第二夜 昼の生活
僕は一応、高校二年生だ。
残念な成績を取っていながらも高校二年生、高校に通うのが務めだ。
今日も教室に入ってクラスメイトと挨拶を交わし、机についてからバッグの中から枕を取りだして、それを机の上に置いて。
「お休みなさい」
「待ちなさいもう」
突っ伏そうとした瞬間、すっと枕が引き抜かれ、そのせいでべちんと思いっきり机とキスする羽目になった。いてぇ。
鼻をさすりながら顔を上げると、そこには腰に手を当てて眉をつり上げている幼なじみの姿があった。僕の視線に気付いて、何か? という表情を見せる。とりあえず僕は文句をつけることにした。
「――痛いんだけど」
「自業自得じゃない? 成績悪いなら真面目に勉強しなさいよ」
「勉強しなくても大丈夫なんでね」
「どの口で何を言うんだか」
「そりゃあ、成績優秀な媛ちゃんに比べたらな」
「媛ちゃん言わない!? あたしの名前は野和姫奈!」
憤慨した様子で媛奈は手に持った枕でべしべしと僕の頭を叩く。ちょっと痛い。
僕は振り下ろされた枕を掴んで止めながら、少し眠たい目を擦って彼女を見上げた。
「分かったから、媛奈。そんな怒っていると、お前の大和撫子顔負けの顔が台無しだぞ」
「――何よそれ、卑怯な言い方ね」
途端に媛奈はぷいっと顔を背けて枕を手放してしまった。その恥ずかしそうな表情はなかなかそそるものがある。僕は苦笑いしながら枕を机の上に再度敷いて、そこに顎を乗せて媛奈を見上げた。
野和姫奈は僕の幼なじみで、神社の巫女だ。
家族ぐるみの付き合いがあり、媛奈とはよくカルタやコマ、お手玉や剣玉で遊んだ記憶がある。小学生高学年から特有の思春期で少し疎遠になった節もあるが、媛奈の方はよくお節介を焼いてきて、そこまで疎遠にはならなかった。
高校はいろんな事情で媛奈と同じ所に進学する事となり、クラスも一緒だ。
海外の方の血が混じっているらしく、亜麻色の髪に紅い瞳の持ち主だ。小学校のときは一時期、いじめの対象になったが、僕がせっせと彼女をガードし、その上でいろんな人達のおかげでそれは一瞬にしてなくなった。
黙っていれば可愛らしい顔立ちの大和撫子。胸もやたら大きく胸を張ったりされると目のやり場に困る。亜麻色の髪や紅い瞳もウチの制服……黒い色調のセーラー服によく似合っている。まさに絶世の美女。だが、口を開けば……。
「とにかく、授業中は寝ない事! 隣の席のあたしが苦労するだから!」
「何で?」
「『夫が寝ているから代わりに奥さんが答えろ』って――言わせないでよっ! 知っているんでしょ!」
バンバンバン。
今度は教科書で僕の頭を叩きやがる。ちょっといてぇ。
僕は頭をガードしながら媛奈に視線をくれてやる。
この通り、口を開けば、やかましい幼なじみだ。というか、誤解する先生も先生だが……いや、あの先生はわざとそう言っているんだろうな。
僕はややげんなりしながら紅い顔で尚も叩き続ける媛奈に言った。
「分かった分かった。じゃあ、当てられるときは起こせ。答えてやっからよ」
「――答えられるの?」
「まぁ、ふざけた答えでも出しておくよ」
「……貴方ねぇ……」
思いっきり媛奈が引きつり笑いを浮かべながら教科書を振りかぶるのを見て、僕は慌てて身体を起こした。次の瞬間、枕にゴンと音を立てて分厚い教科書の背表紙がめり込んだ。
「……お前、殺す気か……」
冷や汗を掻きながら僕は媛奈を見上げると、彼女はふんと鼻を鳴らして隣の席へと戻っていく。そして殺気漲る目で僕を睨んだ。
――真面目に答えないと、こりゃ殺されるな……。
幸い、今日の授業で当てられる事もなく無事、放課後となった。
「ふわあぁ……」
枕から顔を上げ、欠伸混じりに枕をバッグの中に収納し始める。そんな僕を見て、テキストをしまう媛奈は呆れたように嘆息した。
「結局熟睡だったわね」
「うむ、当たらなくて良かった良かった」
「あたしは残念で仕方ならないわ」
ホームルームはすでに終わっている。枕をバッグに格納してそのバッグを担ぐと、媛奈もバッグを持って立ち上がった。
「およ? 今日の部活は?」
「今日はお母様にある場所に寄るように言われているの」
「へぇ、近い?」
「それなり」
「方向が同じだったら一緒に行こうぜ」
「良いけど……なんかよからぬこと考えている?」
「まさか。善良な高校生にその言葉はないんじゃないのか?」
「突っ伏して寝ている高校生のどこが善良なの?」
媛奈は鼻で笑うと机の合間を縫って歩き出す。僕はその後ろを追随しながら欠伸をかみ殺した。
廊下に出ると、生徒達が騒がしく動き回っていた。今は秋だが、ウチの学校は二期制だ。すぐに十月に入り、十月中旬には文化祭、そして秋休みがある。前期期末が終わったばかりの今のシーズンはみんな文化祭に向けてせっせと動いているのだ。
「ウチのクラスは確か――」
「巫女喫茶ね。何でそんなのをやらなくちゃいけないのかしら……」
それは貴方が綺麗だからです。
僕は内心そう呟きながら亜麻色の髪の毛を追いかけるようにして廊下を歩いていく。階段を下りながら、媛奈はスカートのポケットから何か紙切れを取りだした。
「えっと……三丁目か……」
「ん、どした?」
「場所の住所の書かれた紙」
「へぇ、見せてみそ」
僕の声に媛名は、はい、とその紙を手渡した。紙に書かれた住所を眺めて、ふむ、と頷いてみせた。
「ウチのバイト先だな」
「は?」
「どういう訳で野和神社の巫女様がお越しになるのでしょうね」
「知らないわよ。あたしはお母様に来なさいって言われたから……」
「まぁ、案内しましょ」
僕はそう言いながら媛奈を追い越し、階段を下りきって昇降口へと向かう。それを追いかけながら媛奈は小首を傾げて訊ねた。
「そう言えば、霧人も蕾ちゃんもバイトしているって聞いているけど、何のバイトしているの?」
「んー、まぁ、はっきりとは言えないな」
「どういう意味?」
「どういう意味もこういう意味も、いろんな仕事をしているからな。まぁ、この前の仕事を例に挙げれば、宅配業務を命じられたし」
「宅配?」
「うん、重たい荷物をパッと運ぶお手伝い」
「時給は良いの?」
「九百五十円かな」
「――それなりね」
「うん、それなり」
本当にそれなりだが勤務時間が長いので割と良いお金が入ってくるのだが。
靴を履き替えて僕らは昇降口を出ると、校門で蕾が門に寄りかかって待っていた。腕時計を見て待っている様子は何となく絵になっている。
「蕾」
「あ、霧兄ぃ」
僕が声を掛けると、蕾は顔を上げて少しはにかんだ。そして僕の背後にいる媛奈の姿を認めて、ぺこりと頭を下げて見せた。
「こんにちは、媛奈さん」
「こんにちは、蕾ちゃん。蕾ちゃんもこれからバイト?」
「ええ、そうですが」
ちらりと僕に怪訝そうな視線を投げかける僕。その言葉の裏から、僕が不用意にバイトの発言をした事を咎めようとしているようだ。僕は苦笑いしながら彼女に近寄ると小さな声で囁いた。
「媛奈が本社に訪れる用事を抱えているらしい」
「……もしかしたら、桂さんの言っていた事って……」
「多分、それだろ」
「うん、じゃあ……一緒に行きましょうか」
最後の言葉は媛奈に投げかけられた物であった。媛奈はニコリと微笑んでコクンと頷いた。
「こんな立派なビルで働いているの?」
「んーまぁ、そんなとこ」
所定の住所の場所まで移動すると、媛奈は信じられないという顔をして僕を見る。僕はどこか得意げになって言うと、蕾はぼそりと言った。
「まぁ、私達はここで働いていないけど」
「え、じゃ、どこで」
「さっき言ったみたいな雑務だよ」
「荷物運び?」
「そんなとこ」
僕は適当に誤魔化しながら先導してビルの中へと入る。その後を蕾と媛奈が続いた。
ここは高天市北部にある高層ビルだ。高天駅を中心とする高天市の南部は僕らの高校、高天高校があってそこを中心に住宅街を展開しているが、高天駅を起点に北側はオフィス街として有名だ。その立ち並ぶビルの一つに、僕らの〈バイト〉先があった。
入口を入ってすぐのセキュリティセンターで身分証明書を提示して僕と蕾は中へと入る。媛奈も守衛に事情を話したらすぐに守衛は心得た様子で通してくれた。
エレベータを待っている間、媛奈は僕達の身分証明書に興味を示していた。
「これって、複製不可能な唯一の証明書って奴?」
「知らんけど」
「そうです」
「あ、そうなんだ」
「わぁ……どんな所で働いているのよ。霧人。ワンオフカードが発行するのって結構お金と技術がいるのよ?」
媛奈が怪訝そうな顔で僕を見上げる。僕が言葉に窮していると、丁度そのときエレベータがちんと音を立てて到着を知らせた。
蕾が先に入りながら少し控えた声で告げる。
「私達の上官が話してくれるかも知れません」
なるほど、と僕は思わず感心した。
確かに桂さんだったら上手く誤魔化せるかも知れない。というか、この〈バイト〉の本義を一般人から隠すのがあの人の仕事でもある。
しかし、その考えはエレベータが到着した途端、木っ端微塵に砕かれてしまうのだった。
「秘密結社〈絶影〉へようこそ!」
「――は?」
「――うあ」
「……何も言うな、妹よ」
エレベータの戸が開いた瞬間、飛び込んできた言葉に呆気に取られる媛奈、頭痛を堪える僕ら。蕾は黙ってエレベータの〈閉〉ボタンを押す。が、それが閉じられる瞬間、ガッと扉に巨大な両手剣、俗称、クレイモアを突っ込まれて阻まれた。
「ひいぃっ!」
媛奈が小さく悲鳴を上げる。僕はその身体を僕の後ろに隠しながら蕾に目配せする。彼女は極めて残念そうな顔で嘆息すると、〈開〉ボタンを押した。
ゆっくりと扉が改めて開くと、クレイモアが引っ込み、そこにはスーツ姿の銀髪の少女が少し憤慨したような表情で立っていた。手には身に合わない真っ黒いクレイモアが握られている。
「蕾ちゃん、酷いじゃない。いきなり閉じるなんて……」
「部外者がいないときにして下さい」
「部外者じゃないよ。媛ちゃんだよね?」
「あ、野和媛奈です……媛ちゃんって呼ばないで下さい」
媛奈は恐る恐る僕の肩越しに顔を突き出して挨拶をする。さり気なく呼称の訂正も求めている。しかし、クレイモアの少女はからっと笑いを見せて頷いた。
「じゃあヒナちゃんね」
「何でそうなるんですか!」
「じゃあ、ひーちゃん」
「どういうセンス!?」
「んーじゃあ、愛媛ちゃん?」
「媛は媛でもそれはないですっ! ――もう、媛ちゃんで良いです」
「やたっ」
クレイモアの少女は小さく両手でガッツポーズをする。その間に手が離されたクレイモアは彼女の影の中に吸い込まれていった。
「――え?」
さすがの超常現象に目を疑う媛奈。僕は嘆息しながらエレベータの外に出て、媛奈に向かって僕の胸の辺りまでしか身長のない少女を手で差した。
「こちらは三谷美夜さん。ウチの〈バイト〉の先輩だよ」
「私は見たら分かると思うけど、もう高校卒業しているから正社員だけどね。えへっ」
「先輩、いつも言っていますけど、見ても分かりません」
「なぬ!? 霧くんの目は節穴なのか!? このナイスバデーが!」
銀髪の少女はその場で腕を突き出し、ちょっと前屈みになって胸を強調しようとする……が、ないものは強調されようがない。
僕は微笑ましい気分になって、その頭を撫でた。
「凄いですね、確かに大人ですよ。美夜先輩」
「でしょ? でしょ? 今なら霧くんをお嫁さんにしてあげるよっ!」
「先輩が僕ぐらいの身長になったら考えます」
「ふっふっふー、そのときを楽しみに待つが良い!」
美夜先輩はその場でぐっと胸を張る。繰り返して言うが、ないものは強調されようがない。
恐る恐る媛奈がエレベータから出る。蕾はその後に続きながら少女に平坦とした言葉を投げかけた。
「美夜さん、それで?」
「あー、うん、そうだった。ヒナちゃんを執務室までご案内しなくちゃだった!」
「その呼び方止めて下さい!」
「あー、そうだったね、愛媛ちゃん!」
「絶対わざとですよね!?」
「えへへ、ごめんね。では改めて」
美夜先輩はその場でくるりと回転し、優雅に手を回してその場でお辞儀してみせた。
「ようこそ、〈絶影〉へ!」




