Prolog Hexe
街外れにある、古い洋館。どこか人目を避けるように佇むそれを、人は「魔女の館」と呼ぶ。そんな館に、毎日のように俺は足を運ぶ。その姿を見て、後ろ指を指す人も多い。
俺は柳沢隼人。三十四歳で、この洋館の主人の助手と個人書店の店長をしている。館の主は魔女ではなく、凄腕の探偵である。しかし、滅多に館から出ない。そんな主人の代わりに、俺が依頼人と会うこともある。
植物の蔦が上に伸びるように壁に張られ、いかにも何かいそうな雰囲気の屋敷の扉を叩く。ノック三回。それが、ここのルールだ。返事は返って来ないが、俺は構わずに中に入る。
「おーい、桜。来たぞ」
中は壁一面、どこを見ても本ばかりで、図書館ではないのかと思うほどである。だが、これは全て一人の所有物だ。
「Ficken!」
奥の方から怒鳴り声が聞こえ、俺はその方へと向かう。見ると、倒れた本の山に埋もれた少女の姿があった。
「大丈夫か、桜」
「いいから、手伝いなさい。隼人」
「はいはい」
手を伸ばし、彼女を引き起こす。そして、崩れた本の山を直していく。
「まったく、今日はツイてないわ」
毒を吐きながらも、桜も一緒に片付ける。
藍川桜。十七歳の高校二年生であり、ここの持ち主である。そして、引きこもりという問題児。本人曰く「高校は簡単すぎてつまらない」のだと言う。問題なく進級できているようなので、俺は何も言わないが。
「桜、そう言えば花束が届いてたぞ」
「へえ、どんな花?」
「知らない。玄関先にある」
「Lehme ente」
どこかの言語で何かを言われたが、俺には理解できなかった。とりあえず、馬鹿にされた気はするが。そんなことを考えているうちに桜は玄関に行き、届いた花束を確認していた。そして、どこか楽しそうにそれを花瓶に飾った。
「ふうん。私に挑戦状ね…… まあ、待っていることにするわ」
「挑戦状? これのどこが?」
「Idimt.この花はタンジーで、花言葉は『あなたに挑む』よ。こんなこともわからないの?」
「そうなのか、知らなかったな。桜は何でも知ってるんだな」
「私は探偵よ。知ってて当たり前よ」
彼女を褒め、頭を撫でる。先程までの不機嫌そうな表情は消え、猫のように甘えてくる。
「どうした、寂しかったか?」
「そんなわけないでしょう」
とは言えど、すり寄ってくる彼女の言葉には説得力がない。
「それで、これからどうするんだ?」
「さあ? 相手の出方がわからないから、私からは動かないわ」
届いた黄色い挑戦状。それに対し桜が少しだけ楽しそうにしているのは、久しぶりに見たかもしれない。これからどうなるのか、俺としても楽しみである。引きこもりの安楽椅子の名探偵に挑むのは、一体何者なのか。