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第三夜 秘密結社〈絶影〉

「あの〈絶影〉って一体……」

「絶影というのは三国志上で曹操が乗っていた馬の事だ。影が絶たれるほど足が速かったらしい」

「何で馬の名前が出てくるのよ……さっき秘密結社って言っていたでしょ……」

「あー……」

 隣を歩く媛奈の訝しげな視線に耐えかねて、僕は会社の廊下を歩きながら答えに窮して前を歩く美夜先輩に視線を向ける。

 美夜先輩は振り返ってえへっと笑った。スーツ姿がこれほど似合わない人を初めて見た気がする。

「もう誤魔化さなくても良いと思うよ。霧くん」

「どうしてですか?」

「とっしーの命令だよ。あ、あとマーキングも忘れないでね、って」

「はぁ……? まぁ、総司令の言う事でしたら……」

 僕がしぶしぶ頷きながら廊下を進む。折しも、丁度、廊下の突き当たりにある扉……総司令室に辿り着いた。美夜先輩は軽く咳払いすると、ドアをノックして大人びた声を発した。

「殿下、三谷です。野和媛奈さんをお連れしました」

「入れ」

 ドアの向こうから低い声が響く。美夜さんはにっこりと笑うと扉を開けて僕達に先に入るよう合図した。媛奈が恐る恐る部屋に入る。その後に僕ら木戸兄妹が彼女の影を踏むようにして入り、そして美夜さんが最後に部屋に入ってドアを閉めた。

 中は立派な執務室だ。両脇のは本棚、正面には机、その奥にはこの高天市が一望できる窓がある。南側に位置しているので日差しがよく入るらしい。今は西日が赤く街を照らしていた。

 その部屋の中では豪勢でしっかりした机についている若い男と部屋の隅で椅子に座っている巫女服姿の女性がニコニコと微笑んでいた。その巫女服はあまりの乳の大きさで谷間が見えてしまっている。その見覚えのある女性に、僕と媛奈は思わず声を上げた。

「あ……」

「お母さん!?」

「どうも。霧人くんも久しぶり」

「やぁ、媛奈さんいらっしゃい。美夜もこの場では崩しても良いよ」

 若い男性……髭を生やしているが顔が優しげな面持ちなのでどうも似合わないその男性は低い声で言うと、優しげに微笑んで見せた。

 美夜先輩はその言葉を聞いた途端、えへっと笑ってすぐに部屋のどこからか折りたたみ椅子を取りだして、僕達を座らせた。

 全員が席に座った事を確認すると、男性は微笑みながら低い声で言う。

「さて、媛奈さんもこの前誕生日を迎えたそうだね。おめでとう。十七才だってね」

「は、はい……どうも……」

 媛奈は見知らぬ人に祝福されてどこか不安げに頷いた。何故か僕の制服の裾を握っている。その様子に男性は声を上げた。

「これはこれは、私とした事か自己紹介するのを忘れておったとは」

 彼は姿勢を正し、その場で立って一礼して見せた。

「私は(かつら)利行(としゆき)。〈絶影〉の総司令(リーダー)を務めている」

「あ、どうも……野和媛奈です」

 媛奈は慌てて立ち上がって一礼する。立ち上がった拍子にふるんと軽くその胸が大きく揺れた。

「――霧兄ぃ?」

「どうした?」

「鼻の下が若干伸びているけど」

「気のせいでしょう。お嬢さん」

 ジェントルマン風に言う。が、隣で座っている蕾はふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。その隣で美夜さんがくすくすと笑っている。

 僕は視線を戻すと、媛奈が一通りの社交辞令を終えて椅子へ着席していた。そして僕の袖を引いて小声で訊ねる。

「ねぇ、もしかしてバイト先って、この秘密結社とかいう?」

「ああ、この〈絶影〉が霧人くんを雇っている。その様子だと〈絶影〉の説明はされていないようだね? さすが霧人くん。のらりくらりとかわしてきた訳だ」

 そう答えたのは桂さんだった。髭を扱きながら感心したようにそう言う。え、という顔で媛奈は目を見開いて桂さんに視線を移した。僕は苦笑しながら告げる。

「あの人は地獄耳……とは違うんだけど、耳が良いから隠し事はしない方が良いよ。特に同じ空間では」

「ふふ、まぁ、そのタネも話してあげられるかもしれないね。じゃあ〈絶影〉の話をしよう」

 桂さんが咳払いして立ち上がり、美夜さんに視線を送った。先輩はもう事前に話を聞いていたのか立ち上がると、左脇にある本棚へ歩いていく。それを見ながら桂さんは続ける。

「〈絶影〉の起源は他の秘密結社に比べてみれば割と浅い。〈絶影〉は明治初期にガス灯が普及し始めると同時に都会を中心に生まれた。まぁ、最初は士族の再雇用のためだったらしいんだが。さて、媛奈さん、質問だ。ガス灯が普及して、どうなった?」

「え……?」

「質問が漠然とし過ぎているかな。では、人々の暮らしはどうなった?」

 桂さんが優しく問いかけると、媛奈は少し考え込む仕草をしてから答えた。

「人の暮らしが――少しずつ、夜型に。外が明るくなりますからね」

「そう、外が明るくなる」

 桂さんは親指をピンと立てるとニヤリと含み笑いをした。髭がその顔を若干怖くする。もう少し年を取れば年期も出るだろうが。

 媛奈が眉を顰める。その彼女に解説するように僕は言葉を添えた。

「じゃあ、媛奈。外が明るくなったら、普段、夜で消えて無くてはならないものが出てくるだろう?」

「え……光?」

「惜しい。足下を見てみろ。むしろ、後ろを見た方が分かりやすいかもな」

「え、後ろ?」

 媛奈は眉を顰めながら振り返る。そこには直接ではないものの、窓から差し込む西日の光で出来た黒い物がくっきりと見えているはずだ。

「……影?」

「ご名答だ。媛奈さん」

 桂さんは上機嫌そうに言うと、美夜さんが本棚から取ってきた書類を持ってそれを僕に渡した。僕はそれを捲ってみるとそれは〈絶影〉の研究部の研究の成果であった。見せられない部分もある。

「影は不思議でね。光がないと現れない。だから、光というのは影にとって死活問題だ。なければ消えてしまう。では、もしもあり過ぎたら?」

 桂さんの説明に合わせて、僕は書類を選んで媛奈に見せた。光の照射時間によって影がどんな反応を示すか行った実験だ。その資料を見せると、媛名は眉を顰めた。

「光を与え続けた場合、影が不自然に動き始めた?」

「ああ、そしてやがて、人を襲うようになる」

 僕は桂さんの説明に合わせてページを捲る。そこには影が立体的となって人に襲い掛かろうとするシーンが写真に収まっていた。それを見て媛奈は引きつり笑いを浮かべた。

「――本当ですか?」

「ああ、本当だ。明治時代、東京ではそんな事件が僅かではあったが起こっていた。その不可解な事件を防ぐために当時の士族は雇用された。〈影絶ツ士〉……それから転じて、〈絶影〉という今の組織が為っている訳だ。ここまでは納得できたかな?」

 桂さんの説明に、信じられませんが、と媛奈は頷いてみせる。ひとまず桂さんはそれに満足して言葉を続ける。

「〈絶影〉はずっとその現象を追い、時には人を助けてきた。そして戦後から一気に電灯が普及したと同時にこの影が襲う事件の件数も増加した。政府は正式に〈絶影〉という組織を構築し、独自に、内密に研究を進めてきた。〈絶影〉の存在を知っているのは内閣府、財務省、法務省、防衛省などの限られた省庁の人間だけだろう。そのバックアップを受け、今は〈絶影〉はその影が襲う現象を未然に防ぐため、日本全国、アジアの一部で展開されている」

「――にわかに信じられませんが、つまりは」

 媛奈は戸惑った様子で、だが、しっかり落ち着いた声で言う。

「この秘密結社〈絶影〉は凶暴化する影を撃退するための組織ですね」

「察しがよくて助かるな」

 桂さんが満足げにうんうんと頷く。媛奈はゆっくりと頷いて言った。


「馬鹿馬鹿しい」


「――え?」

 桂さんが顔を引きつらせる。媛奈は椅子を蹴るようにして立ち上がっていた。その顔は明らかに憤然としている。

「霧人やお母さんまで巻き込んで何なんですか。ドッキリですか。テレビだからって何とかなると思ったら大間違いですよ。ふざけるのも大概にして下さい!」

 僕の手から書類を取り上げるとそれを地面に叩きつけた。そして憤然とした態度で踵を返す。扉を乱暴に開けて叩きつけるように閉めると、部屋の中には沈黙が占めた。

 始めに我に返ったのは美夜さんであった。

「――とっしー、追いかける?」

「あー……いや」

 桂さんは我に返ると頬を掻いて部屋の隅でずっと座っていた巫女を見る。媛奈のお母さんはニコニコと一部始終を見ていた。桂さんの視線に気付いて彼女は申し訳なさそうに頭を下げた。

「すみませんねぇ、桂さん。事前に申し上げた通り、あの子はオカルトじみたことを信じていなくて。さらに幼い頃に私の夫がどっきりで一回、あの子を騙したから……」

「ははは……その通りでしたね。いや物証を出せば納得するかと思いましたけど、全然でしたね……いやいや困った……。仕方ない。当初の予定通り、実際に(・・・)見せてみましょうか」

「そうですねぇ……」

 二人は困ったように笑みを交わし合う。そして桂さんは僕を見た。

「霧人くん。マーキングは済ませたかな?」

「バッチリですけど。事前に美夜先輩から聞いていたので」

「なら結構。――おっと」

 桂さんが頷いた瞬間、彼のデスクに置いてあった電話が鳴り響き、驚きながらもすぐにその電話を取って応対する。

「はい、こちら桂……ああ、分かった」

 すぐに電話を置いて顔を上げる。桂さんは立ち上がると机の上に置いてあった何かを取って僕に放った。僕はそれを掴む。手を広げてみるとそれは耳に差し込むイヤホンに似た物であった。片耳分だけであったが。通信機だろうか。

 僕が小首を傾げると、桂さんは微笑んで言った。

「合図があったら、飛びなさい(・・・・・)。今、媛奈さんはエレベータに乗って、実物を(・・・)見ているだろうから」

「――マジですか」

 僕は引きつり笑いを浮かべる。ショック療法も良い所じゃないか。

 桂さんに言われた通り、通信機を耳に差し込んで暫く待っていると、向こう側から低い声が響いてきた。

『――今だ』

 僕は嘆息すると、力を込めて自分の足の下にあるはずであろう影を踏みしめる。そして息を吸ったその瞬間に僕は飛んだ(・・・)

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