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キメラの女

「よう、律!」

セイ


 知らせを受けて、静が律の許を訪れた。調査などは静が率いるセキュリティ会社が請け負っている。

「また、エライ資料を見つけちまったな」

静が渋い顔をしており、律も強張ってた。

「部下から送らせたデータを俺も見たけどよ、碌な女じゃねえな!」


 笠井 晃代。

結婚する前の名前は、安中 晃代。

遥と一緒の施設で共に15まで共に育ち、中学卒業後、住み込みで笠井邸に家政婦として就職。18で雇い主である笠井 廉二郎の後妻となったが、現在は離婚している。



「離婚の原因は?」

「呆れちゃうよな。晃代の不倫がばれたんだってよ!」


 廉二郎との間に子供が出来なかった晃代は、遥に代理母を強要しつつ、同時期に不倫相手との間に子供を為し、出産。生まれた子供は廉二郎の実子として届けが出されていた。子供が事故に遭い、夫の子供ではない事が発覚した。晃代母子は、笠井家から着の身着のままに近い状態で、離婚させられた。


「追い出したのか」

「男としちゃ、当然かもしれねーが。ちょっとなー」

 静も一児の父だ。

情の厚い男だから律同様、廉二郎の容赦のなさにむっとしていたのだろう。

(確かに、父親として夫として、何より男として。郭公の雛を育てることに我慢がならなかったのだろう)

 晃代については自業自得とはいえ、父と信じていた男から引き離された子供の心情を思うと、暗澹たる思いに駆られる。

(その男は、情よりも血を重んじたのか)


 律はため息をついた。


……思えば。

そんな男であったからこそ、晃代は子供を作って後妻の座を繋ぎ止めておくしかなかったのかもしれない。

 しかし。

(同情は禁物だ)

 18で人生を預けられる男を見間違うな、というのが酷な話なのかもしれないし、子供同然の年齢で社会に飛び出さざるを得ない、施設の制度にも問題があったとしても。

(だとしたら、遥はどうなんだ)

 小学生の頃に家族を全て亡くして以来、晃代と同じ施設で育ったが、彼女は己を枉げることなく、大輪の華を咲かせたではないか。

(……いや)

万人に、遥のような勁い心を持て、というほうが理不尽な話だ。


人はそんなに強くはない。



(それにしても)

「子供が出来たから、佑を引き取らなかった、という事か」

律は苦々し気に呟いた。

 佑にとっては、そんな女に引き取られなくて、幸いだった。

その後、彼は律と遥から、溢れんばかりの愛情を貰って育ったのだから。


「しかし。晃代がそこで、我が家に金銭を要求してこなかったことについては、疑問が残るな」

律の呟きに、静は眼を剥いた。

「おま……っ、本当に顔と違って精神こころが捻じ曲がってるよな!」

律は構わず続けた。

「これだけ強欲な女だ。隙あらば遥にとって変わって、久遠財閥総帥わたしの夫人つまの座をも、おそらくは狙っていただろう。自分の頼みを逆手にとって遥を脅迫したり、ひいては私にまで脅迫の手を伸ばしてくるのが、こういう場合のセオリーじゃないのか」



「まーなー。律の危惧は尤もなんだけどよ」

そう言うと、静は調査書の一点を指し示したので、律が覗き込んだ。


『笠井 晃代は、妊娠した直後から重度の妊娠中毒症であったり、子宮頸管が短く切迫早産の恐れがあると診断されて、出産に至るまで入院を与儀なくされていた』との調査報告が届いており。

 また、出産してからも、生んだ子がしょっちゅう熱性けいれんや麻疹にかかって重篤な症状に陥いることが多かった、などと調査結果には記載もあった。


「……自分と笠井を繋ぎ止める子の生命を永らえさせようと必死だった為、遥のことが後回しになっていたのかもしれないな」


 律がそう呟いたら、静が”そんな処だったのかもな”と静かに同意した。




「もしかして、今回の誘拐事件。晃代が」

一つの可能性を想いついて、律は静に問い質した。静が親指を立てた。

「ご名答!晃代の離婚が成立した時期が、遥チャンの誘拐事件が起こる、3か月前なんだ」

「……」


 点が線として繋がり始めた。


 自分は、不義の子と共に追い出されたにも関わらず、『同じ境遇』である筈の遥は、平然とを『久遠 律司と久遠 遥』の子として偽って育てている。世界的な科学者としても、財閥総帥夫人としても益々権勢を誇っている。


 それもこれも、自分が卵子を遥に提供したからだ。

こんな不平等があっていいのだろうか。

”アンタが亭主との子供として世間に見せびらかしているその子供は、私のDNAこどもよ--っ”


 晃代は、そう叫びたかったに違いない。




「……逆恨み、か」

「おそらくは。暮らしに困って、晃代の間男イロが、”久遠財閥総帥夫人の子供は実子じゃない”ていう情報を、親玉に売ったらしいな」

「それにしても女の情報だけだと、不確実だろう」


 仮にも名の知れた企業が、鵜のみにしていい情報ではない。晃代の、虚言妄想の可能性だってあったのだ。


「それなんだがな」

静が渋い顔をした。

「佑の通っている学院がひた隠しにしてたんだが、教材が強奪される事件が起きている」

 生物の授業の時。

教諭が、DNA検定キットを配って、肉親の毛髪と自分の唾液を採取するように、申し渡したのだという。

 そして次の授業の時に生徒達からサンプルを回収した。回収したサンプルは、DNA鑑定をさせる為の業者によって研究機関に運搬中、強奪されたのだと。

「なんだと?」

「学校側からは”運搬車が事故にあって、教材が駄目になった旨”の手紙が送られていた」


 ほれ、と見せられた、”全て灰塵に帰したのだ”という趣旨が、まことくどくどしい表現で書かれていたサンプルの文面に、確かに見覚えがあった。



『興味深い実験のサンプルが、全て灰になっちゃったんだってさ』

と佑が肩を竦め。遥が。

「あーっしゅ!(Ash=灰)」

とわざとらしくクシャミをする真似をして、父子で遥を冷たい眼で見つめたことがあった。


(あれがそうだったのか……!)



「にしても、バカなことをさせたものだ」

律が渋い顔で吐き捨てるように言った。

「親子でDNAが違っているのがばれたら、まずい家庭などいくらでもあったろうに……!」

しかもだ。

(肉親者のサンプルには唾液ではなく、毛髪を集めてくるように指示するとは)

それだと生徒達は、ブラシや枕カバーから容易に収集できるので、親に断りもなく鑑定が可能だ。

 無論、生徒たちの中には本当に、自分と親との血縁関係を疑っていた者もいたことだろう。

「だから、余計そんな馬鹿な授業が明るみに出なかったのか!」


そんな実験をうかうかとさせた学校側の対応に腹が立った。


「全くだ。……けど。学校側は知らなかったらしいな」

「なに?」

「当時の生物教諭が行方不明になってる」

「買収されたあと……消されたか」

律が低く呟いて、静がおそらくな、と言った。


(灰塵と帰した事故車両と共に、か)


「ともあれ、奴らは準備を着々と進めていった、て訳だ」

 そして。

遥を誘拐し脅迫するネタにしたのだと。


「下手すると、我が家以外も脅迫に遭っている家庭がありえるぞ!くそっ、あいつら”生まれてきてすみませんでした!”て位までをしておくべきだったな」

律がぼそっと呟き、静も同意すると物騒なことを提案してきた。

「全く同感。誘拐犯たちのを急襲して回収した物品な。それらについては、分析を急がせているが。どうする親玉君、綺麗に潰しちゃおうか」

律はしっかりと頷いた。

「そうだな。奴に関わっていなかった社員は、私が面倒みる」

「了解」

片手を挙げると静は後ろを向き、携帯を何処かへ掛け、何かを指示した。




 しかし、それでも律には疑問が残った。

「どうしても、あの愛情深い遥が代理母出産を簡単に承諾するとは、思えないんだ」


 例え、友人自身の生命を盾に脅迫されたとしても。

そして、夫である自分の眼を掻い潜って、出産した子供をどうやって友人に与えようとしていたのだろうか。

 死産でない限り、律が子を手放す筈がないことを、遥は誰よりも知っている筈だった。



 電話を掛け終わった静が、律に向き直った。


「それなんだけどよ」

「ああ」

「もしかして、遥チャンは代理母してない、かもしれない」

「なに?」

「遥チャンと佑が実の母子て、可能性を見つけたんだ」

「なんだと?!」


バサリ、と投げ出された資料を読み進むうち、律の瞳に輝きが戻ってきた。

「詳しい遺伝子調査をしなければならんが。100%間違いはないんじゃないか」

「そうか」

 

 静は、親友の肩をどん!とどついた。




 報告書は『キメラ遺伝子を持つ女性』のレポートについてだった。


「キメラ遺伝子?」

「出産した実子とDNA鑑定でNG判定くらった女性が、再度の調査の末、キメラ遺伝子を持つことが実証されたんだ」


 キメラとは。

同一個体内に異なった遺伝情報を持つ細胞が混じっていること。またそのような状態の個体を指す。


「この女性の場合、数十か所に及ぶ体中からの入念な遺伝子採取して。ようやく2か所から、実子と合致するDNAを検出できたんだ。結果、彼女はDNAを2種類持つキメラだと判明した」


(そんなことが……!)

 遺伝子が違う実子のケースを、律も再三あたっていた筈だった。しかし、遥の書斎で日記を発見して以来、”代理母”説に傾いていた為、そういった世界的なトピックスまで検索を怠っていた。


「俺も部下から報告があがってきた驚いた処だった。まさか人間でキメラが居るとはな!」

「それで、どうしてそういった事が起こりうる」

律の問に静は応えた。

「元々はこの女性は双子として世に誕生してくる筈が、母体が妊娠中に何らかのトラブルが生じて、結果として一人として生まれてきたらしいな」


 双子で生まれる筈の受精卵が早い段階で合体してしまったり、双子の血液を作る細胞がもう片方に混ざりこんでしまうなど、一人の人間が二人分の遺伝子を持って生まれてくることがある、とレポートは告げていた。


「双子……」

 思い当たることがあった。

遥は、5人兄妹の末っ子だった。遥は修学旅行に行っていたので難を逃れたが、両親とともに亡くなった兄たち4人は、二組の双子だったのだ。


 静も同意した。

「有り得ない話ではないな」


 本来、遥も双子として生を享ける筈が、片方の受精卵は育ち切らず、遥に吸収された。その片割れのDNAが色濃く出る部分から採取した結果、遥と佑のDNA判定が相違した結果になっても、おかしくはなかった。


「だとしたら、男性の人格は」


 また律は仮説を思いつき。

同じ思考の道筋を辿ったのだろう、静が言葉を続けた。


「推測に過ぎないが、生まれた時から兄チャンズを観察していた結果、意識下に『男として』の行動形式が刷り込まれていたんだろう。そうやって記憶の奥深くに根付いたパーソナリティが、衝撃によって記憶の表層に噴出してきたのかもしれないな」


 静の説明に律は頷いた。


「そうすると、また最初の疑問に戻る。”遥はどうして代理母になることを了承したか”、だ」

「仮説に過ぎないが、遥チャンは、いったんは代理母になることを了承した。もしくは”了承した”と見せかけたか、だな」


 晃代には、”着床しなかった”、といえば済むことだ。

そうして時間を稼げば、友人も諦めるのではないか、と踏んだのかもしれない。

 ところが、遥は佑を妊娠して、結果として晃代は”代理母を遥が了承した”と思い込んだ。時を同じくして晃代にも子供が出来たので、代理母の話が立ち消えになったのではないか、と静は言った。






「ふざけるなっ」

律は苦々し気に呟いた。


 息子と妻が、実の母子関係でないというデマが白日の下にさらされた挙句、妻は誘拐されて脅迫されたのだ。佑に、遥が”実母じゃない”という衝撃的な情報を与えてしまったし、律にとっても同様だったのだ。

 家族愛は毀れなかったとはいえ、久遠一家の根底が揺らがされたのは事実だった。


静はそんな親友を、痛まし気に見つめ、空気を換えるように律に訊ねた。


「遥チャンの様子はどうだ」

「彼女は自分を記憶障害だと認めた」

「そうか!」

静が”一歩前進だな!”と明るい声を出した。

「酷ではあったが、遥を佑と大学に行かせた甲斐はあった」

だが、律の顔色は冴えない。

「……どうした」





『確かに俺は記憶障害のようだし、女の体だ!だけど、”女だ”と自分のことを認めることはできないっ』


 そう言われた以上。

彼女を女性として、ましてや妻として母親として扱うことはできなかった。

 なによりも、律の近くにいること、律と会話すること自体に嫌悪感を抱いており、律は彼女に近づくことすらできなかった。




「……振り出しに戻る、か」

静が重く呟き、律が憂慮のため息を吐き出した。

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