【8】
「やはり、梶宮を6番から外してもらえないか」
梶宮が非番のある夜、乗務が終わった帰り際、年配の配車係に話してみた。西谷さんが現役だった頃から一緒にやってきた人だし、失踪事件にも理解がある。梶宮の様子が変わり始めていることに、気付いているはずだ。
彼は、眉を寄せ、困ったように俯いて、悪いな、と言った。
営業所の所長から、何か言われているのだろう。彼も定年が近い。無理を通させるわけにはいかない。不安を抱えたまま、営業所を出た。
いつまでも、暑い。
昼間、熱せられたアスファルトは、いまだに放熱をやめない。
駐輪場に通勤に使っている自転車を取りに行こうとして、営業所の前の道に、誰かが立っているのに気付いた。無表情に、茫然と。
梶宮?
「今日は休みだろう?」
「ええ、まあ」
近付く俺をぼんやりみていて、ふいに我に返ったらしかった。
その表情を見て確信した。ああ、やはり。このままでは、こいつも。
「晩飯は?」
「え、いえ」
「うちで食っていけ」
逃げるように踵を返そうとした梶宮を、必死に止め、そのままほぼ強引に自分のアパートに向かって歩き始めた。
梶宮は、無言でついてきた。
さて、どうしよう。枕森の件には触れず、うまく誘導して、できれば、バス会社を退職させてしまいたい。この時世、仕事を辞めさせるのは忍びないが、わけのわからない理由で行方知れずになるよりずっといい。
アパートについて、部屋に招き入れても、梶宮は、なんて表現すればいいんだろう、無抵抗だった。ぼんやりと、座卓のそばの座布団に正座して、ケータイをいじるでもなく、テレビのスイッチを入れるでもなく、ただじっとしていた。
晩飯は、バカバカしいものを出そう、と思った。手の込んだものより、どこかチープな。温めるだけのレトルトカレーか、ハンバーグか。迷って、インスタントの味噌ラーメンを二袋分、小なべに入れた。
あんな覇気のない、青白い顔をして。野菜を多めにしてやろう。
出来上がったラーメンを、自分で運ばせて、先に麺を啜りながら、視界の隅で様子を窺った。
恐る恐るという風に数本ラーメンを口に運び、すぐに、夢中になって食べだした。食えるなら、まだ救いようがある気がしてほっとした。
空になったどんぶりを下げる頃には、梶宮は頬にも赤みが差し、満たされたような、どこか安心したようなカオになっていた。
食後の一服に火をつけ、窓際に座った。
梶宮の身に、何が起こっているのだろう。話して欲しい。が、もし話せないというのなら、せめて、しばらくの間でも職から離れた方がいい。
さて、どうやって切り出そう。
「なんで、バスの運転手なんて、やっているんだ?」
俺の問いに、顔をあげ、何かを言いかけて、やめた。
「あんないい大学を出て。こっちに仕事がなければ、田舎に帰ったってよかったじゃねえか。そっちの方が、まだ違った仕事があっただろうよ。ここに残ってまで、やりたかったわけじゃねえだろ」
それは、ずっと思っていた、率直な疑問。
出身大学の名を聞けば、ちゃんと就職活動をすれば、まあまあデカい企業に入れただろう、と、俺だけじゃなくたいがいのやつが思うはずだ。なのに、こんな、故郷から遠く離れた町で、わざわざ給与がいいとは言えないバスの運転手なんて、なぜ。
「名越さんだって、バスの運転手なんて、しているでしょう」
むっとしたように言い返されて、逆に笑ってしまった。
よしよし、元気でてきたじゃねえか。
「別に、落そうと思って言ったんじゃねえよ。世間話だよ」
笑いながら再びタバコを口に運ぶと、梶宮は気まずそうに頬を赤くして俯いた。