。桜もか?」
「私もまだ。手掛かりが少な過ぎて、どうしようもないわ」
「そっか。少し休みなよ、桜」
「そうしようかしら」
俺は更に奥にある台所に行き、ティーセットを取り出し紅茶を入れた。蒸らしている間に、買ってきておいた彼女の好物であるチーズケーキを皿に乗せる。そして、それらを持って桜の所へと戻る。
「お待たせ」
「ありがとう。隼人は食べないの?」
「俺の分も持ってくるよ。先に食べてていいよ」
「Keine.待つわ」
首を振りそう答える桜。俺は自分の分を持って再び机の所に行くと、彼女の隣に椅子がもう一脚増えていた。
「立ったまま食べるのは嫌でしょう?」
「ありがとう、桜」
お礼を言い、席に着く。
「お礼を言われる程のことじゃないわよ」
そう言い正面を向くが、その横顔はどこか嬉しそうだった。少しの間その様子を眺めていると、彼女が視線に気づき首をかしげた。
「何でもないよ、桜」
「そう、ならいいけど」
そして、そのまま静かにティータイムは過ぎていった。
すっかり辺りは暗くなり、そろそろ夕食の時間になる。俺も家に帰り、ご飯を作らなければならない。
「俺はそろそろ帰るけど、桜はどうする?」
「毎日のように聞いても、私の答えは変わらないわよ……」
「それはわからないだろ? まあ、たまには帰ってあければ? 親なんだから心配してると思うぞ」
「……Keine」
否定らしい言葉を言い、桜は俯く。そんな彼女に近づき、そっと頭を撫でる。
「いつか、わかってもらえるさ。今はまだでも」
「そうだといいけど……」
「ほら、いつもの気が強くて可愛い桜はどこだ?」
「Nein!」
「やっとらしくなった」
頬を膨らませ横を向く彼女をつつきながら、その様子に笑みを浮かべる。
「それじゃあ、帰るよ」
「ねえ、隼人……」
「どうした?」
「明日も、その……」
「大丈夫だよ。また明日な、桜」
引き寄せ額に軽く口付けをし、離れた。彼女は顔を赤くし、おでこに手を当てている。笑顔を向け手を振り、桜の館を後にした。
「さてと、俺も帰ったら調べてみるか」
きっと彼女は「手掛かりが少ない」というだけで、何もしないわけじゃないだろう。桜ほどではないにしろ、俺は自分にできることをやろう。そう考えながら歩き、書店「忘れ雪」と看板が付いている自宅に着く。一回を全て古書店にし、二階を自室としている。桜の館と比べたら小さいが、父から継いだこの店は俺には十分だった。
「ただいま」
誰もいない部屋に入り、鍵をかける。父も母も俺には既にいなく、寂しいことに兄弟もいない。この実家だけが、二十歳の時に突然残された。あれは、不運な事故だった。出かけていた両親の車に、信号無視をしたトラックが衝突。二人は即死だったと聞かされた。その時は信じられず、起きた出来事に頭が追いつかなかった。急に消えた親に、残った古書店。それからは必死だった。ゼロから勉強して、知識を身に付けた。父の友人にわからないことを聞きながら、なんとかこの店を守り抜いてきた。
「父さん、母さん。俺は今日も元気だよ」
作った夕食の一部を仏壇に供え、手を合わせる。そして、自分の分を置いたテーブルに行き夕食を食べる。
食器を片付け終え、桜の所に届いた手紙について考える。数字であることには間違いない。だが、どういう意味なのか。それがわからない。いや、まずこの状態で謎が解けるわけがない。そんなことをしながら、夜が更けていった。
次の日。店が定休日の為、俺は朝から桜の館へと向かった。その日は珍しく、桜が庭にいた。
「おはよう、桜。珍しいな」
「Guten morgen.また手紙が来てたから、取りに来ただけよ」
「また来たのか」
「入りましょう。今回の内容を一緒に確認しましょ?」
彼女に促され、中へと入る。桜の机には、昨日までは無かった紙の束が置かれていた。
「さあ、開けるわよ」
一通目と同色の封筒とメッセージカード。その中央には、今回も数字が書かれていた。
「810」
「今回もこれだけみたいだな」
「そうね。それにしても、何かしらね」
彼女はそう言い紙の束から一枚取り、そこに昨日と今日の数字を書き込む。
「何か、こう。割りと身近なような気もするの」
「そうなのか?」
「うん。だけど、何かが足りない」
眉間に皺を寄せ、彼女が悩んでいる。
「ほら、難しい顔するなよ」
「まったく。あなたは気楽ね、隼人」
「これでも、考えているからな」
「そうなのね。一応、信じてあげる」
「酷いな、桜」
「ふふっ」
桜が笑う。やっぱり彼女は、難しい顔よりも笑顔の方が似合う。つられて、俺も笑う。
「今日は、何で来たの?」
「昨日、言っただろ? また明日って」
「そうだけど…… 本当に来るとは」
「いいだろう。それとも、桜は迷惑か?」
「そんなことない! むしろ……」
「むしろ?」
「……来てくれて、嬉しい」
「それなら、よかった」
よしよしと頭を撫でる。前に一度、桜が話してくれたことがある。俺とあまりに歳が離れすぎて本当に彼女でいいのか、自信が持てないと。だから、今でもまだこうした態度を取ることが多い。だが俺は、ゆっくり良くなると思っている。
「ねえ、隼人」
「どうした、桜」
「何で、私なの? あなたに合う女性は多いはずなのに……」
「何でだろうな。でも、数年前に俺の店に初めて来た桜を見て、俺は君を好きになった」
「何よ、それ。私を選んだことを後悔しても、知らないんだから」
「もうしてるよ」
「え……」
悲しそうな顔をする彼女に対し、俺は笑顔を浮かべる。
「何で、もっと早くに君に会えなかったんだ。という後悔をね」
「Dunarr! そういうことは言わなくていいの! それに、後悔とは言わないわ!」
ペチペチと叩かれ、桜は恥ずかしそうにしている。ころころと変わる表情を楽しみながら、やっぱり彼女がいいと俺は思った。
そうして、俺の休日は過ぎていく。