幸子
「あっ」と、声にならない叫びを女は上げた。
浩二は、一瞬人違いかと思った。いつも見るセーラー服姿の彼女はそこにはいない。白のTシャツとデニムの短パン、すらりと伸びた四肢はまぶしく映る。
薄化粧の内側から、かつて妹のように可愛がっていた頃の幼い面影が蘇った。
間違いなく幸子だ。
浩二は、改めて自分が起こした過ちで幸子の兄を死亡させたことを深く詫びた。
「いいえ、もう済んだことです。悲しい出来事でしたけど死んだ兄はもう戻ってきません。あれが兄の寿命だと思っています。どうかあまり自分を責めないでください」幸子は言った。
「寿命」加藤の両親から浩二を気遣うように聞かされた言葉だった。
兄と妹仲の良い兄弟だった。それを自分の不注意で二人の仲を永遠に断ち切ってしまった。幸子はきっと自分を恨んだだろう。
しかし、今の幸子はそんなそぶりを微塵も見せない。そうさせたのは両親の説得があったはずだ。
「寿命だったんだ」と言い聞かせ、「誰も恨むんじゃない」と口を酸っぱく言われたのかもしれない。
改めて浩二は自分の犯した罪の深さを知り、加藤の両親の思いやり、寛大さに頭が下がる思いだった。
そして、浩二は思った。亡き親友の愛した妹が何とか幸せになれるように自分なりに手助けができたらと。
浩二は近くの喫茶店に幸子を誘った。
行きつけの喫茶店だった。
二十四時間営業で軽い食事もでき、夜はバーに衣替えする雰囲気のいい店だ。
女性一人でも立ち寄れるおしゃれな店といってもいい。
浩二は窓際の席を選んだ。
「最後に会ったのは、幸子さんが中学生の時だったかなあ」
「三年の時でした。退院されて、偶然お会いして…」
「そうだったね」
浩二はあの時の幸子の冷たい視線を再び思い出した。
「お父さん、お母さんはお元気ですか?」
「はい、あれからテニスをやり始め日曜なんか、朝からテニスコートに入り浸りです。夏の炎天下でも、もういい歳なのに」
「そうですか、よかった」
幸子はその返事に戸惑った。
「いえ、体を動かすことはいいことですから。健康にも、心にも」
浩二は、加藤の両親が悲嘆にくれて過ごしているのではないかと心配していた、がそれを聞いて少し気分が楽になったのだ。
ふと、「息子の分まで生きてくれ」という加藤の父親の言葉が頭をかすめた。
浩二は幸子の近況を訪ねた。
「大学は近いの?」
「K大学です」
「へえ、あの有名なK大。優秀なんだ」
「いえ、たまたまなんとか」
「たまたま、で、入れる大学じゃないよ。幸子さんは優秀なんだよ。で、大学生活はどう?」
「少し慣れてきたところです。まだ分からないところ多いんですけど。でも、結構楽しくやっています」
窓から木々が列をなしているのが見える。豊潤な緑の葉が生繁っている。もう初夏なのだ、と思うと同時にまた、あの六月がやってくるのかと心が暗くなった。
「彼氏はできた?」
憂鬱さを跳ね除けようと少し色気のある質問を幸子に投げた。
「そんな、ようやく大学に入ったばかりでそんな余裕はありません。でもそのうち見つけるつもりですけど」
「はははは、幸子さんなら、向こうのほうから寄ってくるさ、でも」
「でも、何ですか?」幸子は笑みを浮かべ首を傾げた。
「その短パンは、男にとって目に毒だよ。スラリとした足が見え過ぎで目のやり場に困る。できれば膝上10センチなんてどう?」
幸子は思わず自分の足元を見やった。
「ゴメン、まるで中学の生活指導の先生みたいだね。今のは失言でした」
「いえ、私もちょっと派手だと思ったんです。友達と洋服を買いに行ったときその友達がこれをしっつこく勧められ、渋々買ったもんなんです。ただ、せっかく買ったので、たまたま今日はこれをと」
「家で穿くぐらいならいいと思うんだけど、最初見た時チョットドッキとしたから」
時折幸子の表情から死んだ兄の面影を彷彿とさせるものがあった。
幸子を自分が影ながらでも見守っていこうと、浩二は改めて心に誓ったのだった。
その日は、お互いの携帯の番号を教え合い、別れた。
浩二はその後、月一回の割合で幸子と会うことにした。




