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喪われた記憶

 ある日。

遥が受けた傷も癒え、誘拐場所からの脱出を図った時の脳震盪による、眩暈も起こさなくなった頃。そろそろ静養している事に遥がぐずり出すだろうと思われた頃、律が佑に告げた。


「佑、頼みがある。遥を連れ出しておいてくれ」

ちろ、と佑は父を見た。



 


 遥が誘拐された日から、久遠家では膠着状態が続いている。

まず、遥の記憶が戻らない。

ということは、遥と佑の血縁関係について謎のままだ。

そして、自分を『女』扱いする律から、遥は避けるような行動ばかりをしていた。


(仕方ないだろう、君は正真正銘の女性なんだから!)

しかも律にとっては女神に等しい唯一の女。

 どうしたって、彼女に対して保護欲や騎士道精神を発揮してしまう。

しかし、自分を『男』と認識している遥にとっては屈辱以外の何物でもないらしい。


 彼女が手が届かない棚の物を取ってやってすら、噛みつかれる始末。

つい律もキレてしまった。

『それなら、自分の小ささを念頭において、あらかじめ脚立でもなんでも用意しておくんだなっ大体親切で取ってやった人間に対して、礼も言えないのは人格の小ささを指摘されても仕方ないぞ!』

『むきーっ人のことをチビって言ったな!』

『言ったとも!』

ぎゃあぎゃあ、と口げんかの罵り合いになり、息子に白い目で見られる始末。




 久遠家は朝食をともにする、というのが基本だが。

最初は、律と佑が食事を済ませてから、遥は一人で食事をしていた。

すると、父が。

『私は一人でいいから、佑、彼女と一緒に食事をしてやってくれ』と言って、普段より早い時間に出勤するようになった。

 財閥の会長職に就いているものの、そんなにマメに働くタイプではないから、秘書にキリキリ舞させて、10時から18時までに就業時間を調整させている。


(父さん、そんなに早く出勤して。きっと会社のデスクトップで母さんとの愛のメモリーを観て、涙してるんだろうな)

と佑は思う。


 父も初手で躓いて以来、何とか起死回生を図ろうとし。当初は秘書のような気持ちで接していたが、それも彼女の琴線に触れたらしく。今は同居しているだけの遠い親戚のように母に接しているのだが、今度は母のほうが過剰に反応してしまうらしい。

(いくら記憶がないからって。いくら父さんがウッカリと”私は君の夫だ!”て言っちゃったからって)


 憶えていない筈なのにも関わらず、その後、遥に深層心理テストをしてみた処、『妻・夫・夫婦生活・結婚』というキーワードに著しい拒否反応を見せたらしい。

--そして。

久遠 律司にも。


(それ以来。父さんによると”妻”てキーワード一切口にしてないらしいのに。父さんが愛の言葉も囁かず、手を出すのも我慢してるんだから。そんなに警戒しなくったって、いいと思うんだけど)


 佑は見落としていた。父は冷静な表情を崩さなかったが、その双眸には妻への思慕と苦悩が揺れていたのを。

恋愛感情を遣り取りするものだけに発信され受信される、熱波のようなものを。

言動に表せない分、より濃くなっている父の感情を、過敏になってしまっている母は一層受け取ってしまうらしい。

(普段、父さんが嘆くほど鈍感なくせに!こんな時に限って)


はああ、と佑はため息をついた。


(母さんラブ!な父さんには、どんな拷問より辛いよな)

 自分とて母に甘えられないのは正直かなりキツイのだが、自分は母と『お友達』ポジションを確立してある。父のほうがよほど、しんどいだろう。


 佑にとっても、母と母子関係がDNA的に認められなかったのは衝撃的であったが。伊達に16年、父とそして母から、浴びて溺れる程の愛情を受け取っていた訳ではないのだ。

彼は”母さんさえ、憶い出してくれれば大丈夫”と信じていた。


(だけど父さんは)

母に対しては呆れる程、我慢の足りない父が。そろそろなんらかのリアクションを起こすのだろうとは、薄々思っていた処だった。



(きたか)




「……母さんの書庫破りするの?」

「そうだ」

 決意を顔に秘めた父に、佑は感じるものがあったのだろう。

「わかった」

とだけ、返事をした。

「それに母さんのことだから、そろそろ自宅静養に飽きだして脱走を企てる頃だもんね。だったら、こっちから連れ出して頃合いを見計らって、帰宅を促した方が楽だしね」


 肩を竦めて見せた。


(母さんのことだ)

ロック解除も、ボディガードの目をすり抜けることも、遊びにしか捉えて居ないのだ。今頃、自宅内を隈なく探索し終わり、脱走ルートを構築中に違いない。


 律も佑の意見に賛成した。

「そういうことだ」



「ふふーん。じゃあ母さんを何処に連れてこうかなー。ティーンらしく映画館や、遊園地とか」

にやにやとして父親を見ると、予想通りぶすっくれた顔をしていた。


(相変わらず、母さんにラブラブだよな、父さんてば。……僕もだけど)


 母親が大好きだから、遥にべったりしているという理由も無論ある。が、父親が面白くない顔をしてみせるのが楽しいので、佑もわざと、父にマザコンぶりをアピールしているきらいはある。


「却下だ。不確定要素が多過ぎる。大学校内なら安全だ」

律は言い放つと、二人分のIDを放ってきた。それを佑は空中で受け取った。

「オッケー」

(根回し済ってことだな)


 確かに、大学へ入るには守衛がいる門を通らねばならないし。

(そんなもの、本気で侵入しようとしている賊の手にかかれば、”どうぞ”と門戸を開放されているに等しいことは、佑もそして律もわかってはいたが)

 各研究室には指紋認証とIDカードが必須である。

(それすらも、賊が偽造している可能性は大いにあったが)

--それに。

研究室ラボには”久遠チルドレン”もいるしな)

 律や静が世界中の紛争地域から連れて帰った少年兵あがりの、かつ優秀な学生たちが。

彼らは、久遠一家及び静の一家に絶対的な忠誠を捧げている。

(彼らがいれば、賊たちもおいそれとは手が出せない、ていう判断か)


佑は父の指示通りに動くことにした。





◇□◇◇□◇◇□◇◇□◇




「遥、学内案内してよ」

朝食のあと、佑が遥に切り出した。

「そうだな!俺も大分研究さぼっちゃったからな。行くか!」

「ウン!」



そして、今。

久遠の差し向けた車で、大学の門をくぐった処だ。

「おう!じゃあ、まずなっ」


 皆、遥と顔見知りらしく、親しげに声をかけてくる。が、佑には母親が笑っていないことがわかった。

「覚えてないんだろう」

「……ああ」

緊張をにじませた、遥の声。

「俺、記憶が退行してる、てあの男が言ってた」


(あの男って父さんのことだよな)

「俺。信じてなかったんだけど。……もしかしたら世界は、俺が憶えている以上に時間が経ってるのかもしれないな」

遥の呟きに、佑は慎重に尋ねた。

「なんでそう思うんだ?」


「あの木」

す、と遥が差した一本の木。

「あの木がどうかした?」

「下から3本目が、俺の昼寝スペースだったんだけど。記憶がより大きくなってる」

戦慄をにじませた声。

「建物も記憶より古びてるし。すれ違った奴らだって、面識がない奴らばっかりだ……っ」


 

 酷であるが、父親が大学をつれていく先に選んだのがわかるような気がした。他の場所では遥に時間の変遷を感じさせることは難しい。

(父さんは諦めていない。母さんを、自分の手取り戻すつもりだ)

その考えは、佑に安心感をもたらした。


(まあ、僕が父さんの恋路を邪魔するのは、二人が相思相愛が前提だから)

 父親や、自分のことを覚えていない母親と過ごすのはやはり、キツいし寂しい。

彼女には、早く記憶を取り戻して欲しいと思う。

「そっか」

佑の言葉に遥は少年をじっと見つめた。

「……お前も。俺のことを記憶喪失だと知っていた?」

嘘を許さない母親の視線に、佑は両手を挙げた。

「律から聞いてた。で?もう帰る?しんどい?」

 佑は訊ねた。

遥はじっと考え、やがて首を振った。

「……いや。何時までも逃げてても埒が明かねえ。俺も記憶を取り戻す努力をしないとな!でも俺のラボは変わってないんだろ?だったら案内してよ」


 母親は……、遥は涙が溢れそうな顔をして、それでも、にこりと笑った。

(う!)

佑はのけぞった。

(母親のくせして。その可愛さは反則だろー!)




 ラボについて。多少の違和感は拭えなかったようではあったものの、幸いスタッフに変動はなかったので、遥は少し生気を取り戻したようだった。

「すげぇ!今の研究ってこんなに進んでんの?!うわあ、ここに至るまでの過程が知りたいっ」


 目をキラキラさせて研究者達を質問攻めにしていた。

そして幾度もするどい指摘や疑問点を投げかけ、研究者達に新たな展開を提示したのだった。


「さすがは久遠博士ですね」

す、と佑に寄ってきたのは。遥の学内におけるボディーガード兼研究助手の佐久間だった。

「佐久間さん」

「記憶喪失していても、知識欲は変わらずに旺盛だし。変な手垢きおくがない分、まっさらな視点で僕たちの研究の穴を見つけただけではなくて、新たな可能性までの提示してくださった」






◇□◇◇□◇◇□◇◇□◇






一方、自宅で律は、遥の書斎の前に佇んでいた。

(何かがある筈だ。見落としている何かが)


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