血だらけの女性
カツ、カツ、、カツ
不規則な音はユックリと近づいてくる。浩二は手すりから顔を出し下をのぞき込んだ。
いったい誰なのだろう?
階下の方には人影は見当たらない。
靴音はすぐ下から聞こえる。
なのに人の気配がしない。
靴音だけが階段を上ってくる、そんな感じだ。
浩二は、寒気を感じた。寒さのせいじゃない。
冷気が足元から襲ってくる感覚だ。
浩二は気を取り直し、大きく二、三回深呼吸を繰り返し、ハイヒールの靴音をかき消すようにステップを付け勢いよく階段を降りた。
九階の踊り場から、八階に足を下ろそうとしたとき、ハイヒールの女性が現れた。
女性は八階の踊り場にボーっと立ちつくしている。
浩二はそれを見て足がすくんだ。
女は赤い花柄の白いワンピースを着ていた。
いや、それは見間違いだった。
花柄ではなく、血染めのまだら模様だ。
両手に何か黒い物を抱きかかえている。
よく見れば、猫だ。体中が引き裂かれ血糊がこびりついている。
女の髪の毛も乱れ、その髪先から血がしたたり落ちている。
どう見ても普通の状態じゃない。
「どうしました!」
浩二は叫んだ
後で考えればどうしたもこうしたもない。
すぐ救急車を呼ぶべきなのだが。
女は俯いたまま顔を上げない。ぐったりとした黒猫を見てるように、乱れた長い前髪が顔を覆っている。
そのまま顔を上げたら、どんな顔が現れるだろうか、想像するだけで全身が凍り付く。
浩二は、フト思いだした。あの時の幸子の様子を…。
幽体離脱。顔を上げないままズット立ちつくしたままのあの幸子を思い出したのだ。
「さちこ、、君か?」
浩二は、尋ねた。
猫を抱いたままの女性は何も答えない。立ちつくしたままだ。
浩二はもう一度、聞いた。
「幸子、君なのか!」
今度は少しきつく声のトーンを上げた。
その声は、非常階段の狭い空間に反響してその場の空気を震わした。
突然、女性は階段を上がり始めた。十段程度上がれば浩二とすれ違う。女はユックリとハイヒールの靴音を
鳴らしながら浩二に近づいてくる。
足音は冷たい空間に響く。
浩二は逃げたい気持ちを抑えながら踊り場の鉄の扉に身を寄せた。後ろ手に触れたドアノブを握り、回そうとしたがフロアーからカギがかかっていて、ガチャ、ガチャ音を鳴らすだけだ。
女は、八段目まで上がってきた。あと二メートル。
浩二は思わず激しくドアノブを揺さぶるように動かした。
コン、コンとドアをノックする音が聞こえた。
ドアの向こうに誰かいるようだ。
「そこに誰かいますか?」
と、言う声が聞こえた。
浩二は体をドアに向け激しくたたきながら叫んだ。
「ここを開けてください!っこのドアを開けて!」
浩二は激しくドアをたたき叫んだ。
すぐ後ろに女の気配を感じる。背筋に悪寒が走る。
突然、ドアが開かれた。
目の前にガードマンが立っていた。
制帽を少し阿弥陀にかぶった、二十歳前後の若いガードマンがキョトンとした顔で浩二を見つめた。
「どうされました?」間延びした声でガードマンは浩二に尋ねた。
「後ろにケガをした女性がいるんだ」
「後ろ?」ガードマンは浩二の後ろを覗き込み、そして非常階段の辺りを眺めた。
「誰もいませんが?」
「上に行ったのかもしれない」
ガードマンは、上に駆け上がり様子を見に行った。
しばらくして降りてきたガードマンは首をかしげながら言った。
「誰もいませんでした。何か見間違えたんじゃないですか?」
「そんなことはない。血がしたたり落ちてたんだ」
「血?」
ガードマンは、懐中電灯で階段を照らし始めた。リノリュームで覆われた踊り場と階段を丹念に眺めながらガードマンは呟いた。
「だいぶ汚れてるな。担当の清掃会社に知らせないと」
ガードマンは浩二に告げた。
「埃と汚れ以外、血らしきものは一滴も落ちてません」




